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2006年11月16日 (木)

4.被差別部落と禁忌(タブー) 2.差別名字と差別戒名

4.被差別部落と禁忌(タブー)
 2.差別名字と差別戒名

「差別名字」と「差別戒名」・・・

この問題について触れるのは、それほど簡単ではありません。「差別名字」は、被差別部落の人々が生きているときに押しつけられた名前であり、「差別戒名」は、被差別部落のひとびとが死んでから押しつけられる名前のことです。

被差別部落の人々にとって、此岸においては「差別名字」、彼岸においては「差別戒名」が、被差別部落の人々の意志を無視してつけられる・・・というのは、被差別部落の人々にとっては、彼らが「過酷な部落差別」にさらされていればいるほど「差別名字」や「差別戒名」に対する「苦悩」は耐えがたいものがあるのでしょう。

「名字」とはなになのでしょうか・・・。

『名字と日本人』(文春新書)の著者・武光誠は、「名字について語る場合、まずそれがどのようないきさつで作られたかを知る必要がある。ところが、今日その問いに正確に答えられる歴史学者は一人もいない。」といいます。

しかし、著者の武光誠は、東京大学大学院国史学博士課程を終了し、現在、明治学院大学の教授をされているのですから、れっきとした歴史学者であるということになります。

この本の初版が出された1998(平成10)年の時点において、武光誠は、「名字」がつけられた経緯を説明することができる唯一の歴史学者であるということになるのでしょうか・・・。

武光誠は、「名字」の発生は、「日本的家の成立」が大きく関係しているといいます。「名字」は、「家を単位に代々うけつがれ」ていったといいます。

武光誠は、「家をあらわす名称がなければ社会生活に支障をきたすことになる。」といいます。そういう意味では、「農民や町民が名字をもたなかったとする考えは、明らかに誤りである。」といいます。「「水呑百姓」とよばれた小作人まで名字を名のっていたことを示す文献が多く残っている。」そうですが、そうなると、2つの問題が発生してきます。

ひとつは、近世幕藩体制下においては、「農民や町民が名字をもたなかったとする考え」(通説・一般説)はどのような意味をもっていたのか、ということと、もうひとつは、明治になって出される「苗字必称令」と呼ばれる明治8年2月13日の太政官大22号布告はなにを意味していたのか、ということです。

木下真弘著『維新旧幕比較論』には、「平民の苗字、詳らかならざる者は新に苗字を製せしむ。同名の者且分別するの便あり。」とあります。木下真弘は、近世幕藩体制下においては、「大抵苗字あらざるものなし。而して之を其家に存録して、公に之を称するを得ず。」と記しています。

木下真弘は、近世幕藩体制下においては、苗字の使用は、武士だけでなく百姓・町人にも認められいた・・・と認識していたと思われます。家の苗字、そして、家の苗字を代々受け継いでいった先祖の名前を家系図としてその家に記録・保存することが奨励されていた・・・と推測されます。禁じられていたのは、その苗字を「公に・・・称する」ことであったと考えられます。

百姓・町人がその苗字を「公に・・・称する」ことをなぜ禁止されていたのか・・・、想像をたくましくするとこのようなことが言えるのではないかと思います。

近世幕藩体制下の民衆支配の方法は、「村」を単位にしたものであって「家」を単位にしたものではなかった・・・。幕府も藩も、百姓・町人が、「村」を越えて、「家」と「家」とが結束し「類族」を形成することを、封建的支配上、極度に警戒したためではないかと思います。「村」を越え、「郡」を越え、さらには、「藩」を越えて、百姓・町人が「家」を拡大し「類族」を形成していくことは、封建支配を根底から覆すことにつながりかねません。

幕府と藩は、「家」の概念が、その外延を時間系列に拡大することは容認できても、「家」の概念が、空間的にその外延を拡大することを禁止したのではなないかと思います。

木下真弘が、「大抵苗字あらざるものなし。而して之を其家に存録して、公に之を称するを得ず。」と記したのは、近世幕藩体制下の百姓・町人は、「苗字」を大切にすることで、「家」を時間的、過去・現在・未来へと一貫して継承していくために、「之(苗字・家系図)を其家に存録」していたが、その苗字・家系図は、「村」という封建的枠組みの中においてのみ許可されていた・・・ことを意味しているのではないかと思います。

「苗字」は、近世幕藩体制下の検地台帳・宗門改め台帳などに記録するためにも必要欠くべからざるものであったと思われます。

ところが、明治に入ると、明治新政府は、日本の近代化を急激に短期間にすすめていきます。封建的な村制度を解体し、村と村との境(村境)を規制していた、当時の警察官である「穢多非人等」を廃止し、すべての農民が村境を自由に越境できるようにします。

明治新政府の富国強兵政策で、徴兵制が実施されますが、徴兵そのものは、近世幕藩体制下の村境を越えて集められた集団を前提にしてはじめて可能なことがらです。

宮地正人は、「明治8年2月13日の太政官大22号布告」について、「今後は必ず苗字を名乗るべきこととされ、祖先以来の苗字不分明の向は新たに苗字を設けるよう令された。これは徴兵軍隊の訓練の必要から要請されたものであった。」と説明しています。

これまでのべてきたことは、「旧穢多非人」についてもあてはまることがらであると思われます。

阿部善雄著『目明し金十郎の生涯 江戸時代庶民生活の実像』(中公新書)に登場してくる「金十郎」は、「吉田」という「姓」をもっています。阿部善雄は、「彼の姓は吉田氏である。」といっています。「姓」は、「苗字」のことでしょう。

「苗字」が、「家」において語り伝えられてきた「祖先以来の苗字」であるなら、その苗字が「差別苗字」(差別的な苗字)である可能性はほとんどありません。「苗字」は、先祖の歴史を語り継ぐものでもあるからです。

そうだとしますと、「差別名字」などあるはずがありません。

しかし、『被差別部落の暮らしから』の著者・中山英一は、「差別名字」について言及します。

中山英一は、近世幕藩体制下から明治・大正・昭和の戦前まで、その名字は「○○○」であったといいます。中山英一は、「○○○というのは、恐らく日本中にないと思われる珍し名字なのです。」といいます。

中山英一は、その母から、「この部落の人の○○とう名字は、K寺の住職がつけたのだ。○○○という名字は『厄介な者』という意味だそうだ・・・」と聞かされたといいます。

「五里(約20キロメートル)四方の人たちは「○○○は長吏」と知っていました。」といいます。明治中期以降であると思われますが、「○○○の名字を、30軒の部落の仲間衆は、悪い名字、恥ずかしい名字だと思っていました。」といいます。

戦後、仲山家は、30軒の部落に先立って、「兄姉たちの強い願い」で、「名字」(法律用語では「氏」というそうです)の変更を家庭裁判所に訴え、名字の改名を勝ち取るのです。そして、「家」の「名字」として、採用していったのが「中山」姓であったというのです。「その後、29軒がそれぞれ名前を変え」たそうですが、「一軒だけは、「名字を変えても、部落差別をなくすことにはならない」という考えで、現在も○○○を名乗っています。」といいます。

その「差別名字」からの解放を戦った中山英一は、このようにいいます。少しく長い引用文になりますが、紹介します。

「ここで私がいいたいことは、全部ではないにしても、知識階級といわれ、仏道を歩む僧侶がこのような残酷は差別名字を、厳に生きている人にさえ恥じることなく平気でつけるのですから、「死人に口なし」で、死者に冷酷非道の差別戒名をつけることなど朝飯前であったのでしょう。僧侶はきっと、私たち部落の人を最初から人間として扱わないで、差別してきたのだと思います。こんなにまで残虐なことをされて・・・。胸が張り裂けるほど悔しいです。このように、死者につけた「差別戒名」だけでなく、生きている者にも「差別名字」をつけた。現在でも、むしろ抗議のために差別的な名字を使っている人もいます。これが字を知っています、教養があります、という僧侶が行ってきたことです。僧侶は当時のインテリゲンチア(知識階級)です。ですから、私は単純に、インテリゲンチアというものを信用しません。何をやってきたかわかりません。

中山英一は、小学校4、5年の頃から、「差別戒名」の存在を知り、部落解放同盟長野県連合会の書記長として1949(昭和24)年から今日に至るまで、「差別戒名」の差別性を訴えてきた・・・といいます。

中山英一の「差別名字」と「差別戒名」に対する怒りと抗議・・・

受けた部落差別があまりにも大きく深刻であるがゆえに、中山英一の語ることばに、前回とりあげた灘本昌久のいう、被差別部落のひとにとって固有の「理屈」と「感情」が噴出しているように思われます。

今回、筆者は、中山英一氏のたましいの奥深くからの訴えに、飲み込まれてしまったようです。被差別部落の出身者であるがゆえにもっている、「理屈で割り切った結論」と、「個々の部落住民の感情」、それから自由になってみつめなおすとき、「差別名字」と「差別戒名」の中に、別の世界がみえてきそうです・・・。また、日と章節項をあらためて、「差別戒名」の問題を『部落学序説』風に取り上げてみたいと思います。

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