2008年4月25日 (金)

●第10回部落解放全国会議・・・

Han0804251『解放へのはばたき』(№83)に、『第10回部落解放全国会議』の案内が同封されていました。

●日時:2008年6月9日(月)午後12:00~6月11日(水)正午、●会場:日本キリスト教団・岡山教会(電話086-222-8074)、●主催:第10回部落解放全国会議実行委員会・日本基督教団部落解放センター

フィールドワークは、①渋染一揆、②美作騒擾、③ハンセン病療養所の現在の三つ。

分科会は、①ハンセン病差別、②岡山教会で起こった被差別部落との聖餐問題、岡山で起きた被差別部落の歴史、③教会、私は何故部落解放に取り組むのか、④狭山事件、⑤知らなかった部落差別の歴史、⑥「部落解放祈りの日」式文を作ろう、の六つ。

日本基督教団の部落解放運動の水準では、『部落学序説』の筆者の見解・・・、「いまだに啓発されていない差別者のたわごとに過ぎない・・・」と判断されるので、筆者、参加しても、疎外と排除、無視されるだけです。部落解放全国会議に参加することはありません。

貴重な時間、『部落学序説』第5章の続きを執筆することにしましょう。

近世幕藩体制下の司法・警察である非常民としての「穢多」がなぜ、明治30年代、「特殊部落民」として差別され、排除されるようになっていったのか・・・、「水平運動」前史となる、その過程を文章化します。

上の花は、教会の庭に咲いている釣鐘水仙の花です。

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2008年3月 1日 (土)

●昨日はひさしぶりに熟睡・・・

昨日は、ひさしぶりに熟睡しました。

今朝は、目のかすみは、少し和らいできました。

少しよくなると、すぐパソコンの前に座る筆者ですが、今朝は、『部落学序説』の1文書あたりのアクセス件数を出してみました。

被差別部落の地名とタブー  9033件
ある同和対策事業批判  1330件
部落学序説  786件
紀州藩「城下町警察日記」を読む  151件
田舎牧師の日記(Ⅱ)  62件

筆者が各文章、読者の方々が読みにきてくださるのは、部落差別問題関連記事です。教会・花・野菜・小鳥の話は、極少数の方々のみ・・・。

部落差別問題関連記事で、読者数の多いのは、以下の順です。

部落差別問題の現代>近代>近世>中世>・・・

執筆の主題が、中世よりも近世、近世よりも近代、近代よりも現代を主題にしたものの方が読者数が多いようです。

『部落学序説』とその関連ブログ群は、歴史学的研究ではありません。非常民に関する学としての「部落学」という、新しい枠組みで執筆されていますが、現在のところ、近世から近代へ、近代から現代へ・・・、と主題の時代的範囲を拡張していますが、現在は、その流れと逆行して、近世と近代のはざまに戻って、「百姓の目から見た渋染・藍染」について執筆しています。

アクセス件数をみすみす減少させる営みです。

しかし、これまで、『部落学序説』で紹介してきた視点・視角・視座、方法で、「岡山藩」の「渋染一揆」をとらえたらどうなるのか、その実践事例として言及するのも悪くはないかな・・・、と思って、執筆を続けています。

筆者の手元にある、部落差別問題関連資料は、現代>近代>近世>中世>・・・の順番ですから、ひとつの文章を書くために確認しなければならない資料は飛躍的に増えます。その資料を批判検証するためには、近世のテーマについて言及する以上に、執筆者の視点・視角・視座を明確にしなければなりません。

日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」を徹底的に<破壊>・・・、するためには、膨大な時間と労力が必要なようです。

吉岡幸雄著『日本の色を染める』に記されているように、「日本の色・・・」、それはどの色も美しい・・・。「貴色」・「賤色」という発想は、外来思想である中国の悪しき文化に汚染された古代天皇制の残滓でしかありません。「日本の色・・・」、それはどの色も美しい・・・、のと同様、すべての「ひと」は、美しい・・・。そこに、本質的に「貴人」・「賤民」と呼ばれるような人が存在するはずもありません。

それぞれの時代の支配階級が、自分の都合のいいように制度化したに過ぎません。

現代の「被差別部落」の人々は、その先祖の歴史にまでさかのぼって「賤民」として、部落史の学者・研究者・教育者からラベリングされることを黙って容認してはならない、差別思想である「賤民史観」という、一見、「被差別部落」の人々を「勦るかの如き・・・」教説は、「多くの兄弟を堕落させた・・・」教説であり、差別的な部落史の学者・研究者・教育者によってはきかけられた「クダラナイ嘲笑の唾・・・」に過ぎず、「呪はれの夜の惡夢・・・」に過ぎない。「被差別部落」の人々は、部落史の学者・研究者・教育者によって押しつけられた「賤民」としての「烙印・・・」を投げ返さなければならない。「被差別部落」の人々は、部落史の学者・研究者・教育者の差別的な思想「賤民史観」を受け入れ、「卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ・・・」・・・。そして、「被差別部落」の若い世代が、「人生の熱と光」を持って生きることができるよう、差別思想である「賎民史観」を葬り去り、民衆と共に差別なき新しき社会をつくろう・・・。被差別部落の人々を差別の奈落に落としこめた人々は、民衆ではない。背後にあって民衆を教育し、差別思想である「賎民史観」を注入し続けてきた、学者・研究者・教育者である・・・。彼らは、それぞれの時代の権力の走狗として、「被差別部落」の人々の「誇りうる・・・」近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」として生きてきた歴史と人生の物語を奪い続けてきたのだ。自ら構築すべき歴史を、差別者である、部落史の学者・研究者・教育者にゆだねた結果、「賎民」とラベリングされてきたし、今もされている、そしてこれからもされ続けることになる・・。「被差別部落」の「人間を冒涜」することを許したことは、今日に至るも、「被差別部落」の「多くの兄弟を堕落・・・」させている。「被差別部落」の若い学徒たちが、「人間を尊敬する・・・」ことの真の意味を認識し、差別思想である「賎民史観」を投げ返し、「自らを解放せんとする者の集団運動を起こせるは、寧ろ必然である・・・」。近代以降の歴史学者・研究者・教育者が構築してきた、差別思想である「賎民史観」を破棄し、自らの歴史と物語を取り戻すとき、決して、差別されることのない「祝福された時が来る・・・」。差別なき社会の夜明けは近い。押し付けられた「荊冠・・・」をかなぐり捨て、勇気をもって、真の部落解放運動のために立ち上がるべきだ。大学の教室で、図書館で、研究室で、差別思想である「賎民史観」を打破すべく勉学を続けよ。毎日毎日、真の部落解放の姿を考えよ。これまでの部落解放運動は、真の部落解放運動の<前座>に過ぎない。戦いはこれからだ。差別思想「賎民史観」の打破と、それを永久に葬り去る課題は、大学で、その図書館や研究室で学ぶ、「被差別部落」出身の学生の肩にかかっている。「人の世に熱・・・」「人間に光・・・」、「被差別部落」の本当の歴史をその手に掴むために、差別思想である「賎民史観」の担い手である学者・研究者・教育者の言説を批判検証し、議論・討論し、「賎民史観」を放棄せしめ、「人間に貴賎はなし・・・」との理念のもと、真の部落解放運動に共同参画せしめよ。真の部落解放運動の前座でしかない、同和対策事業の様々な問題に臆するな。同和対策事業の最初から<罠>は想定されていた。大切なのは、真の部落解放運動の担い手足るべく自らを飛躍させることだ。無学歴・無資格、「被差別部落」出身ではない、ただの「百姓」の末裔に過ぎない、部落解放運動の門外漢に過ぎない筆者の言葉を読む、<あなた>、<あなた>にはそれができる!

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2008年1月24日 (木)

●筆者は、日本基督教団の部落解放運動とは無関係・・・

日本基督教団の部落解放センターの関係者の方々から、資料の提供を受けることが増えました。

今までは、筆者のところに、部落解放センターの関連資料が送られてくることはほとんどなかったのですが・・・。

何のために、筆者のところに資料を送ってこられるのか・・・、測りかねているのですが、行間で訴えておられることは、日本基督教団の部落解放の取り組みは、部落解放同盟と歩調をあわせて行っている・・・、被差別部落出身者ではない門外漢が、勝手な発言を繰り返して、日本基督教団の部落解放運動の取り組みの邪魔をしないように・・・、という、警告とも指導ともとれます。

筆者は、以前、日本基督教団の部落解放運動の指導者格の方から、「あなたの取り組みは、日本基督教団の部落解放運動の取り組みと姿勢がことなる。あなたが、これからも部落差別問題にかかわるというなら、教団とは、何の関わりもないところでするように・・・」と言われ、その時以来、筆者は、教団とは、何の関わりもないところで、部落差別問題に関わってきました。

ですから、今さら、教団の指導に従え、と言われても・・・。

筆者が、『部落学序説』の執筆をはじめて以来、筆者の発言を抑圧しようとする人々も少なくないと思われますが、繰り返して表明しますが、筆者の『部落学序説』の執筆と、日本基督教団の部落解放運動とは、何の関係もありません。筆者は、「単独」で、自己責任のもと、『部落学序説』とその関連ブログ群を執筆しています。

日本基督教団の部落解放運動から疎外・排除される・・・、それは、筆者にとっては圧力にはなりません。既に疎外・排除されて久しいからこそ、こころおきなく、「単独」で、『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆を開始したのですから・・・。

失われた歳月は取り戻すことはできません・・・。

日本基督教団の部落解放の取り組みをお知りになりたい方は、無学歴・無資格で、世俗的な牧師でしかない筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群ではなく、学歴・資格を持ち、信仰深い教職や信徒の方々が作成・運用・管理されている、日本基督教団部落解放センターのホームページをご覧ください。

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●和歌山の部落解放運動に学ぶ・・・

『田舎牧師の日記』の読者の方から、以下の文書をいただきました。申込先の大阪教区久米田教会は、農村伝道神学校で牧師になるための勉強をしていたときの同級生のひとり、西中国教区周防教会・村田敏牧師の母教会です。

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日本基督教団大阪教区・部落解放委員会主催、一泊研修会のご案内

主題 和歌山の部落解放運動に学ぶ

和歌山県北部の部落解放運動と被差別部落の歴史を学ぶ研修です。ここは教団部落解放センターで働かれたルイス・グリア宣教師が、牧師として奉仕された地域でもあります。解放運動を担ってこられた方の証言に耳を傾け、差別の歴史と解放運動の現場を巡る現地研修を行います。どなたでも参加していただける研修会です。どうぞご参加ください。

日程:2008年2月1日(金)~2日(土)
会場:和歌山市・岩出市・紀の川市
協力:部落解放同盟和歌山県連合会
定員:20名
会費:7000円
申込:久米田教会・樋口洋一牧師 
x-oboosan@ca.wakwak.com  Tel 072-445-2368
締切:1月7日
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村田敏牧師の母教会も、部落解放運動に並々ならぬ努力をされているようです。

その文章に、『CROWNED WITH THORNS』(number47 December 1,2007)が同封されていました。その中に、「A Tribute To Bob Stieber and Heiichi Sumihi」という記事がありました。日本基督教団部落解放センターの主事をされていた角樋平一さんの死の真実についてのレポートがありました。

さらに、「日本基督教団部落解放センター活動委員会記録案」も同封されていました。その中にこんな言葉が・・・。

「明治時代の「解放令反対一揆」について何故反対したのか、差別した人々の中で語れる人がいるのか。数千の人々が焼き討ちされた。色々な考え方があるようで差別した人々が何も話さない。部落外の、差別した人々が運動していてこれは問題だ・・・、差別した側が解放令をどう思って焼き討ちしたのか聞きたい」。

『部落学序説』の筆者としては、部落解放運動にかかわっている人々が「差別者」として烙印を押す立場から、「解放令反対一揆」について、多くの言葉を語っています。2007年11月30日付けの、「日本基督教団部落解放センター活動委員会記録案」・・・、「田舎牧師」の執筆した『部落学序説』の「解放令反対一揆」に関する文章は、執筆者が無学歴・無資格故に対象外と考えておられるのでしょうか・・・。

筆者には、日本基督教団部落解放センター・・・、何か、古典的な部落解放運動に安住しているように見えます。「差別」・「被差別」の対立構造の中で、「解放令反対一揆について、・・・差別した人々の中で語れる人がいるのか」と凄んでみせることにどれほど意味があるのでしょうか・・・。

筆者は、彼らから「差別者」としてラべリングされるひとりとして、問いを返したい。「被差別」の立場にある人は、「解放令反対一揆」の歴史的真実にどれほど近づいているのか・・・、と。

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2008年1月14日 (月)

●気になる話・・・(2)

25年ぶりに話をした港南台教会の信徒の方がいわれる、教会が直面している二つの課題のもうひとつというのは、「駐車場」の問題です。

「教会は、いままで駐車場の問題を考えてきませんでした。教会の横を走っている横浜横須賀道路の土手の下の道に駐車すればよかったのですが、最近、日曜日の礼拝毎に、パトカーが巡回してきて、駐車違反の取り締まりをするようになって・・・」
「あの道、駐車禁止になったのですか・・・?」
「ええ、そうなんです・・・」

筆者の頭の中にある、神奈川教区の開拓伝道所のある場所のイメージは、25年前のものです。

仕事の関係で、その後、何度かその前の道を通ったことがありますが、25年前のイメージはすっかりなくなっていました。そして、神奈川教区の開拓伝道の計画が立てられた頃の、宣教計画のイメージを把握することが難しくなっていました。

神奈川教区の開拓伝道は、神奈川教区が、当時100坪5000万といわれていた高級住宅地のどまんなかに買い求めた土地を足掛かりに展開されたものです。

当時、100坪5000万の土地を購入して、その上に自宅を建設する経済力を持っている人というのは、大企業の課長クラス以上であると言われていました。当然、その住人の学歴・資格はハイレベルです。

伝道所で、筆者の無学歴・無資格が問題にされたとき、その地元に生まれ育ち、横浜国立大学を出られた方が、「おかしな世の中になったものです。わたしは、地元に生まれて地元に住んでいるのですが、他の地域からこの地に来られた方が、わたしとわたしの家族を差別するのですから・・・。あそこは、学歴が低いって・・・。調べてみたら、町内は、みんな東大・京大出身者でした・・・」と話されていましたが、神奈川教区の開拓伝道は、そのような人々の精神的なぐさめと魂の救いを宣教課題として企画されたものです。

今と違って、25年前は、伝道所の置かれた地理的状況が明確でした。

伝道所は、100坪5000万の土地を購入し、その上にさらに5000万以上の家を構築できる、知識階級・中産階級に属する人々を伝道対象として、宣教活動が展開されていたのです。

伝道所を中心に、まず、一戸建ての高級住宅地、そして、ドーナツの輪のように取り囲む、個人所有の高層マンション、そして、賃貸マンション、さらに、入居するのに所得制限のある県営住宅、市営住宅が続きます。

つまり、何町何丁目何番地・・・、と聞けば、その住人の所得が推測できる町・・・、だったのです。

神奈川教区は、洋光台・港南台伝道所の宣教対象を、知識階級・中産階級にしぼっていました。しかし、日本基督教団農村伝道神学校を卒業して、無学歴・無資格の筆者は、神奈川教区の宣教方針に反して、100坪5000万の土地を購入できる知識階級・中産階級の住む住宅地だけでなく、低所得者層の県営住宅や市営住宅にまで宣教活動を展開していったのです。

伝道所の礼拝に出席されている方々の中には、その団地の一室を家庭集会に開放してくださる方々が何人もおられました。家庭集会をひとつ開くごとに、7、8名の人々が伝道所と関係を持つようになっていくのです。

しかし、伝道所の指導的役割を果たしていた磯子教会の信徒の方々は、筆者が、低所得者層の県営住宅・市営住宅の住人にまで宣教活動を展開していくことをこのましく思わなくなってきました。「この伝道所は、わたしたちの伝道所だ・・・」という主張の前に、筆者は、キリスト教の宣教は、特定の社会層を対象にしたものではなく、すべてのひとを対象にした「神の宣教」(Missio Dei)でなければならない・・・、と主張しはじめました。

農村伝道神学校で教えておられた、角田三郎牧師に呼び出されて、「君は、知識階級・中産階級の人々が住んでいる場所で牧師をしているのだから、まずは、彼らのための宣教に力を注ぐべきである・・・」といさめられたことがあります。

まあ、25年も前の話ですから、その後、神奈川教区の開拓伝道がどのように展開されたのかは、ほとんど知りません。しかし、港南台教会の教勢の著しい拡大からして、その礼拝に集まっている人々は、洋光台・港南台のすべての社会層を含んでいるであろう・・・、と推測しています。

筆者が伝道師をしていたときは、伝道所に近くに、障害児のための学校ができるという計画が持ち上がったとき、高級住宅地の美観を害うといって、反対したのが、伝道所の関係者でした。

それから、25年・・・、何度か、神奈川教区の開拓伝道の進展具合を通りすがりにみさせていただきましたが、その場所は、今はすっかり、どこにでもある、ごく普通のただの町・・・。なにとなく、ほっとするようなところがありました。教会のすぐ近くは、住宅地から地目変更されたのでしょうか、建築資材置き場になっていました。教会のすぐ近くを走る横浜横須賀道路は、ごく普通の自動車道に・・・。

そして、それがさらに拡大されて、港南台教会のすぐ側にある自動車道の側道は、駐車禁止になってしまったのでしょう。

25年の歳月は、神奈川教区の開拓伝道の拠点、現在の横浜港南台教会の置かれた環境を著しく変化させてしまったのでしょう。自由にとめることができた場所が、駐車禁止に・・・。

日曜日、神様を礼拝して、祝福を受けて、出てきてみたら、自動車道の側道に停車していた信徒の車すべてに駐車違反のレッテルがはられていた・・・、ある種の悪夢です。

「今でも、警察は、日曜日ごとに巡回してくるんですか?」
「今でも・・・、というのは・・・?」
「赴任してまもない頃、伝道所の役員さんが、警察に提出する書類を持ってきて、それに署名と捺印をしてくれ・・・、と言われました。その理由をお尋ねしたら、伝道所を、過激派の襲撃から守ってもらうためだとか・・・。もちろん、教会は神様が守ってくださるので、その必要はありませんとお答えしたのですが・・・」
「その話は知っています・・・」
「それ以来ずっと、港南警察署は、教会を過激派から守るために巡回されているのでしょうかね・・・」
「それは、わかりませんけれど・・・」
「まあ、伝道所の回りを警察が巡回するのを求めたのは、伝道所の側、教会の側ですから・・・。慶応大学の元教授の方、最高裁判所の長官が教え子だとおっしゃっておられたから、その筋に手を回して、もう過激派による襲撃の可能性はありませんので、教会の回りの巡回はされなくて結構です、と働きかけたらどうですか・・・?」
「まあ、吉田先生ともあろうお方が、ご冗談を・・・」

筆者が、神奈川教区の開拓伝道に関与してのは、わずか2年に過ぎません。そこから離れて25年・・・。その間に、高度経済成長・バブル崩壊・地価暴落・低成長時代・格差社会・・・、と目まぐるしく変わった世の中・・・。横浜港南台教会のすぐ近くの高級住居地が建築会社の資材置き場になっているところをみますと、港南台教会が、駐車場を所有するのは、それほど難しいことではないと思われます。

それとも、教会の基礎工事をやり直し、排水工事を徹底し、敷地を有効利用して、立体駐車場付きのビルの教会に建て直すとか・・・。それとも、時代の先端を先取りして、知識階級・中産階級の教会らしく、環境を大切にするエコライフを徹底し、車を捨て、徒歩で、主日礼拝に出ることを徹底するとか・・・。

神奈川教区の開拓伝道でできた横浜港南台教会は、日本基督教団の宣教の<成功>のモデルケース、常に自らを改革することができる模範的な教会であってほしいと願っています。

それに引き換え、日本基督教団西中国教区の下松愛隣教会・・・、前任者が自害するなど、教団の教会の中では最も小さいな教会です。西中国教区の広島の諸教会の敷地は、1000坪から1200坪と言われます。それからみると下松愛隣教会の敷地は、わずか270坪に過ぎません。

昨年、西中国教区の教職研修会の講師をされた教団の幹部の方のことばでは、「下松愛隣教会は、日本基督教団の宣教の<失敗>のモデルケース」であるとか・・・。

期せずして、日本基督教団の宣教の<成功>のモデルケースと<失敗>のモデルケースに身を置くことになった筆者ですが、もういちど、宣教をやりなおしていいと神様から言われたら、筆者は、<成功>のモデルケースと<失敗>のモデルケース、どちらの教会に身をおくことを選択することになるのでしょうか・・・。問いにすぐ答えがおいかけてきます。

「宣教は、「神の宣教」(Missio Dei)です。神様の思し召しなら、何処へともまいります・・・。主イエス様は、どちらをお選びになられますか。わたしは、イエス様のご判断に従いたいと思います・・・」。

横浜港南台教会に、原因不明でたまる水・・・。冬の日に、その冷たい水を汲み出すために労される兄弟、風邪を引かれることがありませんように・・・。主イエス様のご健康とご多幸をお祈りいたします。

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●気になる話・・・(1)

気になる話があります。

昨年、教会にクリスマス献金をしてくださった、神奈川教区の横浜港南台教会の信徒の方と、年のはじめに電話でお話をしたことがあります。

そのとき、その方がお話ししておられたのが、教会が解決を求められている二つの問題があるとか・・・。

ひとつは、教会に水がたまる、という話・・・。

「水がたまるって、どこに・・・?」
「教会の玄関ですって・・・」
「教会の玄関のどこに・・・」
「くわしいことは知らないんですが・・・」
「どのくらいたまるんですか・・・」
「なんでも、バケツで何十杯も・・・」
「それで、どうされているんですか・・・」
「一人の兄弟が、バケツで水をくみ出しているんです・・・」
「原因は何ですか・・・」
「それが、原因が何か、わからないらしいんです・・・」

どうして、こんな会話になったのかといいますと、その方が、下松愛隣教会の移転・建築の進捗具合を尋ねてこられたとき、「最終候補地にある場所を選定したのですが、万が一のこともあるので、確認のため、集中豪雨や台風の時にその場所に行ってみました。そうしたら、石垣から水があふれだしているので、その土地の下に水脈があることが分かって断念しました。洋光台・港南台伝道所の例もありますから・・・」と筆者が答えたことに端を発します。

「吉田先生、それはどういうことですか・・・」
「神奈川教区が教区の開拓伝道として入手した土地は、教区の宣教にとって<最適>なものであったと言われれいますが、ひとつだけ、欠点があるとか・・・」
「欠点って、何なのです・・・?」
「造成された土地の下に水脈があるということ・・・」
「水脈・・・?」
「簡単にいうと、造成される前には、小さな川が流れていたということ・・・。それを、単純に埋め立てて、造成されたみたいですよ・・・」
「吉田先生は、いつそのことを知ったのですか・・・」
「洋光台・港南台伝道所に赴任してすぐ・・・」
「誰から・・・?」
「磯子教会の渡辺英俊先生から・・・」
「なんて・・・?」
「洋光台・港南台伝道所の土地は、すべての点において理想的なのですが、一つだけ欠点があります。それは、土地を入手したあとで知ったことなのですが、造成前には、川が流れていた場所です。教会を建築するときは、そのことを念頭に入れて建築しないと・・・。建築費がかなり高くつくかもしれない、って・・・」

普通、キリスト教会を作るときは、山の上か、丘の上か、見晴らしのいいところに作ります。しかし、神奈川教区の開拓伝道は、従来の既存概念を打ち破って、根岸線の洋光台駅と港南台駅の間のすり鉢状の地形の底に位置する場所に教会を作ったのです。その土地は、その地域の中では、いわゆる高級住宅地に属する場所で、洋光台駅と港南台駅の中間にあります。数十年前で100坪5000万の土地ですから、その上に家を建てるとすると1億はくだらない・・・、と言われていましたから、神奈川教区の開拓伝道は、日本の知識階級・中産階級に対する伝道の前線基地として、重要な宣教課題をになっていました。

「吉田先生、そのこと、誰々しっていますの?」
「洋光台・港南台伝道所にかかわった人なら誰でも知っています。伝道所にこられている方々の中には、地元の方もいて、造成前の地形をよくご存知の方もおられましたから・・・」
「その情報は、引き継ぎなされましたの?」
「私は、伝道所の会計監査をめぐって、管理不行き届きの責任をとらされて辞めたので、直接引き継ぎはしていませんが、磯子教会の渡辺英俊先生は、当然、今の牧師さんに、そのことは伝えていると思いますよ。それに、教会建設の費用、その工事費を含んでいたと思われますし・・・」
「教会の玄関に水がたまる・・・。その原因が分からない・・・。教会では、そうなっているんですが・・・」
「教会の敷地の下に水脈があることは最初から分かっていたので、教会の役員会は、教会を建築するときに、そのための対策を充分とったと思いますよ。なにしろ、洋光台・港南台伝道所は、慶応大学の教授をはじめ、優れた人材がたくさんいたのですから・・・。埋め立てられた川が原因して、現在の教会の玄関に、バケツで汲み出す必要があるほど水がたまるというのは、その工事に瑕疵があったということではないでしょうか・・・」

「それで、たまる水、誰が汲み出しているの? 慶応大学の元教授・・・?」
「いいえ、水を汲み出しているのは、・・・・(略)」
「そうですか。横浜港南台教会をささえているのは、その兄弟のようですね・・・。しかし、バケツで数十杯水を汲み出さないといけないということは、教会の基礎の下に空洞ができているということ・・・?鍾乳洞のように・・・?」
「わたくし、どのように水がたまっているのか、見たことがないのです・・・」

神奈川教区の開拓伝道・・・。

日本の高度経済成長をささえてきた知識階級・中産階級の精神的なぐさめと魂の救いを宣教課題として企画されたものですが、昨年の、西中国教区の教職研修会で、日本基督教団の指導者の一人である講師の方が、「横浜港南台教会は、日本基督教団の宣教モデルのひとつ・・・」と絶賛されていました。神奈川教区の、今日の社会における宣教の責任と威信がかかっていますから、当然の結果といえば当然の結果なのですが・・・。

その方は、このように言われます。

「吉田先生が、最初から最後まで繰り返しておられたことばをいまでも憶えています・・・」
「もう25年も前の話ですよ・・・」
「ええ、でも憶えています。宣教は、神の宣教、MissioDei でなければならないって・・・。教会は、神さまが宣教される、そのお手伝いをするに過ぎないって・・・。」

25年も、筆者の説教を憶えていてくださるなんて・・・。25年ぶりに話をした内容が、湧きあふれる水だなんて・・・。

新約聖書の「ヨハネの黙示録」に、最後の審判のあとの「新天新地」の話が出てきます。新しい、「都」には、「水晶のように輝いているいのちの水の川」が「その中央を流れて」います。

日本基督教団神奈川教区がその威信をかけて取り組んだ開拓伝道・・・。その教会の下を流れる水脈・・・。あふれる水・・・。もしかしたら、神の国の先取りの目に見えるしるしとして与えられたのかもしれません。しかし、世俗的な筆者は、教会の基礎の下に水が溜まらないよう、「流れる」状態をつくりだす必要があると思います。

港南台教会の玄関の下にたまる、原因不明の湧き水・・・。それを、一人で、何回も何回もバケツで水を汲み続ける一人の兄弟・・・。港南台教会の土台を守っているのだと思います。その兄弟こそ、港南台教会の「会堂守」です。

筆者は、25年ぶりに港南台教会の信徒の方と電話で話をしながら、その兄弟のために、とりなしのいのりを続けていこうと思いました。

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