25年ぶりに話をした港南台教会の信徒の方がいわれる、教会が直面している二つの課題のもうひとつというのは、「駐車場」の問題です。
「教会は、いままで駐車場の問題を考えてきませんでした。教会の横を走っている横浜横須賀道路の土手の下の道に駐車すればよかったのですが、最近、日曜日の礼拝毎に、パトカーが巡回してきて、駐車違反の取り締まりをするようになって・・・」
「あの道、駐車禁止になったのですか・・・?」
「ええ、そうなんです・・・」
筆者の頭の中にある、神奈川教区の開拓伝道所のある場所のイメージは、25年前のものです。
仕事の関係で、その後、何度かその前の道を通ったことがありますが、25年前のイメージはすっかりなくなっていました。そして、神奈川教区の開拓伝道の計画が立てられた頃の、宣教計画のイメージを把握することが難しくなっていました。
神奈川教区の開拓伝道は、神奈川教区が、当時100坪5000万といわれていた高級住宅地のどまんなかに買い求めた土地を足掛かりに展開されたものです。
当時、100坪5000万の土地を購入して、その上に自宅を建設する経済力を持っている人というのは、大企業の課長クラス以上であると言われていました。当然、その住人の学歴・資格はハイレベルです。
伝道所で、筆者の無学歴・無資格が問題にされたとき、その地元に生まれ育ち、横浜国立大学を出られた方が、「おかしな世の中になったものです。わたしは、地元に生まれて地元に住んでいるのですが、他の地域からこの地に来られた方が、わたしとわたしの家族を差別するのですから・・・。あそこは、学歴が低いって・・・。調べてみたら、町内は、みんな東大・京大出身者でした・・・」と話されていましたが、神奈川教区の開拓伝道は、そのような人々の精神的なぐさめと魂の救いを宣教課題として企画されたものです。
今と違って、25年前は、伝道所の置かれた地理的状況が明確でした。
伝道所は、100坪5000万の土地を購入し、その上にさらに5000万以上の家を構築できる、知識階級・中産階級に属する人々を伝道対象として、宣教活動が展開されていたのです。
伝道所を中心に、まず、一戸建ての高級住宅地、そして、ドーナツの輪のように取り囲む、個人所有の高層マンション、そして、賃貸マンション、さらに、入居するのに所得制限のある県営住宅、市営住宅が続きます。
つまり、何町何丁目何番地・・・、と聞けば、その住人の所得が推測できる町・・・、だったのです。
神奈川教区は、洋光台・港南台伝道所の宣教対象を、知識階級・中産階級にしぼっていました。しかし、日本基督教団農村伝道神学校を卒業して、無学歴・無資格の筆者は、神奈川教区の宣教方針に反して、100坪5000万の土地を購入できる知識階級・中産階級の住む住宅地だけでなく、低所得者層の県営住宅や市営住宅にまで宣教活動を展開していったのです。
伝道所の礼拝に出席されている方々の中には、その団地の一室を家庭集会に開放してくださる方々が何人もおられました。家庭集会をひとつ開くごとに、7、8名の人々が伝道所と関係を持つようになっていくのです。
しかし、伝道所の指導的役割を果たしていた磯子教会の信徒の方々は、筆者が、低所得者層の県営住宅・市営住宅の住人にまで宣教活動を展開していくことをこのましく思わなくなってきました。「この伝道所は、わたしたちの伝道所だ・・・」という主張の前に、筆者は、キリスト教の宣教は、特定の社会層を対象にしたものではなく、すべてのひとを対象にした「神の宣教」(Missio Dei)でなければならない・・・、と主張しはじめました。
農村伝道神学校で教えておられた、角田三郎牧師に呼び出されて、「君は、知識階級・中産階級の人々が住んでいる場所で牧師をしているのだから、まずは、彼らのための宣教に力を注ぐべきである・・・」といさめられたことがあります。
まあ、25年も前の話ですから、その後、神奈川教区の開拓伝道がどのように展開されたのかは、ほとんど知りません。しかし、港南台教会の教勢の著しい拡大からして、その礼拝に集まっている人々は、洋光台・港南台のすべての社会層を含んでいるであろう・・・、と推測しています。
筆者が伝道師をしていたときは、伝道所に近くに、障害児のための学校ができるという計画が持ち上がったとき、高級住宅地の美観を害うといって、反対したのが、伝道所の関係者でした。
それから、25年・・・、何度か、神奈川教区の開拓伝道の進展具合を通りすがりにみさせていただきましたが、その場所は、今はすっかり、どこにでもある、ごく普通のただの町・・・。なにとなく、ほっとするようなところがありました。教会のすぐ近くは、住宅地から地目変更されたのでしょうか、建築資材置き場になっていました。教会のすぐ近くを走る横浜横須賀道路は、ごく普通の自動車道に・・・。
そして、それがさらに拡大されて、港南台教会のすぐ側にある自動車道の側道は、駐車禁止になってしまったのでしょう。
25年の歳月は、神奈川教区の開拓伝道の拠点、現在の横浜港南台教会の置かれた環境を著しく変化させてしまったのでしょう。自由にとめることができた場所が、駐車禁止に・・・。
日曜日、神様を礼拝して、祝福を受けて、出てきてみたら、自動車道の側道に停車していた信徒の車すべてに駐車違反のレッテルがはられていた・・・、ある種の悪夢です。
「今でも、警察は、日曜日ごとに巡回してくるんですか?」
「今でも・・・、というのは・・・?」
「赴任してまもない頃、伝道所の役員さんが、警察に提出する書類を持ってきて、それに署名と捺印をしてくれ・・・、と言われました。その理由をお尋ねしたら、伝道所を、過激派の襲撃から守ってもらうためだとか・・・。もちろん、教会は神様が守ってくださるので、その必要はありませんとお答えしたのですが・・・」
「その話は知っています・・・」
「それ以来ずっと、港南警察署は、教会を過激派から守るために巡回されているのでしょうかね・・・」
「それは、わかりませんけれど・・・」
「まあ、伝道所の回りを警察が巡回するのを求めたのは、伝道所の側、教会の側ですから・・・。慶応大学の元教授の方、最高裁判所の長官が教え子だとおっしゃっておられたから、その筋に手を回して、もう過激派による襲撃の可能性はありませんので、教会の回りの巡回はされなくて結構です、と働きかけたらどうですか・・・?」
「まあ、吉田先生ともあろうお方が、ご冗談を・・・」
筆者が、神奈川教区の開拓伝道に関与してのは、わずか2年に過ぎません。そこから離れて25年・・・。その間に、高度経済成長・バブル崩壊・地価暴落・低成長時代・格差社会・・・、と目まぐるしく変わった世の中・・・。横浜港南台教会のすぐ近くの高級住居地が建築会社の資材置き場になっているところをみますと、港南台教会が、駐車場を所有するのは、それほど難しいことではないと思われます。
それとも、教会の基礎工事をやり直し、排水工事を徹底し、敷地を有効利用して、立体駐車場付きのビルの教会に建て直すとか・・・。それとも、時代の先端を先取りして、知識階級・中産階級の教会らしく、環境を大切にするエコライフを徹底し、車を捨て、徒歩で、主日礼拝に出ることを徹底するとか・・・。
神奈川教区の開拓伝道でできた横浜港南台教会は、日本基督教団の宣教の<成功>のモデルケース、常に自らを改革することができる模範的な教会であってほしいと願っています。
それに引き換え、日本基督教団西中国教区の下松愛隣教会・・・、前任者が自害するなど、教団の教会の中では最も小さいな教会です。西中国教区の広島の諸教会の敷地は、1000坪から1200坪と言われます。それからみると下松愛隣教会の敷地は、わずか270坪に過ぎません。
昨年、西中国教区の教職研修会の講師をされた教団の幹部の方のことばでは、「下松愛隣教会は、日本基督教団の宣教の<失敗>のモデルケース」であるとか・・・。
期せずして、日本基督教団の宣教の<成功>のモデルケースと<失敗>のモデルケースに身を置くことになった筆者ですが、もういちど、宣教をやりなおしていいと神様から言われたら、筆者は、<成功>のモデルケースと<失敗>のモデルケース、どちらの教会に身をおくことを選択することになるのでしょうか・・・。問いにすぐ答えがおいかけてきます。
「宣教は、「神の宣教」(Missio Dei)です。神様の思し召しなら、何処へともまいります・・・。主イエス様は、どちらをお選びになられますか。わたしは、イエス様のご判断に従いたいと思います・・・」。
横浜港南台教会に、原因不明でたまる水・・・。冬の日に、その冷たい水を汲み出すために労される兄弟、風邪を引かれることがありませんように・・・。主イエス様のご健康とご多幸をお祈りいたします。
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