2008年5月10日 (土)

●今日の午後は知的資産の棚卸し・・・

今日の午後は、筆者の知的資産の棚卸し作業をしています。

筆者の手元にある、神学・農学・情報処理学・部落学関連の書籍・ソフトの総合点検です。

表面的には、ただ書棚と机の中を整理しているだけなのですが、今、筆者の手元に何が残されているか、これからも生き抜くためにそれをどのように活用することができるか・・・、ロビンソンクルーソーの合理主義的精神で自分自身の可能性を認識します。

不要な書籍は、資源ゴミとして、徐々に放出します。どの書籍も、入手するときには、それなりの目的と意味があったはす・・・、資源ゴミに出す前に、必要な箇所はスクラップにして保存します。

筆者の父の影響でしょうか・・・。筆者の父は、口癖のように、「仕事をする前には段取りを・・・」と言っていました。

「段取」というのは、広辞苑では、「事の順序・方法を定めること。心がまえすること。工夫すること。」と説明されています。

筆者の父の言葉を思い起こして考えますと、「段取り」とは、「これから何をしようとしているのか、作業の目的を明確にして、心がまえすること」、「目的を達成するために、事の順序・方法を定めること」、「順序・方法を確定するときは、必ず創意工夫をすること」であるといえます。

書棚に関連書籍を配置しなおすことで、筆者の頭の中を整理しなおすことになります。メモリーの内容の再配置を敢行することになります。

書棚の前面に配置する資料

神学:パウロ書簡・老いに関する書籍
農学:立体農業・有機栽培・ぶどう栽培に関する書籍
情報処理学:Webプログラミング(ASP.NET/Iron Python)/Power Shellに関連する書籍
部落学:近代中央集権国家において「旧穢多」を近代的歴史概念としての「賤民」・「特殊部落民」に組み込む過程に関する史資料


段取りができたら、神学・農学・情報処理学・部落学、そして、『部落学序説』の執筆再開です。

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2008年4月15日 (火)

●辛淑玉著『悪あがきのすすめ』を読む・・・

今日、国道2号線沿いのBOOKOFFで、105円で入手した、辛淑玉著『悪あがきのすすめ』(岩波新書)を通読しました。

この新書・・・、筆者にとってはひさしぶりです。辛淑玉氏のことば、ひとことひとことが筆者のこころの中にすっと違和感なく入ってきます。

辛淑玉氏、筆者より7歳年下の妻より、さらに4歳若い・・・。しかし、筆者と同世代の団塊の世代の書いた文章より、一世代離れた辛淑玉氏の書いた文章の方が理解しやすい・・・。

というのは、筆者、団塊の世代ではあるのですが、高校3年の1月、父が脳梗塞で倒れて、大学進学の道が閉ざされてしまいましたが、そのあと、悪戦苦闘をしながら、母と一緒に病気の父の世話と家族をまもり、10年後、牧師になるために、日本基督教団の農村伝道神学校に入りました。

そのとき、通っていた日本基督教団阿佐ヶ谷東教会の青年会には、ICUや早稲田大学の学生たちがいました。青年会を通じての彼らとの交流・・・、筆者、団塊の世代より一世代のちの人々と共に学び、その時代の三里塚反対闘争や靖国反対闘争に、キリスト者として参加していましたので、辛淑玉氏とは、どこかで時代精神を共有しているところがあるのかもしれません・・・。

「弱い者の悪あがきは、同じように痛めつけられたり発言を封じられたりしている数多くの弱い者たちに見つめられている。一見孤立無援のように見える悪あがきであっても、じつはその背後に、それを祈るようにじっと見つめている無数のまなざしがある・・・」。

辛淑玉著『悪あがきのすすめ』(岩波新書)・・・、『部落学序説』の筆者にとっては、慰めの多い本でした。

筆者、これからも、『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆を通じて、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」を破壊するまで、学者・研究者・教育者に対する批判検証・・・、という「悪あがき」と続けていくことにしましょう。

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2008年3月 1日 (土)

●昨日はひさしぶりに熟睡・・・

昨日は、ひさしぶりに熟睡しました。

今朝は、目のかすみは、少し和らいできました。

少しよくなると、すぐパソコンの前に座る筆者ですが、今朝は、『部落学序説』の1文書あたりのアクセス件数を出してみました。

被差別部落の地名とタブー  9033件
ある同和対策事業批判  1330件
部落学序説  786件
紀州藩「城下町警察日記」を読む  151件
田舎牧師の日記(Ⅱ)  62件

筆者が各文章、読者の方々が読みにきてくださるのは、部落差別問題関連記事です。教会・花・野菜・小鳥の話は、極少数の方々のみ・・・。

部落差別問題関連記事で、読者数の多いのは、以下の順です。

部落差別問題の現代>近代>近世>中世>・・・

執筆の主題が、中世よりも近世、近世よりも近代、近代よりも現代を主題にしたものの方が読者数が多いようです。

『部落学序説』とその関連ブログ群は、歴史学的研究ではありません。非常民に関する学としての「部落学」という、新しい枠組みで執筆されていますが、現在のところ、近世から近代へ、近代から現代へ・・・、と主題の時代的範囲を拡張していますが、現在は、その流れと逆行して、近世と近代のはざまに戻って、「百姓の目から見た渋染・藍染」について執筆しています。

アクセス件数をみすみす減少させる営みです。

しかし、これまで、『部落学序説』で紹介してきた視点・視角・視座、方法で、「岡山藩」の「渋染一揆」をとらえたらどうなるのか、その実践事例として言及するのも悪くはないかな・・・、と思って、執筆を続けています。

筆者の手元にある、部落差別問題関連資料は、現代>近代>近世>中世>・・・の順番ですから、ひとつの文章を書くために確認しなければならない資料は飛躍的に増えます。その資料を批判検証するためには、近世のテーマについて言及する以上に、執筆者の視点・視角・視座を明確にしなければなりません。

日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」を徹底的に<破壊>・・・、するためには、膨大な時間と労力が必要なようです。

吉岡幸雄著『日本の色を染める』に記されているように、「日本の色・・・」、それはどの色も美しい・・・。「貴色」・「賤色」という発想は、外来思想である中国の悪しき文化に汚染された古代天皇制の残滓でしかありません。「日本の色・・・」、それはどの色も美しい・・・、のと同様、すべての「ひと」は、美しい・・・。そこに、本質的に「貴人」・「賤民」と呼ばれるような人が存在するはずもありません。

それぞれの時代の支配階級が、自分の都合のいいように制度化したに過ぎません。

現代の「被差別部落」の人々は、その先祖の歴史にまでさかのぼって「賤民」として、部落史の学者・研究者・教育者からラベリングされることを黙って容認してはならない、差別思想である「賤民史観」という、一見、「被差別部落」の人々を「勦るかの如き・・・」教説は、「多くの兄弟を堕落させた・・・」教説であり、差別的な部落史の学者・研究者・教育者によってはきかけられた「クダラナイ嘲笑の唾・・・」に過ぎず、「呪はれの夜の惡夢・・・」に過ぎない。「被差別部落」の人々は、部落史の学者・研究者・教育者によって押しつけられた「賤民」としての「烙印・・・」を投げ返さなければならない。「被差別部落」の人々は、部落史の学者・研究者・教育者の差別的な思想「賤民史観」を受け入れ、「卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ・・・」・・・。そして、「被差別部落」の若い世代が、「人生の熱と光」を持って生きることができるよう、差別思想である「賎民史観」を葬り去り、民衆と共に差別なき新しき社会をつくろう・・・。被差別部落の人々を差別の奈落に落としこめた人々は、民衆ではない。背後にあって民衆を教育し、差別思想である「賎民史観」を注入し続けてきた、学者・研究者・教育者である・・・。彼らは、それぞれの時代の権力の走狗として、「被差別部落」の人々の「誇りうる・・・」近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」として生きてきた歴史と人生の物語を奪い続けてきたのだ。自ら構築すべき歴史を、差別者である、部落史の学者・研究者・教育者にゆだねた結果、「賎民」とラベリングされてきたし、今もされている、そしてこれからもされ続けることになる・・。「被差別部落」の「人間を冒涜」することを許したことは、今日に至るも、「被差別部落」の「多くの兄弟を堕落・・・」させている。「被差別部落」の若い学徒たちが、「人間を尊敬する・・・」ことの真の意味を認識し、差別思想である「賎民史観」を投げ返し、「自らを解放せんとする者の集団運動を起こせるは、寧ろ必然である・・・」。近代以降の歴史学者・研究者・教育者が構築してきた、差別思想である「賎民史観」を破棄し、自らの歴史と物語を取り戻すとき、決して、差別されることのない「祝福された時が来る・・・」。差別なき社会の夜明けは近い。押し付けられた「荊冠・・・」をかなぐり捨て、勇気をもって、真の部落解放運動のために立ち上がるべきだ。大学の教室で、図書館で、研究室で、差別思想である「賎民史観」を打破すべく勉学を続けよ。毎日毎日、真の部落解放の姿を考えよ。これまでの部落解放運動は、真の部落解放運動の<前座>に過ぎない。戦いはこれからだ。差別思想「賎民史観」の打破と、それを永久に葬り去る課題は、大学で、その図書館や研究室で学ぶ、「被差別部落」出身の学生の肩にかかっている。「人の世に熱・・・」「人間に光・・・」、「被差別部落」の本当の歴史をその手に掴むために、差別思想である「賎民史観」の担い手である学者・研究者・教育者の言説を批判検証し、議論・討論し、「賎民史観」を放棄せしめ、「人間に貴賎はなし・・・」との理念のもと、真の部落解放運動に共同参画せしめよ。真の部落解放運動の前座でしかない、同和対策事業の様々な問題に臆するな。同和対策事業の最初から<罠>は想定されていた。大切なのは、真の部落解放運動の担い手足るべく自らを飛躍させることだ。無学歴・無資格、「被差別部落」出身ではない、ただの「百姓」の末裔に過ぎない、部落解放運動の門外漢に過ぎない筆者の言葉を読む、<あなた>、<あなた>にはそれができる!

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2008年1月 7日 (月)

●筆者が尊敬する人物・風大左衛門・・・

Img003_2 筆者は、ブログ『すばらしき新世界』に毎日アクセスします。

新しい文章を読む都度、ブログ『すばらしき新世界』の著者の方の読書範囲の広さに、いつも感心させられています。

「機動戦士ガンダム」に触れて、「人はどう生きるべきか。人生の目的とは。勇気とは。愛とは。友情とは。尊敬とは。難しい言葉に苦労することなく、人生を考えるヒントがここにあります。」と語ります。

筆者は、「機動戦士ガンダム」に触れる機会はこれまでに一度もありませんでした。それに、この先、「機動戦士ガンダム」に触れる機会があるとも思われません・・・。

筆者は、今月、満60歳になります。

60歳になっても、時々、取り出しては読んでいる漫画があります。

牧師になるために、日本基督教団の農村伝道神学校に入ったとき、筆者が、密かに持ち込んだ漫画です。それは、風大左衛門の伝記全四巻・・・。本の名前は、川崎のぼる著『いなかっぺ大将』(日本文芸社)・・・。

風大左衛門は、東北出身。青森の山の中に生まれ育ちました。父は、陣左衛門。少年時代、父を失い、父の友人・大柿矢五郎を頼って東京へ。村や山や川、幼馴染みの花ちゃんと別れて上野駅に降り立ちます。乗ったのはSL・・・。

風大左衛門が住むようになったのは、東京都豊島区千葉町1丁目5番地・・・。近くには大学もあります。

転校した小学校は、聖カトリック白ばら学園。東北弁で話す教頭のいるミッションスクールです。「男生徒ひとりにたいして女生徒十人」(筆者の生れた繊維産業の町・岡山県琴浦町でよく類似した言葉を耳にしました・・・)。大左衛門のクラスは、4年4組。担任は、白雪ケメ子先生。白雪先生のキリスト教主義教育を受けて、大左衛門は、その天性を育まれていきます。

大左衛門は、白バラ学園柔道部に所属し、その代表として、東京都小・中学生柔道大会に参加。柔道部の部員は大左衛門ただひとり・・・。しかし、大左衛門は、小学生の部で優勝。更には、中学生をも次から次へと投げ倒して、最後は決勝戦にでます。そこで、大左衛門より小柄で丸坊主の中学生に一本背負いで負けてしまいます。

それからはじまる、風大左衛門の柔道修行・・・。

そんな大左衛門に試練が・・・。出席日数が足らなくて、五年生に進級できず、「4年生保留」に・・・。それを「落第」(落ちこぼれをあらわす昔の言葉・・・)と受け止める大左衛門は、大粒の涙を流します。

風大左衛門は、学校から帰ると、大柿矢五郎の道場で特訓を受けます。「勉強ばかりしていてもだめなんだぞ!もちろん勉強もたいせつにしなくちゃならんが・・・。青い顔をしたがりがりもうじゃのがり勉になるな!わしも・・・ひとからは落第生なんてからかれもした・・・だがわしはこのとおり、いまじゃ先生をしておる! なにごとも努力がひつよう! 努力に努力をかさね、そのつみかさねが最後の勝ちをつかむんだ! たて! 努力だ!」

その試練を乗り越えたとき、ミッションスクールでの教育を受けて、「ふんどし」が「クラシックパンツ」になる風大左衛門ですが、天衣無縫・天真爛漫、東京のど真ん中で、「いなかっぺ」として生きて行くことになります。

筆者は、子供の頃から体が弱く、体育はまるで駄目・・・。高校のとき、柔道が必須科目でしたが、学んだのは、正座の仕方と受け身の方法だけ・・・。

体育のできる同級生は、男女を問わず尊敬の対象でした。筆者は、中学校のときは、同級生から、大柿矢五郎のいう「がり勉」とあだ名されてからかわれていましたが、「柔道」ができない代わりに「勉強」をしていたに過ぎません。筆者にとっては、「勉強」こそが「柔道」だったのです。

風大左衛門・・・。

筆者にとっては、大左衛門のライバルである西一のような、典型的なおぼちゃま育ちの元慶応大学教授に対する尊敬の思いをはるかに超えた存在です。

時々、『いなかっぺ大将』を出して読んではくすくす笑っている筆者を見て、妻は、「あなたは、ほんとうに幸せな人ね・・・」といいます。

そして、ときどき、「あなたにとって、花ちゃんと菊ちゃんって、誰だったの? 正直にいいなさい・・・」と詰め寄られることがあります(大左衛門にとって、花ちゃんは、幼なじみの東北の女の子、菊ちゃんは、柔道の師・大柿矢五郎の娘、東京の女の子・・・)。

東北生まれで、東京で農村伝道神学校の付属幼稚園の先生をしていた妻こそ、筆者にとっては、「花ちゃん菊ちゃん」なのですが・・・。

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