2009年12月18日 (金)

●冬の海・・・

海には
静寂がありません。
いつも、波の音、潮騒の音がします。
しかし、ほんとうは、海にこそ
静寂があります。
押し寄せてくる波と波の間に、
荒磯に砕けるしぶきとしぶきの間に、
ほんとうに、しずかな静かな
静寂があります。
海は、ほんとうのおしゃべり、
ほんとうの沈黙が何であるを
知っていますから・・・。


冬の海をみつめていると
なぜか、冬の海に似てきます・・・。

    

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2009年12月 6日 (日)

●まじめで従順なひとの裏・表の危うさ・・・

今朝、4時に起きて作業を開始したのが効を奏して、少しく時間的ゆとりができました。

それで、朝刊を読むことに・・・。

早稲田大学・生物学教授の池田清彦氏の《「まじめで従順」の危うさ》という文章が掲載されていました。

<日本の自殺者は1998年以後急速に増加して、毎年3万人の大台を維持し続けている。自殺率は米国の2.1倍、英国の3.5倍で、先進国では異常な効率だ。うつ病の患者も増加を続けており、いったい日本人の精神構造はどうなっているのだろうか・・・>。

そんな問に対して、池田清彦氏は、みずからこのように答えます。<まじめだけれども不寛容な人がどんどん増加しているせいだ、と私は思う。少しでも悪いことを徹底的に排除しようとするあまり、社会も個人もかえって不健康になっているみたいだ・・・>。

池田清彦氏の自問自答がどれだけ一般化されるのか、定かではありませんが、筆者、『部落学序説』の執筆をはじめて以来、表むきは<まじめ>で通っている人物が、筆者に対しては<不寛容>を決め込んでいる・・・。筆者が、部落史の学者・研究者・教育者の一般説・通俗説を受容しないで、批判を展開していることについて<悪いこと>だと断定して、<まじめ>に由来する正義心から<徹底的に排除>することをよしと考えている方もおられるようです。

部落史の学者・研究者・教育者に固有の傾向かどうかは知りませんが・・・。

筆者の妻曰く、<あなたは、牧師だけれど、まじめというタイプではありませんから・・・。机の上に、いつも異なる分野の本を広げて、同時に読んでいるでしょう? まじめなひとはそんなことはしません・・・>。

池田清彦氏曰く、<それにしても、何であれ世間の風に従順で、それに逆らう少数派をみんなでいじめる、という日本人の感性はどこからきたのか>。

池田清彦氏、内田樹著『日本辺境論』を引用して、自問自答します。<辺境人たる日本人の特性・・・>に由来すると。

そういえば、長い間、忍者バリアーとやらにはばまれて、アクセスしていない、岡山の人権教育担当の中学校教師・・・、こころの健康、大丈夫でしょうか・・・?

筆者、<過度に排他的になる>欧米化した日本人ではなく、典型的な<元来、ほどほどでも一向に困らない日本人>なので、こころの病におちいることも、うつ病にかかることもほとんどあり得ない・・・。

忍者バリアーの黒幕の向こうの世界の話しは、筆者とは無縁の世界ではあるのですが・・・。ひさしぶりにアクセスしてみましょうか・・・? 否々、やめておこう・・・。冬枯れの世界は、教会の庭の木々を見るだけで十分・・・。

  

  

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2009年10月15日 (木)

●名前はそのひとの人生を織りなす糸・・・

筆者の父は、香川県観音寺市室本出身・・・、母は、徳島県美馬郡半田町坂根出身・・・。

筆者の父も母も、そして筆者も、父の養子先の吉田姓を名乗っていますが、父と母の旧姓もそれなりの趣があります。姓名は単なる名前・・・、親が勝手につけた記号に過ぎないとの見方もありますが、筆者、それぞれの名前には、記号以上のものを感じてしまいます。

<姓>によって、自分のルーツをたどることができます。そのルーツがどのようなルーツであれ・・・。

そのルーツを、自ら引き受けて生きる・・・、そこに、筆者、人間としての本来的な生き方が生まれると思っています。

  

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●母の姓・・・

筆者の母は今年88歳・・・

米寿のお祝いをしなければならないのですが、どんなお祝いをおくるか、検討しているときに、インターネットの古書店で見つけた『坂根小学校百年誌』・・・。

今は、平成の市町村合併で住所が変更されていますが、筆者の記憶にあるのは、徳島県美馬郡半田町坂根・・・。子どもの頃、半田駅からのったタクシーをおりて、雪をかきわけながら母の実家にたどりついたことがあります。なぜか、正月に母に連れられて最初に尋ねたときの母の実家の姿とそこに集っていた従姉妹たちの姿を鮮明に覚えています。

坂根小学校が開校されたのは明治12年・・・。

<歴代校長と沿革のあゆみ><明治12年・・・半田奥山村563番屋敷に開校坂根校と称す>とありました。

卒業証書(写真)の中に、筆者の従姉妹の卒業証書がありました。こどものころ、学年で首席であったと聞かされています・・・。こどものころ見た、坂根小学校の古い校舎や坂道の多い村の風景などの写真・・・、なにとなくなつかしさがこみあげてきます。

『坂根小学校百年誌』の中程に、<卒業生名簿>が掲載されています。明治36年以降の・・・。そこには、筆者の母の名前や、母の兄であるおじさんたちの名前、筆者の従姉妹たちの名前、そして従姉妹たちの子どもの名前が出てきます。

筆者の妻、筆者の母の卒業写真を見てすぐ小学生の筆者の母を見つけ出しました。妻の話しでは、筆者の母の顔の骨格・・・、筆者にそっくりだとか・・・。

筆者、<ふるさと>・・・、それは、こういうことをいうのだ・・・、とひとり納得していますが、その地に根付いて先祖代々その地に住み続ける・・・、とても大切なことであると思われます。

しかし、『坂根小学校百年誌』・・・、戦後の高度経済成長下で、半田町坂根が過疎化していくさまを写真に残しています。昭和62年3月の坂根小学校の卒業生は、<男子3名・女子3名の計6名>・・・。

東北福島の妻の実家のある湖南町に行く前に、妻と一緒に、筆者の父と母の故郷を尋ねてみたいと思っているのですが、実現できるやらどうやら・・・。わが家の夏のそうめんは、従姉妹たちがつくった<半田そうめん>・・・。妻の実家で晩年を過ごすようになっても、そうめんは、半田そうめんを食べ続けることになるでしょう。半田そうめんは、茹でたあとのびることが少なく、夏だけでなく、冬でも温かいそうめんとして食べることができますから・・・。

  

  

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●姓名学の影響・・・?

インターネットで、筆者の曾祖父の名前・吉田向学、祖父の名前・吉田永學を検索しても、ヒットするのは、筆者の文章ばかり・・・。

筆者の曾祖父や祖父の名前は、最早、過去の遺物・・・、否、遺物ですらなくなり、これからのちも、親がその子につける名前ではないらしい・・・。

筆者には無縁の世界ですが、生まれてきたこどのも名前をつけるのに、<姓名学>や<姓名判断>に依拠する人が多いらしい・・・。ちなみに、インターネットの無料診断とやらで、筆者の実名で検索してみますと、筆者の実名・・・、名前としてはとてもいいらしい。人生のすべての季節に渡って、富と健康と名誉と地位が約束されているらしい・・・。

なにしろ、昔の天皇と同じ名前なのですから・・・。

しかし、この姓名学・姓名判断が正しくないのは、61年間の筆者の人生そのものの現実が示しています。

曾祖父の名前と祖父の名前はどうかといえば、吉田向学も吉田永學も姓名学・姓名判断は同じ・・・。筆者の先祖、吉田向学以前も、代々、<~學>という名前がつけられていますので、現代の姓名学・姓名判断では、非常にめずらしい名前のつけ方がされてきたようです。なにしろ、向学も永学も、青年時代・壮年時代、清貧と不遇の時代であることが暗示され、人生の晩年になってようやく生活が安定しその学術が認められるというのですから・・・、そんな名前、現代の実利的な親がその子の名前につけようとは思わないでしょう。

ということは、筆者のペンネーム、筆者の曾祖父の名前・吉田向学と同じ名前を付けられる子どもはほとんどいない、ということでしょう。あるいは、全くあり得ない、ことを意味します。

筆者、吉田向学という曾祖父の名前にますます愛着が湧いてきます。

 

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●曾祖父の名前を生きる・・・

『部落学序説』(非常民の学としての部落学構築をめざして)・・・、と題するブログの執筆を開始するとき、筆者、ペンネームとして、筆者の曾祖父・吉田向学の名前を使用することにしました。

筆者の実名は、ごくありふれたもので、インターネットで検索しますと、同姓同名の方々の記事がずらりと並びます。その中から、筆者の記事を拾い上げるのは容易なことではありません。

そういう意味では、筆者の実名は、多数の同姓同名の中に埋もれてしまって、影も形もない、筆者の人生そのものを反映しています。

しかし、なぜか、筆者のペンネーム・吉田向学・・・、曾祖父の名前と同姓同名の方はほとんど存在しないようで、インターネットで検索してもヒットすることはありません。曾祖父・吉田向学だけでなく、祖父・吉田永学についても・・・。父の実名は若干存在が確認され、筆者の実名になりますと、その数はあまた・・・。

つまり、曾祖父・祖父・父・筆者・・・と時代が進むにつれて、名前は一般化され、どこにでもある、ありふれた名前になっています。具体的な名前から抽象的な名前に・・・。

そういう意味では、筆者、筆者の実名より、筆者のペンネーム、曾祖父の名前・吉田向学の方を希少価値があるものとして、こよなく愛するようになりました。昔の天皇の名前と同じ筆者の実名より、幕末と明治初年を生きた、個性豊かな曾祖父の名前・吉田向学や、明治・大正・昭和を生きた、祖父の名前・吉田永学の方が、筆者の生き方にふさわしいような気がします。

ブログ『新・蛙独言』の著者・田所蛙治氏に影響を受けて・・・、というわけではありませんが、吉田向学というペンネーム、インターネットの世界だけでなく、現実の世界で通用することができるように環境を整えていくことにしましょうか・・・。

  

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2009年10月13日 (火)

●失語症と差別意識・・・

私たちが使用している言語・・・

<具象>的言語と<抽象>的言語があるそうです。

脳梗塞の後遺症である<失語症>などの<言語不能症>に陥りますと、<具体的個別的な表現は可能であるが、一般的抽象的表現は不可能となる・・・>そうです。

<一般的な種や類に対する認識は消失し、特殊具体性あるもののみが残留する・・・>。

もし、その理論が正しいとしますと、人が年をとり、脳梗塞などにかかり、後遺症としての失語症をかかえて生きていかなければならなくなったとき、その人の精神世界にある<差別意識>はどうなるのでしょう・・・?

部落差別の学者・研究者・教育者は、<差別意識>は時空を越えて、時間と空間を越えて人間の精神に刻み込まれたものであり、それを人間から取り除くことは不可能であると主張・・・、そこから、同和対策事業・同和教育事業の永続性を訴えてきましたが、この<差別意識>・・・、<具象>的なものななのか、それとも<抽象>的なものなのか・・・?

部落史の研究者が、被差別部落の人々の歴史を研究するとき使用する概念、<賎民>概念は、極めて抽象的な学術用語ですから<抽象>的概念に属します。

すると、人は年をとり、脳梗塞をわずらい、失語症におちいると、なによりもまず、<一般的抽象的表現は不可能となる・・・>のですから、部落差別をはじめとするありとあらゆる差別意識・差別観念はその人から欠落していくことになります。

そういえば、脳梗塞で倒れて半年、病院で自宅で療養を続けておられる教会役員の方・・・、一度も部落差別について触れたことはありません。筆者と彼の間には、部落差別をはじめとする差別が話題になることは一度もありませんでした。

以前読んだ失語症を克服した人の手記に、<失語症に陥って、むしろ、それまで無自覚に持ち続けて生きていた自らの差別性に気付かされた・・・>、という文章がありました。

差別意識・差別観念・・・というのは、<具体的個別的表現>ではなく、<一般的抽象的表現>・・・。人は、さまざまな問題を、<一般的抽象的>ではなく、<具体的個別的>に考えざるを得なくなったとき、差別意識・差別観念から解放されるのかもしれません。

筆者が、昔であった、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老・・・、その語ることばに筆者が大きな影響を受けたのは、筆者が、その古老の語る言葉を、<一般的抽象的>被差別者の言葉としてではなく、数百年の間先祖代々その村に生活してきた<具体的個別的>な古老の話しとして受けとめたからでしょうか・・・。

<老いと差別>・・・

この分野に関する研究もほとんどなされていないようです。高齢者を高齢者差別の<対象>としてだけでなく、いろいろな差別の<主体>として、その差別意識・差別観念がどのように変遷していくのか・・・、よりよい人生の晩年を過ごすためにも必要かくべからざる研究課題であるようです。


  

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2009年8月12日 (水)

●残された時間を有意義に・・・

筆者、61歳・・・

ここ数年、インターネット上で筆者に対して<誹謗中傷・罵詈雑言>を繰り返してやまなかった、岡山の伊里中学校の人権教育担当の藤田孝志氏ほど、若くはありません。

彼は、まだまだ若いのでしょう。インターネット上での発言は、常にリセットが可能であると考えておられるようです。いままで、何回、<あひる&藤田孝志>氏のサイトを改廃してこられたやら・・・。

試行錯誤ができるということは、まだまだ<若い>・・・、これからも時間的ゆとりがある・・・ということを意味しています。

それにひきかえ、筆者は61歳も半ばを過ぎました。筆者に残された時間は、岡山の伊里中学校の人権教育担当の藤田孝志氏に残された時間ほど多くはありません。そういう意味では、筆者に残された時間、大切に使わなければ・・・。

  

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2009年7月28日 (火)

●あるがままに生きること・・・

ゲーテの『ファウスト』・・・

筆者の愛読書のひとつです。筆者、ゲーテの『ファウスト』を読むときは、いつも『アミエルの日記』をかたわらにおいていますし、『アミエルの日記』を読むときは、必ずゲーテの『ファウスト』をかたわらにおきます。

筆者、<現実>主義者でもなければ<理想>主義者でもありません。<理想>と<現実>のはざまで、常に<たえず努めてたゆまぬ>ひとりの存在でしかありません。

ファウストの語ることばに、このようなことばがあります。

「運命をせんさくしすぎてはいけません! たとえつかの間でも、あるがままに生きることが義務です・・・」。

たとえ、それが晩年を迎えた人生の日々であったとしても・・・。

  

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2009年7月19日 (日)

●ある大学教授の自戒・・・

『アミエルの日記』、1871年10月5日の一節・・・

<間違った立場>というのは、何時まで経っても収まりがつかいという特徴を具えているが、<間違った傾向>というのは、またあらゆる天分を役にたたないものにし、あらゆる努力を結果のでないものにするという不運をになっている。

お前は<間違った傾向>を持っている。

というのは、お前が<間違った羞恥>と<間違った欲求>を持ち、お前の義務と義務の間、義務と嫌悪の間、良心と自尊心の間を動揺し、下らないことの魔力にかかって、なにごとにおいても決心をつけること、しっかりと目的を追うことができないからである。

世間の目をくらます習慣が、しまいにはお前自身を欺くことになって、立派な仕事に十分足りる時間をお前は詰まらないことに浪費しているのだ。

・・・・・・

世間にはたらきかけるには、世間から独立を保ちながら、世間と仲違いをしないようにするものである。世間から独立を保つには、自信のある陽気さをもって世間の不機嫌を苦にせず、どんな調査も恐れない生活をもって、世間の悪口を気にかけずにいる必要がある。

その日その日のパンや体面によって傷つけられる限り、何の休息も、何の独立も、何の権威ももてない。善を行うに先立って、それだけの余裕をつくり、それだけの方法を講じておかなければならない。


『アミエルの日記』の著者・アミエル・・・、スイスのジュネーブ大学の文学・美学・哲学の教授・・・。

無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者が知ることができる、唯一の大学教授のこころの中の葛藤・・・。
<アミエルは本当に知られないひと・・・、仲間からさえ見損なわれていた・・・>・・・。

アミエルがなくなったのは、61歳の4月29日・・・。61歳の筆者、アミエルが生きた人生の歳月を通り過ぎて生きるようになりました。大学教授のこころの日記・・・、これからも学ぶことは多々ありそうです。筆者にとっては、
『アミエルの日記』は生涯の座右の銘・・・。

 

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