2008年4月25日 (金)

●シランの一番花が咲きました・・・

今日、仕事から帰ってきた妻が、いつもの習慣で、教会の花壇やお花畑、ミニ菜園を見てまわっていて、シランの花が咲いているのを見つけました。

P4250131_2それも、白色のシラン・・・。

昨年、教会の役員をしている木村兄からいただいたものです。木村兄の家は、近世幕藩体制下の徳山藩の元庄屋の家ですが、庭は広く、いろいろな花や木々を植えておられます。白色のシランは、昔から庭に咲いているそうです。

教会のシランは、紫色だけなので、昨年、白色のシランをもってきてくれました。

その白色のシラン、どの紫色のシランよりも早く花を咲かせたくれたのです。

妻曰く、「白色のシランって、とてもきれいですね・・・。この庭に咲いてくれてありがとう・・・」。

P4250127_3午後6時過ぎ、筆者が、散水したあとで、白色のシラン、水でぬれています・・・。

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2008年3月 1日 (土)

●昨日はひさしぶりに熟睡・・・

昨日は、ひさしぶりに熟睡しました。

今朝は、目のかすみは、少し和らいできました。

少しよくなると、すぐパソコンの前に座る筆者ですが、今朝は、『部落学序説』の1文書あたりのアクセス件数を出してみました。

被差別部落の地名とタブー  9033件
ある同和対策事業批判  1330件
部落学序説  786件
紀州藩「城下町警察日記」を読む  151件
田舎牧師の日記(Ⅱ)  62件

筆者が各文章、読者の方々が読みにきてくださるのは、部落差別問題関連記事です。教会・花・野菜・小鳥の話は、極少数の方々のみ・・・。

部落差別問題関連記事で、読者数の多いのは、以下の順です。

部落差別問題の現代>近代>近世>中世>・・・

執筆の主題が、中世よりも近世、近世よりも近代、近代よりも現代を主題にしたものの方が読者数が多いようです。

『部落学序説』とその関連ブログ群は、歴史学的研究ではありません。非常民に関する学としての「部落学」という、新しい枠組みで執筆されていますが、現在のところ、近世から近代へ、近代から現代へ・・・、と主題の時代的範囲を拡張していますが、現在は、その流れと逆行して、近世と近代のはざまに戻って、「百姓の目から見た渋染・藍染」について執筆しています。

アクセス件数をみすみす減少させる営みです。

しかし、これまで、『部落学序説』で紹介してきた視点・視角・視座、方法で、「岡山藩」の「渋染一揆」をとらえたらどうなるのか、その実践事例として言及するのも悪くはないかな・・・、と思って、執筆を続けています。

筆者の手元にある、部落差別問題関連資料は、現代>近代>近世>中世>・・・の順番ですから、ひとつの文章を書くために確認しなければならない資料は飛躍的に増えます。その資料を批判検証するためには、近世のテーマについて言及する以上に、執筆者の視点・視角・視座を明確にしなければなりません。

日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」を徹底的に<破壊>・・・、するためには、膨大な時間と労力が必要なようです。

吉岡幸雄著『日本の色を染める』に記されているように、「日本の色・・・」、それはどの色も美しい・・・。「貴色」・「賤色」という発想は、外来思想である中国の悪しき文化に汚染された古代天皇制の残滓でしかありません。「日本の色・・・」、それはどの色も美しい・・・、のと同様、すべての「ひと」は、美しい・・・。そこに、本質的に「貴人」・「賤民」と呼ばれるような人が存在するはずもありません。

それぞれの時代の支配階級が、自分の都合のいいように制度化したに過ぎません。

現代の「被差別部落」の人々は、その先祖の歴史にまでさかのぼって「賤民」として、部落史の学者・研究者・教育者からラベリングされることを黙って容認してはならない、差別思想である「賤民史観」という、一見、「被差別部落」の人々を「勦るかの如き・・・」教説は、「多くの兄弟を堕落させた・・・」教説であり、差別的な部落史の学者・研究者・教育者によってはきかけられた「クダラナイ嘲笑の唾・・・」に過ぎず、「呪はれの夜の惡夢・・・」に過ぎない。「被差別部落」の人々は、部落史の学者・研究者・教育者によって押しつけられた「賤民」としての「烙印・・・」を投げ返さなければならない。「被差別部落」の人々は、部落史の学者・研究者・教育者の差別的な思想「賤民史観」を受け入れ、「卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ・・・」・・・。そして、「被差別部落」の若い世代が、「人生の熱と光」を持って生きることができるよう、差別思想である「賎民史観」を葬り去り、民衆と共に差別なき新しき社会をつくろう・・・。被差別部落の人々を差別の奈落に落としこめた人々は、民衆ではない。背後にあって民衆を教育し、差別思想である「賎民史観」を注入し続けてきた、学者・研究者・教育者である・・・。彼らは、それぞれの時代の権力の走狗として、「被差別部落」の人々の「誇りうる・・・」近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」として生きてきた歴史と人生の物語を奪い続けてきたのだ。自ら構築すべき歴史を、差別者である、部落史の学者・研究者・教育者にゆだねた結果、「賎民」とラベリングされてきたし、今もされている、そしてこれからもされ続けることになる・・。「被差別部落」の「人間を冒涜」することを許したことは、今日に至るも、「被差別部落」の「多くの兄弟を堕落・・・」させている。「被差別部落」の若い学徒たちが、「人間を尊敬する・・・」ことの真の意味を認識し、差別思想である「賎民史観」を投げ返し、「自らを解放せんとする者の集団運動を起こせるは、寧ろ必然である・・・」。近代以降の歴史学者・研究者・教育者が構築してきた、差別思想である「賎民史観」を破棄し、自らの歴史と物語を取り戻すとき、決して、差別されることのない「祝福された時が来る・・・」。差別なき社会の夜明けは近い。押し付けられた「荊冠・・・」をかなぐり捨て、勇気をもって、真の部落解放運動のために立ち上がるべきだ。大学の教室で、図書館で、研究室で、差別思想である「賎民史観」を打破すべく勉学を続けよ。毎日毎日、真の部落解放の姿を考えよ。これまでの部落解放運動は、真の部落解放運動の<前座>に過ぎない。戦いはこれからだ。差別思想「賎民史観」の打破と、それを永久に葬り去る課題は、大学で、その図書館や研究室で学ぶ、「被差別部落」出身の学生の肩にかかっている。「人の世に熱・・・」「人間に光・・・」、「被差別部落」の本当の歴史をその手に掴むために、差別思想である「賎民史観」の担い手である学者・研究者・教育者の言説を批判検証し、議論・討論し、「賎民史観」を放棄せしめ、「人間に貴賎はなし・・・」との理念のもと、真の部落解放運動に共同参画せしめよ。真の部落解放運動の前座でしかない、同和対策事業の様々な問題に臆するな。同和対策事業の最初から<罠>は想定されていた。大切なのは、真の部落解放運動の担い手足るべく自らを飛躍させることだ。無学歴・無資格、「被差別部落」出身ではない、ただの「百姓」の末裔に過ぎない、部落解放運動の門外漢に過ぎない筆者の言葉を読む、<あなた>、<あなた>にはそれができる!

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2008年2月 8日 (金)

●無学の平人・・・

熊沢蕃山の「無学の平人」・・・

この言葉は、熊沢蕃山の『集義和書』に出てくる一節です。『集義和書』は、「道義を積集実践し、事々みに時処位の宜しきにかなうべきことを説いた和文の書」。

熊沢蕃山が、論敵から非難され、「拙者をも世間には・・・と申すと承候」として、反論を展開した<書簡>に出てきます。熊沢蕃山は、「道ならば道、学ならば学にてこそ有るべく候へ」と主張します。

無学歴・無資格の筆者は、この言葉、<運動なら運動、学問なら学問に徹すべきである。運動と名付けながら学問に左右され、学問と名付けながら運動に左右されるような、偏った見方をしてはいけない・・・>、と解釈します。

学問は学問として徹底されなければならない・・・、というのが、熊沢蕃山の主張のようです。

熊沢蕃山、池田藩の御用学者です。

中学生のとき、社会の教師から、「無学の平人」の話を聞きました。

筆者が生まれ育ったのは、この池田藩の南西の一角です。熊沢蕃山は、岡山の有名な歴史上の人物として習ったことがあります。それ以来、熊沢蕃山は、筆者にとって、意中の人です。

熊沢蕃山は、池田藩の名君、池田光政に仕え、藩政のありようを提言するのですが、熊沢蕃山が、「農政」を論じて、「国中迷惑仕候」と提言したものの中に、衣類統制の緩和・・・がありました。

熊沢蕃山がいう「無学の平人」でしかない筆者は、池田藩の渋染一揆・・・、池田藩の名君、池田光政の善政に訴えての「強訴」であり、「渋染・藍染」とその色についての話は、枝葉末節の議論であり、現代の部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者によって、針小棒大に捏造された見解であると考えています。

筆者は、政治は、政治の結果としての歴史(文献)だけでなく、政治の結果を生みだす、政治の理念・目的を把握する必要があると考えています。

熊沢蕃山は、最終的には、池田光政から岡山藩を追放されますが、熊沢蕃山の池田藩に残した影響は、渋染一揆の時代にも受け継がれていたのではないかと思われます。

無学歴・無資格の筆者の「虚妄」かもしれませんが・・・。

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2008年1月 7日 (月)

●無学歴・無資格への挑戦

日本基督教団のある教会で、筆者のことが話題になったといいます。

「吉田向学はなぜ排除・疎外されているのか・・・」という問いに、元慶応大学教授が、「彼は、学歴・資格を持っていないから・・・」と答えたそうです。

その集会に参加した人々の中から、ブーイングの声があがった・・・、ということですが、筆者には、それ以上のことは分かりません。

ただ、電話の主の言葉とか語調から見て、その元慶応大学教授が、筆者の無学歴・無資格を指摘されたのは、ただ単なる事実を指摘されたのではなく、無学歴・無資格=人格的・社会的・身分的低さを強調されたのであろうことは推察に難くありません。

筆者にそのことを伝えてくださった方の意に反して、筆者は、その元慶応大学教授の学歴・資格に関する認識の仕方は、極めて一般的なもので、彼の発言にブーイングの声をあげた人々も、元慶応大学教授の学歴・資格についての認識と大差ないであろうと・・・、と推察しています。

『広辞苑』で「学歴」を引きますと、このように記されています。「学業に関する経歴」

『広辞苑』は、続けて、「学歴社会」「人間の社会的地位・収入さらには人物の評価までもが学歴によって決められる社会。」と定義します。

日本の社会における「学歴」の一般的な使用法は、決して、「学校歴」・「学業歴」に還元されるものではないのです。ただ単に、大学で勉強したことがあるとかないとか、大学を卒業したとかしないとか・・・。

「学歴社会」の病理的側面は、「学校歴」・「学業歴」が、単なる「学校歴」・「学業歴」ではなく、それを根拠に、「人間の社会的地位」・「収入」・「人物の評価」までもが自動的に決められる・・・、という一点にあります。

「学歴」は、「個人」「学校や学業に関する履歴」を示すだけでなく、「人々を社会的に評価し、位置づけるための指標、尺度」として、「社会」で使われている・・・、という点に問題があります。

『部落学序説』・『田舎牧師の日記』の執筆者である筆者が、「無学歴」・「無資格」を標榜すると、日本全国・老若男女から、「自ら無学歴・無資格を語るのは、自らを貶めることになる・・・」との意見が寄せられるのも、日本人の多くは、「学歴」を単なる「学校歴」・「学業歴」としてではなく、人間選抜・人間評価の指標・尺度としてとらえ、人間を、「貴・賤」という身分的価値判断で認識しようとする傾向を強く持っていることを示しています。

元慶応大学教授は、日本の社会の一般的・通俗的「学歴」・「学歴社会」についての認識を、<学歴信奉者>として、率直に陳述しているに過ぎません。

何度も繰り返し書いてきたことですが、筆者が、「無学歴」・「無資格」という言葉を多用するのは、日本の社会に、空気のごとく存在するようになった「学歴差別」に対する、自覚的・意図的な異議申立のためでもあります。

天野郁夫著『学歴の社会史 教育と近代の日本』(新潮選書)をひもときますと、「学歴」は、日本社会・日本国家の近代化と密接な関係があることが分かります。

天野郁夫氏は、「学歴」・「学歴社会」は、「明治維新以前の日本が知らなかったものである。」と指摘します。「近代社会を、つくりあげていく過程で、欧米に学び、輸入し、移植を図ったもの」です。明治の天皇制国家・近代中央集権国家建設の最初から、「学歴」・「学歴社会」は、日本の近代化の重要な要素として意図的に国家の施策の中に組み込まれていったのです。

その成立時期は、明治30年代後半・・・。

『部落学序説』・『田舎牧師の日記』の執筆者である筆者は、明治30年代後半の「学歴の社会の成立の過程」を考察するとき、その他のすべての個別史を捨象して、「学歴の社会史」だけを専門的に特化して批判検証するということは好ましくないことであると思っています。

天野郁夫著『学歴の社会史 教育と近代の日本』は、近代日本の「学歴」・「学歴社会」の本質を把握する上で、極めて有用な本であると思っています。天野郁夫氏の、「学歴」・「学歴社会」の史的解明の発想には敬服するところがありますが、しかし、天野郁夫氏が、「学歴」・「学歴社会」の史的解明に挑むときの、歴史研究者としての視点・視角・視座には、ある種のあまさがあると思っています。

問題の核心に近づいているのに、なかなか、その中に入っていけないという・・・。

筆者は、「学歴の社会史」を、まず、「部落差別の社会史」に重ね合わせて考察ししてきました。

それだけでなく、学歴差別を、部落差別・女性差別・障害者差別・民族差別・癩病患者に対する差別・アイヌ差別・沖縄差別・精神病患者に対する差別・囚人差別に重ね合わて考察してきました。

筆者は、学歴差別の解明なくして、部落差別の解明はあり得ないと確信しています。学歴差別は、日本の近代以降の社会に通底する基本的な差別であると考えています。学歴差別は、その他のすべての差別に暗い影を落としているのです。学歴差別の本質を把握できない・・・、ということは、部落差別をはじめとするその他の差別も把握することができない・・・、ということを意味しています。

「学歴差別」をはじめとする近代日本の差別は、すべて、明治30年代後半に構築されていきます。「特殊部落」という差別的システム構築は、「学歴差別」をはじめとするその他の差別と無関係ではないのです。むしろ、密接に関連しているのです。

その教え子に最高裁判所長官がいるという、元慶応大学教授・・・。

彼には、権力に先立って、権力に代わって、筆者を排除するとの<意志>があるのではないか・・・と、筆者には思われます。70年の大学紛争の影響と、その傷跡が癒えず、70年の大学紛争とは何の関わりもない筆者を、「過激派」として排除・疎外する元慶応大学教授、現在の知識階級・中産階級の姿勢を充分代弁してあまりあると考えています。

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2007年11月29日 (木)

●無学歴・無資格・・・

無学歴・無資格・・・。

筆者が自らそう表現し続けることに違和感を覚えられる読者の方が多い・・・。

<多い・・・>というのは、その表現に違和感を覚えない読者の方からのコメントやメールがほとんどないので、一応、<多い・・・>と表現しておきます。

無学歴・無資格・・・、というのは、学歴社会に対する批判を前提に使用しているのですが、「今の日本は学歴社会ではない・・・」と堅く信じておられる方々も多々おられるようです。

しかし、近代以降、<学歴>は、その社会においてより上層の社会に身をおくための手段になってきたことは否定すべくもありません。学歴社会・学歴主義が批判されることはあっても、学歴社会・学歴主義の信奉者はあとをたちませんでした。

そして、繰り返し繰り返し、「学歴」主義が、まるで雑草のようにはびこり続けたのです。

1981年、朝日新聞の記者・特派員であったひとが、『「勉縮」のすすめ』という文庫本を出しました。その最後の文章で彼はこう記しています。

「日本社会に、最近新しい階級ができつつあるようにみえる。それは「学歴」という名の階級だ。・・・どの大学を出たか、というその段階で、とたんに相当程度未来の予測がつくようになってしまう傾向が強まってきた。・・・階級をなくすことを目指すべき教育が、逆に階級、身分を生みつつあるというのは、皮肉というより腹立たしい現象だ」。

その朝日新聞の新聞記者・特派員の方が指摘する、「階級をなくすことを目指すべき教育が、逆に階級、身分を生みつつあるというのは、皮肉というより腹立たしい現象だ・・・」という文章は、部落差別問題を見据えて次のように言い換えることもできます。「差別をなくすことを目指すべき同和教育が、逆に、こどもたちに差別的言動と差別意識をうえつけつつあるというのは、皮肉というより腹立たしい現象だ・・・」。

その新聞記者・特派員の方、「後輩から身の上相談をうけた」ときは、このように答えているといいます。

「中年すぎての苦労は好ましいものではないが、二十代、三十代なら、抵抗に出会うたびに潜在能力が引き出される・・・。逆風を利用して船を前進させることができるようになって、航海術は飛躍的に進歩したというが、ある意味では、逆境を逆手にとってのし上がれる能力が、人間の才能の中で一番貴重なものかもしれない。・・・良質の馬力を長い年月持続させるには、「知遇に感激して」ということより、むしろ「この屈辱は忘れないぞ」といった気持ちをもつほうが効果的なような感じがする」。

そういえば、筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群の内容は、30代における<抵抗>の産物です。40代、50代は、それに磨きをかけてきたに過ぎません。

その方の名前は、松山幸雄。

著者紹介にはこのようにありました。「1953年東大法学部法律学科卒、朝日新聞に入社。長野支局員、ワシントン特派員・・・」。そして、今、長野大学で教鞭をとっておられるようです。

筆者の、無学歴・無資格からの学歴主義批判・・・。現在進行形です。

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