日本基督教団のある教会で、筆者のことが話題になったといいます。
「吉田向学はなぜ排除・疎外されているのか・・・」という問いに、元慶応大学教授が、「彼は、学歴・資格を持っていないから・・・」と答えたそうです。
その集会に参加した人々の中から、ブーイングの声があがった・・・、ということですが、筆者には、それ以上のことは分かりません。
ただ、電話の主の言葉とか語調から見て、その元慶応大学教授が、筆者の無学歴・無資格を指摘されたのは、ただ単なる事実を指摘されたのではなく、無学歴・無資格=人格的・社会的・身分的低さを強調されたのであろうことは推察に難くありません。
筆者にそのことを伝えてくださった方の意に反して、筆者は、その元慶応大学教授の学歴・資格に関する認識の仕方は、極めて一般的なもので、彼の発言にブーイングの声をあげた人々も、元慶応大学教授の学歴・資格についての認識と大差ないであろうと・・・、と推察しています。
『広辞苑』で「学歴」を引きますと、このように記されています。「学業に関する経歴」。
『広辞苑』は、続けて、「学歴社会」を「人間の社会的地位・収入さらには人物の評価までもが学歴によって決められる社会。」と定義します。
日本の社会における「学歴」の一般的な使用法は、決して、「学校歴」・「学業歴」に還元されるものではないのです。ただ単に、大学で勉強したことがあるとかないとか、大学を卒業したとかしないとか・・・。
「学歴社会」の病理的側面は、「学校歴」・「学業歴」が、単なる「学校歴」・「学業歴」ではなく、それを根拠に、「人間の社会的地位」・「収入」・「人物の評価」までもが自動的に決められる・・・、という一点にあります。
「学歴」は、「個人」の「学校や学業に関する履歴」を示すだけでなく、「人々を社会的に評価し、位置づけるための指標、尺度」として、「社会」で使われている・・・、という点に問題があります。
『部落学序説』・『田舎牧師の日記』の執筆者である筆者が、「無学歴」・「無資格」を標榜すると、日本全国・老若男女から、「自ら無学歴・無資格を語るのは、自らを貶めることになる・・・」との意見が寄せられるのも、日本人の多くは、「学歴」を単なる「学校歴」・「学業歴」としてではなく、人間選抜・人間評価の指標・尺度としてとらえ、人間を、「貴・賤」という身分的価値判断で認識しようとする傾向を強く持っていることを示しています。
元慶応大学教授は、日本の社会の一般的・通俗的「学歴」・「学歴社会」についての認識を、<学歴信奉者>として、率直に陳述しているに過ぎません。
何度も繰り返し書いてきたことですが、筆者が、「無学歴」・「無資格」という言葉を多用するのは、日本の社会に、空気のごとく存在するようになった「学歴差別」に対する、自覚的・意図的な異議申立のためでもあります。
天野郁夫著『学歴の社会史 教育と近代の日本』(新潮選書)をひもときますと、「学歴」は、日本社会・日本国家の近代化と密接な関係があることが分かります。
天野郁夫氏は、「学歴」・「学歴社会」は、「明治維新以前の日本が知らなかったものである。」と指摘します。「近代社会を、つくりあげていく過程で、欧米に学び、輸入し、移植を図ったもの」です。明治の天皇制国家・近代中央集権国家建設の最初から、「学歴」・「学歴社会」は、日本の近代化の重要な要素として意図的に国家の施策の中に組み込まれていったのです。
その成立時期は、明治30年代後半・・・。
『部落学序説』・『田舎牧師の日記』の執筆者である筆者は、明治30年代後半の「学歴の社会の成立の過程」を考察するとき、その他のすべての個別史を捨象して、「学歴の社会史」だけを専門的に特化して批判検証するということは好ましくないことであると思っています。
天野郁夫著『学歴の社会史 教育と近代の日本』は、近代日本の「学歴」・「学歴社会」の本質を把握する上で、極めて有用な本であると思っています。天野郁夫氏の、「学歴」・「学歴社会」の史的解明の発想には敬服するところがありますが、しかし、天野郁夫氏が、「学歴」・「学歴社会」の史的解明に挑むときの、歴史研究者としての視点・視角・視座には、ある種のあまさがあると思っています。
問題の核心に近づいているのに、なかなか、その中に入っていけないという・・・。
筆者は、「学歴の社会史」を、まず、「部落差別の社会史」に重ね合わせて考察ししてきました。
それだけでなく、学歴差別を、部落差別・女性差別・障害者差別・民族差別・癩病患者に対する差別・アイヌ差別・沖縄差別・精神病患者に対する差別・囚人差別に重ね合わて考察してきました。
筆者は、学歴差別の解明なくして、部落差別の解明はあり得ないと確信しています。学歴差別は、日本の近代以降の社会に通底する基本的な差別であると考えています。学歴差別は、その他のすべての差別に暗い影を落としているのです。学歴差別の本質を把握できない・・・、ということは、部落差別をはじめとするその他の差別も把握することができない・・・、ということを意味しています。
「学歴差別」をはじめとする近代日本の差別は、すべて、明治30年代後半に構築されていきます。「特殊部落」という差別的システム構築は、「学歴差別」をはじめとするその他の差別と無関係ではないのです。むしろ、密接に関連しているのです。
その教え子に最高裁判所長官がいるという、元慶応大学教授・・・。
彼には、権力に先立って、権力に代わって、筆者を排除するとの<意志>があるのではないか・・・と、筆者には思われます。70年の大学紛争の影響と、その傷跡が癒えず、70年の大学紛争とは何の関わりもない筆者を、「過激派」として排除・疎外する元慶応大学教授、現在の知識階級・中産階級の姿勢を充分代弁してあまりあると考えています。
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