「郷に入れば郷に従え」という諺があります。
筆者と妻が山口の地に住むようになって25年になります。最初違和感のあった山口(といっても、長門の国は住んだこともないし、その歴史と文化もあまり知りません。筆者の山口は周防の国のこと・・・)にあっても、「郷に従う」部分が出てきます。
妻曰く、「私たちも結構、山口県人になっているかも・・・。ふるさとに帰ったら、逆に、違和感を感じてしまうのではないかしら・・・。」と漠然とした危惧感すら持ち始めたいます。
しかし、決してなじむことのないものもあります。
それは、「塩」・・・。
新約聖書の中に、イエス様の「山上の垂訓」というのがあります。その一節に、「あなたがたは、地の塩である。もし、塩のききめがなくなったら、何によってその味がとりもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。」ということばがあります。
塩は、味の主役にはなりません。あくまで、脇役なのです。
筆者は、岡山県児島郡琴浦町(現在の倉敷市児島)というところで生れたのですが、その隣の町の味野町の銘菓に「塩羊羹」というのがありあます。おさななじみの和菓子屋さんには「塩饅頭」というのもありました。筆者は、子供の頃から、「塩○○・・・」というのが好きでした。
それは、羊羹や饅頭のあまさの中に、瀬戸内海の自然の「塩」のあまさと香りがあって、風味と美味しさがあります。
山口の地に棲息するようになって、時々、「塩羊羹」・「塩饅頭」・「塩・・・」という表示の和菓子に遭遇します。
そのとき、筆者は、昔子供のころ、瀬戸内の故郷で食べた「塩羊羹」・「塩饅頭」・「塩・・・」が懐かしくなって買い求めることがあります。
最初、「塩羊羹」をひとくち食べたとき、思わず、吐き出してしまいました。口の中に、異様な味覚が広がったからです。それは、なんと、砂糖をまったく使用していない塩だけで作られた羊羹だったのです。つまり、文字通り、塩の味のする羊羹で、塩のあまさや香りはどこにもありません。
JA山口が、「正直やまぐち」と宣伝する山口では、「塩羊羹」・「塩饅頭」・「塩・・・」は、正真正銘の「<塩>羊羹」・「<塩>饅頭」・「<塩>・・・」だったのです。
それを買うごとに後悔し、それでも、「塩羊羹」・「塩饅頭」・「塩・・・」の表示をみると、岡山の「塩羊羹」・「塩饅頭」・「塩・・・」がなつかしくなり、買い求め、またまた「<塩>羊羹」・「<塩>饅頭」・「<塩>・・・」を口にすること、10数回に及びます。
昨日、妻と気分転換にドライブしたとき、道の駅で「塩餡餅」を2個と、普通の「餡餅」2個を購入しました。
妻は、「わたし、この塩餡餅要らない。また、しょっぱいあんこの入ったお餅じゃないの。・・・」といいます。
筆者は、「今度は、本当の塩餡餅かもしれない・・・」とつぶやきながら、買ったばかりの塩餡餅をぱくり・・・。
口の中に、砂糖がまったく入っていない、塩で味づけされたあづきの奇妙な不味い味が広がって行きました。また、砂糖が入っていない、塩だけのあんこ・・・。
妻は、がっかりする筆者に、「だめよ、あなたがいくら期待しても、山口の塩羊羹や塩饅頭、塩餡というのは、塩だけで味付けられているのですから・・・」。
山口の地で、「郷に入れば郷に従え」の例外事項として、筆者が推奨するのは、「<塩>羊羹」・「<塩>饅頭」・「<塩>・・・」、しょっぱい羊羹、しょっぱい饅頭、しょっぱい餡・・・、食べられたものではありません。
昔、山口県の職業訓練機関で情報処理の講師をしたいたとき、その講義中にその話をしたとき、受講生のひとりが、「この前、岡山の大学の時の同僚から塩羊羹が送られてきたのですが、私も家族もみんな不味いといって食べれないんです。吉田先生はお好きなようですから、よければ召し上がってください。こちらの方は、山口の塩羊羹です。おいしいですから、一度召し上がってください」と言われて、2本の羊羹を頂戴しました。
筆者も妻も、倉敷市児島の塩尻喜月堂の塩羊羹をいただいたのですが、おいしいのなんのといって、涙が出るほどうれしかったです。
しかし、その受講生が、山口の美味しい塩羊羹としてくださったもの、まずいのなんのといって、たべられたものではありませんでした。塩だけであじつけられた羊羹・・・、それを美味しいというのは、筆者は、体験的に考えられません。
今回の道の駅での、「塩餡餅」・・・。
筆者は、塩味の餡餅を最後まで口に運びながら、これだけは、死んでも、「郷に従う」ことはできないなあ・・・、とこころの中でつぶやいていました。
妻は、ひとくちもしませんでした。
日本基督教団西中国教区の山口県の諸教会・・・。イエス様の、「あなたがたは、地の塩である。もし、塩のききめがなくなったら、何によってその味がとりもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。」という言葉をどのように生きているのでしょうか・・・。
世を腐敗から守るための、味を良くするための脇役としての塩・・・?
それとも、腐敗を排除するけれども、他の味を殺してしまう主役としての塩・・・?
今朝、昨日道の駅で買った「塩餡餅」の残りの1個・・・。熱いお茶を一口飲んだあと、「塩餡餅」を一口ぱくり・・・。あまりの不味さに吐き出してしまいました。
山口の人の中には、この「塩餡餅」をおいしいと食べておられる人がいる・・・。それは、筆者にとっては驚異なできごとです。「郷に入れば郷に従え」・・・、その諺をそっと脇に追いやって、岡山の「塩羊羹」・「塩饅頭」・「塩・・・」を懐かしむ筆者です。
最近のコメント