●読者の方からの御質問に無い知恵をしぼってお答えします・・・
【ご質問】
恐れ入ります。教えていただきたいことがございます。
出版社に勤めておりまして、名言集を編集するにあたり、『アミエルの日記』にあるはずの「己自身の悲しみに身を委ねるのは危険だ。それは勇気と立ち直る希望を奪い去る」が、どの日付の日記にあたるのか探しております。ご存知でしたらご教示いただけますと幸いです。岩波文庫 全四巻河野与一氏訳を数回読み返したのですが、どうにも見つけられません。恐れ入りますが、時間がなく、焦っております。
お忙しいところ誠に恐縮ではございますが、宜しくお願い申し上げます。
【お答え】
コメント、ありがとうございます。
出版社にお勤めとか・・・。つまり、編集のプロ・・・。筆者、『田舎牧師の日記』で繰り返し表明していますように、無学歴・無資格、文学の門外漢です。
プロのあなたが、<岩波文庫 全四巻河野与一氏訳を数回読み返したのですが、どうにも見つけられません・・・>そういう文章を、筆者が見つけることができる可能性はほとんどありません。
筆者にとって、『アミエルの日記』は、座右の銘のひとつですが、あくまで<人生の伴侶>として・・・。いままで、『アミエルの日記』について、文学作品として批判検証したことは一度もありません。
しかし、せっかくのコメントですので、無学歴・無資格の筆者、恥をしのんで、ない知恵をしぼってお答えすることにしました。
筆者が読んでいる『アミエルの日記』は、岩波文庫の<昭和43年2月20日発行・第24刷>の<全8冊>本です。高校の図書館や公民館で他の訳も読んだことがありますが、たとえば、白水社版・・・、岩波文庫本より、読みやすく、文学的に名訳です。しかし、筆者は、『アミエルの日記』を購入するとき岩波文庫本の河野与一訳を選択しました。理由は、白水社版より読むのが難解であったから・・・。
人に読まれることを意図しないで書かれたアミエルの日記・・・、当然、難解な方がより原文に近いのではないかと思われたからです。
その語も、アミエルの日記の断片はいろいろな文章の中で見たことがありますが、アミエルの日記の訳は実に多種多樣です。
ご質問のあった、「己自身の悲しみに身を委ねるのは危険だ。それは勇気と立ち直る希望を奪い去る」ということば、もし、そのことばを『アミエルの日記』から引用したのであれば、岩波文庫の『アミエルの日記』とは別訳の可能性があります。白水社版の文学的表現にとんだ『アミエルの日記』に目を通されてはどうでしょうか・・・。
といっても、編集の締切りまでかなり逼迫しておられるご様子・・・。
参考になると思われるアミエルの言葉をご紹介もうしあげます。
それは、岩波文庫『アミエルの日記』(8冊本)の第5巻(筆者4巻本は読んだことがありませんので、割愛されてなければ、4の3巻に収録されていると思われます)の205ページにつぎのようなことばがあります。
<涙の歡樂に浸るのは危険である。それは勇氣を挫いて、癒らうといふ意志さへもなくしてしまふ。>(1871年12月29日の日記の末尾)
アミエルは詩人でもありますので、その日記の中に突然詩的表現が登場してくることは決してめずらしくありません。上記の文章の<涙の歡樂>もそのひとつです。『アミエルの日記』の主題に<涙>があり、アミエルが<涙>について、文学的・詩的に分析していることは、あなたもご存知のことと思われます。それを前提にこの<涙の歡樂>を読めば、違和感なく理解することができるのですが・・・。
しかし、日本の読者に、アミエルの真意を伝えるために、翻訳者が、詩的表現を散文表現に意訳して訳出することも十分考えられます。いわゆる、翻訳における<名訳>です。
岩波文庫『アミエルの日記』版の河野与一訳で、<涙の歡樂に浸るのは危険である。それは勇氣を挫いて、癒らうといふ意志さへもなくしてしまふ。>と訳されていることば・・・、原文から英訳、原文から日本語訳、英訳から日本語訳の過程の中で、<意訳>に<意訳>が重ねられて、あなたがコメントの中で引用されている、「己自身の悲しみに身を委ねるのは危険だ。それは勇気と立ち直る希望を奪い去る」という訳になっている可能性もあります。
筆者の手元に、白水社版の『アミエルの日記』はありませんし、原文・英訳もありません。あなたの方で確認してください。インターネットで英訳の引用文を検索してみましたが、該当する英訳は検出することはできませんでした。
コメントで質問されましたので、コメントでお答えします。
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