●50年ぶりに忠義桜を聴く・・・
今朝、妻が、礼拝堂の窓辺の朝顔ネットに咲いている一番きれいな朝顔が枯れそうだといいます。
妻がいう一番きれいな朝顔の花は、濃いむらさき色・・・。吸い込まれそうな深みのある色です。
昨日の朝は、大雨・雷・洪水警報が出ていたというのに、今朝の教会の庭は、もう水不足・・・。それで、筆者、教会の庭の花や野菜、庭木に水をたっぷりやりました。ぶどうの木も、20枚程度落葉していましたので、こちらにもいつもより少し多めの水を施しました。
水をやり終えたころ、妻が、屋根の上を指さします。そこには、5羽の<ドバト>が、雨樋の縁に並んでとまっていました。この5羽の<ドバト>・・・、妻に、<おばさん、何か食べるものちょうだい・・・>と話しかけているようです。妻、筆者を見ながら、<あなた、はとが催促していますわよ・・・>といいますので、<ドバト>のために、賞味期限切れの食パンを5ミリ角に切ってやりました。
今朝は、なぜか、スズメとカラスの姿なし・・・。
そのあと、メールとココログのアクセス解析を見ていましたら、『田舎牧師の日記』を閲覧してくださった岡山の読者の方のログを逆にたどっていって、岡山・津山の民謡<忠義桜>の曲にであいました。
岡山民謡<忠義桜>・・・、この『田舎牧師の日記』の中でも、何度か取り上げてきましたが、岡山民謡<忠義桜>は、岡山の学校教育の中で必ず指導されてきた民謡・・・、郷土愛・祖国愛を育むためでしょうか・・・。
小・中・高と岡山で学校教育を受け、青年期を過ごした筆者にとっても、この<忠義桜>は、いまだに筆者の脳裏に刻印され、擦り込まれた岡山の学校教育の痕跡・・・。たぶん、死ぬまでこの刻印・・・、消えることはないでしょうが・・・。
今日、インターネットで耳にした岡山民謡<忠義桜>・・・、筆者にとっては、50年ぶりです。山口に住むようになってからも、何度もテープやCDで<忠義桜>を探したのですが、とうとう入手することができないでいました。それが、今朝、インターネット上で耳にすることができたのです。
なんとなく、懐かしさがこみあげてきます。
インターネットでは、次のような説明がありました。「「忠義桜」、1332年南朝の家臣児島高徳は、隠岐に配流となる後醍醐天皇を岡山院庄で奪還しようとしたが、厳重な警備の中で断念、桜の幹に「天莫空勾践 時非無范蠡」と書付て天皇を慰安した。院庄に行くとこの曲がかかっておりレコードを売っていた。書付けた漢詩は高校時代に知ってよく使っていた」。
<後醍醐天皇>と<児島高徳>の関係を、<勾践>と<范蠡>の関係の類比から歌ったものですが、それは、<勾践>と<范蠡>の関係を理想化・幻想化・仮想化した上での類比です。
岡山の学者・研究者・教育者の多くは、戦前の天皇制社会に迎合するあまり、その時代の価値観を理想化・幻想化・仮想化して、今日まで、その精神構造を継承しているのではないでしょうか・・・。
<児島高徳>は、どれだけ<范蠡>の思想と人生を共有することができたでしょうか・・・。<范蠡>が<勾践>に対して抱いていた複雑な思い・・・、<児島高徳>も<後醍醐天皇>に対して同じ思いを抱いていたのかどうか・・・。
ともあれ、岡山の津山民謡<忠義桜>・・・、ひさしぶりに聞くことができて幸せです。
この<忠義桜>・・・、戦後、<アメリカの進駐軍>によって、学校教育の中で教えること、歌うことが禁止された歌ですが、戦後65年が経過しようとするのに、いまだに日本のいたるところに<アメリカの進駐軍>が居すわっています。戦後、そのアメリカの属国的政治体制を維持してきた自民党政権・・・、ほとんど何の反省もなく、これからもその属国的政治体制を維持しようとしているのでしょうか・・・。
余りにも長すぎた自民党政権・・・。そして、余りにも長すぎた自民党のアメリカの属国主義的政策・・・。ほんとうに、自民党に明日の日本を託すことができるのでしょうか・・・。
筆者・・・、小学生のころにならった、岡山の歌<オリーブの花咲くころ>を聞いてみたいのですが、どなたか、インターネット上でその曲を流してくださらないでしょうか・・・。
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