2009年8月 5日 (水)

●50年ぶりに忠義桜を聴く・・・

今朝、妻が、礼拝堂の窓辺の朝顔ネットに咲いている一番きれいな朝顔が枯れそうだといいます。

妻がいう一番きれいな朝顔の花は、濃いむらさき色・・・。吸い込まれそうな深みのある色です。

昨日の朝は、大雨・雷・洪水警報が出ていたというのに、今朝の教会の庭は、もう水不足・・・。それで、筆者、教会の庭の花や野菜、庭木に水をたっぷりやりました。ぶどうの木も、20枚程度落葉していましたので、こちらにもいつもより少し多めの水を施しました。

水をやり終えたころ、妻が、屋根の上を指さします。そこには、5羽の<ドバト>が、雨樋の縁に並んでとまっていました。この5羽の<ドバト>・・・、妻に、<おばさん、何か食べるものちょうだい・・・>と話しかけているようです。妻、筆者を見ながら、<あなた、はとが催促していますわよ・・・>といいますので、<ドバト>のために、賞味期限切れの食パンを5ミリ角に切ってやりました。

今朝は、なぜか、スズメとカラスの姿なし・・・。

そのあと、メールとココログのアクセス解析を見ていましたら、『田舎牧師の日記』を閲覧してくださった岡山の読者の方のログを逆にたどっていって、岡山・津山の民謡<忠義桜>の曲にであいました。

岡山民謡<忠義桜>・・・、この『田舎牧師の日記』の中でも、何度か取り上げてきましたが、岡山民謡<忠義桜>は、岡山の学校教育の中で必ず指導されてきた民謡・・・、郷土愛・祖国愛を育むためでしょうか・・・。

小・中・高と岡山で学校教育を受け、青年期を過ごした筆者にとっても、この<忠義桜>は、いまだに筆者の脳裏に刻印され、擦り込まれた岡山の学校教育の痕跡・・・。たぶん、死ぬまでこの刻印・・・、消えることはないでしょうが・・・。

今日、インターネットで耳にした岡山民謡<忠義桜>・・・、筆者にとっては、50年ぶりです。山口に住むようになってからも、何度もテープやCDで<忠義桜>を探したのですが、とうとう入手することができないでいました。それが、今朝、インターネット上で耳にすることができたのです。

なんとなく、懐かしさがこみあげてきます。

インターネットでは、次のような説明がありました。「「忠義桜」、1332年南朝の家臣児島高徳は、隠岐に配流となる後醍醐天皇を岡山院庄で奪還しようとしたが、厳重な警備の中で断念、桜の幹に「天莫空勾践 時非無范蠡」と書付て天皇を慰安した。院庄に行くとこの曲がかかっておりレコードを売っていた。書付けた漢詩は高校時代に知ってよく使っていた」。

<後醍醐天皇><児島高徳>の関係を、<勾践><范蠡>の関係の類比から歌ったものですが、それは、<勾践><范蠡>の関係を理想化・幻想化・仮想化した上での類比です。

岡山の学者・研究者・教育者の多くは、戦前の天皇制社会に迎合するあまり、その時代の価値観を理想化・幻想化・仮想化して、今日まで、その精神構造を継承しているのではないでしょうか・・・。

<児島高徳>は、どれだけ<范蠡>の思想と人生を共有することができたでしょうか・・・。<范蠡><勾践>に対して抱いていた複雑な思い・・・、<児島高徳><後醍醐天皇>に対して同じ思いを抱いていたのかどうか・・・。

ともあれ、岡山の津山民謡<忠義桜>・・・、ひさしぶりに聞くことができて幸せです。

この<忠義桜>・・・、戦後、<アメリカの進駐軍>によって、学校教育の中で教えること、歌うことが禁止された歌ですが、戦後65年が経過しようとするのに、いまだに日本のいたるところに<アメリカの進駐軍>が居すわっています。戦後、そのアメリカの属国的政治体制を維持してきた自民党政権・・・、ほとんど何の反省もなく、これからもその属国的政治体制を維持しようとしているのでしょうか・・・。

余りにも長すぎた自民党政権・・・。そして、余りにも長すぎた自民党のアメリカの属国主義的政策・・・。ほんとうに、自民党に明日の日本を託すことができるのでしょうか・・・。

筆者・・・、小学生のころにならった、岡山の歌<オリーブの花咲くころ>を聞いてみたいのですが、どなたか、インターネット上でその曲を流してくださらないでしょうか・・・。

    
  

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2009年5月14日 (木)

●牧師の座右の銘・・・

この前の西中国総会のとき、広島船越教会の久保田牧師と、牧師の晩年について少しく話をしました。

日本基督教団の東京・大阪などの大教会の牧師と違って、地方の小さな教会の牧師の晩年は、かなり大変なようです。

あえて、<かなり大変なよう・・・>と、ひとごとのようにいうのは、筆者自身も、牧師の晩年に突入しつつあるか、している状況にありますので、こころのどこかに、そういう現実認識を、無意識的に避ける傾向があるのかも知れません。<かなり大変なよう・・・>と、ひとごとのようにいうことで、<平静>を装っている・・・。

久保田牧師・・・、蔵書の整理をはじめられたとか・・・。

教会の牧師を辞して、<無任所牧師>になると、問題になってくるのが、それまで集めに集めた蔵書の保管場所・・・。いずれ、蔵書の処分をしなければならなくなるので、今から、何を手元に残し、何を処分するか・・・、考えておられるというのです。

彼が、最後まで、手放したくないという神学関連の本は、キッテルの新約聖書神学辞典(全10巻)・・・。

筆者、<独書か英書か・・・>尋ねますと、<英書・・・>であるといわれます。筆者、<原文の独書は高価ですから、なかなか入手することができないですよね。私も、英訳・・・>と答えましたが、このキッテル新約聖書神学辞典・・・、中学3年生程度の英語力で読むことができますので、とても重宝します。

そして、久保田牧師、筆者に、<君は何を残すのか・・・>と問いかけてこられます。

突然の質問に筆者が答えたのは、<キッテル新約神学辞典、マイヤーのコンメンタールと Theologischer Handkonmmentar・・・>。マイヤーのコンメンタールと Theologischer Handkonmmentar・・・は、独書ですが、筆者、久保田牧師ほど、牧師の晩年を見据えての蔵書の処分・・・、まだまだ決めかねているようです。

筆者・・・、<聖書以外にどれか1冊・・・>といわれれば、間違いなく選択するのが、カールバルトの教会教義学・・・。こちらは、原文の独書と日本語訳・・・、両方とも高価なので、地方の貧乏牧師が入手することができる類の本ではありません。それで、筆者がもっているのは、英訳全巻・・・。

最後の<INDEX VOLUME>に、<Aids for the Preacher>が収録されていますが、こちらは、日本語訳のカールバルト著『私にみ言葉をください 教会暦による聖書講解』(新教出版社)があります。筆者、『私にみ言葉をください』の參照箇所も自分の目で読みたくて、カールバルトの教会教義学全巻を英訳で入手しました。 <聖書以外にどれか1冊・・・>といわれたら、間違いなく、カールバルトの教会教義学英訳版全巻を選択することになるでしょう。

しかし、筆者・・・、眼科医の方から、「あなたはいい眼をしています。晩年になると、眼鏡をかけないで、遠くも近くも見ることができるようになります」といわれたことをきっかけに、多くの牧師が、蔵書を処分する季節に、筆者、晩年をよりよく生きるために蔵書をふやしはじめました。

岩波講座『憲法』(全6巻)・岩波講座『哲学』(全15巻)・『島崎藤村全集』(全19巻)・『定本柳田國男集』(全41巻)、妻の実家のある東北福島の湖南町に関する<湖南学>に関する40冊、農に関する書籍40冊、情報処理に関する40冊、そして、<部落学>執筆に必要な歴史・民俗・法制史・法学・人類学・文化学・社会学に関する古書200冊・・・、60歳になって、受給できるようになった<老齢年金>で購入したもの・・・(これ以上蔵書を増やすのは厳禁、座が抜けそうだから・・・)

蔵書を処分する年代に、蔵書を増やす筆者・・・。

筆者にとっては、人生の晩年は、<遅れてやってきた青春>・・・。

ただ、久保田牧師と同じく、キリスト教に関する蔵書は、基本的な英書・独書をのぞいて、とくに、日本人の、<由緒正しき武士階級の末裔である基督者・・・>である神学者・牧師によってかかれた書籍を、きれい、さっぱり、処分することに違いはありません。『鈴木正久説教集』『鈴木正久著作集』(全4巻)をのぞいて・・・。『鈴木正久説教集』は、同じ牧師になるなら、日本基督教団の牧師になりたいとの希望を筆者に抱かせた本・・・、『鈴木正久著作集』(全4巻)は、牧師になった最初の年1981年12月、神学校時代を過ごした阿佐ヶ谷東教会の<聖書研究会>に出席された方々が、クリスマスプレゼントとして送ってくださったもの・・・。

『鈴木正久説教集』は、筆者、牧師になってから現在まで、唯一、耳を傾けて聴くことができる、そして、牧師として生きる希望と力を与えられる説教集です。

蔵書を処分することは、身を引き裂かれるようでなかなか難しい・・・。

  

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2008年8月16日 (土)

●民俗学の戦争責任・・・

今日の午後、村井紀著『南島イデオロギーの発生 柳田国男と植民地主義』(岩波文庫)を読み終えました。

学ぶところが多かった本です。

しかし、筆者の「常民・非常民論」の視点・視角・視座からしますと、村井紀氏は、「常民」と「非常民」概念の定義があいまいです。ほとんど無定義のまま、柳田国男の「常民」概念だけを批判しておられ、その対極の「非常民」についてはほとんで言及されていませんので、筆者としては、物足りなさを感じてしまいます(「聖なる「民俗学」の「常民」たちは”侵略”した」という表現など・・・)。

村井紀氏、柳田国男をはじめとする民俗学者と民俗学の<戦争責任>について言及しておられますが、筆者、その先鋭化された手法に共感します。その時代の民俗学者と民俗学にも、多分に<戦争責任>があることは、以前から予感していましたので、村井紀氏の論文を手がかりに、筆者なりに言葉化することができそうです。

村井紀氏の、戦前の学校・教育・教師・学歴などに関する言及から、筆者のライフワークである「学歴差別」の本質についての批判分析の語彙が増えました。

村井紀氏の語る、戦前戦後を通じて変わらぬ権力によるその統治の責任と破綻を隠蔽する「醜悪な物語」、「醜聞を巧妙に隠す物語」・・・。親が子を見捨て、子が親を見捨てる・・・、親が子を殺し、子が親を殺す・・・。敗戦を経験した日本人の<原体験>が、隠蔽されても、力衰えることなく、現代の日本人に受け継がれ、親と子の間に悲惨なできごとを生みだしているのかもしれません・・・。

村井紀氏、「おそらく、私の退屈な授業は”監獄”だろうし、時に、”寝室”(病院!?)に変じている」と記されていますが、どうして、どうして、無学歴・無資格、学問とは縁のない筆者の夏ばてした頭に、夏の夕立の雷が落ちたごとく、大きな衝撃を与え、筆者の乏しい知性を活性化させるに十分です。

筆者、一度でいいから、大学という名のついた場所で、大学教授という肩書(教授・助教授・準教授・講師・助手、筆者にとっては区別なし・・・)のついた方から、ほんとうの学問の名に値する講義を聞いてみたい・・・。まあ、死ぬまでそういう機会はないでしょうから、「机上の講義」でよしとしなければならないでしょうが・・・。

筆者にとっては、今日は、一日送れの1945年8月15日考・・・。

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2008年3月 1日 (土)

●昨日はひさしぶりに熟睡・・・

昨日は、ひさしぶりに熟睡しました。

今朝は、目のかすみは、少し和らいできました。

少しよくなると、すぐパソコンの前に座る筆者ですが、今朝は、『部落学序説』の1文書あたりのアクセス件数を出してみました。

被差別部落の地名とタブー  9033件
ある同和対策事業批判  1330件
部落学序説  786件
紀州藩「城下町警察日記」を読む  151件
田舎牧師の日記(Ⅱ)  62件

筆者が各文章、読者の方々が読みにきてくださるのは、部落差別問題関連記事です。教会・花・野菜・小鳥の話は、極少数の方々のみ・・・。

部落差別問題関連記事で、読者数の多いのは、以下の順です。

部落差別問題の現代>近代>近世>中世>・・・

執筆の主題が、中世よりも近世、近世よりも近代、近代よりも現代を主題にしたものの方が読者数が多いようです。

『部落学序説』とその関連ブログ群は、歴史学的研究ではありません。非常民に関する学としての「部落学」という、新しい枠組みで執筆されていますが、現在のところ、近世から近代へ、近代から現代へ・・・、と主題の時代的範囲を拡張していますが、現在は、その流れと逆行して、近世と近代のはざまに戻って、「百姓の目から見た渋染・藍染」について執筆しています。

アクセス件数をみすみす減少させる営みです。

しかし、これまで、『部落学序説』で紹介してきた視点・視角・視座、方法で、「岡山藩」の「渋染一揆」をとらえたらどうなるのか、その実践事例として言及するのも悪くはないかな・・・、と思って、執筆を続けています。

筆者の手元にある、部落差別問題関連資料は、現代>近代>近世>中世>・・・の順番ですから、ひとつの文章を書くために確認しなければならない資料は飛躍的に増えます。その資料を批判検証するためには、近世のテーマについて言及する以上に、執筆者の視点・視角・視座を明確にしなければなりません。

日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」を徹底的に<破壊>・・・、するためには、膨大な時間と労力が必要なようです。

吉岡幸雄著『日本の色を染める』に記されているように、「日本の色・・・」、それはどの色も美しい・・・。「貴色」・「賤色」という発想は、外来思想である中国の悪しき文化に汚染された古代天皇制の残滓でしかありません。「日本の色・・・」、それはどの色も美しい・・・、のと同様、すべての「ひと」は、美しい・・・。そこに、本質的に「貴人」・「賤民」と呼ばれるような人が存在するはずもありません。

それぞれの時代の支配階級が、自分の都合のいいように制度化したに過ぎません。

現代の「被差別部落」の人々は、その先祖の歴史にまでさかのぼって「賤民」として、部落史の学者・研究者・教育者からラベリングされることを黙って容認してはならない、差別思想である「賤民史観」という、一見、「被差別部落」の人々を「勦るかの如き・・・」教説は、「多くの兄弟を堕落させた・・・」教説であり、差別的な部落史の学者・研究者・教育者によってはきかけられた「クダラナイ嘲笑の唾・・・」に過ぎず、「呪はれの夜の惡夢・・・」に過ぎない。「被差別部落」の人々は、部落史の学者・研究者・教育者によって押しつけられた「賤民」としての「烙印・・・」を投げ返さなければならない。「被差別部落」の人々は、部落史の学者・研究者・教育者の差別的な思想「賤民史観」を受け入れ、「卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ・・・」・・・。そして、「被差別部落」の若い世代が、「人生の熱と光」を持って生きることができるよう、差別思想である「賎民史観」を葬り去り、民衆と共に差別なき新しき社会をつくろう・・・。被差別部落の人々を差別の奈落に落としこめた人々は、民衆ではない。背後にあって民衆を教育し、差別思想である「賎民史観」を注入し続けてきた、学者・研究者・教育者である・・・。彼らは、それぞれの時代の権力の走狗として、「被差別部落」の人々の「誇りうる・・・」近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」として生きてきた歴史と人生の物語を奪い続けてきたのだ。自ら構築すべき歴史を、差別者である、部落史の学者・研究者・教育者にゆだねた結果、「賎民」とラベリングされてきたし、今もされている、そしてこれからもされ続けることになる・・。「被差別部落」の「人間を冒涜」することを許したことは、今日に至るも、「被差別部落」の「多くの兄弟を堕落・・・」させている。「被差別部落」の若い学徒たちが、「人間を尊敬する・・・」ことの真の意味を認識し、差別思想である「賎民史観」を投げ返し、「自らを解放せんとする者の集団運動を起こせるは、寧ろ必然である・・・」。近代以降の歴史学者・研究者・教育者が構築してきた、差別思想である「賎民史観」を破棄し、自らの歴史と物語を取り戻すとき、決して、差別されることのない「祝福された時が来る・・・」。差別なき社会の夜明けは近い。押し付けられた「荊冠・・・」をかなぐり捨て、勇気をもって、真の部落解放運動のために立ち上がるべきだ。大学の教室で、図書館で、研究室で、差別思想である「賎民史観」を打破すべく勉学を続けよ。毎日毎日、真の部落解放の姿を考えよ。これまでの部落解放運動は、真の部落解放運動の<前座>に過ぎない。戦いはこれからだ。差別思想「賎民史観」の打破と、それを永久に葬り去る課題は、大学で、その図書館や研究室で学ぶ、「被差別部落」出身の学生の肩にかかっている。「人の世に熱・・・」「人間に光・・・」、「被差別部落」の本当の歴史をその手に掴むために、差別思想である「賎民史観」の担い手である学者・研究者・教育者の言説を批判検証し、議論・討論し、「賎民史観」を放棄せしめ、「人間に貴賎はなし・・・」との理念のもと、真の部落解放運動に共同参画せしめよ。真の部落解放運動の前座でしかない、同和対策事業の様々な問題に臆するな。同和対策事業の最初から<罠>は想定されていた。大切なのは、真の部落解放運動の担い手足るべく自らを飛躍させることだ。無学歴・無資格、「被差別部落」出身ではない、ただの「百姓」の末裔に過ぎない、部落解放運動の門外漢に過ぎない筆者の言葉を読む、<あなた>、<あなた>にはそれができる!

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2007年11月20日 (火)

●大江健三郎『定義集』

最近、新聞の記事に目を通すことが少なくなっている筆者ですが、今日、Jhon F Cross さんのブログの書き込みを読んで、朝日新聞の2007年11月20日付の文化欄の大江健三郎『定義集』を読んでみました。

【人間をおとしめることについて】
「罪の巨塊」に込めた思い


あわせて、朝日新聞の2007年4月17日付の記事も読んでみました。

【書き直された文章を書き直す】
なぜ主語が隠されたのか


ふたつの記事を読みながら、大江健三郎氏が「定義集」という言葉の下でこれらの文章を書いているのか、なにとなく分かるような気がしました。

この世の中、いろいろな見解の相違が発生し、時として裁判にも直面させられるようですが、大江健三郎氏が指摘されている通り、大江健三郎氏著『沖縄ノート』を充分に批判検証しないで、自分にとって都合のいい他者(曽野綾子氏)の表現を安易に引用して論を立てたところに問題の発端があるようです。

「両原告は、慶良間列島の守備隊長を、私が「極悪人」としているむねいわれますが、『沖縄ノート』には、極悪人はもとより悪人とも、一度も書いてはいません」。

大江健三郎氏の指摘と違うて、曽野綾子氏の言い分は、「人間として、私は、他人の心理、ことに「罪」をそれほど明確さで証明することができない。なぜなら、私は神ではないからである。」・・・、というものです。

曽野綾子氏にとって、<人間らしい人間>は曽野綾子自身のことを指して、大江健三郎氏の<人間>性については否定すべきものと考えておられるのでしょうか・・・?

大江健三郎氏は、曽野綾子氏の聞き取り調査に関する言葉を紹介したあと、「このようにいう者らこそ、人間をおとしめている・・・」と記しています。筆者もそう思います。「人間」という言葉を振りかざして他者を批判する曽野綾子氏の中にこそ、「人間」を冒涜する思想が含まれているように感じます。

曽野綾子氏の小説はほとんど読んだことがありません。ほとんど・・・、というのは、一度、『傷ついた葦』という小説を通読したことがありますが、中身のない通俗的な小説で、それ以来、曽野綾子氏の本を読む気は起こりませんでした。

それに、昔、曽野綾子氏は、あることで名前を馳せていました。それは、「未必の故意」「密室の恋」と聞き間違えた・・・、というより、曽野綾子氏は、「密室の恋」という言葉は知っているけれども、「未必の故意」という言葉を知らなかったのでないか・・・、と批判されていました。

『傷ついた葦』にしても、「未必の故意」レベルの小説ではなく、「密室の恋」レベルの小説です。

権力側に立って、恣意的な私論を展開する曽野綾子氏に対して、大江健三郎氏は、「定義」を武器に闘争を展開されているようです。

4月17日の「書き直された文章を書き直す」の中で、「文章の意味をあいまいにする・・・、日本語を使う私たちのおちいりやすい過ち、時には意識的にやられる確信犯のゴマカシ」に踊らされないで、「この四月、高校生となり、また高校教師となる人たちに、文章を読みとること」・・・、<正確に>読みとることの大切さが訴えられています。「あなたはこれらの文例(教科書の集団自決に関する文章・・・)を書き直すことで自分を鍛えてください」。

それにしても、人騒がせな女もいたものです。その女に踊らされている男の姿は男らしくないというかなんというか・・・。

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