2008年4月13日 (日)

●教会の玄関の花・・・

P4120237教会の玄関の庭・・・

デジカメで撮った写真を原寸大で紹介するのは、なにとなく躊躇いがあります。

筆者、昔から、性格が粗雑にできていますので、花を育てるのも、種をまいて、あとはひたすら、朝夕水をやるだけ・・・。

衆議院議員の土肥隆一さんに、「きれい・・・」といってほめていただいたので、勇気を出して、原寸大で掲載することにしました。

明日の礼拝の時にも、同じように咲いているという保証はありません。教会の庭の花、数時間単位で、散っていく花もあれば咲いてくる花もあります。

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2008年4月 6日 (日)

●教会総会終わる・・・

日本基督教団下松愛隣教会の総会が終りました・・・。

下松愛隣教会に赴任してきて、今年で26回目の教会総会・・・、毎年、教会の置かれた深刻な状況に変わりはないのですが、しかし、今年は、例年になく深刻さを実感させられます・・・。

生きるも自由、死ぬるも自由・・・、すべてが自由な教会ですから、すべてのことがらは、牧師一人の決断にかかっているのですが、30代で赴任してきた筆者、今年60代に突入しましたから、若き日々のような無理ができなくなりつつあります。

一番限界を感じるのは、副業としてきた情報処理の世界・・・。

筆者のネットワークシステム・・・、WIndows2003をサーバーにして、Xp、Vista などのクライアントを配置していますが、現在、Windows2008のインストール、構築、検証を繰り返しています。Windows・・・、新しくなっているのでしょうが、筆者の感度が鈍感になっているようで、Windows2003からWindows2008への移行にいまひとつ熱が入りません・・・。

多分、筆者の<錯覚>なのでしょうが、書店で、ネットワーク構築、セキュリティ確保に関する書籍の目次を目で追いかけていても、筆者の、これまでの関連資料・書籍でことたりるような、そんな感じがしてしまいます。

情報処理の世界に対して抱く、漠然とした飽満感・・・、それを克服して、新しい知識と技術に対して貪欲になるには、どうしたらいいのか・・・。

歳のせいばかりではないのですが、歳のせいにしたがる、内なる、老いることを受け入れ、老いていく自己の存在が、一番大きな問題かもしれません。

当初、一年以内で書き上げることにしていた『部落学序説』・・・、丸3年が過ぎようとするというのに、いろいろな言動に翻弄されて、道草と脱線の繰り返し・・・。

筆者、歳をとったためか、リースマンが『孤独なる群衆』の中で類型化してみせる、「ジャイロスコープ型の人間」一辺倒の筆者から、「レーダー型の人間」に傾斜していっているのかもしれません・・・。今更、「レーダー型の人間」になろうとしても、なりきれるはずもないのですが・・・。

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2008年3月29日 (土)

●野の花・アネモネ・・・

P3280006新約聖書のイエスさまのことばにでてくる「野の花」・・・、アネモネの花であると言われています。

今年、教会の庭に咲いているアネモネの花は、白・赤・紫・ピンクの4種類です。

教会の庭には、野生のアネモネの花が咲くのですが、こちらはまだ姿が見えません。

赤色のチューリップの花が咲く前に、アネモネの花が満開です。

小さく、貧しい教会も、神さまが与えてくださった春の装い・・・。

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2008年3月27日 (木)

●西中国教区の中で一番小さな教会の庭・・・

Han0803271左の写真は、日本基督教団西中国教区の中で一番小さく、貧しい教会の庭の風景を撮ったものです。

教会の庭は、都会の庭付の豪邸のように、所狭しと高価な花が植えられている庭のイメージからほど遠く、どちらかいいますと、山村の農家の庭のイメージに近いものがあります。

妻が植えた、柿・栗・梅・桜・ウツギ・アジサイ・・・、小鳥が運んでくれた、芙蓉・木槿・クロガネモチノキ・・・、教会の庭は、筆者と妻がこの地に移り住んでから、徐々に今の状態に変わって行きました。

教会が直面した様々な試練の中、「こんな教会は教会ではない・・・」といって、半数の方々が教会を離れて行きました。教会に踏みとどまって、教会を支えてきた教会員の方々も、それぞれ天寿をまっとうして神様のもとへ召されました。

矢野姉のすすめで、瓦礫とバラスだらけの教会の庭を<開墾>・・・。メタセコイアの巨木の切り株と根っこを、小さな体の矢野姉と、右手の握力のない筆者の二人で取り除き、そのあとに庭木を植えて行きました。

そして、ミニ菜園も・・・。

矢野姉なきあと、筆者と妻、花壇・お花畑・ミニ菜園・庭木を徐々に広げ、教会の日曜日毎の礼拝には、教会の庭に咲いた花を春夏秋冬を通じてささげることができるようになりました。

木村姉は、「教会の礼拝にきて、お花をいただいて帰ることができる教会は、下松愛隣教会以外にはなくってよ・・・」と話しておられたことがありますが、多品種少量生産に徹しているため、西中国教区の他の諸教会の花壇や菜園のような<見事さ>はありません。

それに、常に失敗の連続・・・。

この前、ほうれん草の種を播きました、今朝、「ほうれん草の芽が出ている・・・」と喜んでいる筆者に、妻曰く、「あなた、これ、ほうれん草の芽ではありません。どうみても、こまつなの芽です。何の種をまいたのか、みせてごらんなさい・・・」。

そこで、取り出した種の袋・・・。「ほうれん草」ではなく、「こまつな」と書かれていました。どこでどう読み間違ったのやら・・・。

こまつなを破棄して、ほうれん草の種をまき直そうとしたら、妻曰く、「わたくし、こまつなすきですから、このままにしておいて、ほうれん草は、こちらに種をまいて・・・」。

妻の話しですと、これから作るほうれん草は、冬のほうれん草のような甘みがないので、こまつなの方がいいのだとか・・・。

教会の庭にやってきた2羽のひよどり・・・。

1羽のひよどりは、半分にした伊予柑をついばんでいましたが、もう1羽のひよどりは、筆者の方をみながら、「これ、おみかんじゃない・・・。まちがったんじゃないの・・・」とでもいうかのように、鳴いて、飛び去って行きました。

もう1羽のひよどり、10分間ほど、半分にした伊予柑の中にくちばしをいれて食べて行きました。

今日、スーパーで、鮮度が落ちたみかん、1袋200円で売っていましたので、買ってきました。すると、妻曰く、「このみかん、おいしそう・・・。あなた、このみかん、ひよにやってはだめ・・・。わたしが全部いただきます・・・」。

教会の庭が見える隣家の大きな木の上に、ひよどり8羽が、筆者が、半分にした伊予柑を2箇所に設置したのを見ていましたが、結局、その伊予柑を食べにきたのは、2羽だけ・・・。そして、その伊予柑をおいしそうに食べていったのは、1羽だけ・・・。

みかんの好きなひよどり・・・、もしかしたら、ひよどりの中でも変わり者・・・?

生きとし生けるもの、すべからく、「たで喰う虫も好き好き」ということでしょうか・・・。

日本基督教団下松愛隣教会を、「たで喰う虫・・・」のように、好きになってくださる方はおられないでしょうか・・・。おられるようでしたら、是非、教会を尋ねてみてください。毎週日曜日、午前10時15分から主日礼拝があります。そのあとは茶話会。

茶話会では、部落問題・部落差別問題・部落史問題を含めて、この世の様々な問題について自由に話し合うことができる<解放区>になります。



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2008年3月21日 (金)

●受難週に咲く花・・・(3)

Han0803213左の花は、上から、忘れな草・チューリップの原種・リビンストンデージー・クリセンサマムです。

いずれも、復活日の礼拝の花として活けることはできませんが、復活日のよろこびに春の色彩を添えてくれます。

今日は、イエスさまが十字架につけられた聖金曜日・・・。

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●受難週に咲く花・・・(2)

Han0803212ネモフィラの花・・・。

ぶどう棚の下に、ネモフィラのプランター5個を並べていますが、小さな青色の花が、春の風に吹かれて楽しそうに揺れています。

前回の冬、ためしに、青色ではない、他の種類のネモフィラの苗を買ってきて植えてみましたが、下の3枚の写真のネモフィラ・・・、繁殖力が強いらしく、こぼれ種が芽を出して花を咲かせたものです。このネモフィラは花壇に咲いていますが、教会の庭のあちらこちらに、白色のネモフィラの苗が成長しています。

青色のネモフィラは、昨年の秋に種をまいたものです。

このブルーのネモフィラ・・・、筆者と妻のような花です。主日礼拝の切花にもなれず、春のそよ風に身をまかせてただ揺れているだけ・・・。

同棲同類でしょうか、見ているだけで、しあわせな気分になります。

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●受難週に咲く花・・・(1)

Han0803211今週は、教会暦では受難週です。

イエスさまが十字架にかかり、人間の罪からの救いのために、人間に代わって贖罪のわざをなし遂げてくださったことを記念する週です。

受難週のはじめの日(3月16日)、菜の花・スイセン・ゆきやなぎしか咲いていなかった教会の庭・・・、今は、復活祭を彩るために、いろいろな花が日々開花していっています。

3月16日の主日、礼拝に出席されるために来られた信徒の方々の目には、教会の玄関の庭、スイセン以外にほとんど春の花はなかったのですが、23日の復活日の礼拝に来られたときに目にはいる教会の庭は、完全に春の装いです。

日本基督教団西中国教区の中で一番小さな教会の庭・・・、教会の庭みずから、復活日の礼拝の準備をしてくれているようです。

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2008年3月19日 (水)

●復活日の花として・・・

Han0803181復活日の礼拝堂に活ける花・・・。

教会の庭の草取りをしながら、<ラッパスイセンにしょう・・・>、と心に決めたのですが、ラッパスイセン、一番適切なときに、切花として活けることができるかどうか・・・。

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●チューリップの原種が咲き始めました・・・

Han0803184この小さな花・・・・、ツーリップの原種だそうです。

今、教会の庭にさいているこのチューリップの背丈は10センチ程度です。生花にすることができなくて残念ですが・・・。

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●ネモフィラの青を楽しむ・・・

Han0803183ネモフィラの花・・・

簡易温室で育ててきたネモフィラの苗、現在は、花壇とプランターに移植しています。

ネモフィラのブルーの色も、春を彩る色・・・。受難週に咲く教会の花としては、最適かも・・・。

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2008年3月18日 (火)

●野の花・アネモネ・・・

Han0803182アネモネの花が次から次へと咲き始めました。

イエスさまのことばに出てくる野の花はアネモネとか・・・。

教会の庭には、野生の小さなアネモネの花が咲くのですが、今年はまだその姿をみかけません。

左の写真は、昨年、日本キリスト教団・松山教会の信徒の方が指定献金してくださったもので入手した球根のひとつです。

アネモネは、白・赤・ピンク・紫・青の各色があります。赤色のアネモネの中には、八重咲きの花もあるようです。色の鮮やかさに目を奪われます。

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●春を彩る菜の花・・・

Han0803186菜の花・・・、それは、春を彩る花です。

切花用の菜の花は、もう散ってしまいましたが、今、冬野菜の菜の花がさいています。

上2枚の菜の花は、京菜の菜の花です。

下3枚は、白菜の菜の花です。今朝、カリフラワー(30cmの大きさ)・キャベツ・白菜各1個収穫しました。白菜3個は、塔がたって、菜の花がさいています。

そろそろ、ブロッコリーは春菊の菜の花も咲き始めます。

菜の花・・・、野菜の種類によって、異なる菜の花が咲きます。毎年、春の楽しみのひとつです。食卓にのぼることもあります。

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●受難週の教会の庭・・・

Han08031872008年の受難週・・・、その教会の庭の姿です。

26年前、西中国教区の下松愛隣教会に赴任の話があったとき、当時の西中国教区議長・山田守牧師曰く、「教会を再建するのは大変だと思います。とりあえず5年努力してもらって、再建の可能性が無いようでしたら、教会役員会と話し合って閉鎖してください・・・」。

しかし、筆者と妻、そして、信仰深い教会員の方々と、この「再建の可能性がない・・・」と言われる下松愛隣教会を愛して、5年を越えて、さらに20年・・・、瓦礫とバラスだらけの教会の庭には、それでもいろいろな草・木・花が咲きそろうようになりました。

受難週の教会の庭は、やっと本格的な春に向けて始動しはじめたばかりです。

3月23日(日)の復活日(イースター)には、主イエス様の復活を記念するに相応しい春の花をささげることができそうです。

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2008年3月10日 (月)

●午前中、教会役員会・・・

午前中、教会役員会がありました。

今日は、年度末の事務処理と教会総会の日程を審議しました。

この前、西中国教区の広報委員会から、『教区通信』に下松愛隣教会について記事を掲載したいとご連絡いただきましたが、役員会で話し合った結果、辞退させていただくことに決定しました。

ただ、西中国教区の諸教会からの謝儀援助に対する感謝の思いと、教会の現実をよりよく知っていただくために、教会役員会で、教区総会で配布する下松愛隣教会『教会報(臨時増刊号)』を発行することにしました。

編集者・印刷者は、この前退院されて自宅療養されていた教会役員の方・・・。

教会役員会、全員が揃うまで、筆者がデジカメで撮影したメジロのスナップ写真を、パソコンの画面上で見てもらいました。

バードウオッチングをされる方々が、望遠レンズで撮影する、「自然」な写真(図鑑に載っているような写真)は、筆者には撮影することができません。デジカメを構えながら、メジロに接近して、1.5m~2.0mの距離まで近づいて、シャッターを押します。

写真を撮る筆者と、写真をとられるメジロとの、緊張に満ちたやりとりのなかで撮影するスナップ写真でしかありません。メジロの視線は、いつも、メジロを撮影する筆者の方に向けられています。ときどき、筆者の方をみながら、1mの距離まで近づいてくるメジロもいますが、メジロは、動きがはやいので、結構てぶれ現象が起きます。

しかし、教会役員の方々・・・、「この程度のピンぼけなら問題はない・・・」といわれます。それで、役員会のあと、メジロのスナップ写真集を掲載しました。ただ、画像は縮小しています。

この数ヶ月、イメージトレーニングをつんできました。ウグイスを、他の小鳥から瞬間的に見分ける方法を・・・。

今朝、不思議な光景に出会いました。役員会の準備でいそがしくていて、教会の裏庭に出るのが遅くなったのですが、ふと、窓をみると、そこにジョウビタキの姿が・・・。窓から、数十センチの木の枝にとまって、部屋の中をのぞきこんでいます。筆者と目があうと、啼きながら飛んでいってしまいました。

ジョウビタキ、筆者が庭にでるのを待っていたのでしょうか・・・。

役員会が終わったあと、筆者と同じ歳の教会役員さん、娘さん夫婦が住んでいる屋根瓦の塗装をされるとかで、教会の屋根瓦の洗浄機と塗装用のコンプレッサを持ってかえられました。筆者がした、教会の屋根瓦の塗装と同じ方法で塗装してみられるとのこと・・・。

大切なことは、常に屋根から降りる道を用意しながら塗装すること・・・。塗装したばかりの屋根瓦に足をのせると、すべって、転落すること間違いなし・・・。

屋根から落ちることがないよう、お祈りすることにしましょう。

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2008年3月 6日 (木)

●2007年度を過ぎ越す・・・

今日の午後は、郵便局に・・・。

2007年度最後の月は、いろいろ事務処理が増えます。

「下松愛隣教会を閉鎖したい・・・」、そう言って教会員の方が去って行かれて、随分久しく時が経過します。「教会を存続させたい・・・」という思いを持った少数の信仰者で、教会を守ってきましたが、年度の終り・・・、というのは、いつも、教会の置かれた現実の厳しさを直感させられます。

昔から、下松愛隣教会は、日本基督教団の他の教区・教会からの転籍はありません。

下松市内には、同じ日本基督教団の下松教会がありますので、転勤等他の教区・教会からの転入・転籍はもっぱら下松教会が引き受けることになります。もともと、下松教会の反対を押し切ってつくられた下松愛隣教会なので、日本基督教団、西中国教区、山口東分区の中の下松愛隣教会の中の位置づけは、難しものがあります。

高橋保行著『ギリシャ正教』(講談社学術文庫)の中に、このような言葉があります。

「一日をすぎこし、一週をすぎこし、一年をすぎこし、一生を準備として到達する成就の時は、すでに各すぎこしの終りに・・・明らかにされている来世の時である」。

ひとりひとりのクリスチャンの人生だけでなく、キリストの教会もまた、すぎこしの時を生きる、「この世の命を捨てつつ、来世を自分の中にむかえ入れていく過程の中に」置かれているのかもしれません。

今、『部落学序説』で、「百姓の目から見た渋染・藍染」について文章を綴っていますが、近世幕藩体制下の日本の社会だけでなく、全世界において、衣類と色は、いろいろな意味が加味されているようです。

ギリシャ正教の聖職者は、「聖職者になるときに署名する宣誓書」の中で、「黒い服に身を包む」ということを宣誓させられるそうです。

それは、「心にある信仰は形として明らかにされるべきであるというギリシャ正教の信仰に対する基本的な姿勢」に由来するものだそうです。

修道士がこの世で身につけることが許される衣類は、「ラソ・・・と呼ばれる上衣と、カソックと呼ばれる下衣だけ」だそうです。衣類の色は「黒」・・・。衣類の「黒」は、「この世に対して日々死につつ、キリストの中に日々よみがえりつつあるとい確信の表明」だそうです。

そして、その服装は、聖職者・修道士だけでなく、一般的にも着用されるようになったとか・・・。衣類の「黒」は、「死」のしるしとして・・・? あるいは、「よみがえり」のしるしとして・・・?

筆者は、日本基督教団の牧師になってから、一度も、「祭服」とやらを着たことがありません。筆者が、神学校に入った当時、農村伝道神学校の校長をされていた高倉徹牧師の影響かもしれません。高倉徹先生、阿佐ヶ谷東教会で牧会されているときも、「祭服」をみにまとった姿は一度もお目にかかったことはありませんでした。いつも、普通の背広・・・・。その姿が、いまだに、筆者に影響をあたえているのかもしれません。なにしろ、高倉徹牧師の説教を4年間聞いてきたのですから・・・。

しかし、神学校を卒業して、阿佐ヶ谷東教会を離れるとき、高倉徹牧師夫人から、「高倉は、キリスト教の名門、高倉徳太郎の継承者です。誰を弟子にするかで、その品格が決まります。あなたは、農村伝道神学校しか出ていないので、高倉の弟子に相応しくありません。そのつもりでいてください・・・」と<縁切り>をされました。

今は、受難節・・・。そして、3月23日は復活節・・・。

神学校を卒業して、阿佐ヶ谷東教会を離れるとき、高倉徹牧師からいただいたことば・・・、今も筆者の座右の銘にしています。

「あなたは、自分で自分を守る必要はない。
あなたは、神様が守ってくださる。
だから、あなたは、全力を尽くして信徒を守りなさい」。

筆者の牧師としての28年間の歩み、ほとんど守ることができなかったことばではありますが・・・。

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●告春草の開花はもうすぐ・・・

Han080306_2教会の庭の草・木・花の中で、春の訪れを告げる花はいくつかありますが、告春草に数えられる花は、キンセンカ・・・。

今年は、雪こそ降りませんでしたが、冷たく寒い冬でした。告春草・キンセンカが、いっこうに花の蕾を開こうとしないのを見て、西中国教区の『教区通信』の「イースター特集号」の取材をお断りしたのですが、今年のイースターは3月23日・・・、あと2週間少々で、教会の庭の草・木・花、どれだけ咲いているやら・・・。

「下松愛隣教会の庭、いっぱい花が咲いているとのことでしたが、尋ねてみると、冬枯れの殺風景な景色だけ、下松愛隣教会の庭にいろいろな花が咲き乱れているというのは、どうやら、事実無根、牧師の妄想のようです・・・」。

そんな報道をされても、反論のしようがありません。

西中国教区の『教区通信』の担当者の方、「それでは取材は次回に・・・。次回は、平和聖日特集なので、7月にお伺いしますので、庭の花の写真を撮らせてください・・・」とおっしゃっておられましたが、7月・・・といいますと、一年で、一番花が咲きそろう5~6月の季節が終わって、花の数が急に少なくなる時期・・・。

その時も、教会の庭に咲いている花が一番すくない時期・・・。

下松愛隣教会を写真にとって『教区通信』に載せるのは、最初から無理なようです。

5月の西中国教区総会で、下松愛隣教の『教会報』(臨時増刊号)を発行することにしましょうか・・・。内容は、①教会の歴史、②教会の現実、③役員の方々の農園の様子、④賀川豊彦に学ぶ立体農法を生かした教会のお花畑とミニ菜園、⑤部落差別完全解消をめざした取り組み、⑥部落解放同盟新南陽支部からのメッセージ・・・。

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2008年2月29日 (金)

●信徒の友を届ける・・・

今日の午後、信徒の友を届けました。

今日は、2月29日・・・。明日から、3月に入ります。

この前、退院して自宅療養されている教会役員の方、信仰に熱心で、毎日、御夫婦で聖書を読んでお祈りをされていますので、信徒の友の日毎の糧は必需品です。

尋ねた山里は、どことなく、春がやってきたようです。教会役員の方の梅園の梅の花、満開です。石垣の下には、スイセンの花がいっぱい咲いています。花・木・草の花が、一度にどっと笑いだす日は、遠くはなさそうです。

教会役員の方、元気そうでした。

筆者は、花粉症なのか、風邪気味なのか、分からないので、すぐ帰ってきました。折角治ったのに、風邪をうつしては申し訳けないから・・・。

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2008年2月19日 (火)

●教会役員の方、退院・・・

今日の夕方、病院に入院されていた信徒の方から電話がありました。退院されたとのこと。

ほっと、一安心しました。

しかし、信徒の方のご自宅、山間の農家で、まだまだ寒い冬の日が続きます。当分、自宅療養をすることになるでしょう。

主日礼拝は、春の日差しが差し込むようになってから・・・、の方がいいと思われます。なにしろ、教会の礼拝堂も、すきま風が吹き込んできた寒いですから・・・。

今朝は、花と野菜に、水をやりました。メダカのいる水槽には厚い氷がはっているのですが、土は乾燥しきっていましたので、しかたなく、冷たい水道の水をかけました。冬に花を咲かせている、梅・水仙・クリスマスローズ・三色すみれ・・・、冷たい水をかけても平気なようです。むしろ、喜んでいるような・・・。

礼拝堂のシクラメンとシネリアの花も、水を吸い上げる量が増えたようで、たっぷり与えました。

教会役員の方が主日礼拝に出席されるのは、春の花がいっぱい咲く、暖かい春の日がいいかもしれません。

教会は、まだ、冬の寒い日が続いています・・・。

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2008年2月18日 (月)

●復活日を待ち望む教会の庭・・・

Han0802171下松愛隣教会・・・。

忘れ去られた教会のように、今は冬枯れの季節です。受難節が終わると、イースター・復活祭がやってきます。

今年は、3月23日です。今、芽が出ている花の中で、どの花が、復活日の礼拝に彩りを添えてくれるやら・・・。

花の芽、上から順番に、

釣り鐘水仙、
ほととぎす、日本水仙、
のこぎりそう、クッションマム、
日本小菊、チューリップ、
ストロベリートーチ、いちご、
ネモフィラ、ゴテチア、
クリセンサマム、除虫菊、
忘れな草、アネモネ、
ラナンキュラス、撫子、
アンブレラミックス、桔梗、
矢車草、テッポウユリ、
ビスカリア、千鳥草、
マイクロアスター、フリージャ、
チューリップ原種、カンパニュラ、
三色すみれ、カーネーション、
クロタネソウ、ブルーサルビア。

どれも、花壇用ではなく、主日礼拝の切花用として栽培しているものですが、その他にも、宿根草やハーブ等が芽を出しています。

瓦礫とバラスの教会の庭でも咲いてくれる花を咲かせていますが、概して、花屋さんで販売されている高価な花は、教会の<荒れ地>には咲きません。

山口県の日本基督教団安岡教会の主日礼拝にささげられる花は、とてもきれいです。梅光女子大学の温室で栽培されたもののようですが、とてもきれいですね・・・。

下松愛隣教会は、無農薬・有機栽培で採れる、どこにでも咲いている、ありふれた花ばかりです。

でも、筆者と妻はそれで満足です。

咲いた花の笑顔は、地球のほほえみのように見えますから・・・。





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●「教区通信」の取材・・・

先週、日本基督教団西中国教区の『教区通信』の担当者から電話がありました。

『教区通信』の復活祭特集号に、下松愛隣教会を掲載したいといいます。下松愛隣教会の歴史と課題、そして、教会の庭に咲いているたくさんの花を・・・。

「下松愛隣教会の歴史と課題」について、『教区通信』の中で公式に記録に残すことは、牧師単独で判断することはできないので、役員会で話し合ったうえ、返事をさしあげると約束しました。

昨日、入院療養中の信徒の方を訪ねたときも、その話を伝えました。

すると、その教会役員の方、「昔、下松教会の役員の方から、下松愛隣教会の役員会は、なぜ、教会の付帯事業である保育園の、初代牧師家族による私物化を許したのか!」と厳しい詰問を受けたことがあるそうです。

その保育園が、教会の付帯事業であることは、下松愛隣教会の設立時の公的文書に掲載されているだけでなく、下松教会の記録にも残っているのですが、それは、筆者が赴任する前の話です。

保育園だけでなく、下松愛隣教会の土地と会堂も、私物化の危機から守ったのは、「持病をはかなんで自害した・・・」とされる前任の牧師でした。

教会の土地と建物の、初代牧師の私物化を懸念した、下松愛隣教会の現在の土地・建物をささげてくださった、北米在住の元田姉は、その所有権を保留したままだったのですが、初代牧師がなくなったあと、元田姉の承諾のもと、前任牧師によって、所有権移転と保全の登記がなされたのです。

教会に残されたいろいろな資料をみますと、下松愛隣教会の土地と建物の私物化を防ぐために、前任牧師と役員会は、付帯事業としての保育園の私物化を不問に付したようです。

現在、日本基督教団の諸教会の付帯事業としての幼稚園事業は、学校法人化の波にさらされ、従来のキリスト教会では考えられえなかったことが進行しているようです。

ひとつの教会の牧師が、宗教法人としての代表者としての「牧師」と、学校法人の長としての「牧師」を兼ねることで、宗教法人としての代表者としての「牧師」を辞任しても、学校法人の長として、その付帯事業である幼稚園・保育園の園長として留まり続けている、あるいは、留まり続ける可能性がある・・・、という現象です。

ある意味、キリスト教会の私物化の一般化・・・、です。

昔、山口東分区の牧師会で、下松愛隣教会の付帯事業の、初代牧師の家族による私物化の話が問題になったとき、山口東分区の年配の牧師たちは、「初代牧師が実力があったから、付帯事業を私物化できたのだ。自分たちもできることなら、教会の幼稚園を家族に残してやりたい。うらやましい限りだ・・・」と話しておられました。

入院されている教会役員の方、曰く、「先生だけで、教区の取材に応じることはよくありません。教会役員が同席して、教会役員が取材に対応します」。

それに、イースターを前に、花がいっぱい咲いている教会の写真を撮りたいといわれても、今は、真冬・・・。冬枯れの庭には、冬枯れのまま・・・。

もし、2月の、イースターを前にした、下松愛隣教会の庭に花がいっぱいさいているとしたら、それは、<奇跡>そのものです。しかし、瓦礫とバラスだらけの下松愛隣教会の庭で、<奇跡>など起こるはずもありません。

もし、あるとすれば、暖房の効いた温室で、めずらしいランやクリスマスローズなど、高価な花を咲かせたり、季節はずれの花を咲かせている場合でしょう。しかし、それは、灯油をふんだんに使用して、二酸化炭素を大気中にふりまいていることを意味し、<奇跡>ではなく、環境汚染と地球の温暖化に手を貸す<悪魔の所業>でしょう。

下松愛隣教会は、春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の、春夏秋冬それぞれの季節の花を栽培し、それを主日礼拝にイエス様にささげているにすぎません。

冬枯れの教会の庭、廃屋のイメージがただよいはじめた礼拝堂、少人数の礼拝・・・、その姿を、「復活を待ち望む教会の姿」として写真にとり、その旨、ことばを添えるなら別ですが、それは、至難の業です。

西中国教区の『教区通信』のイメージにあう教会は、山口県内では、下関の日本基督教団安岡教会ではないでしょうか・・・? その教会のホームページ、アクセス数も多いようですし、「教会の花」には、復活日の教会にふさわしい花があふれています。

下松愛隣教会は、冬枯れのど真ん中・・・。

今朝は、花も野菜も、凍りついていました。梅の木や蝋梅の木にやってくる、メジロ・スズメ・ジョウビタキなどの小鳥たちも、「春はまだ、春はまだ・・・」とさえずっています。復活日には、小鳥たちもきれいな鳴き声で、イエス様の復活を喜びさえずることができるようになっていることでしょう。そしてウグイスの鳴き声も・・・。教会の玄関の庭の木々と、教会の裏庭の木々に1羽ずつ・・・。

ともかく、下松愛隣教会の歴史と課題、そして教会の庭に咲く花・・・、『教区通信』取材のに応じるための備えはできていないようです。

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2008年2月17日 (日)

●今日で点滴がなくなる・・・

今日の午後、面会時間に、入院されている信徒の方を尋ねました。

順調に回復していっているようで、今日で、点滴はなくなるとか・・・。

信徒の方と話しているとき、看護士さんがやってきて、「先生にお聞きのことと思いますが、今日で点滴は終りです・・・」と言って帰って行かれました。

今年は、「暖冬・・・」との長期天気予想がはずれて、何回も寒波が押し寄せてくる寒い冬となりました。その、一番寒い時期、暖房が完備した病院に入院しているということは、考え方によっては、その信徒の方にとってはいいことなのかもしれません。

信徒の方のお宅にも、中国の柴田兄から、お年玉付き年賀状が届いたとかで、とても喜んでおられました。「はやいですね、10年が経過するのは・・・」、とポツリと語る信徒の方、柴田兄と一緒に、礼拝を守っていた頃を懐かしんでおられました。

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●中国の年賀状・・・

Cyu080217_2先週、柴田兄から年賀状をいただきました。

柴田兄が、下松の地を離れて10年が経過しますが、今は、中国にお住まいです。

中国の女性の方と結婚されて、幸せに暮らしておられるようですが、柴田兄、年賀状は、新正月ではなく、旧正月に出すものと、だんだん、習慣化されていっているようです。中国の正月は、旧正月ですから・・・。

柴田兄から送られてきた年賀状・・・、なんと、中国のお年玉くじ付きです。

抽選は2月21日、景品引換は3月1日~5月1日・・・。

最近、年賀状のお年玉のくじ、末等の切手すら当たらないので、中国のお年玉くじ、当たる可能性はほとんどないのですが、印刷された切手部分には、干支のネズミと「大吉」の文字が印刷されていました。

筆者は、ネズミとし、今年還暦を迎えましたが、柴田兄からの還暦祝いかもしれません・・・。

このネズミ、よく見ると、両手に花火を持っています。赤色の晴着を着て爆竹をならす中国のお正月、柴田兄とその連れ合いの添添さん、幸せそうで何よりです。

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2008年2月10日 (日)

●教会役員の方と一緒に病床訪問・・・

今日の午後、教会の役員の方と一緒に、入院されている信徒の方を病床訪問しました。

大部屋から個室に移られてので、今日は、みんなでお祈りをして帰りました。

しかし、お見舞いの話の内容は、日本が直面している農政、小麦粉等の農産物高騰、中国産野菜の農薬汚染の問題、国の食料自給率の問題など、国民の食生活と、日本の農業の必要性に関するものばかり・・・。

瓦礫とバラスだらけの教会の庭を開墾して、ミニ菜園やお花畑をつくり、有機農法・無農薬栽培をしている筆者は、そのことで、やっと、「百姓」の末裔の方々である信徒の方々と同じ話題を共有することができるようになりました。

<百姓に福音を語るなら、百姓になれ!>

誰も、そのような話をする人はいませんでしたが、キリスト教の信仰には、このような姿勢が一般的です。

日本の農政に携わる政治・行政の役人は、<無脳役>・・・、あるいは、<無能役>・・・。<無農役>を決め込む日本の政治家はもういらない・・・。日本の農業を大切にし、国民の食生活を確保することのできる政治家を選ばなければ・・・。

入院されている兄弟・・・、退院される頃には、畑を耕すことができる季節になっているようです。

教会暦の上では、今日から受難節に入ります。

礼拝に出席された方々は、礼拝堂に活けた梅の枝を見て、「どこから、梅の花をもらってきたの・・・?」 礼拝のあと、教会の庭に咲いている梅の花、白梅と紅梅をご紹介しました。教会の玄関のピンクの梅の花はまだまだ開花は先のはなしですが・・・。教会の梅の花を見て、「こんなところに咲いていたの・・・」と感慨深そうでした。

教会の庭、わずか270坪の、西中国教区の中で一番小さな教会の庭ですから、そんなに広くないのですが・・・。

今週、暖かい日をみて、簡易温室の中で育成している花の苗を移植してやります。すっかり大きくなってしまったので・・・。七色トウガラシの種を播かなければなりません。まだ、寒冬の日に種を播くと、秋にきれいな花を咲かせてくれます。珍しい品種で、絶やすと、入手不可能になります。

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2008年2月 5日 (火)

●立春・・・

昨日は、立春でした。

我が家にあるカレンダーの中で、「立春」が印刷されているのは、日頃からお世話になっている米沢園芸のカレンダーです。

昨日の夕方、病院に入院されている教会役員の方を尋ねました。話をしているとき、看護師さんがやってきて、酸素吸入をはずされていきました。酸素吸入の装置から自由になることができて、教会役員の方、とてもよろこんでおられました。

しかし、退院はまだ先のことだそうです。

退院は三月彌生と兄語る

話をしている間、筆者は、マスクをしていました。

風邪流行る看護師さんのマスク増え

今回、教会役員の方の趣味に関する雑誌を2冊、書店で購入して持参しました。話題は、もっぱら、カメラと写真の話ばかり・・・。教会役員の方は、とても楽しそうに話をされていました。筆者も知らないことが多くて、勉強になります。説教のときは、講壇から一方的に語っていますが、講壇をおりると、信徒の方々の語る言葉に耳を傾けることが多い・・・。

み言葉を胸に抱いて冬の夜

よせばいいのに、下手な俳句をよんでみました。

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2008年1月31日 (木)

●病床訪問・・・

今日の午後、入院されている教会役員の方を尋ねました。

でかけるために、教会の駐車場の車のすぐ側まで行くと、近くの木の枝にとまっている小鳥と目があいました。その小鳥、ホオジロ・・・。

筆者と目が会うと、「チィチィ、ピー」と鳴きながら、一目散にあわてふためきながら逃げて行きました。他の小鳥が姿を見せなくなった午後の庭にやってきたのは、ホオジロ・・・。一瞬、「ジョウビタキでは・・・」と思ったのですが、首の周りが白色なので、ホオジロと分かりました。

入院されている教会役員の方を尋ねて、俳句を読みあいました。6人部屋なので、祈祷はしません。

筆者がよんだ句は、「冬日差し病床の兄に笑みのもれ」・・・。

筆者は、小・中・高の時代から、詩・和歌・俳句の才にめぐまれず、即興で俳句をよむことなど、ほとんど不可能なのですが、教会役員の方の、病床での句つくりのツマにでもなればと、恥を省みず、一句作成しました。

それにしても、教会の庭・・・。

いろいろな小鳥がやってきます。

一番驚いたのは、教会の玄関脇の花壇に植えている梅の木の下の草むらの中に、身をやすませていたゴイサギです。

灰色の大きなくちばし・・・、すぐ側で見ると壮観です。筆者と妻が、そのゴイサギを見つめていると、大きな目をギョロリ・・・。「せっかく寝ているのだから、起こさないで・・・」と文句を言っているようでした。筆者と妻は、そっと、その場を離れましたが、そのゴイサギ、逃げ出す風はありませんでした。

最近は、庭の手入れをきちんとして、雑草を繁らせることはないので、ゴイサギがやってくることはなくなりましたが、庭の木々を手入れするようになって、やってきはじめた、いろいろな小鳥・・・、山間の教会役員宅の広い庭の木々にやってくる小鳥の種類と数にははるかに及びませんが、退院されたら、春の暖かい日、小鳥を観察しながら、一緒に俳句をつくりましょうか・・・。

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2008年1月17日 (木)

●ツンドクは無意味・・・

教会の礼拝堂のうしろに、『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆のために使用する本を積み重ねていましたが、昨日、本箱風ラックを購入して、礼拝堂横の廊下に設置、そこのその本を片づけました。

本箱と比べて、ラックに奥行きがありますので、廊下を通るとき、すこし邪魔になるのですが、礼拝堂のうしろに無造作に摘まれた本の山を目にするよりは、すこし邪魔にたってもこちらの方がいいのでしょうか・・・。

筆者の妻も、教会役員会の皆様も、ほっと安心されたようです。

よこにして積み重ねられた本というのは、ほとんど役立ちません。読むのはせいぜい上の数冊程度です。やはり、本は、読みたいときにすぐに使えるように、必要な時にすぐ