国道2号線沿いのBOOK・OFFで買ってそのままにしていた井出孫六他編『山里の四季をうたう』(岩波ジュニア新書)を、妻が、「読んでみる・・・」といって、自分の部屋に持っていきました。
この本、裏表紙の紹介にこのように書かれてありました。
「今から約70年前、信州の山里で、ひとりの若い代用教員の指導で小学生たちが楽しく書いた250編余りの詩。身の回りの出来事や自然、楽しいこと、驚いたこと・・・日々の生活での発見や感動を、方言たっぷりに、自分の言葉で自由につづった子どもたちの詩をとおして、昔の日本の暮らしを知ろう」。
八ヶ岳連峰と甲斐駒ヶ岳が見える、標高1000メートルの本郷村・・・。
戦前のこどもたちの綴った詩に、「白鳥」の言葉はありません。長野県に住んでいても、「白鳥」を見るためには、「白鳥」の飛来地・犀川を尋ねなければならないのでしょう。
Jhon F Cross さんのブログに、愛知県から長野県安曇野の「白鳥」の飛来地・犀川まで「白鳥」を見に来た御夫婦の話が記されていました。
日常生活の中で、「白鳥」の姿を見ることができる・・・。
それは、それだけで、とても幸せなことではないかと思います。
筆者が晩年を過ごすことになる、妻の実家のある、福島県湖南町・・・。猪苗代湖湖畔は、コハクチョウの飛来地・・・。
渡り鳥・ハクチョウの姿を見ることができるだけで、それは、人生に豊かさをそえてくれるのかもしれません。
上記の『山里の四季をうたう』を読んでいたとき、ある言葉を思いだしました。昔、新聞か雑誌で目にしたことばです。
「戦争は自然破壊・環境破壊である・・・」。
『山里の四季をうたう』に、その具体的な事例が記されていました。
「本郷村は村そのものが馬の牧場だったといって過言ではない。その馬たちが本郷村から姿を消したのは、戦争が次第に激しくなり、”出征”していったからだが、馬が戦地から無事引き上げてきたとは聞いたことがない。馬はすべて戦地で果てたのだろう」。
戦争に徴用され、軍馬として戦場に散った馬・・・。
インターネットで検索していると、「戦友の骨だけでなく、馬たちの骨も・・・」収集している「伊藤さん」という方の話に遭遇しました。その記事の中にこのような言葉がありました。
「重い大砲を引き、荷を運ぶ軍馬は、貴重な労働力だった。旧満州を行軍した函館市の本間時雄さん(83)は「食べ物も水も少なく、ひどい暑さ。それでも言うことを聞いて二トンもの砲を運ぶ。馬たちは砲兵の戦友でした」と、いとおしむ。汗をしたたらせて野砲を引く馬の姿を忘れられない」。
伊藤さんは、軍馬も戦死したり、戦場で病死したりした・・・、といいます。「馬だって好きで戦争に来ているわけじゃない。ふるさとで家族と一緒に畑仕事をしているほうが、どれだけ幸せか。満期除隊も、復員もなく、骨も帰れない馬がふびんだった・・・」。
「兵隊は消耗品、馬は貴重品」・・・、と言われていたそうですが、伊藤さんのことばをかみしめていくと、兵隊同様、馬も「消耗品」扱いをされていたように思います。
「戦争は自然破壊・環境破壊である・・・」。
あらためて、この言葉が筆者のこころの中に沈んできます。
しかも馬だけではない・・・。
戦争中、長野県犀川に飛来するハクチョウも、山口県八代に飛来するツルも、人間の食料として乱獲されたのです。
「里」で共に生きていたはずの人間が突然、猛獣の如く牙をむいて襲いかかってくる・・・、ハクチョウもツルも、その悲惨な出来事を脳裏に刻み込んだのではないかと思います。
日本全国でハクチョウやツルが戦時の食用に供されていったのです。
今、全国に存在するハクチョウやツルの飛来地・・・。その飛来地は、彼らにとって、その脳裏に遺伝子の如く刻み込まれた、戦時の悲惨な出来事を忘却できる場所になったのでしょうか・・・。自分たちが愛されない土地には飛来しない・・・。
靖国神社には、「軍馬」 の 「慰霊」像があるそうです。「軍馬」だけでなく、 「軍犬」・ 「軍鳩」 の 「慰霊」像も・・・。
何となく、悲しさが込み上げてくる話です・・・。
緑の丘の赤い屋根
トンガリ帽子の時計台
鐘が鳴りますキンコンカン
メーメー子山羊も鳴いてます・・・
安曇野のこの歌の背後にある戦前の歴史には決して戻したくない・・・、と思います。
高原を馬がいななき、川の土手を犬が飼い主と共に散歩し、公園に鳩がたむろする・・・、渡り鳥にとってアジールのある風景・・・、<美しい日本の風景>をいつまでも大切にしたいと思います。
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