2008年4月25日 (金)

●自分でまいた種は自分で刈り取らなければならない・・・

Han0804252今日、日本基督教団部落解放センターから『解放へのはばたき』(№83)が送られてきました。

今回の特集は、「ネット社会と差別」・・・

同志社大学の教授の方が書かれた文章ですが、最後はこのようなことばで締めくくられています。

「自分のまいた種はちゃんと自分で刈り取らなければならない。それは現実の世界でもインターネット世界でも同じことだし、そうあらねばならないのである」。

西中国教区の牧師たちの話では、日本基督教団の関係者で、筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群を読んでいるひとはほとんどいないそうです。

おそらく、その教授、筆者の『部落学序説』を読んだことはないと思われますので、彼のことばは、直接、筆者とは関係がないと思われます。

「自分のまいた種はちゃんと自分で刈り取らなければならない・・・」という、同志社大学の教授のことば、マイナスイメージが濃厚ですが、筆者、そのことば、必ずしも負の側面だけではないと思います。

「自分のまいた種・・・」、芽を出すものと出さないものとがあります。芽を出しても、鳥に食べられたり、人に踏みつけにさらされたり、夏の暑い日射しでかれたり。「自分のまいた種・・・」、刈り取ることができるようになること・・・、そのこと自体がひとつの収穫です。

筆者、『部落学序説』の執筆の最初から、筆者が所属する教団の部落解放運動とは無関係である・・・、というより、排除・疎外されて久しい・・・、それゆえ、すべて筆者個人の責任でこの『部落学序説』とその関連ブログ群を執筆している・・・、と宣言してきました。

それは、今も、何も変わっていません。

『解放へのはばたき』(№83)に「読書案内」欄にこのようなことばがありました。楠木裕樹著『被差別部落の謎』(岡山部落解放研究所)についてのコメントです。

「大学の研究者ではなく、また経歴を見ても「専門」の日本史学者とはいえない(失礼)著者が、いわば部落解放運動の現場から地味ではあるが大胆で、困難なフィールドワークの積み重ねから本書をあらわしたことに敬意と同時に驚きを禁じ得ない。」

日本基督教団神奈川教区部落差別問題特別小委員会委員長、農村伝道神学校講師の牧師のコメントです。

その牧師の視点・視角・視座・・・、それは、何なのでしょう。「失礼」と認識したうえで、「失礼」な表現をあえてする・・・、「敬意」をしめしたあとで、「驚きを禁じ得ない」とする、著者の方に対する度重なる「失礼」・・・、極めて遺憾に思います。

「今後の課題として・・・「清め役」であった被差別部落がどのようにして「賤視」されて差別されるようになったのかとう問題への、取り組みではないだろうか・・・」と文章を結んでおられますが、その問いかけ・・・、誰に対する問いかけなのでしょうか・・・?

上から、高みから見続ける視点・視角・視座・・・、筆者はいただけないと思います。

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2008年4月16日 (水)

●水平社闘争の分水嶺・・・

最近、国道2号線沿いの宮脇書店で買った一冊の本があります。

この本・・・、筆者にとっては、特別な意味を持っています。

はじめて手にした本ですが、書店でその本をぱらぱらめくっていて、筆者のからだに衝撃が走りました。「特殊部落」は、近代の中央集権国家・天皇制国家が、意図的に作り出した、近代民衆統治の差別的なシステムであることを証明する方法と、そのプロトタイプが掲載されていたからです。

地下水の如く、深く、静かに、進行している、良心的な学者・研究者・教育者による「賤民史観」の見直し・・・。

いつの日か、彼らの手によって、日本の歴史学から、「賤民史観」が払拭される日がやってくるに違いない・・、と一縷の希望を持つことができたからです。

水平社は、被差別部落の歴史の分水嶺・・・。東に流れれば、「特殊部落」返上の反差別の闘いにつながり、反対の西に流れれば、「特殊部落」を受け入れ、利権と事業追究の運動に成り下がる・・・。

水平社創立と宣言は、被差別部落の歴史の分水嶺・・・。

水平社運動は、今日まで、随分誤解と偏見にさらされ、その運動の源流につながる、近世幕藩体制下の司法・警察である非常民としての「穢多」の末裔の、反差別への悲願の闘いが無視されてきました。

筆者が入手した一冊の本・・・。

『部落学序説』第5章・水平社宣言批判執筆継続のための大いなる追い風になります。

今日、NHKの「その時歴史が動いた」で、「人間は尊敬すべきものだ、全国水平社結成・差別のない社会をめざして」という番組が放映されるようですが、水平社が直面した時代の<分水嶺>、どちらの流れにそって構成されているやら・・・。

楽しみです。

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●上馬康生写真集『白山高山帯』・・・

昨日、BOOKOFFで入手したもう1冊の本、上馬康生写真集『白山の四季Ⅲ・白山高山帯』(十月社)・・・

白山信仰の対象の白山・・・。

その白山を見上げるようにして撮った写真集・・・。春夏秋冬の白山の見える風景が撮影されています。

写真集は、白山だけでなく、白山に棲息する高山植物も含まれています。その中で、筆者のこころをひくのは、「雪中青栂桜」の写真です。撮影者の短いコメントが掲載されています。「まだ根雪とならない10月の雪。命あるものの温かみからか、まわりの雪が消えている・・・」。

小さな高山植物・青栂桜にもいのちがある・・・。その命には、体温のあたたかみがある・・・。そして、まわりの冷たい雪を溶かす・・・。

生きとし生けるものの、こころとからだの傷を癒すとされる白山信仰の対象・白山・・・、神秘さと同時に、やさしさとやすらぎを感じるのは、筆者だけでしょうか・・・。

その写真集の中に、白山の高山帯の「お花畑」に咲く、一群のすみれの花が写っていました。この前、羅漢高原へ行ったとき、妻に教えてもらったすみれの花の見つけ方・・・、白山の写真集の中に咲く、すみれの花を探すのにも有効でした。

みずばしょうの花もきれいです。

晩年、妻の実家のある福島県湖南町に帰ったら、かならず、福島県の尾瀬を尋ね、みずばしょうをはじめとする高山植物の写真を撮ってみたいと思います。

*夕食後、写真集を見ていた妻曰く、「この花、カタクリではなく、ショウジョウバカマみたい・・・」。「ショウジョウバカマ、湖南でも咲いているの・・・?」。「実家の庭に咲いているわよ・・・」。そんな話をしている間に、妻、写真集をみながら、「あなた、ここに花の名前が書かれてるわ。やはり、ショウジョウバカマ・・・」。妻が差し出したページ、紫色の花が識別できる大きさで掲載されていました。スミレ、カタクリ、ショウジョウバカマ・・・、同時期に咲くんですね。ショウジョウバカマの棲息地、秋田から山口まで・・・。羅漢高原でもスミレだけでなく、カタクリ・ショウジョウバカマの群生をみることができるようです。来週の妻の仕事休み、スミレ、カタクリ、ショウジョウバカマをみるために、羅漢高原へ、もう一度、小さな花の旅をすることにしましょう。

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●牧英正等編『日本法制史』を読む・・・

昨日、国道2号線沿いのBOOKOFFで入手した、牧英正・藤原明久編『日本法制史』(青林書院)を精読しています。

筆者、精読するときに、5色のマーカーペンを使用します。

メモ引用箇所推定部分確定部分論点の5色です。メモは、制限なし、関心のある箇所にメモがわりに使用します。引用箇所は、著者が史資料を引用した箇所に、推定部分は、著者の推定・推測している部分に引きます。筆者が引用するときに、著者の推定部分確定部分にすりかえないためです。この推定部分、研究の途上にあることをも示しています。確定部分は、著者が研究の成果、確定・断言している部分です。著者の論点・見解を、筆者が窃取しないためです。論点は、筆者が、問題を感じた著者の論点とか、筆者が『部落学序説』とその関連ブログ群を執筆するときに引用することになる箇所を<色別>します(最後は、適当になってしまいますが・・・)。

日本法制史に関する文献は、『部落学序説』の執筆構想をたて、文献を漁っていた段階ですでに、「部落学」の主要補助科目にしていましたので、今回、精読することになった、牧英正・藤原明久編『日本法制史』は、『部落学序説』の執筆継続のための貴重な史資料群になります。

部落史の学者・研究者・教育者の著書・論文と違って、差別思想である「賤民史観」的要素が少ない・・・、というより、逆に、「賤民史観」を克服するための情報も持ち合わせていますので、筆者としては、安心して読むことができます。

法制史学者は、『部落学序説』でいう、「常・民」・「非常・民」の区別を意識されている場合が多く、参考になる可能性大です。しかし、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民思想」に汚染された、部落史の学者・研究者・教育者の論文は、「常・民」・「非常・民」の区別、警察官も警察官に取り締まられる犯罪者・暴力団・風俗業・生活困窮者・日雇労働者等も十把一絡げにして「賤民」(<賤しい>身分、<賤しい>民)とします(筆者は、すべての人を「賤しい民」として<賤民
視>することを否定・・・)。

牧英正・藤原明久編『日本法制史』の執筆者14人の日本法制史の学者・研究者・教育者の中には、この「賤民史観」から自由になっていない方もおられますが、例外的です。

『部落学序説』執筆の基本方針に変更なし、<面舵いっぱい・・・>、というところでしょうか・・・。

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●午前中、資料の整理・・・

午前中、資料の整理をしました。

資料の整理・・・、といっても、手持ちの史資料の整理整頓と、その内容の確認程度のことですが、資料の整理をしながら、こんなにいい史資料ばかり集めたのに、どうしてもっと早く、若い時期に論文化しなかったのだろうと、再度、後悔の思いを持ちました・・・(最近、このような後悔の思いを持つことが多くなりました)。

無学歴・無資格の筆者・・・、それゆえに、常に発言を封じられてきた長い経緯がありますので、『部落学序説』だけは、闇から闇へ葬られたくない・・・、という思いが強くて、より完璧なものにするために多くの時間を費やしました。

部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会の方々は、いきなり<全面戦争>をはじめないで、<ゲリラ戦>から入っていったほうがいい・・・、と徐々に論文化することを進めてくださったのですが、筆者、各論は正しいが総論として過ちを犯す愚を恐れて、最初から、無学歴・無資格であるにもかかわらず、体系化した論述を指向していました。

史資料も、実際に論文で引用する史資料と、読者の方から反論された場合に、その反論に反論するための決めてとなる史資料を分離、温存しながら・・・。

今回、資料の整理をしていて、いままでの『部落学序説』の論述で意図的に使用しなかった史資料を前にして、不安に陥ります。生きている間に、筆者が考える、部落差別完全解消への提言のすべてを語り尽くすことができるであろうか・・・、と。

『部落学序説』の執筆を開始して、この5月14日、約1カ月後で満3年を迎えます。筆者、今年の1月で60歳を迎えたわけですが、60歳と共に、経済的には厳しい冬の時代を迎えそうで、これまで通り、『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆を続けていくことができるかどうか、こころもとないものがあります。

当事者でないものが、どうしてここまで・・・?

ときどき、筆者に投げかけられる質問ですが、筆者、<歴史の真実を知り得て、それを闇から闇へ葬りさるのは、人間としてできません。真実は語り尽くさないと・・・>、答えるのが常です。

『他者の声・実在の声』の著者・野矢茂樹氏のことばにもあるように、「時代の流れの中で・・・沈黙は何も示しはしない。それゆえ私はこう言おう。語りきれぬものは、語り続けねばならない」

神学校に入る前、神さまのお願いしました。「わたしは、同世代より10年遅れて勉学をはじめました。ですから、わたしに、同世代より10年余分に人生をください。一日でも長く生きて、イエスさまのみあしの跡に従ってまいりたいと思います・・・」。

そういう意味では、筆者、60歳から10歳を引いて、50歳のつもりで、基督者として、『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆を続けなければならないのですが・・・。

今朝、社会保険庁から送られてきた「年金振込通知書」を見て、妻がいうには、「あなた、これなんなんです。年金の種類に、<老齢>更生年金とあるではありませんか! あなたが<老齢>だなんて、とても信じられません。あなた、こんなことばに惑わされないで、<老齢>厚生年金などあてにしないで、生きていらした方がいいですわよ・・・」。

妻としては、いつになく、大きな声でした。

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2008年4月 5日 (土)

●七重八重花はさけども・・・

七重八重花はさけども山吹の・・・

有名な歌です。『後拾遺和歌集』に収録されているそうですが、太田道灌とこの歌との関係・・・、知らぬ人がいないほど有名です。

多くは、『常山紀談』を「原典」として、<美化>して解釈されます。そして、一般説・通説・俗説のようなものが流布します。

しかし、その一般説・通説・俗説の枠組みを越えて、新たな解釈をし、そして、それをインターネット上で公開しますと、「独断と偏見に基づいた間違った解釈」・・・、として、多くの識者(学者・研究者というより、教育者から・・・)「非難中傷・罵詈雑言」にさらされます。

そのとき、筆者の友人たち・・・、「裏付けがあっていっているのでしょうね・・・」と、筆者の言動にハラハラされるようです。

もちろん、筆者は、根拠を持たないで、<新説>を唱えることはしません。それを、即、公開するかどうかは別として、「非難中傷・罵詈雑言」にさらされたときは、筆者にそれを向ける方々は、筆者が出会った史資料にまだ遭遇する機会があたえられていないのではないか・・・、と推定するだけです。

今は、いろいろな意味で「飽食の時代」・・・。

無学歴・無資格の筆者の<新説>を受け入れるゆとりはなさそうです。

ところで、太田道灌と「七重八重花はさけども山吹の・・・」の歌をめぐる真実・・・、後代の人によって、<美化>される前の解釈・・・、筆者、中学生のとき、岡山の国語の教師からその話を聞かされました。

昔の中学校教師と、今の中学校教師・・・、教育者としての質に大きな違いがあるようです。

昔のことをなつかしみ、<美化>するのは、歳をとった証拠かもしれませんが・・・。

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2008年4月 2日 (水)

●『部落学序説』の<書庫>を作成・・・

『部落学序説』とその関連ブログ群、教会のホームページ・・・、全部、NIFTYのサービスを使用しています。

しかし、「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者の方々からの<抑圧>で、いつ、NIFTYから退去命令が出ないとも限りませんので、予備のサイトを設置する必要がありそうです。

同じものを作成するのも面白くないので、『部落学序説』とその関連ブログ群、PDFファイルの形で保存することにします。1文書、新書版1冊程度(原稿用紙300枚)、あるいは単行本1冊程度に<分冊>にすることも考えた方がいいかもしれません。

どうしても、「本」の形で、『部落学序説』とその関連ブログ群を読みたいと希望されている読者の方々には個別に対応することができるようになりますので・・・。

ともかく、筆者、ひとつの区切りをつけるために、今、しばらく、「百姓の目から見た渋染・藍染」を論述していきます。他者に対してというより、自分に対して区切りをつけるために・・・。

筆者、一連の文章を執筆していくなかで、ますます、「岡山藩」の「穢多」は、<被差別民>でもなければ、<賤民>でもない・・・、との認識を強くしています。かっての戦争中の「皇国史観」のように、「賤民史観」は、戦前・戦後の、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者によってつくりあげられた「共同幻想」に過ぎないと思っています。

「百姓の目から見た渋染・藍染」、「岡山藩」の「渋染一揆」の原因となった「倹約御触書」の釈義と、「穢多」と「衣類」の関係について言及することで、一区切りとしたいと思っています。

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2008年3月27日 (木)

●差別思想「賤民史観」は近代歴史学の病理・・・

賤民史観・・・。

明治以降において構築された差別思想・「賤民史観」の生成過程について、より詳細に論じるための環境が整ってきました。

はやく、「百姓に目からみた渋染・藍染」の論述を終えて、『部落学序説』第5章・水平社宣言批判に戻りたいと思っています。

誰がどのようにして、「賤民史観」を構築していったのか・・・? 近世幕藩体制下の司法・警察であった「非常民」のひとつ、「穢多・非人」を「賤民」とラベリングして、その末裔を被差別の坩堝の中へおとしこんでいったのか・・・?

筆者、『部落学序説』の視点・視角・視座から、従来、歴史研究の対象外に追いやられてきたテーマに光をあてることができる・・・。もちろん、無学歴・無資格、歴史学の門外漢である筆者の光は、ろうそくが周囲を照らす程度の光でしかありませんが・・・。暗黒の中に放置するより、たとえろうそくの光程度であったとしても、光の下に曝すことが必要ではないかと思います。

差別思想である「賤民史観」は、近代歴史学研究の病理的側面です。現代の歴史学にまで、「持病」として継承され、「被差別部落」の人々を「差別の鉄鎖」につなぎ止めることになる「病理」は、切開して取り除くに限ります。

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2008年3月17日 (月)

●対談・・・

今日、部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会の方が尋ねて来られました。

積もりにつもった話で、午後3時過ぎまで対談しました。机の上に、『部落学序説』の付論・「百姓の目から見た渋染・藍染」の執筆時に使用する各種史資料をひろげながら・・・。

執筆に際して使用した史資料と、その文章の中で使用することのなかった史資料をひもときながら、筆者の、今後の「百姓の目から見た渋染・藍染」の執筆の内容について説明しました。

その間、部落史研究会の方の携帯はなりっぱなし・・・。多忙な最中、筆者を尋ねてくださったようです。

『部落学序説』とその関連ブログ群・・・、執筆は、孤独な闘いをすすめていますので、『部落学序説』とその関連ブログ群について話をするのは、筆者の妻と、教会の役員の方々がほとんどです。

部落史研究会の方と話をしている最中にも、筆者、頭の中にあるデータを整理していましたが、新しい視角が、次から次へと筆者の脳裏を過っていきます。

「岡山藩」の「渋染一揆」の関連史資料にでてくる、「穢多」の雨の日の履物・・・、雪踏・下駄・草履・草鞋・・・、それを履いて長距離を歩くとどうなるのか・・・。実際に、歩いてみればすぐ分かるのですが、歴史学研究というのは不便なもので、自分で実験するだけでは充分でなく、その時代に、実際に、雪踏・下駄・草履・草鞋・・・を履いて歩いた人の体験・経験を記録で確認・提示しなければなりません。

<文献民俗学>・・・

それ自体は、いろいろ可能性を秘めていておもしろいのですが、必要なことがらは、都合よく、どこにでも転がっているわけではありません。

<文献民俗学>の研究方法、部落史研究会の方にその実践例を提示しておめにかけながら、その最中にも、筆者、新たな発見をしました。

雨の日、雪踏・下駄・草履・草鞋のいずれを選択するか、それは、「身分」・「差別」・「経済力」等にはほとんど関係なく、当時の司法・警察官である「非常民」の「非常時」の身の処し方が大きく影響することをお話させていただきました。いわゆる、<公務員の危機管理能力>の問題・・・。

「岡山藩」の「渋染一揆」・・・、筆者が批判の基礎資料としているのは、今となっては、「岡山藩」の「渋染一揆」の古典的な論文である柴田一著『渋染一揆論』ですが、未解決の問題に溢れています。日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」という<色眼鏡>をはずしてみれば・・・。

筆者は、「常民・百姓」の視点・視角・視座から発想しますが、部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会の方々は、「非常民・穢多」の視点・視角・視座から論点を整理して主張されます。

対談・・・。

まだまだ、続きます・・・。

神奈川教区議長をされていた鎌倉教会・内藤協牧師曰く、「人間の精神の偉大さは、自分にとって異質な精神をどれだけ受け入れることができたかどうかによって決まる・・・」

真に<学問>の何たるかを知ったものは、自分にとって異質な精神を受け入れ、その語ることばに耳を傾けることができます。しかし、<似非学>しか学び得なかったものは、自分にとって異質な精神を受け入れず、常に、他の学徒に対して、中傷と非難、排除と疎外をもって接することになります。自らそれに気づくことがないところが、<似非学>の<似非学>たる所以です。

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2008年3月13日 (木)

●時々後悔することがある・・・

『部落学序説』の執筆を開始してからというもの、時々、<後悔>の思いを持つことがあります。

なぜ、もっと若い時に、『部落学序説』の執筆を開始しなかったのか・・・、と。

せめて、50代後半ではなく、40代後半に、『部落学序説』の執筆を開始していれば、どんなに遅れても、もう書きあげてしまっているでしょうから・・・。

『部落学序説』の執筆・・・、筆者は、60歳を超えるあたりから、やはり、精神的身体的にいろいろ限界を感じ始めます。思う通りに史資料の整理と読破ができない・・・、論点に切れがなくなる・・・、『部落学序説』執筆に際して直面する、いろいろな限界が見え始めます。

それで、つい、「もう少し若い時に執筆を開始していれば・・・」と、後悔の思いを抱いてしまいます。

日本の歴史学に内在する、差別思想である「賤民史観」・・・、「被差別部落」の人々は、「差別されてきた賤民である」という、部落史の一般説・通説を否定することは、無学歴・無資格、歴史学の門外漢である筆者のよしとするところではない・・・、と思ってきました。

しろうとが思いつくことなど、歴史学の学者・研究者・教育者には、何の造作もないこと・・・、いつか、類似した視点・視角・視座から書かれた論文が出てくる・・・、と思って待ち続けていたのですが、いつまでたっても、そのような論文は現れず、その結果、待ちくたびれて、自分で論文を執筆することになりました。

現在、『部落学序説』の付論「百姓の目から見た渋染・藍染」を執筆していますが、どんな史資料に、どんな情報が記録されているのか・・・、それを知っていても、無学歴・無資格の筆者が、それをひもとくには、かなり、困難があります。時間的ゆとりも、経済的ゆとりもありませんし、たとえ入手しても、それを読破する能力があるかどうかの確信もありません。

部落史関連の史資料・論文などは、1冊2万円する場合も少なくありません。

学士論文・修士論文・博士論文などを書くのではないのですから、身の丈ほどの史資料・論文があれば十分なのですが、専門資料を読めば直接入手できる<史実>も、一般書に散りばめられた断片的情報を集めて<史実>を再構成していく作業は、多くの時間と労力が求められます。

もっと若ければ、その作業ももっと楽に進めることができたのだが・・・、と<後悔>の思いが込み上げてくるのです。

「岡山藩」の「31色」(商人が百姓に販売することができる商品31品目)の個々の内容を確認するために・・・、どれほどの時間を費やすことになったやら・・・。「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者の方々にとっては、周知の事実であったとしても、「岡山藩」から時間・空間を遠く離れた山口の地に身を置いている筆者にとっては、「31品目」すべてを知ることは容易なことではありません。

手持ちの資料を整理していて、「岡山藩」の「31色」の全貌を知ることができたとき、ある種の満足感と共に、もう少し、若い時に執筆を開始していれば、「31色」を知るために、2週間も足踏みをすることはないのに・・・、と後悔の思いを持ってしまいます。

しかし、『部落学序説』・・・、歴史学の論文ではありません。

「常民」の学としての「民俗学の研究方法」・・・、柳田国男は、「資料を最も身に近いものから採ることを主眼にしている。すなわち何人の耳目にも触れやすく、さして手数を掛けずにその存在が証明し得られるものから、論拠を得ようとしている。今でも毎年少なくとも一度は繰り返され、見よう知ろうと思えば一年だけ待っていればよいもの、ちょうど植物学者花なり実なりで、草や木の性質を説こうとするのと、同じようなところを狙っている。そういう中でも今まではついうっかりと、観察してみようともしなかったような平凡な事実に我々は期待を置いているのである。」(柳田国男著「神幸と神態」)といいます。

『部落学序説、民俗学が常民の学であることの対極として、非常民の学として追究しようとしています。歴史学研究法にこだわらず、民俗学研究法により依拠するといっても、やはり、「なぜ、もっと若い時に、『部落学序説』の執筆を開始しなかったのか・・・」、と後悔の思いをもたざるを得ません。

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2008年3月 8日 (土)

●身の丈ほどの史資料・・・

Han0803081教会役員の方と、『部落学序説』の執筆に際して使用している史資料について話をしました。

主に、『部落学序説』の執筆内容について、<批判>されたときの反論用の史資料について・・・。

筆者も、教会の役員の方々も、近世幕藩体制下においては、「百姓」身分・・・。「武士」身分ではないことに、一切引け目を感じていない・・・。というより、「百姓」であったこと、そして、今も、「百姓」の末裔であることに誇りすら感じています。

「百姓」身分であるということは、「常民」であるということ、武器(刀・槍・弓)を手にして、ひとを殺傷してこなかった・・・、ということを意味します。

かといって、「常民」だけで、その平和を維持してきたとは考えていません。司法・警察である「非常民」の存在があって、はじめて、「常民」の生き方が存在します。

「常民」と「非常民」は、常に共存関係にあります。「常民」は「非常民」に依拠し、「非常民」は「常民」に依拠する・・・。近世幕藩体制は、両者の円滑な関係の構築であったように思われます。

そういう意味では、戦後の、「常民」と「非常民」の関係において、常に不協和音が存在していたことは、日本の歴史上、大きな問題であると思われます。現代の日本の政治家は、「非常民」の中に、「外国の軍隊」(米軍)を加えて、なんらかえりみることがないのですから・・・。

「常民」をまもる「非常民」の使命感と責任・・・、現代の日本の政治家は、まったく無自覚なようです。「外国の軍隊」(米軍)が、自国の「常民」に危害をくわえても、その痛みを何等感じていない・・・。「非常」の権を、「外国の軍隊」(米軍)に委ねて、なんら問題に感じない・・・。

日本の歴史の中で、「非常民」が、延々とその足跡を刻む「非常民」であることの自覚を見失うとき、「日本の軍隊」(自衛隊)も、「非常」の権をおろそかにし、組織の権益のみを追求し、「非常民」としての使命も職務も忘れてしまう・・・。

「常民」である「百姓」の末裔の視点・視角・視座、軽んずるなかれ! 

「常民」である「百姓」は、日本が外国の<軍事属国>・<農場属国>になることに、断固反対する!

(過激になっているのは、花粉症のせい・・・? それとも、「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者達が筆者を非難するように、筆者の妄想のせい・・・?)

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2008年3月 7日 (金)

●昨日、目を通した史料・・・

昨日、目を通した史料・・・。

それは、紀州藩『城下町警察日記』が、近世幕藩体制下のノンキャリアの司法・警察官の記録だとしますと、筆者が昨日、目を通した資料は、同時期の、キャリアの司法・警察官の回顧録です。

しかし、この史料・・・、いままで、部落史研究の中では、ほとんど引用されてきませんでした。同じ、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」であったとしても、「武士」に関する史料と、「穢多」に関する史料とは一緒に扱えない、とでもいうのでしょうか・・・。

部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者は、彼らの歴史研究が依拠する差別思想である「賤民史観」を、歴史資料の選別にまで波及させているのでしょうか・・・。

この史料・・・、誰でも何時でもその気になれば、市町村立図書館で閲覧できますし、古書店でも書棚に並んでいるのをみかけることも少なくありません。しかし、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「穢多」を研究するときには、なくてはならない資料です。

部落史を研究するものは、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者の既存の研究、差別思想である「賤民史観」にのっかったこれまでの論文を無批判的に受容しないで、自分の目で、関連史資料を直接読む必要があります。

従来の部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者が、恣意的に史資料を選択し、恣意的な解釈を施し、「被差別部落」の人々の人権回復を主張しつつ、背後では、差別思想である「賤民史観」を押しつけようとする、社会システム・教育システムの実態が見えてきます。

大切なことは、史資料を自分の目で読むこと・・・。

これにつきます。

それにしても、筆者の手元にある史資料・・・、それだけでも、「穢多」・「新平民」・「特殊部落民」・「未解放部落民」・「被差別部落民」・「同和地区住民」・・・に関する、既存の差別的な情報ではない、部落史の根本的見直しを迫るような多くの情報を含んでいます。

ほんとうに大切なのは、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者の解説に依拠しないで、自分の目で、史資料を読むこと・・・。

部落研究・部落問題研究・部落史研究に際して大切なことは、ほんとうに、このひとことに尽きます。

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●東京大学出身の歴史学者の論文は優れている・・・

東京大学出身の歴史学者の論文は優れている・・・

こういうことばを綴れば、またまた、「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者の方々から批判されるかもしれません。

以前にも書いたことがあるのですが、筆者は、無学歴・無資格、「大学」という名前についた場所で、「大学教授」という肩書を持っている方から「講義」や「指導」を受けたことは一度もありません。

世の中では、一般的に、「東京大学出身の人は頭がいい・・・」と言われていますが、筆者のこれまでの人生の中で、東京大学出身の遭遇したのは極少数ですし、まして、東京大学で歴史学を専攻された歴史学者については一面識もありません。

しかし、牧師になるために、日本基督教団・農村伝道神学校で勉強していたとき、その寮で、時間的ゆとりがあるときは、今井登志喜著『歴史學研究法』、古島敏雄著『地方史研究法』、井之口章次著『民俗学の方法』、柳田国男『日本の祭』をノートをとりながら独学していたとき、はじめて、歴史学に関心を持ちました。

しかし、筆者は、無学歴・無資格・・・、その内容を理解するためには、随分長い歳月を要しました。そして、今日まで、筆者が感じていたことですが、歴史学に関する書籍や論文を読むにつけ、しばしば、<東京大学出身の歴史学者の論文は優れている>ということ・・・。

「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者の方々からは、「東京大学等の国立大学のみを評価して、私立大学の研究を軽んじるのは、それこそコンプレックスの証拠・・・」と非難されることになりますが、無学歴・無資格の筆者、身の程をわきまえていますので、東京大学出身の歴史学者とおのれを比較して、コンプレックスを抱くような傲慢さは持ち合わせてはいません。

ただ、『部落学序説』の執筆を準備していく長い歳月の間に思ってきたことなのですが、無学歴・無資格の筆者が、「これは優れた研究論文だ・・・」と思う論文の多くは、東京大学出身者、あるいは東京大学の現役の教授である場合が多いのです。

その理由をあらためて考えてみますと、「もしかしたら、日本の歴史学研究において、学問的自由を真に謳歌することが許されているのは、東京大学だけなのかもしれない・・・」と思わされるのです。

筆者が<学問的自由>というのは、歴史学的研究の枠組みを批判・検証し、その枠組みを越える、そして、あらたな歴史学研究の枠組みを構築することができる自由のことです。東京大学の歴史学の学徒には、最初から、その自由が認められているのではないか・・・。

東京大学は、無学歴・無資格の筆者にとっては、「象牙の塔」の中のこと故、その真偽のほどは定かではありませんが、「象牙の塔」からもれてくる、一般民衆が読むことを前提にした、彼らの書籍や論文を通して、そう判断せざるを得ないのです。

東京大学以外の歴史学者の研究はといいますと、既存の歴史学的研究の枠組みの中に身を置くことに甘んじて、歴史学的研究の一般説・通説・俗説に身を委ねているのではないかと思わされます。「学者・研究者」と「研究者・教育者」との間に、大きな溝があるようです。

日本の歴史学研究は、東京大学の「学者・研究者」の「学問的自由」と保有する史資料の豊富さによって、その研究的枠組みが構築され、国立・私立を問わず、その他の大学の「研究者・教育者」は、その枠組みの中でのみ、歴史学研究の営みに従事している・・・。

もちろん、東京大学出身の歴史学者にも、新しい枠組みを否定し、既存の枠組みにしがみつくしか能のない「学者・研究者」も少なくないでしょう・・・。また逆に、東京大学出身者でなくても、歴史学研究の新しい枠組みを提唱して、著しい研究成果を残されている方々も少なくないでしょう。

『部落学序説』で引用させていただいている学者・研究者・教育者は、既存の、日本の歴史学研究に、特に、部落史研究において内在することになった差別思想である「賤民史観」という枠組みに批判的か、ないしは、批判的契機をその論文の中に内包しておられる方々ばかりです。

「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者の方々の視点からしますと、無学歴・無資格の筆者のこの発言、「妄言」のひとことで片づけられてしまうでしょうが、あえて、「妄言」を重ねれば、こういうことが言えます。

被差別部落出身の中学生・高校生たちよ。

本当に、日本の社会から部落差別をなくしたいと思うなら、あなただけでなく、あなたの先祖・祖父母・父母・兄弟・子孫に至るまで、被差別民衆を部落差別の鉄鎖から根本的に解放したいと思うなら、東京大学に進学して、歴史学を専攻すべきである。

学問的自由のもと、豊富な史資料に光をあて、近代歴史学の陰に追いやられた史実を明らかにすべきである。同和教育・人権教育の名のもとに、小学校・中学校・高校で身に押しつけられた差別思想「賤民史観」を脱ぎ捨て、歴史の事実に立脚した、真の部落解放をなしとげるがいい。日本の近世・近代の政治史・政治思想史・・・を学ぶがよい。

既存の部落史研究の、差別思想である「賤民史観」という牢獄から抜け出て、ほんとうの水平線を視野にいれながら研究するといい。

支配と被支配の両極から、日本の歴史を見直すことで、真の部落解放に向かって、自他共に大きく前進できる。

差別なき社会を日本にもたらすことができる。

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2008年3月 5日 (水)

●筆者の辞書にない言葉・・・

『部落学序説』の執筆を開始して以来、筆者に<助言>をしてくださる方が少なくありません。

筆者が口癖のように、反語法的に使用している「無学歴・無資格」という表現は、「自己卑下」的表現なのですべきではない・・・、という<助言>です。

そのとき、一部の読者の方々が使用される「自分を卑しめる」という意味の「自己卑下」という言葉ですが、筆者にとっては、この「自己卑下」という言葉、ほとんど理解することができない言葉のひとつです。

ナポレオンではないのですが、「わが辞書に自己卑下という言葉はない」ので、「自己卑下」が、何用語で、どういう意味を持っているのか、正確に理解することができないし、この言葉を自分に向けても、他者に向けても使用することはありません。

筆者が使用している『岩波国語辞典』(第2版)・『広辞苑』(第3版)・『岩波基本六法』・相良守次著『心理学概論』等にも、この「自己卑下」という言葉は出てこないのです。

CDROM版『広辞苑』(第5版)で検索しても、「自己卑下」なる言葉は見当たりません。

筆者は、この言葉は、いままで、自分の言葉として使用したことは一度もありません。筆者の若かりし日、遭遇したことのない、この「自己卑下」という言葉、筆者にとっては、異次元の世界の言葉です。

日本の社会は、いつ、「無学歴・無資格」という自己表現が、「自己卑下」的表現になったのでしょうか・・・? 筆者は、今日的に、学者・研究者・教育者の方々が安易に使用されている、「みずからを卑しめる」・「自己卑下」・・・、というような<発想>を持ったことはありません。

「無学歴・無資格」は事実であって、ただそれだけの話しです。筆者には、「みずからを卑しめる」・「自己卑下」ということばにつながるような心情はありません。筆者の発想では、自分で自分を卑しめる・・・、なんて発想、現実離れした虚言以外の何ものでもありません。

もしかしたら、「自己卑下」という言葉が通用する社会・・・、それは、昔の社会ではなく、極めて現代的な社会・・・? もし、そうなら、学者・研究者・教育者の間で、「みずからを卑しめる」・「自己卑下」という言葉が、誰によって、いつ、どのような形で、使われはじめたのでしょうか・・・?

部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者が好んでこの言葉を使用しているところをみると、もしかしたら、この「自己卑下」という言葉、「同和教育」の中で作り出された言葉なのでしょうか・・・?

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2008年3月 4日 (火)

●かすみ目がやっと治る・・・

今日は、少し風邪気味・・・。

午後、大事をとって横になりました。夕方、目を覚ますと、すっかり元気になり、眼精疲労からくる<かすみ目>もなくなっていました。

『部落学序説』の付論・百姓の目から見た渋染・藍染の執筆に戻ることができそうです。といっても、中断された執筆に戻るには、もう一度、執筆に使用する史資料の確認が必要です。

無学歴・無資格の筆者の頭、<記憶装置>は、ROMではなくRAMなので、執筆前には、記憶内容の更新が必須です。「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者の方々のような優れた研究・執筆能力、文才はもっていませんので、文章を書くとごに、記憶内容をリフレッシュする必要があります。

網野善彦は、『歴史を考えるヒント』(新潮選書)のなかで、このように記しています。

「現在、テレビで話す時に「百姓」という言葉を何も注釈を加えないで使おうとすると、テレビ局にチェックされます。そして、学問的な問題以外で使う場合には規制を受けて使えなくなってしまう・・・」。

そして、このようにいいます。「「平民」も恐らく一種の差別語とされ、今のマスメディアでは使えないでしょう・・・」。網野善彦は、「しかし、それは言葉の本来の意味から考えると、非常に奇妙な話になっている・・・」といいます。

網野善彦は、「身分に関する用語を調査してみると、それらはみなあまり安定した言葉ではないことがわかってきます。その安定していないという点に、日本の社会の問題点を見出せるとさえ言えるほどです・・・」といいます。

「武士」概念も曖昧、「百姓」概念も曖昧、そして「穢多」概念も曖昧・・・、曖昧さを曖昧さのまま放置して、それに乗っかって、近代以降の政治理念に合致するよう、作り出されたのが、日本の歴史学の創設以来、歴史学に<内在>し続けてきた差別思想である「賤民史観」です。

「武士とは何か」、「百姓とは何か」、「穢多とは何か」・・・、それを突き詰めていくことは、曖昧な概念に、明確な定義を与えることを意味します。曖昧さの中に隠されてきた、それぞれの時代の権力者による民衆統治の本質を把握し得る作業となります。

歴史学の学者・研究者・教育者が、特に、部落史研究の学者・研究者・教育者が、さらに特化していえば、「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者達が、その研究と、その研究で使用する諸概念の曖昧さから脱却して、関連史資料をありのまま研究することができるようになるまでには、これからも多くの葛藤があるものと思われます。

差別思想である「賤民史観」から脱却したいと思いつつ、気がつくと、元の木阿弥、「賤民史観」にまとわりつかれたような主張に陥っている・・・。網野善彦ですら、同じ状況に直面させられたことは、想像に難くありません。しかし、網野善彦は、「賤民史観」を払拭する努力を続けながら、中世「賤民」について研究していきました。

その研究成果は、筆者にとっては、かけがえのない資料です。「民衆史観」的研究の<途上>をしめす・・・。

近世幕藩体制下の「百姓」と「穢多」、近代中央集権国家の「平民」と「新平民」、戦前の「一般民」と「特殊部落民」、そして戦後の「非被差別部落民」と「被差別部落民」・・・、中世「賤民」を研究されてきた網野善彦が、研究の対象とされてこなかった、その結果、一般説・通説・俗説を受け入れることになった、部落史研究の領域・・・、もし、網野善彦が生きて研究を続けられていたら、やがてたどりつくことになったであろう、古代・中世・近世・近代・現代に渡る通史的民衆史の世界・・・、無学歴・無資格の筆者は、歴史学の門外漢であるにもかかわらず、その世界を描くことに挑戦しています。

筆者の目、眼精疲労でしばしば<かすみ目>に陥りますが、民俗学者の柳田国男がいう「史心」、宮本常一がいう「史眼」、民衆の視点から歴史を見る<こころ>と<眼>が<かすみ目>になりくもることが無いよう、最善の注意を払いながら、『部落学序説』の執筆を続けて行きたいと思います。

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2008年3月 1日 (土)

●昨日はひさしぶりに熟睡・・・

昨日は、ひさしぶりに熟睡しました。

今朝は、目のかすみは、少し和らいできました。

少しよくなると、すぐパソコンの前に座る筆者ですが、今朝は、『部落学序説』の1文書あたりのアクセス件数を出してみました。

被差別部落の地名とタブー  9033件
ある同和対策事業批判  1330件
部落学序説  786件
紀州藩「城下町警察日記」を読む  151件
田舎牧師の日記(Ⅱ)  62件

筆者が各文章、読者の方々が読みにきてくださるのは、部落差別問題関連記事です。教会・花・野菜・小鳥の話は、極少数の方々のみ・・・。

部落差別問題関連記事で、読者数の多いのは、以下の順です。

部落差別問題の現代>近代>近世>中世>・・・

執筆の主題が、中世よりも近世、近世よりも近代、近代よりも現代を主題にしたものの方が読者数が多いようです。

『部落学序説』とその関連ブログ群は、歴史学的研究ではありません。非常民に関する学としての「部落学」という、新しい枠組みで執筆されていますが、現在のところ、近世から近代へ、近代から現代へ・・・、と主題の時代的範囲を拡張していますが、現在は、その流れと逆行して、近世と近代のはざまに戻って、「百姓の目から見た渋染・藍染」について執筆しています。

アクセス件数をみすみす減少させる営みです。

しかし、これまで、『部落学序説』で紹介してきた視点・視角・視座、方法で、「岡山藩」の「渋染一揆」をとらえたらどうなるのか、その実践事例として言及するのも悪くはないかな・・・、と思って、執筆を続けています。

筆者の手元にある、部落差別問題関連資料は、現代>近代>近世>中世>・・・の順番ですから、ひとつの文章を書くために確認しなければならない資料は飛躍的に増えます。その資料を批判検証するためには、近世のテーマについて言及する以上に、執筆者の視点・視角・視座を明確にしなければなりません。

日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」を徹底的に<破壊>・・・、するためには、膨大な時間と労力が必要なようです。

吉岡幸雄著『日本の色を染める』に記されているように、「日本の色・・・」、それはどの色も美しい・・・。「貴色」・「賤色」という発想は、外来思想である中国の悪しき文化に汚染された古代天皇制の残滓でしかありません。「日本の色・・・」、それはどの色も美しい・・・、のと同様、すべての「ひと」は、美しい・・・。そこに、本質的に「貴人」・「賤民」と呼ばれるような人が存在するはずもありません。

それぞれの時代の支配階級が、自分の都合のいいように制度化したに過ぎません。

現代の「被差別部落」の人々は、その先祖の歴史にまでさかのぼって「賤民」として、部落史の学者・研究者・教育者からラベリングされることを黙って容認してはならない、差別思想である「賤民史観」という、一見、「被差別部落」の人々を「勦るかの如き・・・」教説は、「多くの兄弟を堕落させた・・・」教説であり、差別的な部落史の学者・研究者・教育者によってはきかけられた「クダラナイ嘲笑の唾・・・」に過ぎず、「呪はれの夜の惡夢・・・」に過ぎない。「被差別部落」の人々は、部落史の学者・研究者・教育者によって押しつけられた「賤民」としての「烙印・・・」を投げ返さなければならない。「被差別部落」の人々は、部落史の学者・研究者・教育者の差別的な思想「賤民史観」を受け入れ、「卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ・・・」・・・。そして、「被差別部落」の若い世代が、「人生の熱と光」を持って生きることができるよう、差別思想である「賎民史観」を葬り去り、民衆と共に差別なき新しき社会をつくろう・・・。被差別部落の人々を差別の奈落に落としこめた人々は、民衆ではない。背後にあって民衆を教育し、差別思想である「賎民史観」を注入し続けてきた、学者・研究者・教育者である・・・。彼らは、それぞれの時代の権力の走狗として、「被差別部落」の人々の「誇りうる・・・」近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」として生きてきた歴史と人生の物語を奪い続けてきたのだ。自ら構築すべき歴史を、差別者である、部落史の学者・研究者・教育者にゆだねた結果、「賎民」とラベリングされてきたし、今もされている、そしてこれからもされ続けることになる・・。「被差別部落」の「人間を冒涜」することを許したことは、今日に至るも、「被差別部落」の「多くの兄弟を堕落・・・」させている。「被差別部落」の若い学徒たちが、「人間を尊敬する・・・」ことの真の意味を認識し、差別思想である「賎民史観」を投げ返し、「自らを解放せんとする者の集団運動を起こせるは、寧ろ必然である・・・」。近代以降の歴史学者・研究者・教育者が構築してきた、差別思想である「賎民史観」を破棄し、自らの歴史と物語を取り戻すとき、決して、差別されることのない「祝福された時が来る・・・」。差別なき社会の夜明けは近い。押し付けられた「荊冠・・・」をかなぐり捨て、勇気をもって、真の部落解放運動のために立ち上がるべきだ。大学の教室で、図書館で、研究室で、差別思想である「賎民史観」を打破すべく勉学を続けよ。毎日毎日、真の部落解放の姿を考えよ。これまでの部落解放運動は、真の部落解放運動の<前座>に過ぎない。戦いはこれからだ。差別思想「賎民史観」の打破と、それを永久に葬り去る課題は、大学で、その図書館や研究室で学ぶ、「被差別部落」出身の学生の肩にかかっている。「人の世に熱・・・」「人間に光・・・」、「被差別部落」の本当の歴史をその手に掴むために、差別思想である「賎民史観」の担い手である学者・研究者・教育者の言説を批判検証し、議論・討論し、「賎民史観」を放棄せしめ、「人間に貴賎はなし・・・」との理念のもと、真の部落解放運動に共同参画せしめよ。真の部落解放運動の前座でしかない、同和対策事業の様々な問題に臆するな。同和対策事業の最初から<罠>は想定されていた。大切なのは、真の部落解放運動の担い手足るべく自らを飛躍させることだ。無学歴・無資格、「被差別部落」出身ではない、ただの「百姓」の末裔に過ぎない、部落解放運動の門外漢に過ぎない筆者の言葉を読む、<あなた>、<あなた>にはそれができる!

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2008年2月26日 (火)

●「才能とは、努力を継続できる力である」・・・

いつも、夜9時のNHKのニュースをみます。

そのニュースが終わってテレビのスイッチを切ろうとしたとき、筆者の目に、ひとつの言葉が飛び込んできました。

「才能とは、努力を継続できる力である」。

ニュースに続く番組は、「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、「羽生善治・天才棋士が見たどん底・直感を磨く」でした。

筆者は、昔から将棋には関心がなかったのですが、この番組、最後までみることになりました。

番組45分間に、35歳の羽生善治氏の珠玉の言葉がちりばめられています。そのひとつひとつの言葉をメモしながら、番組が終了したあと、集めた、羽生善治の言葉を用いて、羽生善治の生き方のパッチワークをはじめました。

羽生善治は、10代のときの自分と比べて、歳をとることは、いいこと、悪いことを積み重ねた結果、こころの中に葛藤が生じることである、といいます。その葛藤は、将棋をさす羽生善治の指の震えとなって現れます。

羽生善治がたどり着いたのは、「勝つためにだけ将棋をさしているのではない。生涯をかけて自分の道を見つけ出すためにさす・・・」ということでした。

羽生善治が見つけたのは、勝つことも負けることも楽しむことができる将棋士になることだったようです。若い時には見えなかった、60歳を過ぎてなお、将棋士としての自分の道を模索している先輩棋士の姿に出会ったことだといいます。

「才能とは、努力を継続できる力である」。

羽生善