●疎開児童も・・・
茨木のり子の詩「疎開児童」です。
疎開児童も お爺さんになりました
疎開児童も お婆さんになりました
信じられない時の迅さ
飢えて 痩せて 健気だった子らが
乱世を生き抜くのに せいいっぱいで
生んだ子らに躾をかけるのを忘れたか
野放図に放埒に育った二代目は
躾糸の意味さえ解さずにやすやすと三代目を生み かくて
女の孫は 清純の美をかなぐり捨て 踏み抜き
男の孫は 背をまるめゴリラのように歩いている
佳きものへの復元力がないならば
それは精神文化とも呼べず
もし 在るのなら
今どのあたりで寝ぼうけているのだろう
東北福島の妻の実家のおとうさんは、地元の出身・・・。おかあさんは、東京の出身・・・。戦争中、おかあさんの疎開先、東北福島の湖南町でおとうさんとおかあさんは出会い結婚、それ以来、おかあさんは、見よう見まねで苦労しながら農業をされてきたとか・・・。
この春妻の実家に戻ったとき、同じ町の農家のおばさん・おばあさんたちが、そんな話をしてくれました。
疎開児童ではなかったけれど、疎開の経験者・・・。母から娘へ、娘から孫へ、努力して、苦労して、人の道を踏み外すことなく堅実に生きていく生き方・・・、受け継がれていっているようです。「精神文化」という名の「佳きものへの復元力」・・・、母・娘・孫へと確実に受け継がれています。
最近、筆者の下着、真っ白ではなく土汚れの色が染みついています。
毎日毎日、教会の瓦礫とバラスだらけの庭を開墾して作ったミニ菜園やお花畑で<農作業>をしているためでしょう。こどもの頃、<農作業>をしているおじさんの下着が土で汚れているのを見て、漠然と、「あのおじさん、家が貧しくて下着を買ってもらえないのかなあ・・・」と思っていました。しかし、そのことを他の人に尋ねることにためらいがあって、この年になるまでなぞのままでした。
しかし、1週間に何回かは、妻にかわって洗濯をするようになって、筆者の下着、特に、ランニングシャツは土の色で染まりはじめました。<農作業>をする人にとって、下着の汚れは、その勲章かもしれません。
昔は、ふるくなったり破れたりすると捨てていた衣類・・・、今は、シャツもズボンも農作業用に使用します。あるものは、徹底的に使いこなしてしまう・・・。
教会の役員さん、「牧師さんの服装を見たら、ほんとうの百姓になったみたいですね・・・」とうれしそうに話されていました。
それにしても、「精神文化」という名の「佳きものへの復元力」を失ってしまった人々が多すぎはしないでしょうか・・・。「佳きものへの復元力」を失ってしまうこと、現代人は、それを「切れる」と表現して正当化します。正当化にならない正当化・・・。
「切れる」ことは、何にもまして、自分自身への敗北を意味します。
茨木のり子は、「時代おくれ」という詩の中でこのように語ります。
何が起ころうと生き残れるのはあなたたち
まっとうとも思わずに
もっとうに生きているひとびとよ
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