●対談・・・
今日、部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会の方が尋ねて来られました。
積もりにつもった話で、午後3時過ぎまで対談しました。机の上に、『部落学序説』の付論・「百姓の目から見た渋染・藍染」の執筆時に使用する各種史資料をひろげながら・・・。
執筆に際して使用した史資料と、その文章の中で使用することのなかった史資料をひもときながら、筆者の、今後の「百姓の目から見た渋染・藍染」の執筆の内容について説明しました。
その間、部落史研究会の方の携帯はなりっぱなし・・・。多忙な最中、筆者を尋ねてくださったようです。
『部落学序説』とその関連ブログ群・・・、執筆は、孤独な闘いをすすめていますので、『部落学序説』とその関連ブログ群について話をするのは、筆者の妻と、教会の役員の方々がほとんどです。
部落史研究会の方と話をしている最中にも、筆者、頭の中にあるデータを整理していましたが、新しい視角が、次から次へと筆者の脳裏を過っていきます。
「岡山藩」の「渋染一揆」の関連史資料にでてくる、「穢多」の雨の日の履物・・・、雪踏・下駄・草履・草鞋・・・、それを履いて長距離を歩くとどうなるのか・・・。実際に、歩いてみればすぐ分かるのですが、歴史学研究というのは不便なもので、自分で実験するだけでは充分でなく、その時代に、実際に、雪踏・下駄・草履・草鞋・・・を履いて歩いた人の体験・経験を記録で確認・提示しなければなりません。
<文献民俗学>・・・
それ自体は、いろいろ可能性を秘めていておもしろいのですが、必要なことがらは、都合よく、どこにでも転がっているわけではありません。
<文献民俗学>の研究方法、部落史研究会の方にその実践例を提示しておめにかけながら、その最中にも、筆者、新たな発見をしました。
雨の日、雪踏・下駄・草履・草鞋のいずれを選択するか、それは、「身分」・「差別」・「経済力」等にはほとんど関係なく、当時の司法・警察官である「非常民」の「非常時」の身の処し方が大きく影響することをお話させていただきました。いわゆる、<公務員の危機管理能力>の問題・・・。
「岡山藩」の「渋染一揆」・・・、筆者が批判の基礎資料としているのは、今となっては、「岡山藩」の「渋染一揆」の古典的な論文である柴田一著『渋染一揆論』ですが、未解決の問題に溢れています。日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」という<色眼鏡>をはずしてみれば・・・。
筆者は、「常民・百姓」の視点・視角・視座から発想しますが、部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会の方々は、「非常民・穢多」の視点・視角・視座から論点を整理して主張されます。
対談・・・。
まだまだ、続きます・・・。
神奈川教区議長をされていた鎌倉教会・内藤協牧師曰く、「人間の精神の偉大さは、自分にとって異質な精神をどれだけ受け入れることができたかどうかによって決まる・・・」。
真に<学問>の何たるかを知ったものは、自分にとって異質な精神を受け入れ、その語ることばに耳を傾けることができます。しかし、<似非学>しか学び得なかったものは、自分にとって異質な精神を受け入れず、常に、他の学徒に対して、中傷と非難、排除と疎外をもって接することになります。自らそれに気づくことがないところが、<似非学>の<似非学>たる所以です。
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