2008年5月10日 (土)

●ガンに関する本・・・

宮脇書店からの帰り、やはり同じ国道2号線沿いにあるBOOKOFFに立ち寄りました。

入手したのは、近藤誠著『がん専門医よ、真実を語れ』(文藝春秋)1冊のみ・・・。

それにしても、BOOKOFFの書棚、ガンに関する書籍の多いこと・・・。これらの本は、ガンを患った方々が、ガンと戦うために手にした本なのでしょうか・・・。

筆者が牧師をしている教会の信者の中にも、ガンを疑われたり、宣告されたりして、ガンと戦っておられる方は少なくありませんが、筆者、牧師になってすぐ、右手関節炎をわずらい手術を受けましたが、そのとき輸血に問題のフィブリノーゲンを投与された可能性が高く精密検査を受けましたが、肝硬変・肝臓ガンなどの異常はみあたりませんでした。

筆者の妻曰く、「あなたは、本質的に健康なのよ・・・」。

酒は飲まない、タバコは吸わない、賭け事はしない、女遊びはしない、肉食はほとんどしない、また、いいのか悪いのかわかりませんが、熱い温泉には入らない、過度な運動はしない・・・、それらは筆者とは無縁です。<無縁>になった理由は、田舎牧師は、例外なく、経済的に大変だから・・・。

その結果が、<本質的に健康>な状態を生みだしているとしたら、<清貧>もまんざら悪くはありません。

それにしても、専門書の高いこと・・・。神学書を買わなくなってひさしくなりますが、情報処理関連の書籍も一切買わなくなる、買うことができなくなるのも時間の問題のようです。『部落学序説』の執筆に必要な史資料も、現在手持ちの史資料で十分執筆可能なので、今年は、収入が少なくなった分、節約に節約を重ねることになります。

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2008年3月 5日 (水)

●あるフィンランド人の人生論・・・

午後、BOOKOFFで、本を6冊購入しました。

『他人をほめる人、けなす人』・『戦う勇気・退く勇気』・『この人はなぜ自分の話ばかりするのか』・『それがぼくには楽しかったから』・『男の嫉妬 武士道の論理と心理』・『江戸の職人 その「技」と「粋」な暮らし』の6冊・・・。

今日、BOOKOFFに立ち寄ったのは、「自己卑下」とは何なのか、それを調べるため・・・。しかし、BOOKOFFの105円の本を見ていて、目移りし、「自己卑下」についての関心はどこかへ吹き飛んでしまって、上記の本を購入することになりました。

山本博文著『男の嫉妬 武士道の論理と心理』(ちくま新書)・・・、近世幕藩体制下の司法・警察であった非常民としての「穢多非人」を差別し貶めたのは、「百姓」の末裔ではなく「武士」の末裔であることを確認するため・・・。

鈴木章生著『江戸の職人 その「技」と「粋」な暮らし』(青春出版社)は、近世幕藩体制下の「百姓・町人」と「衣類・染織」の関係を確認するため・・・。

リーナス著『それがぼくには楽しかったから』(小学館プロダクション)は、「ぼくは醜い子供であった・・・」という言葉ではじまる、一フィンランド人の人生論・・・。

「誰も、ぼくが人生の意味について話すなんて期待していなかった。少なくとも、ぼく自身はそうだった・・・みんなぼくのことを最低のばかとよぶかもしれないが、(多分、そう呼んでるよな)・・・」。

筆者にとっては異次元の世界に住む、このフィンランド人、一体、誰なのだ・・・?

最後に手にとった105円本・・・。何となく得体の知れない不気味さを感じてしまいます(いつの時代も、年寄りは若い人々に対してそんな感じを抱いてきました。筆者も歳をとった証拠でしょうか・・・)。

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2008年2月28日 (木)

●夕方妻と一緒に書店へ・・・

夕方、妻と一緒に、下松の鳳鳴館という書店へ行きました。

書店の書棚を見回して、すぐ、筆者の目、眼精疲労でかすんで見えることに気づきました。また、しばらく、本を読むことも、ブログに文章を書くことも休む必要がありそうです。

買った新書は、2冊・・・。

吉岡幸雄著『日本の色を染める』(岩波新書)と三浦展著『団塊格差』(文春新書)。

『日本の色を染める』には、木綿・渋染・藍染に関する文章が含まれています。徳川家康も上杉謙信も、「渋染」の衣類を愛用していたとか・・・。『部落学序説』の付論で論じてきたこと・・・、それを、補強してくれる本のようです。

吉岡幸雄氏は、早稲田大学文学部卒の染色家だそうです。

『団塊格差』・・・、筆者の収入は、団塊世代の最下層(下から10%)に位置づけられるようです。といっても、今年度は、教区の援助があったため、すれすれのところで、ひとつ上のランク(下から22%)に入っていますが、来年、制度がまた変更になりますので、また、最下層(下から10%)に転落です。

とりあえず、目を休ませることにしましょう。

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2008年2月25日 (月)

●飯田泰之著『ダメな議論』・・・

午後、国道2号線沿いのBOOKOFFに立ち寄りました。

入手したのが、今森光彦著『里山を歩こう』(岩波ジュニア新書)・毎日新聞科学環境部著『生きものたちのシグナル』(岩波ジュニア新書)・山崎伸治著『「団塊の世代」は月14万円使える!?』(青春出版社)、そして、飯田泰之著『ダメな議論』(ちくま新書)の4冊。

『ダメな議論』の著者・飯田泰之氏は、執筆した論文に対する批判的なコメントに丁寧に応対していく中で、「「意味のある批判」と「意味のない批判」の質的な差があるという点に気づいた・・・」といいます。

「得るところのない」コメントはダメなコメント・・・、「得るところのない」批判はダメな批判・・・、「得るところのない」議論はダメな議論・・・。

飯田泰之著『ダメな議論』・・・、ダメなコメント・批判・議論を診断する方法を紹介してくださるようです。おもしろそうです。

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2008年1月17日 (木)

●川元祥一著『部落問題とは何か』他・・・

今年は、新刊・古書含めて本を入手することはやめよう、そう決心したのに・・・。

今日の午後、でかけたついでに、BOOKOFFに立ち寄りました。そして、105円コーナーでみつけたのが、川元祥一著『部落問題とは何か』(三一書房)。年末年始にかけて、450円から105円に値下げされたようです。450円では買わなくても105円では、「買わじゃなるまい、ええ、また~」ということで購入することにしました。

その本の裏表紙に川元祥一氏の写真が・・・。はじめて、川元祥一氏のご尊顔を拝することになりました。

ついでに購入したのが、同じく、1150円から105円に値下げされた、東京大学公開講座『道』(東京大学出版会)、こちらも前々から読みたいと思っていたのですが、1150円という価格に二の足を踏んでいました。そして、350円から105円に値下げされた日本の論点編集部編『10年後の日本』(文春新書)。こちらは2005年11月発行ですから、10年後というのは2015年のこと・・・。団塊の世代の老後について、なにやら不吉なことが書かれているようです。

つまり、1950円の本が315円に値下げされていたということです。「買わじゃなるまい、ええ、また~」とこころの中で歌いながら、105円の本をさらに二冊追加・・・。石川徹夜著『日本の山を殺すな!』(宝島社新書)とアハメド・ラシッド著『タリバン』(講談社)。

『日本の山を殺すな!』は、衝撃的なシーンではじまっていました。山の環境破壊、それは、水の汚染からはじまるそうです。その汚染物質というのは、登山者が山の頂きでする「し尿」・・・。昔きれいだった谷川の水・・・、今は、し尿で汚染された水・・・。

信州大学の教授たちがした調査では、北アルプスの水場の五割が「飲用不適」とか・・・。

天に向かってつばをはけば自分の顔にかかる、の諺ではないのですが、登山者が山の頂きで用をたせば、谷川でそれに汚染された水を飲むことになる・・・、恐るべきことが書かれていたので読書することにしました。

『タリバン』は、巻末に、付録として、「就業規則」や「取締規則」が記されていたので・・・。宗教警察は、各種「規則」(法度)に基づいて民衆の風紀をとりしまるので、宗教警察に従事している警察官も、民衆が守ることを強制される「規則」に服従させられます。日本の歴史家は、このことをもって、宗教警察タリバンは、民衆よりもより差別されていた賤民であると判断する傾向があるようですが・・・。

『日本の山を殺すな!』と『タリバン』・・・、最初から、いきなり、105円の価格がつけられていました。

日本の「穢多・非人」・・・、筆者は、「アウトカースト」ではなく「アウトカースト」を取り締まる宗教警察の方により近い・・・、と思うのですが、明治以降の近代中央集権国家建設のときに、どのようにして、間違って認識されるようになったのやら・・・。

とりあえずは、川元祥一著『部落問題とは何か』を読むことにしましょう。

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2008年1月 5日 (土)

●今年最後のBOOKOFF・・・

今年はじめて、国道2号線沿いのBOOKOFFに立ち寄りました。

購入したのは、橋爪大三郎著『社会学講義』(夏目書房)・盛岡一夫著『知的財産法概説』(法学書院)・杉本泰治著『技術者の倫理・入門』(丸善)・岸田明著『経営課題としての情報セキュリティ入門』・日本経済新聞社編『働くということ』(日本経済新聞社)・保田圭司著『外国人投資家』(日本経済新聞社)・月刊現代2007年10月号『徹底調査・全国805市区「団塊が住みやすい街」ランキング』(講談社)の7冊で、計735円。

BOOKOFFを出たあと、筆者は、こうこころに決めました。

「BOOKOFFで105円の本を入手するのも、今年は、今回で、最初で最後・・・。今年は、徹底的にお金を使わないようにしよう・・・」、と。

「吝嗇」を徹底することにしましょう。

「吝嗇」という言葉、旧約聖書・新約聖書(口語訳)には、一度も出てこない言葉ですが・・・。田舎牧師の視点・視角・視座からしますと、なぜ、「吝嗇」という言葉が聖書の世界にはないのか・・・。それは、「吝嗇」が、空気の如く、生きることの前提をなしているからではないかと思います。

日本の聖書は、知識階級・中産階級に属する旧武士階級によって翻訳されていきますが、彼らにとって、「吝嗇」という言葉は、否定すべき、幕藩体制下の陳腐な言葉になってしまっていたのかも知れません。

橋爪大三郎著『社会学講義』(夏目書房)・・・。つい最近まで、BOOKOFFで、950円の値札がついていました。橋爪社会学は、<歴史学的社会学>の要素が強いのですが、筆者にとっては、そこが魅力です。今日は、950円の値札の上に105円の値札が貼られていました。

『部落学序説』執筆の際に、有用な社会学のひとつです。

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2008年1月 3日 (木)

●機智は戯れ、詩想は翼を持つ・・・

今年はじめて、『アミエルの日記』を開きました。

筆者は今年60歳になります。開いた『アミエルの日記』は、アミエル60歳のときの日記です。

筆者は、高校生のとき『アミエルの日記』を読んだときから、愛読書のひとつに数えています。そして、『アミエルの日記』を筆者の人生のお手本にするかのように、それぞれの歳に対応した日記に目を通してきました。

今朝開いたのは、アミエル60歳の1880年1月3日の日記・・・

アミエルは、スイスの哲学者で大学の教授ですが、今日の日記には、「アミエルの元学生」であり、「弟子」であるリテルとの人間関係が描写されています。

このアミエルとリテルは、元教授と元学生という関係の中で、人間関係が氷河期を迎えているようです。

アミエルは、リテルを「過度に繊細な感受性」の持ち主であるといいます。「女のやうに多感」で、「自分の印象に拘泥」し、「文通においては少しやかまし屋である・・・」といいます。

現在なら、インターネット上でのやりとりということになるのでしょうが、時は、明治13年頃の話・・・。元教授と元学生の間のやりとりは、その時代の先端のコミュニケーション手段の「郵便」を使用してなされています。

リテルは、アミエルに対して、「心理的」な正しさのみを主張してきます。しかも、リテルは、アミエルが「削除した」『小言の手紙』その他『陰気な』詩にかぢりついて・・・」きます。この元学生は、アミエルを「心配」させます。「一つ一つの文章なり言葉なりに警戒が必要だとすれば、寛ぐことがむづかしくなる・・・」とさえ言わしめます。

アミエルは、その元学生リテルとの関係修復について、万策尽きた感じがしますが、アミエルは、その最後の可能性をこのように記しています。「心理的」な正しさの主張ではなく、「事物の持つべき意味を」ありのまま「捉える」こと・・・。

アミエルは、それを「機智」と呼んでいます。

アミエルは、「機智」を定義して、このように綴ります。「機智は速やかに輕くしかも正しく推察し評價する正確性なのである」。

無学歴・無資格の筆者には、元教授・アミエルと元学生・リテルの間に起こっていることは、まったく無縁のことがらですが、元教授・元学生の関係に限らず、一人の人間として、「機智」に自らを依拠させることはとても大切なことであると思われます。

「推察」「評價」・・・、『部落学序説』の筆者が使用している言葉でいいかえれば、「批判」と「検証」ということでしょうか・・・。その基本的な精神は、「速やかに輕くしかも正しく・・・」行うことであり、「正確性」を確保すること・・・。

「心理的」な正しさの主張ではなく、テキストの「持つべき意味」を正確にとらえた「詩的」な主張を続けること・・・。

アミエルは、1月3日の日記をこのような言葉で結びます。

「機智は戯れ、詩想は翼を持つ。ソクラテスは冗談を心得てゐた」。

「機智は戯れ、詩想は翼を持つ」。

筆者は、この言葉を、60歳の年の座右の銘にすることに決めました。

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2007年12月28日 (金)

●疲れがたまって熟睡、悪夢を見た・・・

昨日は、夕食をとり、お風呂に入ったあと、急に疲労感に包まれ、何もしないで寝ることにしました。

しかし、午後8時に寝る習慣はないので、疲れているのに眠れません。

そこで、子守歌代わりに本箱の奥から取り出した一掴みの本・・・。エンゲルス著『資本論綱要』・同『農業論集』・同『ドイツ農民戦争』・同『フォイエルバッハ論』・カント著『啓蒙とは何か』・岸本重陳著『「中流」の幻想』・小田実著『われ=われの哲学』・家永三郎著『革命思想の先駆者』・金子ハルオ著『資本論の学習』・大牟羅良著『荒廃する農村と医療』・今井幸彦編著『日本の過疎地帯』

その中から、エンゲルスの『資本論綱要』、大牟羅良著『荒廃する農村と医療』を選んで、ふとんの中で通読しました。1時間ほど目を通して眠ってしまったのですが、朝、起きてみると、デジタルの時計が7時を表示しているのに、部屋の中は真っ暗・・・。いつもは朝日がやわらかくさしこむのに、なぜか今朝は真っ暗・・・。

「もしかしたら、死んでしまったのかもしれない。最近、疲れがたまって、心臓は動悸し、頭は痛かったし・・・。死んでも、こんなに冷静におられるのかなあ・・・」と考えながら、またひと眠りしました。

次に目が覚めたときは、7時半・・・。やはり、真っ暗・・・。

どうやら、自分が死んでいるのではなく、外が真っ暗であることに気づいて、起きることにしました。

枕元に、エンゲルスの『資本論綱要』をはじめとする文庫本や新書版が散乱していました。きっと、死んだ<夢>を見たのは、エンゲルスの本を読んだからに違いありません。

しかし、読みながら思ったのですが、エンゲルスの『資本論綱要』、その古びた活字が、一字一字目に飛び込んできます。そして、エンゲルスの言葉が、ビックリするほどよく分かるのです。昔、苦労して読んでもなかなか理解することができなかったのに、今、すーっと頭の中に入ってきます。

大牟羅良著『荒廃する農村と医療』の言葉もショックでした。今、格差社会の中で、<荒廃する農村と医療>の問題が取り上げられていますが、この岩波新書1971年発行です。35年前の日本の状況が記されています。

「米づくりに精を出すこと自体、非国民視されている・・・」。

「当時、”非国民”という言葉ほど、人を傷つけるものはなかった・・・、その言葉を浴びせられながらも・・・」

「国保は・・・いろいろの矛盾を持っている・・・、いままでの通説とは逆に、貧しい人たちが富裕層を助けているという結果になっている・・・」。

「国保は、戦争を遂行していく上での人的資源を確保するという意味が大きかった・・・」。

厚生年金や国民年金、健康保険や国民保険・・・、その背後にある歴史と本質についての言葉をたどりながらも、眠りについたのは、相当、疲れていたのかも知れません。「年金確保のための戦争遂行か、それとも年金なき平和か・・・」、悪魔のささやきが耳元で聞こえたような昨日の夜でした。朝の目覚めが悪かったのは、エンゲルスのせいではなく、日本の悲惨な現実・・・、だったのかも知れません。

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2007年11月24日 (土)

●岩波現代文庫・10月の新刊・・・

今日の夕食・・・。

妻が湯豆腐が食べたいといいます。そこで、午後、豆腐屋さんへ・・・。

その前に、国道2号線沿いの宮脇書店に立ち寄りました。『部落学序説』執筆の参考資料として、別冊宝島『「靖国」に祀られざる人々 「逆徒」と「棄民」の日本近代史』を入手するためです。

必要な資料は、その一部なので、立ち読みして覚えて帰ればいいのですが、最近、歳をとったためでしょうか、記憶力が低下して、そういうことができなくなりました。それで、しかたなく・・・。

ついでに、岩波文庫のコーナーに立ち寄りましたが、「10月の新刊」を前に、強い<衝動を>覚えました。「10月の新刊」全部を読んでみたい!

上田閑照著『哲学コレクションⅠ 宗教』・中島義道著『カントの自我論』・ロバート・ダートン著『猫の大虐殺』・安丸良夫著『近代天皇像の形成』の4冊・・・。

しかし、この秋、臨時出費がかさんで、1冊1200円の文庫本を4冊同時に購入することはできません。「どれか1冊・・・」と思って、選びに選んで購入を決めたのが、ロバート・ダートン著『猫の大虐殺』。その帯に、<フランス>「革命前夜の民衆の心性に迫る社会史研究の先駆的傑作」と記されています。収録されている4つの文章の中でも、一番最初の《農民は民話をとおして告げ口する マザー・グースの意味》にひかれて・・・。

これで、岩波文庫4冊分を読む楽しみが増えました。

日本は、古い文化や伝統を大切にする国に見えて、実は、民衆の伝承をおろそかにする国・・・。

<旧長州藩領>での仕事を終えて、妻の実家のある<旧会津藩領>に戻ったら、<晴耕雪読>、日本の民衆の伝承(昔話を含む)の社会史的研究をしてみたい・・・。


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●妻と一緒に大笑い・・・

岩波ジュニア新書『山里の四季をうたう』に収録されているこどもたちの詩を朗読していて、筆者と妻が、大笑いした詩があります。

やぎ
       三井竹平
方々のいえでは、
やぎをかっているが、
ぼくのうちでは
かわない。
ぼくはかいたいが、
うちの人はかわせない。
どうかして
かいたいと思うが
かえない。

目で文字だけを追いかけていると、さっと通り過ぎてしまう詩ですが、朗読すると、三井竹平くんのこころと気持ちがストレートに伝わってきます。

「いいな、こんな男の子・・・。きっと、あたまがいい子だよ・・・」。

笑いながら、そうつぶやく筆者に、妻も笑いながら相槌をうちます。

「かわない」・「かわせない」・「かえない」、たたみかけるような表現の多様さは、三井竹平くんのこころの葛藤を表現してあまりある・・・。

そこで、『山里の四季をうたう』の詩の中から、三井竹平くんの詩を追いかけていくことに・・・。

やはり、頭がいいこに間違いない・・・。

ぼくのうえた木
       三井竹平
ぼくのうえた木、
いよいよ
ねづいてくるよ。
ぼくのうえた木は
三本だ。
早く長くなれよ。
木々よ、長くなれ。

読みながら、なぜ三本ののか・・・、想像してみます。三井竹平くんは、自分のための記念樹だけでなく、ちいさな弟と妹のためにも同時に植えたのではないか・・・。自分と同じように、おとうとやいもうとにも、信州の厳しい風雪に耐えて成長してほしい・・・、という思いがこめられているのかもしれない・・・。

『山里の四季をうたう』に出てくる、ひとりひとりの子供の<生きざま>を追いかけてみたくなりました・・・。

妻と二人で朗読しながら・・・。

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2007年11月21日 (水)

●『反骨のコツ』通読を終える・・・

1冊の新書版・・・。

團藤重光・伊東乾著『反骨のコツ』。

1冊の新書をこんなに時間をかけて読んだのはひさしぶりです。

團藤重光氏の「反骨精神」・・・、その背景にあるのは、陽明学のようです。『反骨のコツ』にも出てくるのですが、團藤重光氏の陽明学は、言わずと知れた岡山藩の漢学者・熊沢蕃山の陽明学です。

岡山県で小中高を過ごした人なら、知らぬ人はいない・・・、著名な人物です。

筆者の手元にある熊沢蕃山の『集義和書』・『集義和書(補)』・『大学或問』の3冊。論文は、後藤陽一著《熊沢蕃山の生涯と思想の形成》・友枝龍太郎著《熊沢蕃山と中国思想》の2つ。・・・、これらは、岩波日本思想大系『熊沢蕃山』に収録されていますので、その気になれば誰でも読むことができます。

團藤重光は、郷土の学者・熊沢蕃山の影響を強く受けたのでしょう。

團藤重光氏と伊東乾氏との対談で明らかになってくる「反骨精神」・・・、その淵源は、「陽明学」「西欧古代や近代の批判的合理主義」・・・。明治維新を担った吉田松陰・西郷隆盛・大久保利通など、みな陽明学派のようです。

熊沢蕃山の言葉に、「今の学者は、物知りたるばかりにて・・・数代の習の汚れをも不洗(すすがず)、利害をだにも免れざるあり。意気甚だ高くして、世俗を見下すといへども、実は平人にも劣れることあり。毀誉利害、根深ければ、格すべきことあれども至情を告げがたし。」とあります。

團藤重光氏、その『反骨のコツ』の最後で曰く、「正義の実践には反骨をも辞さない。正義の骨法、これが陽明学の要諦です。それは腹の底から出て来なきゃならない」。

「人間、青春の感動から、すべてに繋がっていく・・・」。

團藤重光氏は現在94歳・・・。

90歳を目標にしながら、60歳にならんとする筆者の人生設計を見直すのもいいかもしれない・・・、と独り<迷想>にふけっています。

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2007年11月16日 (金)

●BOOKOFFに立ち寄る・・・

国道2号線沿いのBOOKOFFに立ち寄りました。

購入したのは、社会保障研究所編『アメリカの社会保障』(東京大学出版会)・山川和明他著『体験ルポ・日本の高齢者福祉』(岩波新書)・沼田真著『自然保護という思想』(岩波新書)・最上敏樹著『人道的介入』(岩波新書)・和田秀樹著『<疑う力>の習慣術』(PHO新書)・日垣隆著『売文生活』(ちくま新書)の6冊。

『アメリカの社会保障』は、第1部第1章・社会保障の歴史に興味があったため・・・。古書には違いないのですが、新刊同然で105円。定価は4532円。

BOOKOFFは、新書版が複数入荷した場合、そのうちの一部を105円コーナーに並べているようです。『体験ルポ・日本の高齢者福祉』は、105円コーナーに1冊、400円コーナーに2冊、ありました。違いは、105円コーナーの『体験ルポ・日本の高齢者福祉』が初版本であること・・・。当然、105円の方を購入しましたが、筆者の若かりし日と違って、本当に廉価で書籍が入手できる時代になりました。

今日も、<すばらしき新世界>の著者の方のように、読書分野を拡大したいのですが、なかなか難しいですね・・・。読みたい本を自由に選択すると、上記のような選択になってしまいます。筆者も高齢化して、読書に柔軟性がなくなった証拠でしょう。

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2007年11月 1日 (木)

●團藤重光『反骨のコツ』

今日、国道2号線沿いのBOOK・OFFに立ち寄りました。

目当ては、以前として、105円コーナーです。

今日、購入したのは、ペリン著『鉄砲を捨てた日本人』(中公文庫)・西垣通著『ウェブ社会をどう生きるか』(岩波新書)・矢野直明著『インターネット述語集』(同)の3冊。

その帰り、同じく国道2号線ぞいの宮脇書店に立ち寄りました。

店内の書籍をさあっと一瞥したあと、購入したのが、團藤重光著・伊東乾編『反骨のコツ』(朝日新書)。

新書の帯びにこのように記されていました。「日本刑法の父・團藤重光・93歳に学ぶ、元気の出る反骨のススメ」。

「團藤先生は、もう93歳になられたのか・・・」と、その新書版を片手にひとり感慨にひたっておりました。「團藤先生・・・」と呼ぶのは、尊敬を込めてそのようにお呼びするだけで、無学歴・無資格の筆者には、当然、「團藤先生」とは一面識もありません。

筆者が、高校3年の3学期、筆者の父が倒れて、大学進学が夢と消えてしまいました。進学を断念しただけでなく、倒れた父親の看病と家計を支えるために、「長男」として、苦節の10年を過ごしました。

高校の同級生が大学で勉学しているとき、筆者は、自分でカリキュラムを組んで、大学で学ぶ科目を独学していましたが、法学を学ぶとき、刑法は、團藤重光著『刑法綱要』・『刑事訴訟法綱要』をテキストとして使用していました。

そのとき学んだ知識は、『部落学序説』を執筆するとき、筆者の「非常民論」・「新けがれ論」の知的背景として何らかの形で今も影響しています。

戦後の社会的混乱期、生き延びるために、多くの青少年が犯罪に走りました。團藤重光氏は、戦争に「加担」して、国民の、特に、青少年に、癒しがたい傷を負わせたことに深い憂慮の思いを持っておられました。その中から、青少年の犯罪に対する社会的責任と死刑回避の論を立てられたように記憶しています。

戦後の混乱期の青少年犯罪と、戦後の高度経済成長を経験したあとの青少年犯罪との間に異質性を感じている筆者は、最近、光市母子殺人事件のような事件に対しては、死刑やむを得ず・・・、と思いはじめていますが、それでも、團藤刑法から受けた影響は少なくないものがあります。

たとえ新書であったとしても、その著者名と書名を見ただけで購入を決める・・・、というのは、筆者にとっては久々のことです。

『反骨のコツ』・・・。

ゆっくり読んでみることにしましょう。

最近、岡山県出身の学者・研究者・教育者に対するイメージが壊れつつあるので、この本を読んで、少しく修復をはかることにしましょう。

筆者が中学校3年生の3学期・・・、筆者の尊敬すべき教師が、公金横領事件で逮捕されるという事件がありました。そのとき、中学校教師に対する「失望」感は、その教師に教えてもらったことのある生徒に深く静かに広がって行きましたが、最後まで、そのことと苦しんだのは、筆者ではなかったかと思っています。最近、岡山県出身の学者・研究者・教育者の「現実」の姿をみせられるにつけ、「さも、ありなん・・・」と思うようになっています。

團藤重光著『反骨のコツ』を読むことで、岡山県出身の学者・研究者・教育者の真のイメージを回復できそうです。

その書の最後のことば、「気骨を持って進むとき、何かにぶつかることがあるでしょう。ぶつかると跳ね返りますね。そこで「反骨」になる。そのとき囚われた目で見るのではなくてね、あるがままを見て、そこで「正義」を実践する・・・正義の実践には反骨をも辞さない・・・」。

93歳のお歳で、なおかつ青年の意気に燃えておられる團藤重光氏・・・。深く頭の下がる思いがします。

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2007年10月24日 (水)

●続・東北-異境と原境のあいだ

昨日、妻と一緒に書店へ。

筆者が購入したのは、河西英通著『続・東北-異境と原境のあいだ』(中公新書)。

夜、通読していて、文字通り「愕然」としました。その人物の名前は、部落研究・部落問題研究・部落史研究の資料や論文で散見していたのですが、その人物の歴史上の実像が突然と筆者の脳裏に焦点を結んだのです。

そして、夢にまでみました。

部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会の方々から、『部落学序説』に対する反応がない中、「差別の定義ができないものは差別問題について語る資格がない・・・」などと「反応」してくる人もいるのだから、その「反応」に何らかの形で応えるべきではないか・・・、と指摘されて、『部落学序説』の本文の中で、「特殊部落」と「差別」の定義法について言及してきたのですが、「舞台裏」の世界は、横においといて、本論の世界に戻ろうと決心しました。

その人物・・・。

既に研究している人がいました。『地域史のなかの部落問題 近代三重の場合』の著者、静岡大学教授の黒川みどり氏です。

その論文に目を通そうと、インターネットで古書を探してみたのですが、在庫なし。

それならと、山口県立図書館のネットワークに入って、県立図書館と公立図書館の蔵書から一括検索してみたのですが、その論文、一般市民が閲覧できる状態の本は1冊もない・・・、ということが分かりました。

静岡大学教授・黒川みどり氏が、富士山の高峰のように、一瞬遠ざかって、はるか遠くに見えるようになりました。

『部落学序説』の筆者にとっては、罵詈雑言を投げかけることしかしない「反応」を相手にするより、黒川みどり氏の論文を精読して、「仮想論敵」として、内的論争を積み上げていった方が、より生産的な結果をもたらすのではないかと思いました。

結局、入手したいと思っていた古書は、国立国会図書館で必要な箇所を複写サービスしてもらうことにして、その古書とのであいのときを待つことにしました。

「研究の層の薄さ」、「あまり顧みられない分野」、「重視されなかった」といわれる「一見無益な分野」、「事実関係だけをまとめただけのお粗末なもの」や「学生のレポート程度で読むに耐えないもの」(杉山博昭著『山口県社会福祉史研究』からの引用)が幅を利かす世界の中で、静岡大学教授の黒川みどり氏は、本格的な研究に着手・実績をつみあげられているに違いない・・・、と思わされていますが、黒川みどり氏の論文も、『地域史のなかの部落問題』だけでなく、できるかぎり多く精読する必要がありそうです。

筆者が愕然とした、その人物の名は、田子一民・・・。

筆者は、西日本に生まれながら、東日本の精神に生きようとしているところがありますが、田子一民は、東日本に生まれながら西日本の精神を持って生き抜いたひとです。異質な精神世界がひとりの人格の中でぶつかりあったとき、どのような生き方を選択していくことになるのか・・・。

とりあえず、『田子一民』(田子一民編纂会)を入手して読んでみることにしました。

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