2008年5月12日 (月)

●農業高校の教科書を注文・・・

今日の午後、妻と一緒に、国道2号線沿いの宮脇書店に行き、農業高校用の教科書17冊を注文しました。

現代農業について、最低限の知識を吸収するために、高校の農業科で使用されている教科書17冊を独習することにしたのです。

宮脇書店には、その内の4冊が在庫されていましたので、その4冊は、即購入して、早速、学習をはじめることにしました。

山口県立田布施農業高校大島分校で3年間仕事をしていたとき、職員室の先生方の机の上のあった農業高校用の教科書です。

今から考えますと、大島分校での3年間・・・、農業科目の先生方から、いろいろなことを教えていただきました。それが契機となって、教会の瓦礫とバラスだらけの庭を開墾して、ミニ菜園をつくることになったのですが、教室では学ぶことができない、豊富な経験談は、いまでも参考にさせていただいています。

鹿児島大学の農学部の大学院を出られた先生から、晩年、その畑を耕すことになる、妻の実家のある東北・福島の雪国での農業について、<観察と実験>の方法を教えていただきました。山口県立田布施農業高校大島分校の職員室に席を与えられて過ごした3年間の農業高校教師の方々とのまじわり・・・、筆者の人生において、貴重な3年間だったと思われます。

高校の教科書を読むのは42年ぶり・・・。

初心に戻ったつもりで、現代農業を基礎から学び直すことにしましょう。実習は、教会のミニ菜園・花壇・お花畑・果樹・庭木・ぶどう棚・簡易温室、食品加工は教会のキッチン・・・。1年間の<農業>短期速修独学コースの開始です。

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●本格的に農業を学びたい・・・

教会の庭の野菜と花・・・

どちらかいいますと、まったくのしろうと園芸です。筆者がすることといえば、種をまいて水をやるだけ・・・。あとは、野菜や花がかってに成長して花を咲かせて実をつけてくれていました。

教区総会を終えたあたりから、筆者、本格的に農業をしてみたい・・・、と強く思うようになりました。西中国教区のテリトリーである山口・島根・広島、妻と二人でドライブするにつけ、かっての農村と農業は荒廃していると感じる場合が多々あります。

少しでも、農村と農業の再生と復興にかかわることができたら・・・、と思うのですが、少し、決断が遅すぎたようですね・・・。

牧師を辞して、山口の地を去り、妻の実家のある東北・福島に帰郷するときまで、農業に直接かかわることはできませんが、それまでの間、農業についていろいろ学んで、身につけることができることはすべて身につけておきたいと思います。

これからは、種をまいて収穫するまで、その過程を記録し、あとで年度毎の比較検証をすることができるようにデータを情報処理化したいと思います。趣味の園芸に、営農的視点を加味し、その知識・技術の概略を頭に叩き込みたいと思います。

高島忠行著『イネの作業便利帳』を読んでいて、イネつくり・・・、とてもおもしろい、やりがいのあることがらであると思いました。

ついでに、筆者が小学生のころ、田植えをてつだったり、あぜかきをしたのを思い出しました。そのころは、牛でたんぼを耕していました。遠い昔の記憶がよみがえってきます。

日曜日の朝、何度も夢をみました。7、8回目が覚めたのですが、再び眠りにつくごとに、夢の続きをみました。夢全体で、ひとつの物語になります。筆者、昔から、頭が活性化しているときは、こういう夢の見方をします。

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2008年5月10日 (土)

●いねのつくり方・・・

井草正著『農業実習の手引』の「いねのつくり方・大要」と、高島忠行著『イネの作業便利帳』(農文協)に目を通しました。

筆者、60歳になるまで、一度も稲を育てた経験がありません。日本基督教団の牧師になるため、農村伝道神学校で学んでいたとき、農業実習以外に、農村出身の学生たちが有志でいねつくりをしていたのを見たことがあります。結果は、ほとんど失敗で稲穂に実が入らなかったようです。

教会の役員の方が、いねの作り方を教えてくださることになり、筆者、基本的な知識を習得しようと、上記2冊に目を通しました。井草正著『農業実習の手引』は、手作業による田植え、高島忠行著『イネの作業便利帳』は機械による田植えの方法が記されています。超初心者の筆者としては、両方の田植え方法を実践してみたいと思っていますが、田植えをするときの、指の使い方・・・、何度もイメージトレーニングをして、観念的には身につけました。

妻の実家には田植機があるので、それを使うことになるのですが、一般的に田植機、誤差が発生するようで、「補植」が必要な場合も多々あるようです。その時は、手作業で田植えをすることになりますので、手作業による田植えと田植機による田植えの両方を知っておく方がよりベターであると判断しました。

来年、教会の庭にミニ実習田をつくって、イネの苗つくりから刈り入れまで実習してみたいと思います。教会の庭でイネをつくると、イネの観察が容易にできますから・・・。

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●筆者の「農」との出会いの原点・・・

筆者の「農」との出会いの原点・・・

それは、三一書房から出されていた『講座・農を生きる』(全5巻・1975)です。

日本基督教団・農村伝道神学校に入る前に、筆者が読んでいた農業に関する書物というのは、岩波新書とこの講座ぐらいですが、この講座、「農業のありようがはじめて明かす人間生活の原点」という副題がつけられています。

第1巻:農業の論理とは何か 近代化と農民
第2巻:”たべもの”を求めて 食料危機と農民
第3巻:”土”に生命を 農法と農民
第4巻:”むら”でどう生きるか 共同体と農民
第5巻:歴史をふまえて 主体性と農民


農村伝道神学校で、この『講座・農を生きる』を発展させることができるはずだったのですが、筆者、農村暮らし、あるいは、農家の生活を経験したことがあまりにも乏しくて、教授・先輩から、農村伝道に向いていないと烙印を押され、農村伝道を断念せざるを得ませんでした。「農村伝道は、馬鹿にはできない・・・」(無学歴・無資格に農村伝道はできない・・・)。

1980年10月13日付けの朝日新聞学芸欄に、「稲は強し・青森の農家よ、友よ、強く生きてくれ」という作家・倉光俊夫氏の文章が掲載されていました。その中にこのような言葉がありました。

「たくさんの農家のなかには米作りが、すでにデータを入れれば答えが出てくるコンピューターでできるかのように錯覚しているひとたちもいることを僕は否定しない。しかし本当の意味で「百姓」と呼ばれるに値するようなひとたちがいなくなったわけではない。・・・青森には僕は友人が多い。それらの農家よ、友よ、この稲を見よ。そして強く生きてくれと、願わずにはいられないのだ。米は日本の心だと思っている、僕は古臭い明治の人間だから」。

1980年といいますと、NECから8ビットのパソコンPC-8001が発売された次の年です。基本セットで100万円を超えた時代です。しかも、それを農業経営に実際に役立てようとすると、プログラミングからはじめなければならないという時代・・・、農村伝道神学校の農業実習の経験では、ほとんど農村が直面している現実に対応することが不可能であったことも、筆者に、農村伝道を断念させるに十分でした。

しかし、当時の農村伝道神学校の教授たちの反対を押し切ってでかけていた三里塚・・・、近代農法ではなく、有機農法に徹する反対農民のものの見方考え方に、筆者、否定しがたい影響を受けました。ほんとうの「百姓」が、いのちをかけて作り上げてきた農地を、近代的な<豊かさ>を象徴するコンクリート漬けの滑走路にすることは大いに疑問を感じていました。三里塚の「百姓」の、有機農法への援農に参加することで、筆者、近代農法とは別の農法、自然農法を実感できるようになっていました。

今日、書棚を整理していて、いつのまにか、本箱の奥に埋もれてしまっていた『講座・農を生きる』を前面に持ち出しました。

ぱらぱらめくっている間に、筆者の目に入ったことば・・・。

なだいなだ氏の「百姓に学ぶ学校」の一節です。

ある時、農業高校から、講演をたのまれた。そして、学校に着くと、校長さんからいわれた。
「あの、参考までに申しあげますが、うちの学校は農業高校でして・・・」。
「はあ、わかっております」。
ぼくは答えた。だが、校長さんは、疑わしそうに、ぼくを見た。
「農業を教える学校ですね」。
ぼくは、いった。
「ええ、そうです。しかし、ずばり申しますと、生徒の程度が低いので、お話をされる時にも、あまりむずかしいことは、さけていただきたいと思いまして・・・」。
・・・しばらく、何と答えていいのやら、わからなかった。
「農業高校というのは、程度の低い生徒の入る学校なんですか?」


そして、そのあとなだいなだ氏は、こう記しています。

教える人間が、そんな気持ちで、いったい何ができるのか、と。

筆者、機会与えられて、山口県立田布施農業高校大島分校に3年間ほど、仕事に通ったことがあります。そのとき、大島分校の教師の方々の生徒に対する指導ぶりを「観察」(かんざつ)させていただきましたが、みんな熱心に指導されていて、「この分校の先生方は、昔の教師のままだ・・・」と感激させられました。

その、山口県立田布施農業高校大島分校、本当の教育を実践したためでしょうか、閉鎖が決まっています。

なだいなだ氏は、他の「百姓」さんの言葉を紹介しています。

「わしは、せがれが学校で百姓を勉強してくるとは思えねなあ。だって、学校には先生がいて、百姓がいねえもの。あのひねこびた作物を作っている連中がよ、なにをおしえられるもんかね」。

そういった彼に、ぼくはたずねた。
「じゃあ、どうすればいい」。
「ほんとうに、百姓を作るつもりだらな、わしら、百姓に教えさせればいいさ」。


なだいなだ氏は、その「百姓」さんの言葉を、「別の言い方をすれば、農業の技術を学ぶよりは、百姓について学べ、ということだ」と解説しています。

そして、<正気>に立ち返った、その農業高校の校長さん、このように語ったといいます。

「なるほど、札幌農学校は、百姓をつくらなかった。だが、百姓の哲学を教えた。百姓の哲学とは、自立の哲学だ。内村鑑三は、百姓にはならなかったが、百姓の心を持っていた。一人、反戦をとなえた彼の頑固さは、百姓の頑固さですね」。

その校長、「百姓の心」を理解したのやらしないのやら・・・。

筆者、農村伝道神学校においても、その「百姓の心」・・・、独学せざるを得ませんでした。

東北の妻の実家に帰って農業を引き継ぐまで、山口の地で、山口のお「百姓」さんから、「百姓のこころ」を教えてもらうことにしましょうか・・・。そんな機会があたえられるかどうか、こころあたりをあたってみましょう。

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2008年5月 5日 (月)

●野菜・花・果樹の診断と管理・・・

教区総会で配布するチラシの印刷が完了するまで、六本木和夫著『野菜・花・果樹 リアルタイム診断と施肥管理 栄養・土壌・品質診断の方法と施肥・有機物利用』(農文協)を読んでいました。

この本に書かれていることは、植物の健康状態の<診断学>・・・。

無学歴・無資格、農学の門外漢である筆者の<植物診断学>・・・、その知識と技術をマスターしても、<藪医者>にしかなれそうにありません。

なぜなら、<植物診断学>を学ぶためには、<生理学>と<病理学>をその前に習っておく必要がありますが、<植物生理学>や<植物病理学>、筆者、60歳になるまで、一度も学んだことがありません。

病気を予防するためには<保健学>、病気を治療するには<臨床医学>・<薬学>・<看護学>が必要なのですが・・・、60歳になった今、そんな知識・技術を体系的に習得することができる可能性があるのでしょうか・・・?

岡山の歴史学の学者・研究者・教育者だけでなく、農学の学者・研究者・教育者からも「非難中傷・罵詈雑言」にさらされそうな気配がします。こころして、独学に邁進しなければ・・・。

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2008年5月 4日 (日)

●水も低きから高きへ流れる・・・

昨日、夕方、部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会の方がこられました。

数時間お話をしましたが、話の内容は、もっぱら「水」について・・・。

その方、信州大学・中本信忠教授に影響を受けて、自然の力を利用した簡易浄水装置を作っておられるのですが、その装置もだんだん本格的なものになりつつあるようです。

筆者、晩年は、妻の実家のある福島県の湖南町に戻って田畑を耕さなければなりませんが、そのとき、低い位置にある谷川の水を、高い位置にある畑に吸い上げる方法についてお聞きしたら、18世紀後半以降全世界で使用されている「水撃ポンプ」を設置すれば、高きから低きへ流れることを普遍的な法則とする水の流れを逆に、低きから高きへ流れさせることが可能になるのだとか・・・。

その「水撃ポンプ」の作成方法と設置方法を教えてくださいました。

妻の実家の畑のとなりの畑を耕していたおばあさん・・・、「谷川の水を畑にまくのが大変だ・・・」と行っておられましたが、この「水撃ポンプ」を設置すれば、妻の実家のおとうさん、おかあさんだけでなく、その周辺の畑を耕すみんなが楽になりそうです。

もちろん、「水撃ポンプ」だけでなく、他の方法もあるのですが、「水は高きから低きに流れる・・・」という<常識>、人間の<良識>は、その逆、「水を低きから高きへ流す・・・」ことを可能ならしめます。

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という定説を逆転させて、「健全なる身体は健全なる精神に宿る」と自説を展開された、筆者に農学・営農学を教えてくださった井草正先生・・・、「常識」に身を安住し、「常識」に反する知識や技術を独断・偏見として切り捨てて省みない風潮が蔓延していますが、いかなる「常識」も、その中に「非・常識」が含まれているようです。その「非・常識」をすら生かす知恵は「良識」というものです。

ただ、この水撃ポンプ・・・、大きな音がするそうです。

ウグイスの鳴き声がこだまする山間で、鉄砲に近い音を立てると、ウグイスの鳴き声が聞こえなくなるかも・・・。水やりを楽して、ウグイスの鳴き声を楽しむのを諦めるか・・・、それとも、水やりの労をいとわないで、ウグイスと同棲同類して、ウグイスの鳴き声を楽しむか・・・。

筆者は、後者を選ぶことになりそうです。

歴史研究会の方が教えてくださった、水を低きから高きへ流すもうひとつの方法を実践することになりそうです。音を立てずに水を低きから高きへ流す方法・・・。

高齢化社会の農村を生きるためには、「常識」にこだわらず、「非・常識」すら生きていくための知識・技術に転換する必要がありそうです。人間社会とちがって、自然は、人間の「非・常識」すら抱擁する豊かさにあふれています。

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2008年5月 3日 (土)

●牧師と農業・・・

牧師と農業・・・

両概念を結びつける具体的な存在は、なんといっても、「賀川豊彦」でしょう。

賀川豊彦は、日本基督教団の牧師・・・、多方面に渡って、他者から非難を受ける場合が多い人でもありますが、しかし、賀川豊彦の立体農業の継承者は決して少なくありません。

筆者に、立体農法をはじめて教えてくださったのは、岡山県高梁市巨瀬の難波孝子姉でした。逝去されてひさしくなりますが、筆者にとっては、忘れることのできない、<基督者農民>です。

筆者が、牧師になるために、日本基督教団・農村伝道神学校に入ったのも、立体農業の実践者・難波孝子姉の影響大なるものがあります。

筆者の晩年に過ごすことになる、東北・湖南町・・・、立体農業実践の可能性が秘められています。

九州大学農学部出身の井草正著『農業実習の手引き』も、筆者の血となり肉となるように暗記して、すべて実践してみます。営農家を育ててこられた井草正先生の「農のコツ」が記された本です。

筆者自らを「基督者農民」たらしめるために、独学の開始です。

「健全なる身体は、健全なる精神に宿る」(井草正語録)

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●60歳にして、米つくりを学ぶ・・・

妻の実家のある、福島県郡山市湖南町に<帰郷>したとき、妻の実家のおとうさんとおかあさんがつくってきた田畑を耕さなければなりません。

田では、米や小豆を作ることになりますが、筆者、60歳になるまで一度も米を作ったことがありません。

それで、山口にいる間に、米の作り方を身につけたいと思って、教会の役員の方に相談しましたら、「喜んで・・・」教えてくださるとのことでした。教会役員の方は、一般的な米の栽培方法ですが、もうひとり、信徒の方で米を有機栽培しておられる方がいますので、その方からも教えていただくことになります。

有機栽培による米の栽培については、いままで何度かお話をお聞きしていますので、これからは本格的にそのノウハウと有機栽培の理念について教えを乞うつもりです。

今日、国道2号線沿いの宮脇書店で、ぶどうの栽培方法に関する本を1冊買ってきました。園芸・農業書コーナーには、ぶどうの栽培方法に関する本は、これ1冊しかありませんでした。

教会の庭の葡萄棚のしたの葡萄の木は1本なので、デジカメで、すべての枝と、その葉と実の写真を撮って、今後どうしたらいいのか、対策を立てます。

60歳・・・、それは、暇になる歳ではなく、別の忙しさがはじまる歳のようです。

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2008年4月22日 (火)

●有機農業のツルマンさん、来訪・・・

Han0804229今朝、有機農業のツルマン・マルティさんが、下松愛隣教会を尋ねて来てくださいました。

下松愛隣教会は、西中国教区の中で一番小さな教会、教区の牧師といえども、大半は、一度も、下松愛隣教会を尋ねたことがない方々ばかりです。

山口の地に、人から忘れ去られてしまったかのように、そっと息づいている教会ですが、その教会の玄関に立たれたのが、ツルネン・マルティさん・・・。

一目見た瞬間、ツルネン・マルティさんだと分かりました。

筆者、どちらかいいますと、人間音痴で、その人の顔と名前を覚えることができません。

マルティさん、「わたしのことを知っているのですか・・・」。

「日本全国知らないひとはいませんよ・・・」と、筆者。

来訪記念に写真を撮らせていただきました。

マルティさんがお召しになったおられるもの、「和式スーツ」だそうです。日曜日、全日本きものコンサルタント協会主催の「きもの装いコンテスト」に審査員として出席されたとブログにありましたが、その時の装いでしょうか・・・。

民主党議員としてのツルマン・マルティさんの「重点政策」、「有機農業・教育・環境」であるとか・・・。

ホームページのプロフィールをみますと、ツルネン・マルティさんと筆者、いくつかの点をのぞいては共通点が多そうです。牧師なのに歌は苦手、大工仕事・パソコンが得意、裏庭の畑仕事でリフレッシュ、何事も前向きに考える、結果が期待通りでなくても失敗とは思わない、人を差別するのが大嫌い、日本食が大好き、有機農法・無農薬栽培の伝道者・・・。

筆者にないのは、多くの人を惹きつける人間的魅力・・・。筆者、嫌われても好きになられることはありません・・・。

今回はじめて、『部落学序説』とその関連ブログ群の筆者であるわたくしこと、吉田向学の写真を掲載することになりましたが、ツルマン・マルティさんの横に立つ筆者、やはり、メタボ予備軍のような気がします。やせる努力をすることにしましょう。

いままでの国政選挙の中で、今回の、衆議院議員山口2区補欠選挙ほど、いろいろな方との出会いがある選挙はなかった・・・、と思われます。

日本基督教団西中国教区の中では、筆者、「保守的」とラベリングされて、排除・疎外されてひさしいのですが、今回、はじめてでしょうか、教会に野党の看板をかかげたのは・・・。格差社会にSTOP! 小沢民主党支持・・・、これほど明確に特定の政党を支持するようになったのは、筆者、生まれてはじめてです。

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2008年3月23日 (日)

●「田舎で暮らす」、岡林信康さん・・・

礼拝のあと、久しぶりに、ゆっくりと、朝日新聞に目を通しました。

筆者が関心をもった文化欄の記事はふたつ・・・。

ひとつは、「田舎で暮らす」の欄の、岡林信康さんに対する天野剛志さんの聞き取り・・・。

岡林信康さんの名前は、部落解放同盟新南陽支部の書記長さんと、日本基督教団部落解放センターの東岡山治牧師から聞かされたことがあるだけで、筆者、61歳の岡林信康さんが、「ロック」シンガーであることも、「フォークの神様」と呼ばれていたことも、今回、朝日新聞の記事を見てはじめてしりました。

世代的には、岡林信康さんも筆者も団塊の世代に属するのでしょうが、筆者、若いときから、時代の流れとは無縁に生きてきたため、異なる精神世界に身を置いていたようです。彼らが、フォークの世界を楽しんでいたとき、筆者、備前藩の熊沢蕃山の著作や、津山藩の江原萬里の著作を読んで、古典の世界をさまよっていたのですから・・・。今から考えますと、時代の流れから取り残された筆者のささやかな精神的抵抗だったのかもしれません・・・。

その岡林信康さん、都会を離れて、「一時期、わずか17戸の集落で有機農業を始めた」とか・・・。そこで、岡林信康さんが経験したのは、「農業は甘くなかったね。僕の歌には金を払う人はいても、農業ではない・・・」という厳しい現実・・・。

結局、都会に戻る決心をされたそうですが、一度、田舎で暮らしたという経験は、岡林信康さんが元の都会に戻ることを許さず、その都会と田舎の中間地帯で、畑を耕しながら生活されているといいます。

「大根一つでも季節外れに種をまけばきちんと育たない。自然のリズムに従わないといけない、人間の思う通りばかりにはいかない・・・」といいます。

今の日本、自分たちのたべる食料の大半を外国に依存している、日本人の中に、「自然がなくても生きていける」と考えている人々が増えていることに危機感を感じておられるようです。

<金さえ出せば・・・>、「土や海に接しなくても食い物が手に入る・・・」と考えている現代の日本人・・・。

岡林信康さんは、「それでは人間は自滅やで。」と話を結んでおられます。

<人間>が自滅するのではなく、<日本人>だけが自滅する・・・。学歴・資格を持ちながら、無為・無能の行政官や政治家によって、そして、かれらと無条件に連動する学者・研究者・教育者等によって、<日本人>は、「自滅」へといざなわれている・・・。

筆者、はじめて、畑で、自分で栽培した大根を抜く、岡林信康さんの尊顔を拝した・・・。筆者も、岡林信康さんの意見にまったくの<同感>である・・・。

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2008年3月12日 (水)

●もう戻れない故郷・・・

P3120041「もう戻れない故郷」

2008年3月12日・朝日新聞の第31面の記事です。『農の明日へ』・第一部ムラが縮む』の第1回目の文章です。

その冒頭で取り上げられているのが、山口県錦町の神明原集落最後の住人だった周田松子さん(83歳)の昔話です・・・。

朝日新聞がなぜ、この特集をしたのか・・・。「カネ以外の価値に思いを」というコラムにしたためられています。

「中国製の冷凍ギョーザ中毒や相次ぐ食品偽装事件を経て、これまでになく国民は「食の安全」に敏感になっています。・・・私たちは、日本の農業現場から聞こえてくる悲鳴や、未来に立ち向かうかけ声を聞くために、長期計画を始めます。第1部では、農業を担ってきた共同体が、国の政策や制度、社会風潮によってどう変質してきたのかを検証します。(編集委員・野上隆生)

「カネにならない・・・文化的価値は切り捨てられる一方・・・」

『田舎牧師の日記』・『部落学序説』関連ブログ群の文章は、「カネにならない・・・文化的価値は切り捨てられる一方・・・」の典型であるといえます。「被差別部落」の人々に、経済的・物理的豊かさをもたらす「同和対策事業」・「部落解放運動」に対して、筆者の文章は、「カネにならない・・・文化的価値」

今日、花壇・お花畑・ミニ菜園の手入れをしたあと、カリフラワーをひとつ収穫しました。薄いクリーム色で、無農薬・有機栽培にも関らず、無傷で収穫・・・。夕べの食卓にのぼりました。

筆者には、「もう戻れない故郷」ではなく、「いつでも戻ることができる故郷」がある・・・、ということは、幸せなことかもしれません。この地上にあっては、妻の福島県湖南町の実家・・・、天上にあっては、主イエスさまが用意してくださっている住処・・・。

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2008年3月 1日 (土)

●昨日はひさしぶりに熟睡・・・

昨日は、ひさしぶりに熟睡しました。

今朝は、目のかすみは、少し和らいできました。

少しよくなると、すぐパソコンの前に座る筆者ですが、今朝は、『部落学序説』の1文書あたりのアクセス件数を出してみました。

被差別部落の地名とタブー  9033件
ある同和対策事業批判  1330件
部落学序説  786件
紀州藩「城下町警察日記」を読む  151件
田舎牧師の日記(Ⅱ)  62件

筆者が各文章、読者の方々が読みにきてくださるのは、部落差別問題関連記事です。教会・花・野菜・小鳥の話は、極少数の方々のみ・・・。

部落差別問題関連記事で、読者数の多いのは、以下の順です。

部落差別問題の現代>近代>近世>中世>・・・

執筆の主題が、中世よりも近世、近世よりも近代、近代よりも現代を主題にしたものの方が読者数が多いようです。

『部落学序説』とその関連ブログ群は、歴史学的研究ではありません。非常民に関する学としての「部落学」という、新しい枠組みで執筆されていますが、現在のところ、近世から近代へ、近代から現代へ・・・、と主題の時代的範囲を拡張していますが、現在は、その流れと逆行して、近世と近代のはざまに戻って、「百姓の目から見た渋染・藍染」について執筆しています。

アクセス件数をみすみす減少させる営みです。

しかし、これまで、『部落学序説』で紹介してきた視点・視角・視座、方法で、「岡山藩」の「渋染一揆」をとらえたらどうなるのか、その実践事例として言及するのも悪くはないかな・・・、と思って、執筆を続けています。

筆者の手元にある、部落差別問題関連資料は、現代>近代>近世>中世>・・・の順番ですから、ひとつの文章を書くために確認しなければならない資料は飛躍的に増えます。その資料を批判検証するためには、近世のテーマについて言及する以上に、執筆者の視点・視角・視座を明確にしなければなりません。

日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」を徹底的に<破壊>・・・、するためには、膨大な時間と労力が必要なようです。

吉岡幸雄著『日本の色を染める』に記されているように、「日本の色・・・」、それはどの色も美しい・・・。「貴色」・「賤色」という発想は、外来思想である中国の悪しき文化に汚染された古代天皇制の残滓でしかありません。「日本の色・・・」、それはどの色も美しい・・・、のと同様、すべての「ひと」は、美しい・・・。そこに、本質的に「貴人」・「賤民」と呼ばれるような人が存在するはずもありません。

それぞれの時代の支配階級が、自分の都合のいいように制度化したに過ぎません。

現代の「被差別部落」の人々は、その先祖の歴史にまでさかのぼって「賤民」として、部落史の学者・研究者・教育者からラベリングされることを黙って容認してはならない、差別思想である「賤民史観」という、一見、「被差別部落」の人々を「勦るかの如き・・・」教説は、「多くの兄弟を堕落させた・・・」教説であり、差別的な部落史の学者・研究者・教育者によってはきかけられた「クダラナイ嘲笑の唾・・・」に過ぎず、「呪はれの夜の惡夢・・・」に過ぎない。「被差別部落」の人々は、部落史の学者・研究者・教育者によって押しつけられた「賤民」としての「烙印・・・」を投げ返さなければならない。「被差別部落」の人々は、部落史の学者・研究者・教育者の差別的な思想「賤民史観」を受け入れ、「卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ・・・」・・・。そして、「被差別部落」の若い世代が、「人生の熱と光」を持って生きることができるよう、差別思想である「賎民史観」を葬り去り、民衆と共に差別なき新しき社会をつくろう・・・。被差別部落の人々を差別の奈落に落としこめた人々は、民衆ではない。背後にあって民衆を教育し、差別思想である「賎民史観」を注入し続けてきた、学者・研究者・教育者である・・・。彼らは、それぞれの時代の権力の走狗として、「被差別部落」の人々の「誇りうる・・・」近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」として生きてきた歴史と人生の物語を奪い続けてきたのだ。自ら構築すべき歴史を、差別者である、部落史の学者・研究者・教育者にゆだねた結果、「賎民」とラベリングされてきたし、今もされている、そしてこれからもされ続けることになる・・。「被差別部落」の「人間を冒涜」することを許したことは、今日に至るも、「被差別部落」の「多くの兄弟を堕落・・・」させている。「被差別部落」の若い学徒たちが、「人間を尊敬する・・・」ことの真の意味を認識し、差別思想である「賎民史観」を投げ返し、「自らを解放せんとする者の集団運動を起こせるは、寧ろ必然である・・・」。近代以降の歴史学者・研究者・教育者が構築してきた、差別思想である「賎民史観」を破棄し、自らの歴史と物語を取り戻すとき、決して、差別されることのない「祝福された時が来る・・・」。差別なき社会の夜明けは近い。押し付けられた「荊冠・・・」をかなぐり捨て、勇気をもって、真の部落解放運動のために立ち上がるべきだ。大学の教室で、図書館で、研究室で、差別思想である「賎民史観」を打破すべく勉学を続けよ。毎日毎日、真の部落解放の姿を考えよ。これまでの部落解放運動は、真の部落解放運動の<前座>に過ぎない。戦いはこれからだ。差別思想「賎民史観」の打破と、それを永久に葬り去る課題は、大学で、その図書館や研究室で学ぶ、「被差別部落」出身の学生の肩にかかっている。「人の世に熱・・・」「人間に光・・・」、「被差別部落」の本当の歴史をその手に掴むために、差別思想である「賎民史観」の担い手である学者・研究者・教育者の言説を批判検証し、議論・討論し、「賎民史観」を放棄せしめ、「人間に貴賎はなし・・・」との理念のもと、真の部落解放運動に共同参画せしめよ。真の部落解放運動の前座でしかない、同和対策事業の様々な問題に臆するな。同和対策事業の最初から<罠>は想定されていた。大切なのは、真の部落解放運動の担い手足るべく自らを飛躍させることだ。無学歴・無資格、「被差別部落」出身ではない、ただの「百姓」の末裔に過ぎない、部落解放運動の門外漢に過ぎない筆者の言葉を読む、<あなた>、<あなた>にはそれができる!

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2007年11月 8日 (木)

●農を語る・・・

今日の午前中、日本基督教団下松愛隣教会の11月度定例役員会がありました。

下松愛隣教会は、日本基督教団西中国教区の中でいちばん小さな教会であることは、何度も書いてきましたが、現在、この小さな教会に踏みとどまって教会を支えている教会員の方々は、「兼業農家」の方々です。

ほとんどの方は、公務員か公務員を定年退職された方々で、最後は、「農人」として生涯を閉じられる方々です。

今日も役員会の席上で、牧師は、「堆肥や苗などの、農業用資材をどこで手に入れているか・・・」ということが話題になりました。

筆者は、安くて品質のいい堆肥や苗を求めて、近隣の市町村の園芸店を散策していますが、役員会が一時的に中断して、「農」に関する情報交換会に発展してしまいます。

話の内容は、近代農法の限界、有機栽培と無農薬栽培の意義にまで話が及びます。

今月、教区から送付されてきた文書に、「西中国教区・農を語る会(仮称)のご案内」という文書が含まれていたこともあって、役員会での「農」についての話に拍車がかかりました。

役員のひとりの方曰く、「吉田先生、<農>を語るとき、だんだん熱を帯びてくるようになりましたね・・・」。その語りの口調は、<うれしそう>・・・。

公務員の方々は、定年退職すると、そのあと、「何もしない、暇な時間・・・」が待っているのではなく、逆に、「しなければならない、農作業の時間・・・」が待っています。

下松愛隣教会の<農>の問題は、<高齢化と農>の問題です。自分の高齢化にあわせてどのように<農>とかかわって生きていくか・・・。

下松愛隣教会の教会員の方々は、<高齢化と農>が直面している問題に、率直に、いろいろ話をしてくださいます。

この前尋ねた、鶴の飛来地・八代に住む教会員の兄・姉は、団塊の世代が、残された人生を、農村的地域社会に身をおいて<農>に生きる・・・ことの問題点をするどく指摘されていました。

それまで、<農>に関心をもってこなかったものが、ある日、突然と<農>に生きることができるのだろうか・・・。

団塊の世代の「帰農」は、はじめた途端に、<高齢化と農>の問題に直面させられる・・・。日毎に年をとり、体力が衰える、<農>に対する意欲を失ってくる・・・。農村に山村に身を置いたことにやがて後悔するときがやってくる・・・。

それでも、<農>を生き続ける・・・。

それを可能ならしめるものは、ひとつのことだけだ。先祖伝来の土地と畑を守っていく・・・。

しかし、明治以降、日本の基督教会は、先祖伝来の土地と畑を軽んじ、農村伝道の名前のもとで、化学肥料と農薬にまみれた近代農法の先兵としての役割を果たしてきたのではないか・・・。

吉田先生は、晩年、おくさんの実家がある会津の地に戻って、先祖伝来の土地と畑を守っていくという・・・。

その言葉の真実であることは、瓦礫とバラスだらけの教会の庭を開墾して、お花畑とミニ菜園をつくり、有機栽培・無農薬栽培に徹している姿をみればわかる・・・。

おくさんの実家の、先祖伝来の土地と畑を守るために、下松愛隣教会の牧師を辞任する・・・、その辞任の仕方は、教会員が最も納得する辞任の仕方である・・・。

年金が満額受給できるようになるまで、あと5年、下松愛隣教会にとどまってくだされば、みんな納得して吉田先生夫妻を、会津の地へ送り出すことができる・・・。

下松愛隣教会員が、「農人」として、牧師に期待するのは、「慰め」や「励まし」ではない・・・、先祖伝来の土地と畑を大切にする、同じ精神を生きてくれることだけだ・・・。

厳しい口調で筆者に語りかける、その教会員の兄・姉・・・。<高齢化>を視野に入れて、農法を模索する筆者との間に、ある意味の信頼関係が作られていった結果・・・、なのかもしれません。

「農人」は、こころを許した人でないと真実を語ることはしない・・・。

「限界集落」・「崩壊集落」が加速される中、先祖伝来の土地と畑を守って生きていく・・・、それは、至難のわざです。質素な生活、清貧に徹しなければ、それを貫徹することはできそうにありません。

筆者と同じ年の役員・・・、これから、80歳までの20年間、「農人」として生きるそうです。<高齢化と農>の真剣な思想家にして実践者になる・・・、下松愛隣教会の牧師と信徒の共通する課題です(教区の「農を語る会」には不参加を決定・・・)。

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2007年11月 3日 (土)

●里の秋・・・

今日の午後、教会員宅を尋ねました。

旧徳山藩領内の村・・・。その時代、庄屋をしていた家で、石垣造りの庭の奥には、古めかしい倉があります。今は、すっかり蔦で覆われています。

秋野菜・冬野菜を作っている畑を見せてもらいました。今年は、種を播くタイミングがよかったとか・・・。大根・カブ・白菜、とてもよく成長しています。

畑の片隅になっていた無花果をごちそうになりました。とりたての無花果、スーパーの店先に並んでいる無花果とは、味も香りも全く違います。

そのあと、縁側に腰かけて、その前に広がる<里の秋>の気色を楽しみました。

空は、雲ひとつない日本晴れ。日差しは温かく、眠気がきそうでした。

紅葉はまだ先のことですが、それでも、庭の木々の至るところに、秋が深まりつつあることのしるしが見えます。晩秋と冬が同時にやってきそうな気配がします。山口の地に住むようになって、そういう経験を何度かしたことがあります。

秋の農作業を終えてやってきた、秋の静かな一日・・・。

<里の秋>という言葉がぴったりです。

遠くに目をやると、無風状態の中、畑で草を焼いている煙が、霧のように立ち込めています。静かに静かに暮れて行く<里の秋>・・・。これも、神様が備えてくださった祝福のひとつであると思わされました。

現在の下松愛隣教会を支えているクリスチャンたち・・・。そのほとんどが、兼業農家です。あるいは、兼業農家でした。<百姓>という言葉に誇りを持っている人々です。

筆者が使う<百姓>ということばが、すんなり入っていく世界がそこにあります。<百姓>の末裔・・・、そこには何の違和感もありません。本物の<百姓>は、<百姓>であることを否定しませんから・・・。むしろ、<百姓>の末裔であることを、当然の如く生きてきた人々です。

<百姓>とは誰のことか・・・?

答えは簡単です。私たちが生きていくために必要な「命の糧」を作っている人々のことです。

近代日本は、戦前のみならず、戦後も、<百姓>であることをあまりにも軽んじてきたのではないでしょうか・・・?

帰りに、明日の永眠者記念礼拝のあとの茶話会のための饅頭を買いました。そのお店で一番高価な<里の秋>を彷彿とさせる饅頭・・・。日本基督教団西中国教区の教会の中で一番小さな教会・・・、でも、この贅沢、イエス様も許してくださるのではないでしょうか・・・。

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2007年10月23日 (火)

●日・月曜日の朝、霜がおりる!

月曜日の午後、八代の教会員宅を訪ねました。

この日曜日に、今年収穫した新米をいただいたお礼もしなければならなかったので・・・。いつもは、電話でお礼するだけなのですが、今日は、ひさしぶりに家庭訪問しました。

八代は、教会の前の市道をまっすぐ北に走らせると、米泉湖のほとりを通って山の中に入り、つづら折りの道を走って八代にたどり着きます。

まだ、木々の葉はまだ紅葉していませんでした。

今は、農業をされている兄姉宅で、午後1時半から午後6時半まで、話をしました。話の内容は、花と野菜つくり、そして、農民として生きるための知識と技術、人生観等について。

また、高齢の季節を過ごすためのノウハウを教えていただきました。

帰路についたのは、午後6時半・・・。

八代はすっかり闇につつまれて、空には、星が出ていました。空気も空も澄み渡り、やはり秋が深まっていることを物語っていました。

この八代・・・、日曜日の朝と月曜日の朝、霜が降りたそうです。とても酷い霜だったとか・・・。八代固有の霜の降り方があるとか・・・。

さつまいもに霜が降りるときにどうなるのか、教えていただきました。八代に、さつまいものつるに霜がおりるとき、さつまいもの収穫時だそうです。

この前の霜注意報は、ほんとうだったようです。

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