今日の午前中、日本基督教団下松愛隣教会の11月度定例役員会がありました。
下松愛隣教会は、日本基督教団西中国教区の中でいちばん小さな教会であることは、何度も書いてきましたが、現在、この小さな教会に踏みとどまって教会を支えている教会員の方々は、「兼業農家」の方々です。
ほとんどの方は、公務員か公務員を定年退職された方々で、最後は、「農人」として生涯を閉じられる方々です。
今日も役員会の席上で、牧師は、「堆肥や苗などの、農業用資材をどこで手に入れているか・・・」ということが話題になりました。
筆者は、安くて品質のいい堆肥や苗を求めて、近隣の市町村の園芸店を散策していますが、役員会が一時的に中断して、「農」に関する情報交換会に発展してしまいます。
話の内容は、近代農法の限界、有機栽培と無農薬栽培の意義にまで話が及びます。
今月、教区から送付されてきた文書に、「西中国教区・農を語る会(仮称)のご案内」という文書が含まれていたこともあって、役員会での「農」についての話に拍車がかかりました。
役員のひとりの方曰く、「吉田先生、<農>を語るとき、だんだん熱を帯びてくるようになりましたね・・・」。その語りの口調は、<うれしそう>・・・。
公務員の方々は、定年退職すると、そのあと、「何もしない、暇な時間・・・」が待っているのではなく、逆に、「しなければならない、農作業の時間・・・」が待っています。
下松愛隣教会の<農>の問題は、<高齢化と農>の問題です。自分の高齢化にあわせてどのように<農>とかかわって生きていくか・・・。
下松愛隣教会の教会員の方々は、<高齢化と農>が直面している問題に、率直に、いろいろ話をしてくださいます。
この前尋ねた、鶴の飛来地・八代に住む教会員の兄・姉は、団塊の世代が、残された人生を、農村的地域社会に身をおいて<農>に生きる・・・ことの問題点をするどく指摘されていました。
それまで、<農>に関心をもってこなかったものが、ある日、突然と<農>に生きることができるのだろうか・・・。
団塊の世代の「帰農」は、はじめた途端に、<高齢化と農>の問題に直面させられる・・・。日毎に年をとり、体力が衰える、<農>に対する意欲を失ってくる・・・。農村に山村に身を置いたことにやがて後悔するときがやってくる・・・。
それでも、<農>を生き続ける・・・。
それを可能ならしめるものは、ひとつのことだけだ。先祖伝来の土地と畑を守っていく・・・。
しかし、明治以降、日本の基督教会は、先祖伝来の土地と畑を軽んじ、農村伝道の名前のもとで、化学肥料と農薬にまみれた近代農法の先兵としての役割を果たしてきたのではないか・・・。
吉田先生は、晩年、おくさんの実家がある会津の地に戻って、先祖伝来の土地と畑を守っていくという・・・。
その言葉の真実であることは、瓦礫とバラスだらけの教会の庭を開墾して、お花畑とミニ菜園をつくり、有機栽培・無農薬栽培に徹している姿をみればわかる・・・。
おくさんの実家の、先祖伝来の土地と畑を守るために、下松愛隣教会の牧師を辞任する・・・、その辞任の仕方は、教会員が最も納得する辞任の仕方である・・・。
年金が満額受給できるようになるまで、あと5年、下松愛隣教会にとどまってくだされば、みんな納得して吉田先生夫妻を、会津の地へ送り出すことができる・・・。
下松愛隣教会員が、「農人」として、牧師に期待するのは、「慰め」や「励まし」ではない・・・、先祖伝来の土地と畑を大切にする、同じ精神を生きてくれることだけだ・・・。
厳しい口調で筆者に語りかける、その教会員の兄・姉・・・。<高齢化>を視野に入れて、農法を模索する筆者との間に、ある意味の信頼関係が作られていった結果・・・、なのかもしれません。
「農人」は、こころを許した人でないと真実を語ることはしない・・・。
「限界集落」・「崩壊集落」が加速される中、先祖伝来の土地と畑を守って生きていく・・・、それは、至難のわざです。質素な生活、清貧に徹しなければ、それを貫徹することはできそうにありません。
筆者と同じ年の役員・・・、これから、80歳までの20年間、「農人」として生きるそうです。<高齢化と農>の真剣な思想家にして実践者になる・・・、下松愛隣教会の牧師と信徒の共通する課題です(教区の「農を語る会」には不参加を決定・・・)。
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