●戦争における<人殺し>の心理学・・・
今朝、筆者のクライアント・サーバーシステムの保守作業が無事完了したことを確認・・・。
午前中、各種事務処理に追われました。年末、<師走>という言葉の通り、田舎牧師・貧乏牧師である筆者、<負債>と<税金>を清算すべく走り回りました。手元に残された金額を見ながら、これで年を越せるのか、不安になります。
ついでに、国道2号線沿いの宮脇書店に立ちより、店内を散策・・・。出版不況といわれながらそこにはおびただしい数の新刊が並べられています。筆者が今日、散策したコーナーは、心理学・歴史学・哲学・社会学・農学・情報処理学、そして新書判と文庫本のコーナーですが、心理学関連の本・・・、膨大ですね・・・。どうして、こんなに心理学の本がはやるのか不思議です。
無学歴・無資格、心理学の門外漢の筆者、インターネットの<日本の古書店>経由で入手した医学的人間学・医学的心理学の基本的な教科書だけで十分です。
といいながら、文庫本コーナーで、デーヴ・グロスマン著『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫)を購入しました。文庫本なれど1500円・・・。
アメリカの某陸軍士官学校の教科書。アメリカの兵士が戦場でストレスやコンプレックスに陥ることなく、職務を十分遂行することができ、敵兵を平然と殺害できるようになるための心理操作・・・?
敵兵を殺すことができない兵士を心理学的に操作して敵兵を殺すことができる存在にしたてる心理学・・・?
こんなことを書くと、学者・研究者・教育者からまた心配をされるかもしれません。<心理学の専門家でない、ずぶの素人がそんな本を読んで、表面的な理解で、他者に心理分析や心理療法を適用するなどもっての他・・・。素人は素人らしく、血液型の心理学ででも遊んでいろ・・・>。
アメリカだけでなく、日本の社会においても、戦前は、<軍事心理学>が盛んに行われました。戦後は、あまり目にすることがなくなりましたが・・・。
<精神分析>に関する本を読んでも<精神療法家>のまねごとをするわけでも、<人殺しの心理学>に関する本を読んでも、それで<人殺し>や裁判所調査官のまねごとをするわけでもありません。
『戦争における「人殺し」の心理学』を翻訳された安原和見氏、<訳者あとがき>の最後でこのうように記しておられます。「理解することには大きな力がある。理解は問題解決の第一歩だ。その意味で、戦争を憎む人にも、必要悪として認める人にも、あるいは積極的に肯定する人にも、考え方の違いを超えて読んでほしい一冊だ」。
部落史研究・同和教育研究・人権教育研究の分野では、被差別部落の歴史を知り、その起源や差別構造を解明し理解することに否定的な見解が多いようですが、安原和見氏のいう、<著者も述べているように、理解することには大きな力がある。理解は問題解決の第一歩だ・・・>。理解することなくして、問題解決への道はない・・・。
仏教の教典を読めば仏教徒に、基督教の教典を読めば基督教徒に、論語を読めば儒教徒に、祝詞を読めば神道の教徒になると考えているひとは、デーヴ・グロスマン著『戦争における「人殺し」の心理学』は読まない方がいいのかもしれません。
<人殺しの心理学>を読んで、人殺しになってはいけないから・・・。
基督教の教典である<聖書>を読んだだけでは基督教徒になることができないことを知っている筆者、仏典も論語も祝詞も読みます。宗教改革者マルチン・ルターのいう、<~からの自由>と<~への自由>を知っているがゆえに・・・。
この<~からの自由>と<~への自由>・・・、宗教改革の時代だけでなく、戦後の社会においても重要な意味を持っているようです。
リースマン著『孤独なる群衆』の簡約版の序文にこのようなことばが出てきます。「「孤独」なる群衆」は「からの自由」の問題を「への自由」の問題よりもさらに重要な問題として強調した。そして、読者たちも同じようなことを考えているに違いない。・・・しかしながら、私生活化を論ずるにあたっては、われわれはむしろ「への自由」を強調した。・・・今日のわれわれの日常生活と違って個人がそれぞれの能力を開発し、かつ人間が自分自身についてすっきりした感覚を持つことのできるような自律性を可能にするようなユートピアについて、われわれはもっと語るべきであったのかもしれない・・・」。
1960年代に突入したアメリカの社会学者のことばです。
「への自由」、いまだに<ユートピア>として理解されているのでしょうか・・・?
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