●部落史の窓・・・
今日、部落解放同盟新南陽支部の方が立ち寄られました。
そして、紀要『部落解放研究』(第178号 2007.10)に掲載されている、布引敏雄著「部落史の窓/長州藩の検断」という文章を読ませていただきました。
「部落史の窓」というのは、コラムの名前なのでしょう(最近、『部落解放研究』は講読することはありませんので・・・)。「窓」(コラム)を通して、部落史研究の最先端の状況を垣間見ることができる・・・。
しかし、今、なぜ、「検断」なのでしょうか・・・?
「検断」というのは、ひとことでいいますと、「首切り役人」のことです。
長州藩においては、正規の武士(藩士)の職務ではなく、準武士(士雇)の職務です。その職務の担い手の身分は「足軽」身分です。両刀差し身分ではなく一刀差し身分です。
ということは、「検断」は、近世幕藩体制下の「穢多」役・「非人」役身分ではないということです。
そういう意味では、「検断」について調べても、それは、「穢多」・「非人」について直接的な情報を得ることにはなりません。もちろん、近世幕藩体制下の司法・警察という同じ職務を担っていることを考慮すれば、間接的に「穢多」・「非人」の職務に関する情報を入手することは可能ですが・・・。
布引敏雄氏は、その文章の「三 徳山藩の内訌と検断」の項で、幕末期、徳山藩において、藩の「上司」によって、武士としての名誉も剥奪され、武士に相応しい死を死ぬことも拒否され、絞殺された3人の「部下」・・・、その処刑を担当した「検断三人」と「牢番」について言及したあと、その話を、「なんとも忌まわし話」と表現しています。
当時の「法」に違背する形で執行された「部下」の絞殺・・・。「検断三人」は、自ら不法を行うことを嫌って、更にその部下である「牢番」にその執行を命じます。そして、「検断三人は殺害を牢番にまかせ、川土手で控えていた・・・」といいます。
布引敏雄氏は、そのあと、このように綴ります。「検断の三人も牢番たちも、真実この仕事を断っているのだが、結局はひきうけざるをえなかった。このとき検断の人たちの心の中がうかがわれて気が重くなる」。
布引敏雄氏は、「検断」については数を数え、「牢番」については、「牢番たち」としてその数を数えることをしません・・・。使用されている史料には、その数をすぐ確定できるにもかかわらず・・・。布引敏雄氏にとっては、「牢番」より「検断」の方に、より多くの関心と同情とが存在するのかもしれません。「このとき検断の人たちの心の中がうかがわれて気が重くなる・・・」という表現は、「検断三人」に対してであって、「牢番」に対してではないのかもしれません。
布引敏雄氏は、幕末期、政治的混乱の中で発生した「誅伐」としての処刑を「なんとも無惨な処刑である」といいます。その中でも、「二週間という短期間に、合計四〇人の首を斬っている」検断・藤井関次郎に対して、「精神の平衡を失ってしまうのではないかと、気がかりなほどである・・・」と同情の感を禁じ得ません。「誅伐」は、超法規的に行われるため、「法」に忠実であることを旨としている他の検断は、「誅伐」にかかわることにためらいの思いを抱いたことでしょう。検断・藤井関次郎は、ひとり、その役をかってでたのでしょう。
布引敏雄氏は、「検断」に対して、更に同情と感情移入を続けます。検断・品川弥二郎について、「品川が検断の家筋の人であるとすれば、弱者の側に立とうとするする精神が彼の心の中のどこかにうずくまっていたのだと理解できるのだが。果たして、どうだろうか。」と読者に問いをなげかけて、あるいは自問しながらその文章を終えています。
この、布引敏雄氏の「部落史の窓/長州藩の検断」・・・、「検断」と同時代を同じ司法・警察システムの担い手として生きていた「穢多」・「非人」とはどのようなつながりがあるのでしょうか・・・。布引敏雄氏は、「検断」と、同じ司法・警察の職務遂行のゆえに、行動を共にしていた「穢多」・「非人」(徳山藩では「穢多」のみ)について、どのように表現されているのでしょうか・・・?
布引敏雄氏の文章に出てくる「牢番」こそ、徳山藩の「穢多」のことです。
つまり、布引敏雄氏は、「穢多」のことについて、そのかかわりを知っていながら、「牢番」についてはほとんど言及していないのです。布引敏雄氏の文章が、歴史一般の文章であるならそれもいいでしょうが、「部落史の窓」と銘打ったコラムの文章なのですから、「検断」について言及すると同時に、「牢番」についても同等に言及してしかるべきであったのではないでしょうか・・・。そうしたら、まさに、「部落史の窓」にふさわしい文章のなったと思わされます。
『部落学序説』の筆者としては、布引敏雄氏の文章を読み終えて、思ったのは、布引敏雄氏は、なぜ「検断」に関する文章を書くことにしたのか・・・、ということです。布引敏雄氏は、「検断」に対して抱いた彼独特の理解と受容の仕方を「穢多」・「非人」にも適用しようとされているのではないかと・・・。なんでもかんでも、「部落」に負のイメージを押しつける・・・、そういうことがなければいいのですが。
「検断」の所作は、あくまで「武士支配」の中の準武士(士雇=さむらいやとい)の所作であって、決して「穢多」・「非人」の所作ではありません。
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