●絶海の孤島・鳥島・・・
4月20日(日)の午後7時30分から、NHKの番組で、『ダーウィンが来た! 絶海の孤島アホウドリ今復活中』がありました。
最近、食事をしながら、妻と一緒にこの『ダーウィンが来た!』という番組を見ることが多いのですが、今日は、一時絶滅していたといわれたアホウドリが復活した・・・、という話しでした。
人間の残酷な乱獲によって絶滅に瀕していたと思われたアホウドリ、鳥島の断崖絶壁のわずかななぞえに棲息していました。アホウドリを虐殺した人間から、自分の身を守るため、人間が近づけない場所を棲息地にしていたようです。
そのアホウドリの棲息地を、鳥島全域に回復するためのこころみを映像化したものが、今日、放映された、「絶海の孤島アホウドリ今復活中」だったのでしょうか・・・。
絶海の孤島・・・、その名は鳥島。
「「鳥島」は通称で、正確には「硫黄鳥島」」だそうです。
筆者、『部落学序説』の執筆を完了したあとで、執筆に用いた史資料を一括して公表するつもりでしたが、読者の部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会の方々から、執筆に用いる史資料は、最初に公表すべきであると指摘され、それも一理あると思われましたので、参考文献のリストを公表しました。
無学歴・無資格の筆者、執筆に使用する史資料を<秘蔵>する意図は全然ありませんので、すべて公開しました。そして、執筆開始以降に入手した史資料についても、リストに追加してきました。
その中に、狩野政直著『鳥島は入っているか 歴史意識の現在と歴史学』(岩波書店)があります。
26年前、山口県下松氏の小さな教会に赴任してきたとき、山口県の高校の教師を世話人としてはじめられた読書会に誘われ、筆者も発題を求められ、狩野政直著『近代日本の民間学』(岩波新書)・同『日本近代化の思想』(講談社学術文庫)をとりあげました。狩野政直氏は、歴史学の門外漢である筆者に、歴史学が何であるのかを教えてくれた学者のひとりです。
『部落学序説』とその関連ブログ群で使用している諸概念は、狩野政直氏の論文から大きな影響を受けています。
今、『部落学序説』の執筆を中断して、『部落学序説』序論と第1~3章で論じてきたことを、「岡山藩」の「渋染一揆」研究に適用したらどうなるのか・・・、実践事例を明らかにするつもりで、「百姓の目からみた渋染・藍染」について言及していますが、第4章「解放令」批判はもちろん、第5「水平社宣言批判」~6章「同対審答申」批判の執筆に際しても、<狩野史学>からの影響は、今後も大きなものがあります。
『部落学序説』執筆の舞台裏と直面した様々な問題を具体的にとりあげた『田舎牧師の日記』の中に、草・木・花、小鳥・蝶・虫に関する文章と写真を掲載していますが、それは、筆者が、「部落史」を論じるとき、一般説・通説・俗説という枠組みに埋没して、ちいさなことがらに対する視線を見失うことをおそれ、自らの自戒とするためです。
バラスだらけの庭に咲いた、ちいさなアネモネの花に注目するのも、そのような精神のあらわれですが、それを教えてもらったのが、狩野政直著『「鳥島」は入っているか 歴史認識の現在と歴史学』(岩波書店)です。
狩野政直氏は、作家・島尾敏雄の講演『私の見た奄美』から<啓示>を受けたことばを引用しています。「日本の歴史の中であるいは日本人の中で、はじっこの方だから、落していいといふうな考え方を是正して行かなければならない・・・」。狩野政直氏は、そのことばには、「”切り捨てる”のとは対極の思想が表明されていた・・・」といいます。
そして、読者にこう呼びかけているのです。
「わたしたちの歴史学には、はたして「鳥島」は入っているか」。
「鳥島」は、民間学・民衆史学の大切なメルクマールなのです。
「歴史認識に当って、これまでの尺度の踏襲的な適用は、不生産性・独善性に連なるかもしれぬ・・・」といわれますが、部落史の認識にあたって、これまでの尺度(賤民史観・愚民論)の踏襲的な適用は、歴史研究・歴史教育の「不生産性」・「独善性」に帰結することになる・・・という、「戦後歴史学の・・・自己点検=再構成」にかかわった学者・研究者・教育者が抱いた「危機感」・・・、筆者の見る限りでは、その「危機感」・・・、部落史研究の分野においては現実のものになってしまったような気がしてなりません。
自覚するとしないとにかかわらず、「権力史観」に立ち、「武士階級」の視点・視角・視座からしか、「岡山藩」の「渋染一揆」を研究できない、学者・研究者・教育者たち・・・、狩野政直氏いう「愚民論」的発想を捨てきることができないようです。
筆者、部落史の「学問の権威自体」を疑い、無学歴・無資格、歴史学の門外漢である<常民>の視点・視角・視座から、部落史という学問の枠組みそのものを「批判の対象」にしています。
戦前・戦後の部落史研究の「存立の基盤」である「賤民史観」に対して、「原理的」に否をつきつけているのです。
『部落学序説』の執筆の直接的原因となった、筆者と山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老との出会い・・・、その寒村は、筆者にとって、部落史研究上の、部落学遂行上の「鳥島」です。「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者が切り捨ててかえりみない、重要な課題です。
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