今日は一日、教会の裏庭の花壇・お花畑・プランター・鉢に、春に咲く花の種をまきます。
筆者、教会の裏庭の瓦礫とバラスだらけの駐車場跡地を開墾して、花壇・お花畑・ミニ菜園・ぶどう棚にしていますが、<園芸>というのは、花にしても野菜にしても、季節単位でものごとを発想しなければなりません。春花を咲かせるためには、冬が来るまえにすべての種まきを終えていなければなりません。
スローライフは、少し見方を変えると、季節単位で先を見通しながらする計画的な営み・・・。
今年の秋の花は、7月の集中豪雨と長雨のため、ほとんど失敗だったのですが、それでも、教会の庭には、ウインターコスモス、ツワブキ、小菊・・・などの野生に近い花々が秋の繊細な花を咲かせています。
園芸店から、花の土と花の苗を買ってきて移植するだけなら簡単ですが、土つくりから種まきまでていねいに行おうとしますと、かなり時間がかかってしまいます。教会役員の方の中には、<野菜を作っても花は作らない。花を作るのは時間的にも費用的にも無駄!>と宣言する人もいて、筆者が、教会の庭を自生した花で飾ろうとするのは、<定年を迎えた牧師の単なる趣味>と判断されます。
教会の庭の手入れ・・・、結果よりも過程の中に喜びがあるのですが、現代社会というのは、その隅々まで、<過程>より<結果>が優先される傾向にあるようです。無学歴・無資格の筆者・・・、60歳を過ぎても、新たなことに挑戦しているのは、<結果>よりも<過程>を楽しむこころがあるからです。
『部落学序説』とその関連ブログ群・・・、既述の文章を読んでいるときよりも、新たな文章を執筆するために史資料を読んで解析、批判検証しているときの方がずっと、ずっと楽しさを感じます。
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