2009年12月14日 (月)

●「歴史学研究法」の現代訳(北天翆翔訳)のおすすめ・・・

今日、ホームページ『海部 徳島県海部郡海陽町について・歴史論集』の著者・北天翆翔さんからメールをいただきました。

インターネットで、今井登志喜著『歴史学研究法』を検索していて、筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群に遭遇されたようです。そのメール、<今井登志喜 ・歴史学研究法・全文で検索しますと、こちらのブログが出てまいりますので、ご連絡いたします。旧字体の今井登志喜『歴史学研究法』東大出版(著作権切れ、絶版本)を現代表記?にして易しく書き改めたものを、私のホームページに掲載しています(東大出版連絡)。http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/genndaibunn.rekisigakukennkyuuhou.html >ではじまっていました。

今井登志喜著『歴史学研究法』を旧漢字から現行の漢字にあらため、文語的な表現を口語的な表現に変更されたようです。要するに、今井登志喜著『歴史学研究法』の現代訳を作成されたとのこと・・・。

無学歴・無資格の筆者、北天翆翔さんのホームページの記事を読ませていただきならが、不思議な気持ちにさせられました。その理由のひとつとして、現在、日本の<最高学府>である大学で学んでいても旧漢字を読めないひとが少なからず存在しているということ・・・。もうひとつは、昭和10年に執筆されたこの『歴史学研究法』・・・、現代表記にされなければ、今の若い世代の人々には読まれないということ・・・。さらに、現在の大学では、史料学や史料批判の方法を学ぶことができないということ・・・。

不思議な世の中になったものです。

無学歴・無資格の筆者、歴史研究の門外漢なので、今井登志喜著『歴史学研究法』に紹介されている<史料批判>に関する論文・書籍、他に存在しているのかどうか知りませんが、今井登志喜著『歴史学研究法』・・・、今井登志喜氏の原文と北天翆翔さんの現代訳の<対訳>の形で<出版>されたらどうでしょう・・・?

筆者、波多野精一著『西洋哲學史要』、牧野紀之氏による、その現代訳である『西洋哲学史要』より原文の方が読みやすい・・・。

<今井登志喜著『歴史學研究法』を読むなら、旧漢字ぐらい読みなさい!>という指導は、今の時代にはなじまなくなってしまったのでしょうか・・・?

今井登志喜著『歴史學研究法』をお持ちでない読者の方々、是非、北天翆翔さんの現代訳『歴史学研究法』をお読みになられてはいかがでしょう。今井登志喜著『歴史學研究法』・・・、無学歴・無資格の筆者にとっては、とてもためになる本でした。

  

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2009年11月19日 (木)

●戦後問われることがなかった歴史学者の戦争犯罪・・・

午前中、ある論文を読んでいました。

部落史研究に関する概説書・・・の類ですが、筆者の視点・資格・視座に共通するところ大です。

山口大学の元研究員の方、筆者に、<論文執筆のネタになる資料は安易にブログ上で公開しない方がいいのでは・・・>と助言をしてくださっていますが、今日読んだ論文もそのひとつ・・・。

戦後問われることがなかった歴史学者の戦争犯罪・・・、部落史研究者の戦争犯罪についても言及している論文です。戦前の歴史学者としての<神国史観><戦争挑発論>・・・、戦後はそれをタンスの奥深くにしまい込み、手のひらを返すように、<民主主義論><平和論>を鼓舞するようなっていった姿・・・、その論文の執筆者は、<破廉恥><無論理>の象徴であるといいます。

そんな<歴史家が今まで日本の歴史学を牛耳っていたということは、恐るべきこと・・・>であるといいます。

そして、こう続けます。<しかしながら、彼らが東へ行こうといっても、彼らの舊著は、古本屋の棚の上で、依然として西へ行こうといっている・・・>。

以前、『部落学序説』を読んでくださっている日本文化史研究者の方から提供のあった部落史研究の論文集にこのような論文が含まれていました。

戦後、部落史研究においても反差別の傾向がつよかったと思われますが、戦争責任ひとつ、歴史学者として満足に自己批判することができなかった彼らの歴史研究・部落史研究は、外見上、反差別の方向に向かうようにみえながら、彼らの歴史研究・部落史研究の足跡をたどると、まったく逆の差別の拡大再生産の道を歩んでいる・・・。

戦後生まれの歴史・部落史の学者・研究者・教育者の多くも、<東><西>の方向すら区別することができす、歴史研究・部落史研究の大御所に追従、差別思想である賤民史観に身を寄せ、追従する結果に陥っています。

昨年11月から1年間をかけて、インターネットの<日本の古本屋>を介して集めてきた、『部落学序説』執筆再開のための古書・・・、戦前・戦後の歴史研究・部落史研究の学者・研究者・教育者の戦争犯罪を立証する多くの資料・論文を含んでいます。

時の権力と迎合して<歴史観>を恣意的に操作する学者・研究者・教育者たち・・・。学問の世界で一切利害関係をともなわない、無学歴・無資格の筆者には、その<破廉恥><無論理>に満ちた姿・・・、とてもさびしく、情けなく思います。

  

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2009年10月25日 (日)

●歴史の事例研究の限界・・・

礼拝がはじまる前、少しく時間ができましたので、インターネットにアクセス・・・。

パソコンを起動する度に必ずアクセスするブログ『歴史関係ブログ集成』を閲覧・・・。いつもその時の気分しだいで閲覧する歴史学者のサイトは異なるのですが、今日最初に開いたのは、九州大学大学院教の新谷恭明教授のブログ『新谷研究室』・・・。

そこに、10月10~11日名古屋大学で開催された教育史学会の参加記録が掲載されていました。3つの段落のうち最初の2つの段落を無断転載させていただきます。

「10月10、11日と教育史学会で名古屋大学に行ってた。司会をしたのだが、その時間帯は西洋教育史の部会がなかったため、西洋教育史の人たちがずいぶん来ていた。で、かなりおもしろい質問や意見が飛び交っていた。就中、大御所のM沢大センセが「どうしても一言言わせろ」と要求するので最後の質問タイムをお渡しした。すると「今日の発表はことごとく事例研究だ。事例とは何だ。全体がわかっていないで事例とはおかしいではないか。」と言われる。まさにその通りだ。全体像を把握しないで、事例研究なんて出来るわけがない。その事例が大きな歴史の中にどう位置付くのかという問題意識無しに研究をすることの意味は何なのか。

僕自身も地域の特定の学校の研究から始め、ずっといわゆる事例的な研究をしてきた。始めて論文らしきものを書いたとき、師匠のT﨑大センセに「モノグラフをいっぱい作れ」と言われていたこともある。しかし、史料調査に行き、郷土史家の方々に教えを乞うたびに自分と郷土史家とのちがいは何か、何か自分をして教育史研究者たらしめているのか、という問いを自分に突きつけながらやってきた。それは「この研究対象は大きな歴史の中でかくかくしかじかの意味を持っている」と説明できるかということではないだろうか」。


教育史の大御所からの<全体がわかっていないで事例とはおかしいではないか>という指摘・・・、部落史研究の学者・研究者・教育者の世界で、往々にしてまかり通っている雰囲気です。個々の史資料、個々の地方に拘泥していて、全体像の把握はほとんどなされていない。部落史研究においては、システム論とか組織論とか、ほとんど無関係のようです。<全体像を把握しないで、事例研究なんて出来るわけがない>・・・、そこで登場するのが、被差別部落の人々を<賎民>の範疇で考察するという、賤民史観という枠組み・・・。

この部落史研究の枠組みとしての賤民史観は、ほとんどの部落史の学者・研究者・教育者は無批判に採用しています。そのため、ほとんどすべての部落史の事例研究、部落史教育の事例研究は、差別思想である賤民史観一色に塗りつぶされてしまいます。

<全体像を把握しないで、事例研究なんて出来るわけがない・・・>だけでなく、<間違った全体像のもとでは、まともな事例研究なんて出来るわけがない・・・>と考えるのは、『部落学序説』とその関連ブログ群の、無学歴・無資格の筆者の単なる<妄想>なのでしょうか・・・。

否々、<賤民史観>という<妄想>にとりつかれて、被差別部落の人々から本当の歴史・物語を奪い、<賤民史>という差別的な歴史・物語を押しつけているのは、部落史の学者・研究者・教育者たちの方です。

  

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2009年7月28日 (火)

●一大決心をして日本古文書学講座を注文・・・

数日前、読者の方から、紀州藩『城下町警察日記』の読み方について御教示いただきましたが、筆者、無学歴・無資格、歴史学の門外漢であるが故に、読者の方の真意を十分汲み取ることができませんでした。

それで、いろいろと思案に明け暮れていましたが、やっと、<古文書学>を本格的に勉強することを決心しました。

すでに、佐藤進一著『新版古文書学入門』・林英夫監修『基礎古文書の読み方』・若尾俊平編著『図録古文書入門事典』・油井宏子著『古文書はじめの一歩』・林英夫他篇『入門近世文書字典』『かな書体字典』『漢字書体字典』などを活用していますが、いずれも入門書どまり・・・。

読者の方は、筆者の古文書の読み方に<不安>を覚えられ、古文書の正しい読み方を指導してくださろうとされたのでしょう。

それで、筆者・・・、古文書を正しく読むことができるように、一大決心をして、インターネットの古書店に、『日本古文書学講座』全11巻を注文することにしました。

筆者、現在の教会を辞して、東北福島の妻の実家のある湖南町で帰農したとき、湖南町の郷土史家・秋山雄記氏に郷土史のてほどきを受けることにしていますが、そのときの必須条件は、湖南町の古文書が読めること・・・。

『日本古文書学講座』をマスターすれば(できるかどうかは定かではありませんが・・・)、そのことも可能になる・・・、と思って、『日本古文書学講座』(全11巻11000円)を注文しました。古書1冊@1000円です。それで、古代・中世・近世・近代の古文書が正しく読めるようになれば、<無駄な投資>にはならないでしょう。

岡山の伊里中学校の人権教育担当の藤田孝志氏・・・、筆者に対する<誹謗中傷・罵詈雑言>の背景には、筆者の部落史関連の史資料に対する読みが適切ではないとの批判があるようですから・・・。

しかし、筆者、61歳・・・、たとい、『日本古文書学講座』を今更マスターしても、部落史研究の第一人者を自負される岡山の中学校教師・藤田孝志氏の足元にも遠く及ばないことはいうをまたないのですが・・・。

『日本古文書学講座』をマスターすることで、各時代の古文書が正確に読めるようになることで、妻の実家のある東北福島の湖南町で余生を過ごすときに、すこしく、筆者の趣味の世界を広げてくれるかもしれません。

郷土史研究法については、いままで、古島敏雄著『地方史研究法』(東大新書)に全面的に依存してきましたが、昨年秋からはじめた、『部落学序説』とその関連ブログ群執筆継続のための基本的史資料の充実の一貫として、古島敏雄編『郷土史研究講座』全7巻(金沢大学除籍本・・・)を入手していますので、筆者の60歳の手習い・・・、筆者にとっては、大がかりなものになってしまいました。

これからも、無学歴・無資格街道一直線! 部落史の学者・研究者・教育者の嘲笑と蔑視にさらされながら・・・。

  

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2009年6月23日 (火)

●ついでに、古島敏雄著<郷土史研究法>も発注・・・

筆者、無学歴・無資格、学問とは無縁な存在ですが、部落史に関する文献をひもとくときには、いままで、今井登志喜著『歴史學研究法』と古島敏雄著『地方史研究法』を参考にしてきました。

そういう意味では、筆者の歴史研究法は、独学で習得してきたものですが、以前、高学歴・高資格の、部落史研究の第一人者を自負される、岡山の中学校教師・藤田孝志氏から、<ハウツウものが多い。歴史研究法を読んだところで、歴史論文が書けるはずがない・・・>と揶揄されたことがありますが、今回、古島敏雄著『郷土史研究講座』を加えることで、またまた同様の揶揄をあびせられる可能性があります。

その愚をおかしていることを充分自覚しながら、筆者、古島敏雄著『郷土史研究講座』(全7巻)を、インターネットの古書店に発注しました。

1.郷土史研究法
2.古代郷土史研究法
3.中世郷土史研究法
4.近世郷土史研究法
5.幕末郷土史研究法
6.明治前期郷土史研究法
7.明治大正郷土史研究法


『部落学序説』において、部落史の学者・研究者・教育者が暗黙の前提にしている賤民史観を差別思想であると批判検証していますが、部落史の学者・研究者・教育者の、研究成果だけでなく、研究の前提である<枠組み>、研究方法も批判検証の対象にするためには、古島敏雄著『郷土史研究講座』は避けて通ることができない文献のようです。

今井登志喜著『歴史學研究法』と古島敏雄著『地方史研究法』に加えて、古島敏雄著『郷土史研究講座』(全7巻)を加えたところで、高学歴・高資格の、部落史研究の第一人者を自負される、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の足もとにも及ばないことはいうをまたないのですが・・・。

筆者、筋金入りの無学歴・無資格ですので、<能>のない鷹として、<爪>を隠すという識者の美風は持ち合わせていません。

   

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2009年6月 5日 (金)

●部落史研究、これで大丈夫・・・?

昨日、夜、岡山の中学校教師・藤田孝志氏のブログを閲覧・・・。

『岡山部落解放研究所紀要』(第6号・1988)<渋染一揆関係史料集>に収録されている文書の、藤田孝志氏独自の<解題>を掲載されていました。

<渋染一揆関係史料集>最初の文書は、「禁服訟歎難訴記」・・・。その藤田孝志氏の解題は以下の通り。

1 「禁服訟歎難訴記」(原題「穢多渋着物一件」)
渋染一揆参加者の手によって書かれた記録である。原題は「穢多渋着物一件」であったが,粘紙をして「禁服訟歎難訴記」と改題されている。作者については神下村の豊五郎あるいは笹岡村の良平とする説があるが,豊五郎の子孫が所蔵しておられることや,本書(紀要)に収録されている寺田憲生氏の論考(「『禁服訟歎難訴記』の作者について」)などから豊五郎の作と考えられる。なお,豊五郎は,神下村の判頭として一揆の指導をおこない,判決直前に逐電している。また,自宅で手習師匠もしていた。この記録は,五七調を基調に書かれた上下二巻の和綴じ冊子である。上巻は,一揆の歎願運動までの経緯について,下巻は強訴運動の経過,事後の取調について,牢内生活の状況などが詳細に書かれている。内容としては,城下周辺の動きが中心であり,また脚色や誇大的記述,誤記もある。しかし,一揆指導者の直筆であること,また客観的な記述であることから,一揆の全容を知るためには貴重な歴史的史料である。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏・・・、独自の解題を掲載するにあたって、<渋染一揆関係史料集>の末尾の「解説をもとに簡略にまとめ」た・・・といいます。藤田孝志氏の解題は、<渋染一揆関係史料集>の解説に準拠しているというイメージがありますが、藤田孝志氏にいわせれば、<そう受けとめるのは、あなたの勝手・・・>なのでしょうか・・・。

藤田孝志の解題と<渋染一揆関係史料集>の解説との異同を見ていきますと、単なる字句の違いではなく、部落史研究・・・、とくに、渋染一揆研究の史料の扱い方に無視できない対応の違いが明らかになってきます。

<渋染一揆関係史料集>の解説:渋染一揆参加者の手によって書かれた記録文学である。
藤田孝志氏の解題:渋染一揆参加者の手によって書かれた記録である。

岡山部落解放研究所の渋染一揆研究班の解説では、「禁服訟歎難訴記」<記録文学>とされています。

<記録文学>とは、「事実の記録的要素の非常に強い文学作品」(広辞苑)のことです。

このことは、「禁服訟歎難訴記」の記載内容は「文学作品」であるため、それを歴史研究の史料として用いるには手続きが必要であるということが含意されています。渋染一揆研究班曰く、「記録文学の常として多少の脚色や人数の誇大的記述、いくつかの誤記が、見受けられる」。

<記録文学>としての「禁服訟歎難訴記」の表現型式は、<五七調>・・・。

この<記録文学>としての「禁服訟歎難訴記」は、「長く門外不出とされ秘蔵されてきたもの」で、執筆当初から、衆目にさらされ、その歴史的事実に照らして批判検証を受け、史実の記録として認定されてきたのもではありません。筆者、<記録文学>の常として、「多少の脚色や人数の誇大的記述、いくつかの誤記」だけでなく、その内容においても、歴史的・地理的制約を免れ得ない・・・と考えます。

渋染一揆研究班の解説では、「禁服訟歎難訴記」は、「作者の出身地に規制され・・・」ていることを否めません。「禁服訟歎難訴記」によって、渋染一揆全体の動きを推し量ることには留保が必要になります。

しかし、この記録<文学>という言葉・・・、岡山の中学校教師・藤田孝志氏には、受け入れがたい表現のようです。藤田孝志氏の解題はこのような言葉で結ばれます。「一揆の全容を知るためには貴重な歴史的史料である」。

「貴重な・・・史料」であると表現すればすむところを、藤田孝志氏、あえて、「貴重な<歴史的>史料」であるといいます。藤田孝志氏・・・、どうやら、「禁服訟歎難訴記」を、渋染一揆研究班の<記録文学>という解説を否定、<歴史資料>であるとの見解を表明されているようです。しかも、<貴重な>・・・。

なぜ、<記録文学>ではだめで、<歴史的史料>でなければならないのか・・・?

岡山の中学校教師・藤田孝志氏・・・、そのことについては、ほとんど言及することはありません。無学歴・無資格、歴史研究の門外漢である筆者の目には、藤田孝志氏の姿勢の背後に、藤田孝志氏が無意識に前提とされている部落史研究の学問的枠組み・・・、筆者が批判する<賤民史観>が存在していると思うのですが・・・。<賤民史観>の証拠となる史料は、<記録文学>でも<歴史的史料>とみなす・・・、という・・・。

『部落学序説』の筆者の立場では、「禁服訟歎難訴記」・・・、<穢多>が残した<記録文学>であってもいっこうに構わないと思うのですが・・・。「禁服訟歎難訴記」<記録文学>である・・・、ということは、「禁服訟歎難訴記」で書かれている<穢多>の精神世界を理解する上で、文学的研究の手法を応用することができることを意味します。

渋染一揆研究班の「解説をもとに簡略にまとめ・・・」たといいつつ、渋染一揆研究班の<記録文学>としての基本的認識を否定、無条件に、<歴史的史料>として権威づける、部落史研究、渋染一揆研究の第一人者を自負する、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の姿勢・・・、筆者、やはり、受け入れがたい・・・。

無学歴・無資格、歴史研究の門外漢である筆者、イデオロギー的解釈をできる限り排除して、<史料をして史料を語らしめる>ことがなによりも大切であると認識します。

  

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2009年6月 1日 (月)

●無学歴・無資格はそれなりに・・・

インターネットの古書店に注文していた2冊が届きました。

鹿島守之助著『日本外交史2 条約改正問題』(鹿島研究所出版会)と下村富士男著『明治初年条約改正史の研究』(吉川弘文館)・・・。

筆者、<部落学>を指向しても、<部落史研究>を指向しているわけではないので、歴史学の分野に深入りするつもりはないのですが、『大日本外交文書』・・・、それを閲覧するためには、山口県立図書館まで通わなければならなくなりますので、その代替品として、現在、安価に入手することができる鹿島守之助著『日本外交史』の<日英関係>に関する資料を集めています。

『大日本外交文書』・・・、<日英関係>について、重要な文書が欠落している場合もあり、全面的に依拠することができない面もあるのですが、それでも、『大日本外交文書』・・・、重みがありますので、避けて通ることができず、下村富士男著『明治初年条約改正史の研究』に触手をのばしてしまいます。

無学歴・無資格は、それなりに、<苦労>がともないます。

この前、筆者を尋ねて来られた日本文化史の研究者の方・・・、こんな話をされていました。「日本史の専門家ではない<しろうと>の研究者の場合、<新説>として論文を書き上げたあと、既に有名な学者によって論究されているテーマであったりする。場合によっては、その内容・表現が酷似しているため、著作権侵害として訴えられる場合もある。しかし、吉田向学著『部落学序説』・・・、執筆開始以来まる4年が経過するも、そのような批判はない・・・。<しろうと>学にしては、めずらしいケースである・・・」。

筆者・・・、日本基督教団西中国教区の一番小さな教会の田舎牧師・・・。<その日暮らし>に追われて、<好きな本を読んで暮らす>、そんな<時>の贅沢とは無縁の日々を過ごしてきましたが、昨年から受給しはじめた<老齢年金>・・・、妻に許可してもらった最初で最後の用途は、晩年を有意義に生きるための<古書収集>・・・。

最近、こころの中から、<『部落学序説』執筆継続のために、必要な資料・・・、集めることができるだけ集めてきたのだから、速やかに読破して、執筆を再開したら・・・>という声が聞こえてきます。

<無学歴・無資格>は、<規格外>・・・、<評価の対象外>・・・、ということを意味します。<規格はずれ、評価対象外>・・・、<無学歴・無資格>の筆者にとっては、ふさわしい当然の<評価>になります。

 

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●ブログ「江戸時代研究な日々」からの来訪者数・・・

昨日、「東京都公文書館非常勤職員・・・」をされている高尾善希氏のブログ『江戸時代研究な日々』から、筆者のブログ『田舎牧師の日記』にアクセスしてこられた方は34名・・・。

34名のうち、30名は、高尾善希氏が紹介してくださった文章を閲覧されて、すぐ、元の場所に戻って行かれました。残りの4名の方は、『田舎牧師の日記』のトップページを経由してその他のページを閲覧されたようですが、ココログ組み込みの解析では、4名の方々がどのようなページを読まれたのか、一覧表示されます。ただ、追跡するのは時間がかかりますので、そこまで把握することはほとんどしません・・・。

ブログのアクセス数・・・、<継続すればするほど上昇する>という原則があるようです。書き続け、公表し続ける・・・、おのずと、アクセス数増加につながります。

しかし、岡山の中学校教師のHP/BBS/ブログのように、他者に対する誹謗中傷・罵詈雑言を繰り返し、都合が悪くなると、HP/BBS/ブログの更新と称して、過去の文章を<証拠隠滅>のように消し去ることを常とするHP/BBS/ブログにあっては、アクセス数の増加はともかく、その読者の方々の正確な把握をすることはほとんど不可能なことでしょう。

岡山の中学校教師・・・、<優れた歴史研究が必ずしも評価されるわけでないので、アクセス件数にはこだわらない・・・>という趣旨のことを綴っておられましたが、<管理>と称して、読者に対する誹謗中傷・罵詈雑言、はては、アクセス制限、IDとパスワードの強制・・・、なにのために、HP/BBS/ブログで部落史研究・部落史教育に関する文章を掲載されているのか、真意がはかりかねることにもつながります。

そこへ行きますと、筆者は、ブログ上で書いた文章に<アクセス制限>と加えるようなことはしません。

理由は、アクセスしてくださるひとりひとりの読者の方を、<とてもありがたい・・・>と思っているからです。その点では、「東京都公文書館非常勤職員・・・」をされている高尾善希氏の読者に対する姿勢に遜色はありません。

小学校・中学校の教師は、義務教育のため、生徒を椅子に縛りつけて教育を施すことができます。最近は、おびただしい登校拒否児童が産み出されているそうですが、その場合も、学校や教師に責任はなく、親と児童に全面的に責任がある・・・、と排除することが許される環境がありますが、<生徒>ではなく<大人>が対象である場合、岡山の中学校教師・藤田孝志氏のような姿勢が通用することはまずないでしょう。

なぜなら、<大人>は<生徒>と違って、強権的で横柄な態度をとる講師の話しに最後まで耳を傾けることなく、途中でその席を立ってしまうでしょうから・・・。

筆者は、決して、そのような態度はとりませんけれども・・・。藤田孝志氏に対する筆者の対応をみてもお分かりのように、筆者、途中で、<視点>を変革します。<学ぶ>姿勢から後退し、どうしてそのような話をされるのか、<批判検証>の対象として考察を続けていくことになります。

インターネットは、人生の旅人が、その旅の途上、しばし立ち寄ることができるこころのオアシス・・・、高尾善希氏の『歴史関係ブログ集成』・・・、歴史学の<序説>(プロレゴメナ)に関心を抱く筆者にとっては、学ぶことの多い、興味ある文章群です。

34名のアクセス者・・・、『歴史関係ブログ集成』の読者の方々ですから、筆者、そのアクセス、光栄に存じます。

  

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2009年5月15日 (金)

●歴史研究の<辻>を通って・・・

最近よくアクセスするサイトに、<東京都公文書館非常勤職員・・・立正大学非常勤講師>をされている<歴史研究人。江戸時代史専攻。博士(文学)。>の高尾善希氏が運営されている『歴史学関係ブログ集成』があります。

こちらの『歴史学関係ブログ集成』・・・、筆者、暇をみつけてはアクセスしているのですが、1日10数回アクセスしても、高尾善希氏から、<異常なアクセス・・・>として嫌われることは一度もありません。

『歴史学関係ブログ集成』・・・、新進気鋭の歴史学者の方々から、『消された伝統の復権』の福井県立大学大学院経済経営学研究科教授・京都大学学術出版会理事長本山美彦氏のブログまで、実に多種多樣な方々の多種多樣なブログへのアクセスするための<辻>の役割を果たしておられます。

無学歴・無資格、歴史学には門外漢の筆者、この<辻>から、<真師を求めて修業の旅・・・>にでます。

不思議なことに、この<辻>から、無学歴・無資格、歴史学には門外漢の筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群へアクセスすることができます。<部落史>の研究者がほとんどリストアップされていない中、筆者のブログが掲載され続けていることに、なにとなく面映い感じがします。

しばしば、<辻>から旅をしてたどりついたブログで<名文>に遭遇・・・、何度か、感想をコメントの形で、旅の思い出よろしく書き残そう・・・と思ったことがありますが、筆者、無学歴・無資格、歴史研究の門外漢の、旅の一<僧侶>に過ぎませんので、素通りしています。

歴史研究・部落史研究の<第一人者>を自負される岡山の中学校教師藤田孝志氏との<悪夢の出会い>・・・、二度と経験したくありませんから・・・。岡山の中学校教師・藤田孝志氏との出会い・・・、それは、<辻>を避けてとおる、<裏街道>における<山賊>との出会いにたとえられるものです・・・。最近は、<鬼ばんば>の霊が乗り移ったみたいで、「必ず、何年経とうとも時を待ち、絶対に二度と立ち上がれぬように叩きつぶす・・・」とのたまわれる・・・。

そういえば、<忍者>の世界は、<表>の世界ではなく<裏>の世界・・・。<裏>の世界には<裏>の論理と倫理があるのでしょう。

筆者、歴史研究の世界は、<裏街道>を避け、<表街道>を歩くをもってよしとします。高尾善希氏が運営されている『歴史学関係ブログ集成』・・・、歴史研究の<表街道>を旅し、<辻>を歩くことの楽しさを教えてくれます。

無学歴・無資格、歴史研究の門外漢の筆者、『部落学序説』は、<表街道>から、<常民>の目から見た<非常民>の世界の旅日記・・・、<非常民>の<裏>の世界に、立ち入ることのない論述です。

高尾善希氏が運営されている『歴史学関係ブログ集成』・・・、筆者にとっては、何度も足を運びたくなる、歴史研究の<辻>です。その<辻>から、東西南北、四方八方に歴史研究の世界への道が開かれています。

  

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2009年1月 6日 (火)

●嘆かわしい歴史教育の衰退・・・

昨日、教会の庭を散策していて、ウグイスを2回視認しました。同じ1羽のウグイスなのか、違う2羽のウグイスなのか判断できませんが・・・。そのウグイスの鳴き声、<ホーホケキョ>ではなく<チャッチャツ>・・・。

現在、教会の庭で、<ホーホケキョ>と鳴くのは、ウグイスではなく、他の小鳥の鳴きまねができる百舌鳥やむくどりの鳴き声・・・。

<常識>に依存しているひとにとっては、筆者の上記の言説・・・、信じがたいでしょうが、最近、小鳥の観察をはじめた筆者の目には、そのように見え、筆者の耳には、そのように聞こえるのです。

さて、今朝、メールを確認していますと、以下のようなメールが紛れ込んでいました。

・・・福島発信の死体埋葬禁止令は一次資料の定義を満たしていませんよ。しかも同じ福島から一次資料の定義を満たした死体埋葬記が出てきてます。管理人さんは一次資料の定義をご存知でしょうか?「いつ・どこで・誰が・何を・どうした」、これらの事柄が全て明確に当てはまって一次資料なのです。個人のブログとはいえ俗説をあたかも史実のように書いて発信するのは良くないと思いますよ?それよりも長年に渡り、証拠も信憑性もないまま5次資料で鹿児島や山口などいくつもの地域を公的にも中傷する福島の方が問題ではないでしょうか?日本は法治国家です。明確な証拠もないのに他地域を叩く福島県こそ、オカシイと思いますよ。最後に質問します。管理人さん、あなたは白虎隊を少年だと思いますか?そして悲劇の部隊だと思いますか?

この種のコメント・・・、『部落学序説』で公開してもあまり意味がないので、公開することはありませんが、今回、筆者の<気分転換>のために、コメントに応答させていただくことにしました。しかし、あくまで単発的な<反応>として・・・。

質問に対して質問をもって応えるのは好ましくことではありませんが、筆者、「史料の可信性の批判」において、「時間・場所及び人間の関係」(今井登志喜著『歴史學研究法』)が重要な指標になることはしっていましたが、「一次資料」の定義の<外延>として、「いつ・どこで・誰が・何を・どうした」という5項目が列挙されているのを見たのははじめです。そこで、質問です。「一次資料」の定義の<外延>として、「なぜ」という項目は必要ないのでしょうか・・・。

無学歴・無資格、大学等の高等教育機関などで学ぶことができる歴史研究とは無縁の存在ですので、貴兄がいわれるような「1次資料」・・・「5次資料」という「史料の等級」は知りません。貴兄は、「1次資料」についてのみ、貴兄なりの定義をしてみせますが、「5次資料」についての定義はなになのでしょう・・・?

貴兄は、「長年に渡り、証拠も信憑性もないまま5次資料で鹿児島や山口などいくつもの地域を公的にも中傷する福島の方が問題ではないでしょうか」と問いかけてこられますが、「5次資料」で、歴史を判断してはいけないのでしょうか・・・。無学歴・無資格の筆者の目からみますと、日本の近代の歴史学は、<国家統治のための学>としての機能をになっていましたので、近代中央集権国家・明治天皇制国家の護持に抵触する史料・研究は、徹底的に排除されていった・・・、と認識しています。しかし、歴史の事実までは抹消することはできませんので、歴史の事実・真実は、貴兄がいう「1次資料」だけでなく、「2次資料」以下の形態で伝承されていくことになります。

柳田國男民俗学などは、歴史学がカバーできない史資料(文書・伝承)に着目してなされた学的研究でしょう。

無学歴・無資格の筆者は、『部落学序説』執筆に先立って、筆者が依拠している論文・書籍を公開しています。そして、筆者が採用している<歴史的研究法>についても・・・。今回の「史料の等級」に関する問題についていえば、筆者が依拠するのは、歴史研究法の<古典>に近い、今井登志喜著『歴史學研究法』(東京大学出版会)です。

その中で今井登志喜氏は、「史料の等級」について、坪井『史學研究法』の、「史料の価値」についての「六つの等級」を紹介し、また、その「史料の価値判断」に関する反論として、大類『史學概論』の説を紹介しておられます。そのうえで、今井登志喜氏固有の見解を記しておられます。

無学歴・無資格の筆者、歴史研究法については、この今井登志喜著『歴史學研究法』に全面的に依拠していますので、現代の歴史学研究の方法論は、戦後一段と進んでいる可能性がありますので、おそらく、貴兄は、現代の歴史学研究法の最先端を学んだうえで、筆者に問いかけしておられるのだろうと思いますので、貴兄の胸をかりるつもりで以下の文章を綴ります。

無学歴・無資格の筆者にとって、歴史研究にさいして行われる「史料の等級」の判断は、坪井説にしたがって、「一等史料」・「二等史料」・「三等史料」・「四等史料」・「五等史料」・「等外史料」「六つの等級」のみです。

筆者、別に漢語表記にこだわるわけではありませんが、坪井説の「一等史料」・・・「五等史料」という表現と、貴兄のいわれる「1次資料」・・・「5次資料」という表現が、どこでどうつながっているのか判断しかねます。

筆者の<常識>では、「一次資料」という表現に対しては「二次資料」という概念が存在するのみで、「三次資料」・・・「五次資料」はないはず・・・。しかし、貴兄は、「5次資料」という表現を、なんら定義されることなく使用されますので、おそらく、坪井説の「一等史料」・「二等史料」・「三等史料」・「四等史料」・「五等史料」の亜流か、焼き直しの表現ではないかと思います。

坪井説の「一等史料」「五等史料」の説明(定義)をそのまま引用します。

「一等史料 史學事項の起こった當時、當地においてその當事者が自ら作った史料、たとえば主たる當事者の日記の類、参謀官のメモ等」

「五等史料 編纂物の上乗なもの、すなわち根本史料により科学的に審査し、公平に編纂したもの」

つまり、「五等史料」とは、歴史学者によって、「史料」として編纂された資料集のことです。筆者が使用する岩波『日本思想大系』・岩波『日本近代思想大系』は、この「五等史料」に属します。

無学歴・無資格、歴史学の門外漢の筆者が、『部落学序説』の執筆に際して使用する「史料」は、99.99%が「五等史料」ということになります。「一等史料」「1等資料」)でないと、まともな歴史研究ができない・・・、というのは、歴史学者・歴史学徒としては暴言です。孔子の残した直筆の『論語』原文で研究しても、「論語読みの論語知らず」・・・、というのは往々にしておこりうべきことがらですから・・・。

「五等史料」「5次資料」)を否定することは、とりもなおさず、歴史研究、学的研究そのものを否定することに直結します。

今井登志喜氏曰く、「史料の可信性の批判において時間場所及び人間の關係をよく考慮しこれを價値判斷の標準とする事は、研究法の書物がすべて一致するところであり、その點について疑問はあり得ない。ただそれは杓子定規的機械的でなく、それぞれの史料について十分有機的になされることが肝要である」。

貴兄のことば、「個人のブログとはいえ俗説をあたかも史実のように書いて発信するのは良くないと思いますよ?それよりも長年に渡り、証拠も信憑性もないまま5次資料で鹿児島や山口などいくつもの地域を公的にも中傷する福島の方が問題ではないでしょうか?」・・・、筆者の視点・資格・視座からしますと、歴史学・歴史研究とはまったく縁のない、あったとしても、歴史研究の素養をもちあわせていない<輩>のことばではないかと思わされます。

貴兄は、もしかしたら、「1次資料」・・・「5次資料」という用語を、学術用語・歴史用語としてではなく、「通俗」的に、「1番煎じ」・・・「5番煎じ」の意味で使用されているのかな・・・?

歴史学とはなにか、歴史研究とはなにか、歴史研究法とはなにか・・・。

筆者、貴兄に今井登志喜著『歴史學研究法』(東京大学出版会)を一読されることをおすすめします。

【蛇足】

「最後に質問します。管理人さん、あなたは白虎隊を少年だと思いますか?そして悲劇の部隊だと思いますか?」についての質問に対しては、「定義」にこだわる貴兄にすすめます。「少年」の定義、それと対になる「大人」(「成人」)の定義について認識されることをおすすめします。近世幕藩体制下、明治初年代、<武士階級>のこどもが、いつ<少年>を脱して<成人>したのか・・・。

大学を卒業し、高学歴・高資格をみにつけても「大人」になりきれない、<モラトリアム>を生きているひとが多い・・・、とささやかれるようになって久しくなりますが、<モラトリアム>に長く身を起きすぎると、歴史の文献を読むときにも、現在のおのれの状況を読み込むことにつながるのでしょうか・・・?

筆者、無学歴・無資格、高等教育とは無縁な存在・・・、期せずして、長州藩の地で27年過ごしていますが、晩年は、会津藩の地で余生をおくります。妻の実家は、旧会津藩領地・・・、妻は会津若松生まれです。長州と会津の両方に関与しながら、筆者、歴史の真実を追究しています。長州と会津と・・・、人間性も思想性も大いに異なります。筆者、長州より会津の方が、好きです。

イギリスという外国の軍隊を導入して幕府を倒した長州・薩摩・・・、筆者の視点・視角・視座からしますと典型的な<外姦罪>に該当します。長州・薩摩勢力は、それを隠蔽・免罪するために、近代刑法に<時効制度>を導入・・・、みずからの罪を合法的に帳消しにしてしまいました・・・。筆者の<歴史解釈>に過ぎませんが・・・。日本の国を愛しているようで愛していない、長州・薩摩派閥の利害のみに汲々として、国民を窮地に陥れてかえりみない、長州・薩摩派閥の現在の末裔・・・、筆者、好きになれません。彼らのような<似非愛国主義>ではなく、<真正の愛国主義者>たらんとする筆者・・・、長州・薩摩派閥に全面的な信頼を寄せることはありません。

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