筆者は、岡山県生まれです。
小学校・中学校・高校は、岡山県の小学校・中学校・高校です。
義務教育の期間中、一番尊敬していた教師は、小学校5、6年の担任です。小学校の教師は、全科目を教えるのが常ですが、その担任、専門は美術・・・。筆者も、小学校に入ったときから、絵を書くのが好きで、よく絵画コンクールに入選していました。特に、小学校5、6年生のときは、入選する回数が多かったように記憶しています。
そして、筆者、将来は、その担任教師のような教師になろうと夢を抱くようになっていました。
中学にすすんだとき、その担任教師、筆者が通うことになった中学校の隣の中学校に、美術の教師として赴任して行きました。
中学校では、美術クラブに入って、新しい先生に指導を受けていましたが、筆者、よく、批判されていました。その教師がいうには、筆者が、人の評価を気にして絵を描いている・・・、というのです。絵は、コンクールで賞を得るために画くものではない・・・、というのです。
「ほんとうの絵の書き方を教えてやる・・・」といわれて、その教師、クラブ活動の時間には、筆者を学校の周辺にある<田園>に連れて行って、一緒に写生をし、いろいろ指導してくれました。
筆者、その教師が描く絵・・・、決して上手であるとは思えず、こころの中で、小学校の5、6年の担任教師の描く絵にあこがれの思いを募らせていました。
そして、中学3年生の3学期、高校受験を前にしたある日、ラジオで流されていた、あるニュースが耳に入ってきました。それは、筆者が尊敬していた小学校5、6年生の時の担任、そのとき味野中学校の美術の教師をしていた教師が、「公金横領詐欺事件」で逮捕された・・・、というできごとです。
そのときの味野中学校の校長は、中島校長です。中島校長の娘さんは、筆者が通っていた琴浦西中学校2、3年のときの国語の教師です。中島校長は、責任をとって校長を辞任することになりました。味野中学校だけでなく、「公金横領詐欺事件」を起こした教師に指導してもらったことのある生徒の多い琴浦西中学校でも大問題になりました。
「公金横領詐欺事件」を起こした教師・・・、自分のアトリエ欲しさに、自分が教師をしている味野中学校の<公費>を詐欺したのです。
その事件の衝撃は、筆者の中に葛藤を引き起こしました。崩れ行く教師に対する信頼と、なんとかその教師を善意に解釈しようとする、相反するふたつのこころの葛藤が生れたのです。それは、失われていく教師に対する信頼を維持しようとする筆者のこころの戦いでもありました。
高校に進学してから、その事件を契機に、筆者、あることを失ってしまいました。それは、絵を描く能力です。デッサンをしても鉛筆が走らず、絵筆をもっても画用紙に絵の具がのらず、それどころか、絵を描くこと自体が苦痛にすら感じられるようになってしまったのです。
理由は、筆者が、小学校5、6年生のとき絵画コンクールで度々入選したのは、筆者が描いた絵に、その担任が筆を加えたためではないか・・・、という疑心暗鬼が芽生えてきたためです。筆者、ほんとうは、絵を描く実力がないのに、その教師の<不正行為>によって、入選してきたのではないか・・・、そうでないことを願いつつ、日毎に、その懸念を払拭することができず、そのことでこころが深く傷つけられていったのです。
その葛藤は、高校に入ったとき、更に深くなり、教師に対する<反発>となってあらわれました。授業をボイコットして、柔道場で座禅をしていたり、授業を抜け出して、高校の図書室で、教育学や哲学の本を読書したり・・・。数学の問題は、解ける問題は解かないで、解くのが難しいと思われる問題だけを解答したり、大学入試の模擬テストのときは、高校が受験科目として指導していない倫理社会で高得点をとったり、国語の授業のときは、教科書に掲載されて小説の全部を読んで、教師の指導に反論したり、放課後、教員室を尋ねて、カントの『実践理性批判』の言葉の意味を質問したり・・・、崩れていく学校教師という偶像を前に、筆者、苦悩と闘いの日々を過ごしていたのです。
学校教師の信頼が失われたとき、生徒はどういう苦境におかれるのか・・・。
学校教師のほとんどは一考だにしたことがないのではないかと思われます。教師の不正が問題にされるとき、決まって持ち出される論法は、「不正行為をした教師は、ほんとうの教師ではありません・・・」といいう弁明です。教師全体は信頼すべきもので、その信頼を裏切った教師は、もともと教師ではなかった・・・、という<とかげのしっぽ切り>的詭弁です。
学校教師のこのような体質・・・、今も昔も何も変わっていないと思われます。
筆者、絵を描く楽しみを忘れると共に、尊敬していた「公金横領詐欺事件」の教師の思い出も忘れていました。
しかし、筆者、ブログ上で、『部落学序説』とその関連ブログ群を執筆するようになって、筆者が中学生の時に経験した教師の不祥事件を思い出すようになりました。
それは、岡山のある中学校教師のインターネット上のBBSの書き込みに起因します。被差別部落の人々と関わりがあることを背景に、BBSにおいて、部落差別に関する他者の発言を差別的であると、一方的に糾弾してやまない中学校教師の姿です。
インターネットに残された彼のBBS上でのやりとりを追跡しても、筆者だけでなく、いろいろな人の差別性を指摘し、「誹謗中傷・罵詈雑言」を投げかけています。中には、「誹謗中傷・罵詈雑言」ではなく、正々堂々と議論をしろ・・・、と呼びかけられても、自分に都合の悪い議論は無視します。
現職の中学校教師とも思えないような傍若無人な言葉使い、中学校教師としては、人格的に破綻を来しているのではないかと思えるような言説・・・、筆者、昔筆者の中で音を立てて崩れ落ちた、「味野中学校公金横領詐欺事件」の教師、その教師と、同和教育担当のその教師・・・、体質的には、ほとんど同じであると認識するようになりました。
岡山県の公教育、昔も今も、何も変わっていないのではないか・・・、そのように考えるに至っていますが、BBS上の「誹謗中傷・罵詈雑言」のすべての記事を保存しながら、分析をすすめていますが、その中学校教師、岡山県教育委員会の幹部・・・だそうですから、岡山県の教育も地に落ちたものです。
筆者、裁判員制度より、<教師再任判定制度>に、市民を参画せしめた方がいいのではないかと思われます。そうしないと、日本の社会、決してよくならないと思われます。
岡山県の中学校教師の動向・・・、しばらく情報収集をすることにしましょう。特に、同和教育・人権教育の担当者の動向・・・、特定の個人ではなく、同和教育・人権教育を担当している、岡山県の教師全体を視野に入れながら・・・。
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