2009年3月 9日 (月)

●心象童話―流れる雲と野と人の賛歌・・・

インターネットで、小説家・諏訪三郎を検索していて、 結城昭八著『心象童話―流れる雲と野と人の賛歌』に遭遇・・・。

すぐ、インターネットの書店に注文しました。

結城昭八氏がどういう人なのか、筆者、何も知りません。その本の帯びに記されたことば・・・、

(表)「いつも心に郷愁を 湖を望む豊かな自然を舞台にした愛すべき”わらべうた”の世界」

(裏)「ともかく、私のこよなくいとおしい幼かりし頃、昭和20年をはさんだ前後10年間に焦点をあててみた。私はあの頃の思い出をしばしば思い返している。日付のない、心の底にしまった押し花のような、幼少年期の童話だ。それを人は原体験、原風景と呼ぶだろう」。

その随筆集に描かれている世界は、筆者の妻が子どものころ、遊んだ<世界>・・・。

筆者が牧師を辞したあと、晩年を過ごすことになる、東北・福島の妻の実家のある湖南町5ケ村の自然と生活が描写されています。小説家・諏訪三郎に加えて、結城昭八著『心象童話―流れる雲と野と人の賛歌』・・・、そこに記されている、妻のふるさとの描写は、筆者にとって、妻のこども時代の思いでに通じる<心の小経>になります。

記録をたどって知ることができる<ふるさと>があるというのは、いいですね・・・。  

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2009年2月 7日 (土)

●今朝、夢に見た3人の宣教師・・・

Ktr0902071今朝、夢を見ました。

夢に出てきたのは、3人の端典の宣教師、グンナル・クリスチャンソン、マリア・クリスチャンソン、カーリン・アッセルヘード師・・・。

夢の中の彼らの姿は、40数年前の姿・・・。いつも笑顔に包まれていた彼らと、夢の中で楽しい語らいのひとときを過ごしました。
Ktr0902072
筆者の夢は、いつもリアルで物語風に展開していきます。筆者の妻は、ほとんど夢を見ることはないそうです。<総天然色>で<ストーリー性>のある筆者の<夢>・・・、何歳まで見続けることができるのやら・・・。

左の写真は、今朝、教会の庭を散策していて、筆者のデジカメで撮ったメジロたち・・・。①は、花の季節が終わったロウバイの枝にKtr0902073 とまって朝のひとときを楽しんでいるメジロのカップル・・・、②は、ぶどう棚の針金につかまってじゃれているメジロのカップル・・・、③は、ウツギの木の枝にとまって、居眠りをしているメジロのカップル・・・。

日本基督教団下松愛隣教会・・・、西中国教区(広島・山口・島根)の教会の中で一番小さな、貧しい教会・・・。

今日は土曜日・・・、安息日なのですが、朝、教会の庭木の害虫の卵を削ぎ落しました。メジロがやってきて遊ぶ庭木の害虫の殼はほとんど喰い破られていて中には生きた虫がいません。しかし、小鳥たちが止まる場所がないところには、まだ害虫の殼がついています。

今回一番多かったのは、グミの木・・・。今年、オスのジョウビタキがやってこなかったので、グミの木の虫を食べてくれる小鳥がいなかったのでしょう。

端典組合教会は、竜王山の山の麓にありますので、その庭には、いろいろな種類の野鳥が飛んできていました。池のある庭の土塀の角にある梅の木には、ウグイスがとまって鳴いていました。かの地は、この地よりあたたかいので、もう梅の花が咲きそろい、ウグイスの鳴き声を聞くことができるのでしょうか・・・。

今日は、これから、明日の礼拝の準備です。


端典の宣教師と哲学好きの変な高校生の昔話はしばらく中断・・・。インターネットで注文していた、秋定嘉和著『部落の歴史・近代』(解放出版社)川合隆男編『近代日本社会調査史』(慶応通信)を入手できたので、早く精読して、『部落学序説』第5章の執筆再開を急ぎます。


   

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●求道中に読んだ本・・・

●宣教師グンナル・クリスチャンソン師の思い出(4)

高校3年の1学期、グンナル・クリスチャンソン先生曰く、「君、高校を卒業したあと、進路はどうするの・・・?」

その当時、岡山県立児島高校は、進学校・・・。男子生徒のほとんどのひとは大学へ進学していましたから、グンナル・クリスチャンソン先生も、筆者が大学へ進学するものと思っていました。

筆者、自分の実力をもかえりみず、グンナル・クリスチャンソン先生に、京大の哲学科に進めればカント哲学、神大の哲学科に進めればヘーゲル哲学、岡大の哲学科なら哲学史を専攻して、将来は、学校の社会科の教員をしたい・・・、と話していました。

そのとき、大学の哲学科を受験するための教科書として使用していたのが、波多野精一著『西洋哲学史要』講座哲学大系第巻『哲学の歴史』・・・。『哲学の歴史』は、高校2年生のとき父親にかってもらったもの・・・。『西洋哲学史要』は、古本屋さんの店頭で100円で売られていたものです。どちらかいいますと文語体で書かれていたのですが、暗記するには、口語体より文語体の方が覚えやすいので、その古ぼけた『西洋哲学史要』を使用していました。高校の倫理の教科書は要約し過ぎてかえって理解することが難しかったので・・・。

そして、クリスチャンになるために、神学を勉強するために、母親に無理をいって、桑田秀延著『基督教神学概論』(新教出版社)を買ってもらい、受験勉強の合間に読んでいました。毎週、少しずつ読んでは、分からないところは、グンナル・クリスチャンソン先生に尋ねることにしていました。

筆者、その桑田秀延著『基督教神学』を読み終えたとき、本の余白にその感想を書き込みました。

「飼い葉桶のイエス、ナザレのイエス、ゴルゴダのイエス
神の子イエスのたどられた生涯
主は、滅び行く生の救いのために、自らを低くしたもうた。
私たちは、自らの低さ、いやしさ、弱さを
なんで恥ずかしく思う必要があろう。
主は、私たちの前を歩みたもう」。

桑田秀延著『基督教神学概論』は、あくまで、聖書を深く知りたいという筆者の要望から用いていたもので、12月5日に洗礼を受けるための準備期間は、日本基督教団の『信徒必携』と竹森満佐一訳『ハイデルベルク信仰問答』を用いていました。

そのとき、日本基督教団の『信徒必携』「信仰告白」「生活綱領」を暗記しました。

『ハイデルベルク信仰問答』は、今日に至るまで、筆者の信仰の根幹になっています。全129問の最初の問いはこのような問いです。

問1 生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは、何ですか。

答 わたしが、身も魂も、生きている時も、死ぬ時も、わたしのものではなく、わたしの真実なる救い主イエス・キリストのものであることであります。主は、その貴き御血潮をもって、わたしの一切の罪のために、完全に支払って下さり、わたしを、悪魔のすべての力から、救い出し、また今も守って下さいますので、天にいますわたしの御父のみこころによらないでは、わたしの頭からは、一本の髪も落ちることはできないし、実に、すべてのことが、当然、わたしの祝福に役立つようになっているのであります。したがって、主は、その聖霊によってもまた、わたしに、永遠の生命を保証し、わたしが、心から喜んで、この後は、主のために生きることのできるように、して下さるのであります。

洗礼を受けた1ヶ月後の1月5日・・・、筆者の父は、病気で倒れ、筆者の大学進学の夢は急速に遠退いて行きました。

筆者は、小学5年生のときから、いつも<背伸び>をしていました。小学校6年生のときには、中学校の参考書を使い、中学校の時には、高校の参考書を使っていました。そして、当然のごとく、高校では、大学の<教科書>を参考書にしていたのです。

高校3年で、勉学の道が閉ざされたとき、筆者は、とっくに、高校の勉学を卒業して、次のステップに入っていたのです。独学の継続という・・・。

ただ、そのことは、グンナル・クリスチャンソン先生が、端典組合教会を去られたあと、筆者が、端典組合教会の役員や信徒の方々から排除・疎外される要因になっていきました。いつのまにか、端典組合教会は、日本基督教団を<悪魔の教団>と見なし、日本基督教団の神学を<悪魔の神学>とみなすようになっていたからです。

端典組合教会の宣教師の方々の柔軟さと、日本人の牧師・教会役員の<偏狭さ>とのはざまで、筆者は、次第に、端典組合教会での居場所を喪失してきました。

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2009年2月 6日 (金)

●宣教師から教わった<愛>と<痛み>の神学・・・

●宣教師グンナル・クリスチャンソン師の思い出(3)

端典組合教会の宣教師グンナル・クリスチャンソン先生に聖書について指導を受けるようになって、まだ日の浅い頃、「君は、聖書をはじめて読んだのは何時?」と聞かれたことがあります。

筆者、新約聖書をはじめて読んだのは、中学校1年生のとき・・・。筆者が通っていた琴浦西中学校の図書室に新約聖書がありました。

中学校に入学して、一番最初に尋ねたのが図書室・・・。そのとき、窓から春の日射しが差し込んでいましたが、その日射しをあびてキラキラ輝いていたのが、新約聖書でした。装丁はごく普通の装丁だったのですが、光の加減で光っていたのでしょう。

旧約聖書を読んだのは、高校2年生のとき、筆者が通っていた岡山県立児島高校の図書室でした。その後、町の公民館で聖書を借りて通読しました。

筆者、グンナル・クリスチャンソン先生に、新約聖書を読んだとき、また旧約聖書を読んだとき、感じたことをお話ししました。すると、グンナル・クリスチャンソン先生・・・、とても喜んで聞いてくださったように思います。

もちろん、高校生の筆者に聖書解釈学というような知識・技術があるわけではありません。筆者の、それまでの<人生経験>に照らして、筆者が感銘を受けた聖書のことばを説明したに過ぎませんが、あるとき、聖書に記されている<愛>について話し合うことになりました。

筆者、旧約聖書と新約聖書をひもときながら、聖書66巻のそれぞれに<愛>ということばが何回でてくるか、調べて、その傾向についてレポートしました。聖書の<愛>ということばは、第1巻目の創世記と最後の第66巻目のヨハネによる黙示録に一番少なくて、預言書でピークに達すること・・・。聖書の神は、人間がもっとも神から遠く隔たったときに最も人間に対して<愛>を語りかけていること・・・。

筆者、キリスト教の世界とは無縁な一高校生に過ぎませんから、その当時、聖書学関連の書籍には、 J.B.Smith の 『 GREEK-ENGLISH CONCORDANCE To the New Testament 』 のような便利なツールがあることは知りません。聖書のことばのひとつでも、総合的・網羅的に調べようとしますと、最初から最後まで聖書のページをめくることになります。

そのとき、なぜか、グンナル・クリスチャンソン先生、とても喜ばれて、筆者にこのように話しかけてきました。「スウェーデンの神学者に、君と同じように、旧約聖書・新約聖書に出てくる<愛>ということばをすべて調べて論文を書いた学者がいる・・・」といって、神学者ニーグレンの『アガペーとエロース』(「キリスト教の愛の観念の研究」)・・・という神学書の話をしてくださいました。

グンナル・クリスチャンソン先生、いつになく、力を込めて、日本語で訳されている「愛」ということばは、ギリシャ語聖書では、<アガペー><フィリア><エロース>の3つのことばで使いわけられている・・・、と。

グンナル・クリスチャンソン先生、<エロース>ということばは、日本では極めて偏った使い方がされているが、ギリシャ語の<エロース>はもっと幅のひろいものだ・・・、と。ギリシャ哲学の<愛知>も、プラトニックラブも、<エロース>に含まれる・・・、と。グンナル・クリスチャンソン先生の話しでは、聖書の<愛>概念について研究するひとは、スウェーデンの国教会(ルーテル教会)だけでなく、端典組合教会の神学者の中にも多いとか・・・。

そのとき、グンナル・クリスチャンソン先生から教えられたのは、日本にもニーグレンと同じような神学者がいるとか・・・。それは、北森嘉蔵・・・。その神学書は、『神の痛みの神学』・・・。

筆者、高校を卒業して、大学進学を断念して、大阪市の公立中学校の学校事務(府費職員)になったとき、ニーグレン著『アガペーとエロース』・北森嘉蔵著『神の痛みの神学』を買い求めて、通読したことがありますが、そのとき、グンナル・クリスチャンソン先生から教わった『神の痛みの神学』は、筆者にとっては、とても興味のある神学でした。

グンナル・クリスチャンソン先生・・・、変な高校生が尋ねていっても、いつもあたたかく迎えてくださいましたが、時々、心配されていました。というのは、筆者、端典組合教会で行われている高校生集会には一度も参加しなかったからです。

端典組合教会の高校生集会・・・、筆者が通っている岡山県立児島高校の先輩たちが集まって、マリア・クリスチャンソン先生が用意してくださったケーキやクッキー、紅茶をいただきながら、英訳聖書を勉強する会・・・、そして、グンナル・クリスチャンソン先生のひくギターにあわせて、『聖歌』を歌う会でしたから・・・。

そのときの筆者は、そういう高校生集会に関心はなく、それに先輩のほとんどが女性とであったためはずかしくてその集会に参加することはできませんでした。

当時のキリスト教会・・・、日本人の牧師の多くは、ギターを片手に『聖歌』を歌ったり、ゴスペルフォークを歌って、高校生たちに伝道するのが通常のパターンでしたから、筆者、同年代の高校生だけでなく、若き日本人牧師たちともほとんど共通点がありませんでした。


ニーグレン著『アガペーとエロース』と北森嘉蔵著『神の痛みの神学』・・・、筆者が日本基督教団農村伝道神学校で勉学しているとき、1年後輩の小早川君が、どうしてもこれらの本が欲しい・・・、といわれるので、譲渡しました。それ依頼、これらの本を補充していませんので、筆者に手元にはありません。


   

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●端典の宣教師と高校生求道者・・・

●宣教師グンナル・クリスチャンソン師の思い出(2)

次の日、指定された時間に端典組合教会を尋ねました。

宣教師のグンナル・クリスチャンソン師に、日本屋敷の教会を案内してもらいました。旧庄屋の屋敷・・・、筆者がいままで入ることができた私邸の中では、いちばん大きな私邸です。

石垣と白壁に取り囲まれた旧庄屋の屋敷・・・、白壁沿いの梅の木には白い花が咲き始めていました。そのとき、筆者、「梅の花って、こんなにきれいな花だったのだ・・・」と感激しました。

その庭には、春日神社の灯籠がいくつもあって、人目に尽きにくい場所にマリア観音が彫られているとか・・・。蔵の前にある池のある中庭の灯籠は、その中に蝋燭の火をともすと、光の十字架になるとか・・・。庭の大きな五葉の松の木も時代の風雪を感じさせるものでした。奥の庭には、マスカットのぶどうの木が植えられていました。

旧庄屋の屋敷の倉は、大きくて、とても頑丈なつくりです。蔵の入り口の戸は45センチほどの厚みのある鉄板で覆われた防火用の戸です。

主日礼拝に使用している部屋は、松竹梅をあしらった畳の部屋です。

旧庄屋の屋敷には、3つの茶室があって、そのひとつは、本格的な茶室で、千利休好みの茶室でした。茶室に入るための庭には、いろいろな低木が植えてあり、近世幕藩体制下の庄屋の暮らしぶりをうかがいしることができるもの・・・、でした。

旧庄屋の屋敷の天井をあおぐと、そこには、ひとりで抱えることができないほど太い梁と柱が横たわっていました。イエスさまのことばに、このようなことばがあります。

「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたが量るそのはかりで、自分にも量りあたえられるであろう。なぜ、兄弟の目にちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目に梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができよう」。

グンナル・クリスチャンソン先生は、蔵の2階の大きな梁を指さしながら、「わたしたちの目の中にある梁って、こんなに大きいのですよね。たぶん、大きすぎて目に見えないのでしょうね。でも、ちりはちいさいからすぐ目に入る・・・」と笑いながら話しておられました。

その大きな梁・・・、今もあるのかどうか、筆者寡聞にしてしりませんが、グンナル・クリスチャンソン先生は、「こういう日本の伝統的な建物、いつまでも大切にしなければ・・・」と話しておられました。風のうわさでは、端典組合教会の旧庄屋の屋敷・・・、解かれて、近代的な教会に作り直されてしまったとか・・・。

端典組合教会の宣教師、グンナル・クリスチャンソン先生を尋ねた、高校2年のある冬の日から、毎週、グンナル・クリスチャンソン先生を尋ねては、聖書と基督教について話をおうかがいするようになりました。それは、端典組合教会の定期集会以外の集会・・・。

今考えると、グンナル・クリスチャンソン先生、毎週尋ねてくる高校生とよく対話してくださったものだと思います。すくなくとも、筆者の人生において、筆者と対話するのに多くの時間を割いてくださった方は、同じ端典組合教会の宣教師、カーリン・アッセルヘード先生をおいて他にはいませんから・・・。

グンナル・クリスチャンソン先生は、筆者に、「おとうさん、おかあさんがクリスチャンでないのに、どうして聖書に関心を持つようになったのですか・・・」と問いかけてきました。筆者、高校に入ってから、高校の図書室や町の公民館の図書室の本を読むようになり、その本の中に出てくる聖書のことばや基督教の世界に興味をもったことを話しました。

デカルト『方法序説』・カント『実践理性批判』・パスカル『パンセ』・ゲーテ『ファウスト』・カロッサ『美しき惑いの年』・ミルトン『失楽園』・デュフォー『ロビンソン・クルーソオー』・アミエル『アミエルの日記』・ドストエフスキー『罪と罰』・内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』・『基督信徒の慰め』・・・等々。

高校2年生の3学期からから3年生の1学期にかけての、グンナル・クリスチャンソン先生との、上記の本をめぐる対話・・・。グンナル・クリスチャンソン先生も博識で、いろいろ教えてくださいましたが、そのうち、基督教哲学と基督教神学との違いについて議論に及ぶことが多くなりました。

グンナル・クリスチャンソン先生は、筆者の知識は、<独学>の期間が長かったため、<基督教哲学>の要素がかなり含まれている・・・、クリスチャンになるためには、<基督教哲学>的な理解ではなく、<基督教神学>的な理解を持つ必要がある・・・と、熱を帯びた指導をしてくださるようになりました。

グンナル・クリスチャンソン先生から学んだのは、基督教の神学的なものの見方考え方です。<理性と啓示>についての勉強にはより多くの時間を費やしました。

今から考えますと、信じられないような膨大な時間を、グンナル・クリスチャンソン宣教師は、筆者のために割いてくださいました。

洗礼を受けたあと、端典組合教会の役員さんから、「グンナル・クリスチャンソン先生は忙しいおかたですから、あなたばかりに時間をさくことはできません。これからは、個人的に指導を受けるのではなく、みんなと一緒に聖書研究会に出て勉強することにしてください・・・」と言われ、筆者も、グンナル・クリスチャンソン宣教師と<哲学論争>・<神学論争>をすることをやめてしまいました。

筆者の人生において、端典組合教会の宣教師、グンナル・クリスチャンソン先生から大きな影響を受けたのは、毎週の礼拝における説教や、聖書研究祈祷会での聖書解釈ではなくて、<求道>中の、真剣な<哲学論争>・<神学論争>を通してでした。

筆者、最初から最後まで、<異質>な高校生求道者であったようです。

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●宣教師グンナル・クリスチャンソン師の思い出・・・

●宣教師グンナル・クリスチャンソン師の思い出(1)

昨日、『北欧流・愉しい倹約生活』を通読したとき、筆者が高校生の時から通いはじめた端典組合教会の3人の宣教師、グンナル・クリスチャンソン、マリア・クリスチャンソン、カーリン・アッセルヘードの3師のことを思い出しました。

今から40数年前の話しですから、昔話しになります。

歳をとると、昔の記憶に凸凹が生じます。記憶にさらに深く刻み込まれていく思い出と、霧の中につつまれるように薄れて消えていく思い出と・・・。

筆者、岡山県児島郡琴浦町で生まれ育ったのですが、筆者の父は香川県出身、母は徳島県出身・・・。筆者の父の養子先が吉田ですが、吉田家は代々信州・・・。明治移行、信州を離れたようです。いわば、筆者は、岡山県で生まれ育ったといっても、岡山の人々にとっては、<よそもの>の子・・・。

ブログ『ジゲ戦記』のブーさんが、「吉田さんが批判する部落史の学者・研究者・教育者、岡山県出身者・関係者が多いですね・・・」と言って笑われる背景には、<筆者>と<岡山>との間に、この<よそもの>という感覚が存在しているのかもしれません。

その岡山での思いで・・・、最近とみに薄らいで行きます。

こどものころ遊んだ海や山は完全に様変わりして、おさなき日見たふるさとの面影はどこにもありません。筆者がこよなく愛した瀬戸の内海も、どこまでも続いていた塩田は姿を消し、瀬戸の大橋がかかっています。

筆者が見たおさなき日の瀬戸の内海の姿は、東北福島の妻の実家のある湖南に行くときの猪苗代湖の東岸から見た湖の景色の方が近いところがあります。筆者、晩年は、妻の実家で過ごすことになりますが、ふるさとに対するなつかしさも、湖南にうつすことになりそうです。

しかし、やはり、ふるさとはふるさと・・・、今でもなつかしさをともなって思い出すことがあります。そのひとつに、上記3人の宣教師との出会いがあります。

筆者、高校生のときは、読書が趣味で、高校3年間に600冊を読みました。もちろん、岩波文庫・岩波新書を含めての話しですが・・・。

高校2年生の冬・・・、よく遊びにくる親友に、「一度キリスト教会へ行ってみたい・・・」と話をしましたら、その親友・・・、「ひとり宣教師を知っているから、すぐに行ってみない・・・?」といいます。「なんで、宣教師を知っているの・・・?」と尋ねますと、彼は、「ボルボに興味があるから・・・。この町でボルボに乗っているのはその宣教師だけだから・・・」といいます。

筆者、車マニアの彼と違って、ボルボが何であるのかしりませんでしたが、彼は、将来、鉄板一枚をたたいて車のボディーを作りたいのだとか・・・。

彼に誘われて尋ねたのが、端典組合教会・・・。

その端典組合教会・・・、いわゆる欧米風のキリスト教会ではなく、純然たる日本屋敷・・・。もと庄屋の屋敷で、茶室が3つ、45センチも厚みがある鉄のとびらのついた倉がいくつもある日本式の建物でした。<武家屋敷>を思わせる石垣と門をくぐって、<庭園>にはいると、そこには、筆者がそれまで見たことがない日本の伝統の世界がひろがっていました。

親友の彼に背中を押されて入った玄関・・・。筆者、完全に気後れしてしまいました。

「ごめんください。クリスチャンソンさん、おられますか」という彼の声に、奥から、「ただいまそちらにまいります」という声・・・。

そのとき、たたみの上に座って、ふすまをあけて、出て来られたのが、端典組合教会の宣教師カーリン・アッセルヘード先生・・・。その姿・・・、時々時代劇で見る、武士屋敷の奥方が殿方を出迎えるときの作法そのものでした。

筆者、なにか<異次元>の世界に迷い込んだような気がしましたが、筆者を<異次元>から<現実>へ引き戻したのは、カーリン・アッセルヘード先生の次のことばでした。

「あなた、なにしに来たのか?」

筆者、あたまの中で、かたことの英語で文章を組み立てようとしていたのですが、宣教師の語ることばは英語ではなく日本語・・・。筆者、「聖書を学びにきました・・・」と直訳調で答えました。

カーリン・アッセルヘード先生、「英語をならいにきたのではないのか?」とといかけてきます。筆者、「いいえ、英語は教えてくださらなくて結構です・・・」と返事しますと、「オルガンやギター・・・?」とさらに問いかけてきますので、「それも結構です」と答えました。カーリン・アッセルヘード先生・・・、「ほんとうに聖書を学びにきたのですか。あなたは変わった日本人です。聖書を学びたいといってきた日本人はあなたがはじめてです。上司のグンナル・クリスチャンソン牧師はただいま留守ですが、あなたのことを伝えておきますので、明日きてください。グンナル・クリスチャンソン牧師も、聖書を学びたいという日本人、とても喜ばれると思います・・・」と話してくださいました。

筆者の親友・・・、彼も筆者と負けず劣らず変わったひとで、宣教師のグンナル・クリスチャンソン、マリア・クリスチャンソン、カーリン・アッセルヘード師のことを、「グンナルさん、マリアさん、カーリンさん・・・」とさんづけで呼んでいました。筆者、その影響で、端典組合教会に通うようになっても、長い間、彼らを<さんづけ>で呼んでいました。「クリスチャンソンさん、マリアさん、アッセルヘードさん」・・・。

この<さんづけ>・・・、筆者が洗礼を受けるようになったとき、その査問委員会で、端典組合教会の日本人役員の方々からはげしく叱責されることになりました。「宣教師を<先生>と呼ばないで<さんづけ>するなんて不謙遜極まりない。そういうひとはクリスチャンとして相応しくない・・・」というのです。「クリスチャンになりたいなら、<さんづけ>をやめるように・・・」というのです。

宣教師のグンナル・クリスチャンソン先生に非礼をわびることになったのですが、そのとき、グンナル・クリスチャンソン先生曰く、「<さんづけ>でいいのですよ。あなたは、いつも学ぶ姿勢でわたしに接していますから・・・。しかし、先生と呼んでくれてありがとう・・・」。

筆者が若き日にであった、3人のスウェーデンの宣教師・・・。61歳になった筆者の記憶から霧の如く消えていくふるさとの思い出と違って、歳とともに、そのであいの不思議さが筆者のこころの中に深く刻印されていきます。

彼らは、天国へ・・・。筆者は、地獄へ・・・。もし、天国と地獄のあいだでコミュニケーションが可能なら、筆者、イエスさまのみそばで、彼らと思い出話をしたい・・・。

端典組合教会の日本人の信徒の方々・・・、筆者、ほとんどその名前を忘却してしまいました。もう思い出すこともないでしょうが・・・。

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2008年5月19日 (月)

●オリーブの花咲くころ・・・

日曜日の夜、妻と一緒に、講談社の草木花の歳時記『四季花ごよみ・夏』をひもといていました。

子供の頃見たことがある草木花について思い出話をしながら、草木花の歳時記の写真を眺めていましたら、そこに、ぶどうの花の写真がありました。

筆者、はじめてみるぶどうの花の写真です。

ということは、やはり、教会のぶどうの木・・・、開花はこれからです。ぶどうの花は地味な花ですが、ぶどうの花の咲く日が楽しみです。

妻が、「眠たくなってきたので、見るのをやめる・・・」といって、最後のページをめくったとき、そこにあったのは、オリーブの花でした。

私は、岡山県児島郡琴浦町の生まれです。商社につとめていたときは、よく牛窓に行きました。得意先の社長につきあって、牛窓の港で、メバルを釣るためです。その社長、年中釣りをされるので、筆者も、年中、釣りに誘われました。その社長がよく言っていたことばに、「海釣りは、メバルではじめてメバルで終わる・・・」というのがあります。メバル釣りが一番楽しいのは、酷寒の2月、寒風吹きすさぶ牛窓の港に糸を垂れて、電気浮きが沈むのを待ちます。この時期のメバル、バケツ1杯つるのも決してめずらしくありませんでしたので、日本酒で暖をとりながらの夜釣り、決して苦ではありませんでした。

その牛窓・・・、オリーブ園があります。

初夏に白色のオリーブの花が咲きます。社長夫人から、「今日は、オリーブの花がきれいに咲いているから、見て帰りなさい・・・」とすすめられて、オリーブの花を見に行ったことがあります。

筆者が小学3、4年生の頃、合唱部に入りたかったのですが、選考試験に落ちて入部を許可してもらえませんでした。その時のテスト曲が、『オリーブの花咲くころ』・・・。

インターネットで検索しても、この曲名ヒットしませんので、この歌、すっかり忘れ去られた歌なのかもしれません。筆者の記憶も次第にあいまいになってきています。確か、こんな歌詞であったと思います。

白銀色の葉にそよぐ
風もやさしく口づける
ああ、夢呼ぶよ
オリーブの花の咲くころ尋ねきて
君と語れば岡山の
瀬戸の内海、なつかしや・・・。

歌詞の2番目は、思い出せそうで思い出すことができません。「・・・香りのなかに初恋の面影匂うやるせなさ・・・」、そんな一節があったような気がします。

筆者、天性の音痴なので、この歌、歌いこなすことができませんでした。

一緒に試験を受けた同級生たち・・・、「口づける・・・、だなんて、こんな歌やだな・・・」とつぶやいていました。筆者の記憶では、合唱部の入部テストに落ちたのは、筆者ともうひとり・・・。『オリーブの花の咲くころ』の歌詞と同じように、そのときの同級生の名前、思い出すことができません。

岡山での子供の頃の思い出・・・、なぜか、筆者の脳裏から急速に消去されていっているような感じがしています。

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