●宣教師グンナル・クリスチャンソン師の思い出(1)
昨日、『北欧流・愉しい倹約生活』を通読したとき、筆者が高校生の時から通いはじめた端典組合教会の3人の宣教師、グンナル・クリスチャンソン、マリア・クリスチャンソン、カーリン・アッセルヘードの3師のことを思い出しました。
今から40数年前の話しですから、昔話しになります。
歳をとると、昔の記憶に凸凹が生じます。記憶にさらに深く刻み込まれていく思い出と、霧の中につつまれるように薄れて消えていく思い出と・・・。
筆者、岡山県児島郡琴浦町で生まれ育ったのですが、筆者の父は香川県出身、母は徳島県出身・・・。筆者の父の養子先が吉田ですが、吉田家は代々信州・・・。明治移行、信州を離れたようです。いわば、筆者は、岡山県で生まれ育ったといっても、岡山の人々にとっては、<よそもの>の子・・・。
ブログ『ジゲ戦記』のブーさんが、「吉田さんが批判する部落史の学者・研究者・教育者、岡山県出身者・関係者が多いですね・・・」と言って笑われる背景には、<筆者>と<岡山>との間に、この<よそもの>という感覚が存在しているのかもしれません。
その岡山での思いで・・・、最近とみに薄らいで行きます。
こどものころ遊んだ海や山は完全に様変わりして、おさなき日見たふるさとの面影はどこにもありません。筆者がこよなく愛した瀬戸の内海も、どこまでも続いていた塩田は姿を消し、瀬戸の大橋がかかっています。
筆者が見たおさなき日の瀬戸の内海の姿は、東北福島の妻の実家のある湖南に行くときの猪苗代湖の東岸から見た湖の景色の方が近いところがあります。筆者、晩年は、妻の実家で過ごすことになりますが、ふるさとに対するなつかしさも、湖南にうつすことになりそうです。
しかし、やはり、ふるさとはふるさと・・・、今でもなつかしさをともなって思い出すことがあります。そのひとつに、上記3人の宣教師との出会いがあります。
筆者、高校生のときは、読書が趣味で、高校3年間に600冊を読みました。もちろん、岩波文庫・岩波新書を含めての話しですが・・・。
高校2年生の冬・・・、よく遊びにくる親友に、「一度キリスト教会へ行ってみたい・・・」と話をしましたら、その親友・・・、「ひとり宣教師を知っているから、すぐに行ってみない・・・?」といいます。「なんで、宣教師を知っているの・・・?」と尋ねますと、彼は、「ボルボに興味があるから・・・。この町でボルボに乗っているのはその宣教師だけだから・・・」といいます。
筆者、車マニアの彼と違って、ボルボが何であるのかしりませんでしたが、彼は、将来、鉄板一枚をたたいて車のボディーを作りたいのだとか・・・。
彼に誘われて尋ねたのが、端典組合教会・・・。
その端典組合教会・・・、いわゆる欧米風のキリスト教会ではなく、純然たる日本屋敷・・・。もと庄屋の屋敷で、茶室が3つ、45センチも厚みがある鉄のとびらのついた倉がいくつもある日本式の建物でした。<武家屋敷>を思わせる石垣と門をくぐって、<庭園>にはいると、そこには、筆者がそれまで見たことがない日本の伝統の世界がひろがっていました。
親友の彼に背中を押されて入った玄関・・・。筆者、完全に気後れしてしまいました。
「ごめんください。クリスチャンソンさん、おられますか」という彼の声に、奥から、「ただいまそちらにまいります」という声・・・。
そのとき、たたみの上に座って、ふすまをあけて、出て来られたのが、端典組合教会の宣教師カーリン・アッセルヘード先生・・・。その姿・・・、時々時代劇で見る、武士屋敷の奥方が殿方を出迎えるときの作法そのものでした。
筆者、なにか<異次元>の世界に迷い込んだような気がしましたが、筆者を<異次元>から<現実>へ引き戻したのは、カーリン・アッセルヘード先生の次のことばでした。
「あなた、なにしに来たのか?」
筆者、あたまの中で、かたことの英語で文章を組み立てようとしていたのですが、宣教師の語ることばは英語ではなく日本語・・・。筆者、「聖書を学びにきました・・・」と直訳調で答えました。
カーリン・アッセルヘード先生、「英語をならいにきたのではないのか?」とといかけてきます。筆者、「いいえ、英語は教えてくださらなくて結構です・・・」と返事しますと、「オルガンやギター・・・?」とさらに問いかけてきますので、「それも結構です」と答えました。カーリン・アッセルヘード先生・・・、「ほんとうに聖書を学びにきたのですか。あなたは変わった日本人です。聖書を学びたいといってきた日本人はあなたがはじめてです。上司のグンナル・クリスチャンソン牧師はただいま留守ですが、あなたのことを伝えておきますので、明日きてください。グンナル・クリスチャンソン牧師も、聖書を学びたいという日本人、とても喜ばれると思います・・・」と話してくださいました。
筆者の親友・・・、彼も筆者と負けず劣らず変わったひとで、宣教師のグンナル・クリスチャンソン、マリア・クリスチャンソン、カーリン・アッセルヘード師のことを、「グンナルさん、マリアさん、カーリンさん・・・」とさんづけで呼んでいました。筆者、その影響で、端典組合教会に通うようになっても、長い間、彼らを<さんづけ>で呼んでいました。「クリスチャンソンさん、マリアさん、アッセルヘードさん」・・・。
この<さんづけ>・・・、筆者が洗礼を受けるようになったとき、その査問委員会で、端典組合教会の日本人役員の方々からはげしく叱責されることになりました。「宣教師を<先生>と呼ばないで<さんづけ>するなんて不謙遜極まりない。そういうひとはクリスチャンとして相応しくない・・・」というのです。「クリスチャンになりたいなら、<さんづけ>をやめるように・・・」というのです。
宣教師のグンナル・クリスチャンソン先生に非礼をわびることになったのですが、そのとき、グンナル・クリスチャンソン先生曰く、「<さんづけ>でいいのですよ。あなたは、いつも学ぶ姿勢でわたしに接していますから・・・。しかし、先生と呼んでくれてありがとう・・・」。
筆者が若き日にであった、3人のスウェーデンの宣教師・・・。61歳になった筆者の記憶から霧の如く消えていくふるさとの思い出と違って、歳とともに、そのであいの不思議さが筆者のこころの中に深く刻印されていきます。
彼らは、天国へ・・・。筆者は、地獄へ・・・。もし、天国と地獄のあいだでコミュニケーションが可能なら、筆者、イエスさまのみそばで、彼らと思い出話をしたい・・・。
端典組合教会の日本人の信徒の方々・・・、筆者、ほとんどその名前を忘却してしまいました。もう思い出すこともないでしょうが・・・。
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