2009年12月17日 (木)

●理解しがたい詩・・・

筆者の妻曰く、<あなたは理系なの? 文系なの?>

筆者、その問いに答えて、<どちらかといえば理系・・・>。

なぜ、そのような問答になったのかといいますと、最近、下松の古書店で購入した1冊の新書100円本、白井將文著『性機能障害』を読んでいたため・・・。

最近、山口大学の元研究員の方に心理学・精神医学に関する本を読むことをすすめられて、その結果、いろいろと脱線・・・、インターネットの<日本の古本屋>を通じて入手した老年医学・老年心理学・老年精神医学に関する本も読んでいますが、白井將文著『性機能障害』は、老年医学のひとつのテーマとして読んでいます。

インターネットの<日本の古本屋>で入手した、大江原秀子著『性ぬきに老後は語れない』もあわせて読んでいますが、これらの本を読むとき、筆者、<文系>としてではなく<理系>として読んでいます。<老人医学>に関する本としてなら精読することができます。

しかし、筆者、理解することができない世界も存在します。それは、<理系>の世界というより<文系>の世界・・・。

<高佐郷の歌>についていろいろ文献を漁っていますが、<高佐郷>というのはどういうところなのか・・・。調べているうちに、ある詩人に遭遇しました。彼のおとうさんは<高佐郷>出身・・・。戦後軍人として社会的に排除され郷里<高佐郷>に戻って農を生きた人・・・。その詩人は、壮年になってからも<高佐郷>の少年時代を詩にうたう・・・。

<未明の階級>という詩にこんな一節があります。

かぎりなく知ることは
はてしない生涯を這いぬくことを教え
あおざめた階級に尻をつけ
飢えているつめたい水にひたす藁
しめった思想を無言で打ち
垂らすべき縄 つるすべき首
思いめぐる日の中心で声を裂き
鍋をかかえて自滅する一撥がある・・・


この詩人の<少年>という詩について、あるひとはこのように解釈しています。

「みずからの出自と「たゆたう血潮」、すなわち血縁と土俗をめぐる苦悩をみずからの生に「閉じこめ」てゆこうとする苦い決意を巧みに、そしてすぐれて「主観的」に歌いあげることをしている、とわたしは読んだ」。

この詩人の綴る詩も、それを解説する詩の解釈者のことばも、<文系>ならざる筆者、理解する力を持ちあわせていない・・・。理解しようと思っても、詩人の語ることばの背後にある詩人のこころにたどりつくのは容易ではありません。おそらく不可能でしょう・・・。

「国家と時代に翻弄された父親に対する畏敬と憐憫の念のないまぜになった愛憎劇・・・」、「粗末な棲み家と貧しい食事、不気味な風土病、沈黙に等しくおおきく見えた父親の背中とその影に見え隠れしていた母親の細い影、それら郷愁と憎悪の同時に伴う幼少年時代の記憶・・・」、「ひとつひとつの行為が非日常的であることによって日常性を帯びてゆく原初的な精神の広野・・・」。

60歳を超え、人生の晩年を迎えた筆者にも、なお理解することができる世界と理解することができない世界があります。

あたらしい現代の<高佐郷の歌>、ほとんど読み解くことができません・・・。

  

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2009年9月17日 (木)

●<許せない!>と妻が激怒・・・

昨日夜、朝日新聞を見ていた妻が突然こういいます。

<許せない、絶対に許せない!>

その朝日新聞の記事というのは、《ニッポン 人・脈・記》欄の<ならぬ事はならぬ会津魂>・・・。

「昨年2月16日夜のことだ。TBSの歴史クイズ番組で流れた出題が、会津の人たちの心を逆なでした。「明治元年の戊辰戦争の際、会津若松城に籠城した人たちが城を明け渡した、とんでもない理由とは?」 正解がなんと「糞尿が城にたまり、その不衛生さから」。

朝日新聞の記事には、一言も触れられていませんでしたが、インターネットで関連記事を検索してみますと、その歴史クイズ番組の司会者、<長州出身の田村淳>・・・。

<田村淳>・・・、維新戦争のときの勝者が敗者である会津藩の人々を揶揄したり、誹謗中傷・罵詈雑言を浴びせるときの感覚で、そのクイズ番組の司会をしたのであれば、会津の人々から怒りを買うのは当然・・・。

やがて旧会津藩領地にある妻の実家で晩年を過ごすことになる筆者、無条件に妻の怒りに同調。

山口県の公立高校の日本史の授業で、会津の少年白虎隊の死は<憤死>として教えている例が多々みられます。筆者の娘も、<高校の授業で、担当の教師が<憤死>としておしえていた、こんな指導をしていいのか・・・>と父である筆者にくってかかっていました。

<憤死>とは、死の原因が<憤>である死・・・。

<敗者>の会津藩に対する<勝者>長州藩の優越感は、明治以降、現代まで延々とうけつがれていて、ここ山口の地にあっては、会津藩・・・、そして福島全体に対する偏見と独断が満ちあふれています。

学歴・資格をもってはいても、<憤死>を<糞死>として解釈したがる山口県人は多い。

インターネットで検索していますと、こんな記事もありました。

「長州と会津は不仲である。当時の経緯をいまも引きずっている。山口育ちで歴史好きという田村は、子どもの頃から、むかし敵対した会津の「だらしない連中の実態」として、この種のくだらない風聞を聞いて育ったのではないか。・・・長州育ちの田村は、こどものころから「腰抜けの会津のサムライは、くそしょうべんだらけになって逃げ出した」と覚えて育ったのではないか」。

筆者、妻の実家のおかあさんに案内されて、会津若松城のすみずみまで見て回ったことがあります。あの広大な敷地の会津若松城が会津藩士あるいは奥羽列藩同盟の武士たちによってくそまみれになるなんて信じがたい。本州の最西端の僻地にある萩城ならその可能性があるのかもしれませんが(長州藩・山口県人は本州の最西端にあることを意識していない)・・・。

毎日、新聞とテレビのニュースをチェックすることを怠らない筆者の妻、この件に関して目にするのははじめて・・・。筆者ももちろんはじめて・・・。

どうやら、このTBSの歴史クイズ番組の会津藩に対する侮辱に対して会津若松市の市長が激しく抗議した件も、この長州藩の地・山口では報道されなかったようです。されても、ほんのさわりだけで、内容まで報道されることはなかったのではないかと思われます。

<許せない! 絶対に許せない!>

妻の怒りは当分、おさまりそうにありません。

<あの番組を指導した歴史学者も許せない!>

  

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2009年8月30日 (日)

●郷土の文化と歴史・・・

この前インターネットの古書店で入手した『木曽の上松・わが郷土の文化と歴史』のページをぱらぱらめくっていました。

その<編集後記>にこのような言葉がありました。

「「地方の時代」といわれて久しい訳ですが、上松にも家業を継ぐため、あるいは親の面倒をみるためなどの理由でUターンする者が増えてきています。一度木曽以外の世界を見てきた若い人達は、今後、おそらく一生この地で暮らしていなかければならない宿命のようなものがありますが、しかしほんとうに希望をもち、夢をもちながら生活しているでしょうか。帰ってきた理由はどうであれ、一生後悔の気持ちを抱きながら不本意な念情を持ちながら生活していくならば、過疎に悩む上松の人口が増加したとしても本人にとってこれ以上不幸なことはないでしょうし、上松、木曽にとっても大きいマイナスではないでしょうか・・・」。

<編集後記>は、厳しい問いかけのあと、<上松に生活する全ての人が、この地で生きてよかったと思えるようなそんな人生を送ってもらうように、町全体で考えていかなければならないと思います。そのためには、・・・上松を相対化できる目でもう一度見つめ直し、思う存分発揮してもらうことが必要であり、これが上松という町の活性化につながり、あらゆる方面において魅力的な町になっていく原動力であると考えます・・・>と、上松町で住むことの希望と課題を取り上げています。

この『木曽の上松・わが郷土の文化と歴史』<編集後記>のことば・・・、<木曽の上松><福島県湖南町>に置き換えてもその意が通じるようです。

<湖南にも家業を継ぐため、あるいは親の面倒をみるためなどの理由でUターンする者が増えてきています。一度湖南以外の世界を見てきた若い人達は、今後、おそらく一生この地で暮らしていなかければならない宿命のようなものがありますが、しかしほうんとうに希望をもち、夢をもちながら生活しているでしょうか。帰ってきた理由はどうであれ、一生後悔の気持ちを抱きながら不本意な念情を持ちながら生活していくならば、過疎に悩む湖南の人口が増加したとしても本人にとってこれ以上不幸なことはないでしょうし、湖南にとっても大きいマイナスではないでしょうか・・・>。

それで、筆者、同じくインターネットの古書店を通じて入手した、<湖南町の文化と歴史>に関する本をひもといてみましたが、同種のことば・文章を見つけることはできませんでした。

筆者、やがて、妻の実家のある東北福島の湖南町で農を生きることになりますが、『木曽の上松・わが郷土の文化と歴史』<編集後記>のことば・・・、筆者の自戒のことばとしていつも眼前においておくことにしましょう。

長野県西筑摩郡上松町・・・、筆者が中学1年生から高校2年生のときまで文通していた相手が住んでいた町です。筆者、一度も上松を訪れたことも、文通相手の女の子と会ったこともありません。しかし、彼女から受けた影響は、60歳を超えた今も大きなものがあります。

『木曽の上松・わが郷土の文化と歴史』の中に、<東に駒ヶ岳、西に御岳が聳え、連山はまるで浪のようにせまっている・・・>という表現がありました。妻の実家の田んぼから北をのぞむと会津磐梯山が、南をのぞむと会津布引山が見えますが、上松の地では、<東に駒ヶ岳、西に御岳・・・>が見えるようです。

湖南は、<北に会津磐梯山、南に会津布引山・・・>、上松は、<東に駒ヶ岳、南に御岳・・・>・・・。その自然風土は酷似しているようです。筆者の母の故郷、徳島県の半田町坂根村は、剣山麓の山村・・・、剣山を仰ぎみた記憶がないのですが・・・、筆者にとって、一番懐かしさを感じるのは、<北に会津磐梯山、南に会津布引山・・・>が見える湖南・・・。

広島県北部の農村で共生庵を運営されている、日本基督教団西中国教区の牧師・荒川純太郎氏をたずねたとき、<5年なんてあっという間に過ぎてしまいますよ。帰農するなら、今から準備をはじめておかなければ・・・>と助言してくださいましたが、ほんとうにあっという間に歳月が過ぎていきます。

東北福島の湖南町への<北帰行>・・・、そんなに遠い日のことではなさそうです。

  

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2009年6月27日 (土)

●失敗も無意味ではない・・・

インターネットの古書店に発注していた『郷土史研究講座』(全7巻)・・・。

それぞれの巻は、別々の古書店に注文することになりましたが、今日、届いた最後の巻・・・、『郷土史研究講座』(第1巻)と思いきや、本のサイズがかなり小さめ、しかも薄い・・・。開封する前の予感通り、筆者の発注ミスでした。

『郷土史研究講座』(第1巻)は、郷土史研究の基礎理論編に違いない・・・、という筆者の予断が、『郷土史研究講座』(第1巻)と、今日、送付されてきた、鈴木壽著『郷土史研究法・近世史料の取扱い方』とを混同させたようです。

しかし、鈴木壽著『郷土史研究法・近世史料の取扱い方』のページをめくって、筆者、満足・・・。この『郷土史研究法』で引用される近世史料は、<信濃・北信地方>の文書・・・。「本書は信濃-北信地方という一地域の歴史の研究方法を通じて、近世の一般的な郷土史研究の方法を一応体得したいという念願の上に立っている」。

<信濃・北信地方>は、筆者の曾祖父・吉田向学、筆者の祖父・吉田永學の<ふるさと>ですから、筆者の戸籍上の先祖(筆者の父と母の養子先)の歴史をたどる<よすが>になるかもしれません。

時間と経済的ゆとりができたら、<信濃・北信地方>の歴史を散策してみたい・・・。

<失敗>も、時として、あらたな地平を開くきっかけになるようです。

  

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2009年5月 2日 (土)

●等身大の歴史研究・・・

筆者、無学歴・無資格、歴史研究の門外漢です。

一般史だけでなく、地方史・郷土史研究においても・・・。

日本基督教団の牧師として、西中国教区のいちばん小さな教会・・・、<前任者が自害して、再建不能・・・>と烙印を押された教会に身を置いて、その教会を閉鎖することなく、存続させてきた27年間・・・、山口の地方史・郷土史研究をされている方々に何度かお会いしました。

山口県立文書館の研究員の北川健先生をのぞけば、その地方史・郷土史研究の姿勢に<懸念>をいだかざるをえない場合が多々ありました。その理由は、山口の郷土史家の多くが、長州藩の藩政記録を史料として、長州藩の<権力>の研究・解明を第一義として、<民衆>の視点・視角・視座が著しく欠落している場合が多かったからです。

歴史研究といえば、<民衆史>が頭に思い浮かぶ筆者にとっては、その<民衆史>を育てはぐくむ環境ではありませんでした。

しかし、昨年と今年、お会いして、話をお伺いすることができた、東北福島の妻の実家のある湖南町の郷土史家・秋山雄記先生は、<権力史観>というより<民衆史観>に立脚して郷土史を研究されてきた方・・・、長州の地に北川健先生、会津の地に秋山雄記先生・・・、無学歴・無資格、歴史研究とは無縁の筆者に、<等身大の歴史研究>を教えてくださるかけがえのない師です。

筆者が提唱する、<常民-非常民論>、<新けがれ論>・・・、地方史研究・郷土史研究の世界に踏み入り、分け入るときの、極めて有効かつ実践的な理論的ツールです。

この前読んだ宮台真司著『日本の難点』で、宮台真司氏が指摘する、日本再生のシナリオ・・・、民俗学者柳田國男のいう「国土保全」の発想は、国家的レベルの領土の保全を意味するだけでなく、日本の民衆の住む<郷土>の保全を意味します。

明治天皇制・近代中央集権国家の<権力者>によって推進された政策は、戦前戦後を通じて<郷土>の収奪と破壊・・・、筆者の目からみますと、それは支配者階級たる旧士族の<郷土>・<土>に関する発想に起因するもの・・・。

日本再生のシナリオが現実のものになるかどうかは、<郷土>・<土>に関する士族的発想・武士階級的発想を捨て、平民的発想・百姓的発想の回復如何にかかっていると思われます。つまり、<非常民>中心の世界から、<常民>中心の世界へ、<郷土>・<土>に関する思いをシフトさせていく必要があります。

今回、東北福島の妻の実家のある湖南町の郷土史家・秋山雄記先生にお会いして、ますます、その思いを強くさせられました。

東北福島の妻の実家のある湖南町の歴史と民俗、自然と生活、そして、人と土・・・、筆者、学ぶべきことが多々あります。

  

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2009年4月13日 (月)

●妻の故郷・湖南に関する本・・・

インターネットの古書店で、筆者が購入した、妻の故郷、東北福島の湖南町に関する本・・・。

諏訪三郎著『家』(1942年)
諏訪三郎著『鬼怒十里』(1943年)
諏訪三郎著『大地の朝』(1943年)
橋本武著『猪苗代湖南民俗誌』(1969年)
東京女子大学郷土史調査団『湖南の民俗』(1970年)
橋本武著『猪苗代湖南民俗誌・続編』(1971年)
山口弥一郎著『民俗学の話』(1971年)
郡山市湖南町史談会編『湖南の史跡と文化財』(1978年)
吉川米治著『赤津の足あと』(1989年)
結城昭八著『心象童話・流れる雲と野と人の讃歌』(2004年)

筆者、やがて定住することになる、妻の実家のある、東北福島の湖南町に関する<資料>です。

一般的に、ひとつのテーマについて、20冊関連書籍を集めれば、そのテーマの90%の情報を入手することができる・・・、といわれます。そういう意味では、筆者、道半ばですが、妻のふるさとの歴史と文化、仕事と生活に関する基礎的な知識を入手するためには充分で、追々、関連資料を集めていって、20冊に達すればよいと思っています。

筆者、入手した最初の年金で購入したのが、上記の10冊の古書・・・。

いずれも、インターネットの古書店に注文して入手したものです。インターネットがなかったとしたら、筆者、上記10冊の関連書籍を入手することはほとんど不可能だったことでしょう。

妻の実家に戻って、人生の晩年を過ごしはじめる前に、その<世界>の情報をあらかじめ入手して、学習することができる・・・、それは、とても幸せなことであると思われます。

筆者が、晩年を過ごすことになる湖南町赤津は、柳田国男がいう<常民>の世界・・・。中世・近世を通じて、<農>に生きた<農民>の世界・・・。筆者も、やがては、筆者の先祖と同じく、<農>の世界に身を埋める栄光に浴することができる・・・。

  

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2009年4月 9日 (木)

●妻のふるさと・湖南の歴史・・・

昨日、妻と一緒に、東北福島の妻の実家のある湖南町に関する民俗学の本を読みました。

収録されている写真を見ながら、妻は、こどもの頃の湖南の姿をいろいろ思い出したようで、それで1日、話が進みました。

湖南の民俗学の本を読んだら、その次は、湖南の歴史学の本・・・。妻と一緒に、インターネットの古書店で検索・・・。2冊みつけて、筆者と妻にとっては、少し高い・・・とは思ったのですが、インターネット上の古書店では、たった1冊しかなさそうなので、思い切って注文しました。

妻曰く、「あなた、湖南の民俗と歴史、勉強したら私に教えて・・・」。

今回、インターネットで検索していて、はじめて、東北地方は、民俗学的研究の盛んな場所だと知りました。湖南の民俗と歴史に関する文献は極めて僅少ですが、しかし、東北全体としては、豊富な研究がなされてきたし、なされているようです。

湖南は、旧会津藩領地ですので、会津の民俗学・歴史学研究の対象でもありますので、湖南の民俗と歴史に関する書籍・論文は、多々存在しているのでしょう。

筆者、晩年・・・、妻の実家のある湖南町に戻って、そこで棲息することになるのですが、柳田国男がいう、民間伝承の<採集方法の形態>3種類・・・、<旅人の採集・奇遇者の採集・同郷人の採集>のすべての採集形態を実践することができそうです。

筆者が、長州藩の地で負わされた課題<部落差別完全解消・・・>、その取り組みの中で見出した、<常民>の視点・視角・視座から<非常民>を考察する<部落学>的手法・・・、東北、東北福島、会津、湖南・・・、その民俗学研究と歴史学研究の成果を拾い集め、再構築する可能性は多分にあります。

筆者と妻の中にある、強烈な、百姓意識・農民意識・常民意識・・・、それを整理し検証し、より確固たるものにするための史資料・論文・・・、インターネット上で検索して、東日本・西日本全体から拾い集めて入手することができる・・・、無学歴・無資格、学問と縁のない筆者のようなものにとってはかけがえのない世界のようです。

  

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2008年12月12日 (金)

●その町の差別部落に関する資料・・・

昨日、以前、講師依頼を受けた、山口県外の<某市町村の同和対策室>の担当者の方からお電話をいただきました。

そして、いろいろ電話で情報交換をしましたが、その担当者の方、その<某市町村>にある被差別部落に関する史資料を送ってくださるそうです。なにでも、『部落学序説』で説いている、<近世幕藩体制下の司法・警察である非常民としての「穢多」>の記述にあてはまる史資料とか・・・。

地名・人名の実名記載が入った史資料のようですが、被差別部落の地名・人名についての筆者の対応はすでにブログ上で明言していますので、送ってくださった史資料はその線にそって取り扱うことになります。

<差別なき社会をめざして>『部落学序説』を執筆しているのに、そのために、被差別部落の地名・人名を実名で曝すことは、矛盾以外の何ものでもありませんから・・・。

日本全国各地の被差別部落には、その歴史と自然にはぐくまれた<顔>があります。その<顔>を直視しながらすすめるのが<部落史>研究の本道であると思っていますが、それらの<顔>を無視して、差別思想である賤民史観一色に染め抜くのは間違いであると思います。

筆者、<某市町村>の被差別部落の歴史資料、拝見させていただける日を楽しみにしています。

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2008年5月16日 (金)

●小説家・諏訪三郎の生涯について・・・

Rks080516講演会「小説家・諏訪三郎の生涯について」

日時:5月24日(土)午後2時40分~4時
場所:福島県郡山市歴史資料館会議室
講師:郡山市地方史研究会員・湖南町史談会会長・秋山雄記氏
演題:湖南町赤津秋山出身の小説家・諏訪三郎の生涯について
事務局:郡山市地方史研究会・大河峯夫(電話024-932-5864)。

左の写真は、①諏訪三郎が子供のころよく遊んだという諏訪神社、②諏訪三郎の文学碑、③講師の秋山雄記氏、④諏訪三郎の代表作『大地の朝』第2版に収録された菊池寛の書評、⑤秋山の猪苗代湖、⑥青松ケ浜の松、⑦同地にある諏訪三郎のもうひとつの文学碑、⑧青松ケ浜であそぶ家族・・・

記念碑に刻まれた諏訪三郎の言葉は以下の通り・・・。

土には生命があり、
魂があり、感覚がある。
おのれの懐に宿る種子を、苗を、
あたたかく抱擁し、
あたたかく被ってやろうとする。
そして、この世の一切の生命の成長を念じ、
この世を饒かなものにしようとしている。
土こそは、この地上のすべてのものの、
浄らかなる母である。

小説・大地の母より

筆者の妻の実家がある福島県郡山市湖南町出身の小説家・諏訪三郎のこどもは全員、クリスチャンになったそうです。秋山雄記氏は、諏訪三郎の親戚筋にあたるお方だそうで、この春、妻の実家に帰郷した際、諏訪三郎の文学碑をたずねましたが、そのとき、偶然、秋山雄記氏にお会いして、誘われるまま秋山雄記氏宅にいおじゃまし、諏訪三郎についていろいろお話をお伺いすることができました。そのとき、諏訪三郎のこどもたちが全員クリスチャンになったことを教えられました。

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