2008年5月 9日 (金)

●牧師の歳のとりかた・・・

毎週、礼拝堂の講壇の上から説教をします。

この説教の聴衆は誰かといいますと、すべての人・・・。幼児から老人まで、1歳のあかちゃんから100歳の老人まで、礼拝堂の椅子に1時間ほど座ることができるすべての世代を含みます。

この点、小中高、大学の教師や教授の方々と違って、ある特定の世代・年代に限定されることはありません。

場合によっては、あかちゃんとそのおかあさん、そのおかあさんのおかあさんが一緒に礼拝に出られる場合もあります。孫・娘・母・祖母・・・、場合によっては4世代の人々が、教会の礼拝に出席して、同じ牧師の説教に耳を傾ける・・・、という場面も決してめずらしくありません。

そういう意味では、牧師は、時代に則しながら、時代を超えて、全世代的に説教を組み立てる必要があります。孫に対しても、娘に対しても、母に対しても、祖母に対しても・・・。つまり、牧師は、数世代の歴史を生き抜いてきた人々を前に、それぞれに時代の苦悩と葛藤を踏まえながら、聖書に基づいて、なぐさめとはげましのことばを語らなければなりません。

しかも、毎週、主日礼拝の出席者の世代構成は異なります。

牧師自身は・・・、といいますと、孫・娘・母・祖母の4世代の中に身を置くことになります。教会の中には、牧師より、歳を重ねているクリスチャンがたくさんいます。牧師は、自分より若い人々を指導・教育するだけでなく、自分よりも、知識・経験が豊富な年配者に対しても<指導・教育>することになります。

つまり、教会の牧師は、人生の常に途上にあるものとして、説教しなければならないのです。

その途上において、牧師は信徒に説教するだけでなく、信徒から、クリスチャンとして<どのように生きていくべきか>を学ぶだけでなく、クリスチャンとして<どのように老いていくべきか>を学ぶことになります。同じ信仰を持ってその人生を歩んでこられたクリスチャンの方々の老い方を「観察」(かんざつ)することで、牧師は、みずからの老いのあり方を学び、その道筋をつくっていくことになるのです。

老いを静かに受け入れ、枯れていく菊の花がその頂きをいつまでも残すような生き方をする人もいれば、老いにあらがって、周囲を巻き込み、悪戦苦闘をしながら、疲れ果てて失意の中をさっていく人もいます。

下松愛隣教会の庭に咲く花、信仰者として生き抜かれた兄弟姉妹たちの庭から移植された草・花・木が、途切れることなく咲き続けています。先に天に召された兄弟姉妹のしのぶぐさ・・・、それを見つめながら、筆者、天にめされた兄弟姉妹との対話を続けることになります。

老いについて学び、その老いを生きることができるということは、牧師という仕事にともなう、神さまの恵みのひとつです。

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●午後、老人ホームへ花を届けに・・・

この前の教区総会のとき、日本基督教団下松教会の役員の方から、老人ホームに入居されている、ある姉妹を尋ねてほしい・・・、と依頼されました。

といっても、その姉妹・・・、現在は、下松教会の信徒の方なので、下松愛隣教会の牧師が訪問することが果たしていいのかどうか・・・、横にいてその話を聞いていた下松教会の牧師は、首を横に振っていましたので、筆者、どうしたものか、判断に困ってしまいました。

<牧会ルール>を侵害しないで、下松教会の役員の方の希望をもかなえる方法として、この日曜日(母の日)、その姉妹に、教会の庭に咲いている花を届けることにしました。

しかし、天気予報では、明日は雨が降るとか・・・。

それで、今日の午後、スイトピーの花(白・赤・黄・むらさき・ピンク)を50本ほど切りとって、カゴに入れて、その姉妹が入居しているという老人ホームを尋ねました。

最近の老人ホームは、玄関とそれぞれの部屋に鍵がかかる仕組みになっていて、部外者とは簡単に面会できないシステムのようです。最近の老人ホーム、筆者の目からみますと、なにか、精神病院の病室のようなイメージがあります。

筆者、野良作業スタイルで、ゴム長靴をはいて、麦わら帽子をかぶっていましたので、それにふさわしい挨拶をすることにしました。「下松教会の役員の小笠原さんに頼まれて、母の日の花を持ってきました。明日雨が降ると花がだめになるおそれがありますので、今日持参しました・・・」。

応対に出てこられた看護婦さんの方、筆者の説明を聞いてほっとしたようです。

人は歳をとるにつれて、その人の本性があらわれるといいます。その姉妹、長い間公務員をされていたのですが、公務員の枠の中にいるときは誠実な人として評判だった人ですが、公務から離れて私的な世界にはいりますと、「表」と違って「裏」の顔が露骨に出てきます。教会の牧師や信徒に対する無理難題は日常茶飯事で、裏にまわっての根回し・画策、誹謗中傷・罵詈雑言・・・、それでやっと、姉妹自身の精神的安定を保っておられるようでした。

筆者も、こんな要求をされたことがあります。「牧師先生は、家族が大切ですか、信徒が大切ですか。当然、信徒ですよね。そうなら、今すぐ、離婚して、私たちが指名する被差別部落の女性と結婚してください。そうしたら、一生、牧師の生活を保証してさしあげますから・・・」。断ると、「イエス様がおっしゃっておられるとおり、家族を捨てることができない牧師は、牧師ではありません。牧師先生が家族を捨てないというなら、私たちがこの教会を出て行きます・・・。」といいます。そして、それだけが理由ではありませんが、その姉妹夫婦、教会を離れて行きました。

下松愛隣教会の牧師を名乗って、その姉妹に面会したとしたら、何が起こるか、想像に難くありません。50本のスイートピーの花を床に投げつけ、踏みにじり、「いつまでも、<局長>ずらしないでよ!」と罵声をあびせられることになるでしょう。

老人ホームの看護婦さんに、「下松教会の役員の小笠原さんに頼まれて、母の日の花を持ってきました。明日雨が降ると花がだめになるおそれがありますので、今日持参しました・・・」ととっさの挨拶をしたのは、筆者にとっては、最善の策でした。

母の日には、筆者が教会の庭で作った安価なスイトピーの花ではなく、下松教会の牧師が、花屋さんで買った、高価できれいなカーネーションの花束を持参されるでしょうから・・・。

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2008年4月23日 (水)

●シクラメンにみる歳のとりかた・・・

2008004231昨年、教会の礼拝堂にシクラメンの花がお嫁入りしてきたのは、12月21日のことでした。

それから、丸々4カ月間、教会の礼拝堂にいろどりを添えてくれました。今朝の礼拝堂の室温は、18度Cです。

シクラメンの花、鉢の下の皿に入れた水を吸わなくなって久しいので、鉢の上から水をやっています。たぶん、土の中の根からのみ水を吸収しているのでしょう。シクラメンに老いということがあったとしたら、礼拝堂のシクラメン、すでに老いの季節に入って久しくなります。

シクラメンほどかわいいものはない・・・

そんな歌詞の流行歌がありましたが、シクラメンは、さくらの花やモクレンの花とは異なる散り方をします。桜にしても、もくれんにしても、パッと咲いてパッと散る、見事さと潔さがありますが、シクラメンにとっては無縁な散り方です。

シクラメンの花、毎日、1~2個づつ、花を閉じていきます。あとの残った花は、襟を正してきちんと咲いています。まるで、下松愛隣教会の信徒の方で、長い間独り暮らしをされていた姉妹の方々のようです。年老いて、一つ一つ機能が失われていっても、全体として、信仰者としての人格が崩れることはありません。

シクラメンの花、さくらやもくれんの花と違って、最後の一片の花が散るまでの季節はとても長~いのです。

今、シクラメンの花の数は18個・・・。1日1~2個づつ散っていくとしたら、シクラメンの花、あと10日から12日、花を咲かせ続けることになります。4月を通り越して、5月に入って、その老いの季節が終わります。

散りて行くシクラメンほど尊いものはない
老い行く姿の姉妹のようです・・・

筆者の人生も、シクラメンの花と同じような歳のとり方ができたら・・・、と思います。

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