2009年11月14日 (土)

●山口に棲息するようになって、はじめて、差別の本質がなんであるかを認識しておられる方に遭遇・・・

筆者、山口の地に棲息するようになって27年・・・。

今日、はじめて、この山口の地にも、日本の近代中央集権国家・天皇制度国家が構築してきた<差別>社会の本質を認識しておられる方に遭遇・・・。

その方は、学歴をもたないで学歴差別を論じてきた筆者の目には、希有な存在です。

日本基督教団の農村伝道神学校で牧師になるための学びをしていたとき、日本基督教団阿佐ヶ谷東教会に4年間、神学生として在籍していましたが、そのときであった青年会の方々・・・、日本の近代以降の差別社会の本質について、明確な認識をもっておられる方々が少なくありませんでした。

しかし、農村伝道神学校を出て、日本基督教団の教会に赴任して以来、筆者が遭遇したのは、教会内外の差別的な体質でした。教会の中にあっても、一般社会にあっても、差別的体質は深く浸透していて、いたるところで、どぶ川からぶつぶつと吹き出してくるあぶくのような悪臭を放っていました。

筆者は、その<悪臭>ただよう世界に居場所がなく、その<悪臭>から遠い世界に身を置くのが常でした。そのために筆者が採用したのが、<孤立無援>の世界に甘んじて生きるという方法でした。

西中国教区の小さな、希望なき教会に赴任してきてすぐ、<誰もなりてがいない>西中国教区部落差別問題特別委員会の委員をさせられました。<具体的な取り組み>を要求された筆者、あるとき、機会が与えられて、部落解放同盟山口県連の新南陽支部の方々、そして、彼らを通じて、山口県の被差別部落の方々と交流する機会を与えられましたが、筆者にとって、彼らを通じて知らされる部落解放運動は、<中途半端>な闘い・・・、としてしか思われないようなものでしかありませんでした。

理由は、部落差別からの解放の取り組みが、他の差別を前提としてなされている場合も多く、部落解放運動が、すべての差別の撤廃運動には成りきれない多くの限界を持っていることに気づいたからです。部落差別からの解放が、他のすべての差別からの解放につながることはほとんどあり得ない・・・。

トップダウン式の部落解放運動では、止むを得ない運動の<限界>なのかもしれませんが、今日、メールをくださった、山口大学の研究者で獣医さん(この表現は以後使用することはありません)・・・、筆者と同じ方向をめざして歩んで来られたことを知りました。筆者は無学歴・無資格・・・、獣医さんは学歴・資格の持ち主・・・。しかし、部落差別を含む<すべての差別>を包括的に突き崩そうとする姿勢には、多くの共通点があります。

そんなひとが、他の都道府県ではなく、山口にいた・・・、他の大学ではなく、山口大学の中にいた・・・、筆者、驚きの思いをもっています。

  
  

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2009年6月 3日 (水)

●琴浦西小学校の思い出・・・

今日、インターネットの古書店に注文していた倉敷市立琴浦西小学校『百拾年の歩み』が届きました。

前半は、写真集・・・。後半は、琴浦西小学校の全卒業者名簿と教職員名簿・・・。

筆者、『部落学序説』とその関連ブログ群で、筆者が小学生時代を過ごした琴浦町立琴浦西小学校について何度か思いを綴ったことがありますが、今回、琴浦西小学校『百拾年の歩み』をひもといてみて、筆者の入学と卒業に関する記憶にかなりずれがあることに気付きました。

筆者が入学したときは、琴浦西小学校が焼失後、建て直された新校舎だったのですが、火事があったのは、<昭和27年9月30日>のこと・・・。新校舎が完成したのが、<昭和28年10月1日>のこと・・・。筆者が、琴浦西小学校に入学したのは、昭和29年4月・・・。

ということは、琴浦西小学校焼失は、筆者が入学する1年半前のこと・・・。

そのときの校長は、阪田季夫校長・・・。『拾年の歩み』には、阪田季夫校長の在任期間は、<昭和28年4月~昭和34年3月>・・・。ということは、筆者が記憶している、阪田校長最後の<訓示>は、筆者の卒業式のときの<訓示>ではなくて、一学年前の生徒の卒業式の<訓示>か、それとも、阪田校長が校長を辞任されるときのお別れの<訓示>であった可能性があります。

どちらも大切なことがらだったのに・・・、筆者、いつのまにか、入学と卒業について<錯覚>するに至ったようです。

筆者・・・、小学生のときの同学年の名簿をひもといてみましたが、ほとんど忘れてしまっています。名前を見ても顔を思い出すことはほとんどありません。

しかし、小学5年生と6年生のとき、クラスのメンバーは同じでしたが、その同級生の名前を目にしますと、忘却の海から記憶の糸を手繰り寄せ、その同級生の思い出がよみがえってきます。といっても、思い出すことができるのは、クラス55名の生徒のうち3分の2くらい・・・。

そして、そのクラスの担任の名前も、きちんと掲載されていました。

その担任・・・、3年後に、中学校公金横領事件の犯人として逮捕された教師です。そのとき、警察の調べでは、教員免許を持っていなかったとか・・・。偽造した教員免許で、小学校教師になり、筆者の小学生5年と6年の担任をされていた方・・・。

しかし、『拾年の歩み』の教職員名簿の欄に、その教師の名前と在任期間が明記されていました。

これって、背後に、奥深い<教育的配慮>があるのでしょうか・・・。その教師の名前が明記されていないと、筆者の小学生5年と6年のクラス・・・、<担任なきクラス>になってしまいます。

『拾年の歩み』の編集者の方々の<教育的配慮>・・・、もう一度、省察してみたいと思います。教員免許を持っていても、およそ教員らしい発想をすることができない教師も多い昨今、教員免許なしで、ほんとうの教育を実践した教師もいたという記録でもあるのでしょうか・・・。

    

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2009年4月18日 (土)

●夕方であった人々・・・

昨日、スイセンとチューリップが植えてある、教会の道路沿いの細長い花壇の草取りをしました。球根を増やすためには、まだまだ葉を残しておかなければなりませんから・・・。

筆者が草を取っていますと、道路を、末武中学校の生徒が自転車で通りすぎていきます。みんな1列になって、適当に車間距離をおいて走っていくものですから、7人の生徒が、みんな筆者にあいさつをします。筆者も7人の中学生に7回あいさつ・・・。

次に通りかかったのは下松工業高校の高校生4人・・・。数列で一丸となって通り過ぎていきましたので、筆者の挨拶は1回・・・。

その次に通りかかったのは、よろけるような危うさで自転車にのっている中年の女性・・・、笑顔で挨拶して通られます。

それから、近所のおじいさん、おばあさん・・・、筆者をにらみつけるようにして、あいさつもなく無言で通り過ぎていきます。

昨日夕方に出会ったのは<人間>だけではありません。

筆者が草をとっている花壇のすぐ上を走る電線や、隣家の屋根、川の堤防などに、いろいろな小鳥がやってきてさえずります。小鳥たちの夕方のあいさつでしょうか・・・。

<ツィー、ツィー・・・>と鳴くのは、セグロセキレイ。百舌鳥2羽、スズメ2羽、カラス1羽も近くにきて遊んでいます。日が暮れるまえの散歩なのでしょうか・・・。

筆者にとっては、とても、<しあわせな瞬間>に思えました。

こういう<しあわせな瞬間>・・・、普通は失ってみないと分からないのですが・・・。

鶴の里・八代に住む、農家の兄・姉、この前、おあいしたとき、筆者にこのように話していました。「吉田先生と話をしていると、日常生活のありふれたことがとても大切に思えてくるのですよね。庭の草花や小鳥たち・・・、いままで忙しくて目を向けることがすくなかったものが、とても大切な、生きていく上でなくてはならないものに思えてきます。生きている世界、こんなにすばらしかったんだって・・・」。

鶴の里・八代・・・、お世辞ではなくて、筆者にとっては、とてもすばらしい村だと思うのですが・・・。もし、妻の実家のある東北福島の湖南町に<帰郷>することがゆるされなかったとしたら、筆者、山口・・・、長州の地で住んでみたいと思うのは、この鶴の里・八代と、上関・長島、それから山脈の見える羅漢高原・・・。ひとつを選ぶとなると、この鶴の里・八代かな・・・。

生きとし生けるものがすべて美しく見える場所・・・、人間だれしも、たとへ、幻想であったとしても、そう思われる場所がひとつやふたつあるものです。

  

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2009年4月10日 (金)

●今朝は読者の方にメールをさしあげる・・・

昨日、読者の方から封書でお便りをいただきました。

そして、今朝、その方にメールをさしあげました。その方は、筆者がブログで紹介したことがある書籍の著者の方・・・。

つい最近も、妻と一緒に、妻の実家のある東北福島の湖南町の歴史と民俗について話をしながら、このような会話をしたばかりです。

「あなた、わたしたち、この山口に来て27年間、ずっと、山口の人々にとっては、<異邦人>だったわ・・・」。

しかし、妻、読者の方からいただいたお便りを読みながら、「あなたって、幸せね・・・。一見、みんなから見捨てられているように見えながら、いろいろな人から支えられているのですから・・・」といいます。

ブログで発信したことばは、北海道から沖縄までかけめぐる・・・。八丈島から沖の鳥島まで・・・。筆者が、『部落学序説』とその関連ブログ群で語りかける、筆者のこころの中から滲み出てきたことば・・・。<常民>の視点・視角・視座からみた<非常民>の姿・・・。<常民>・<非常民>の枠組みを越えて、<人>として語りかけてこられる読者の方も多い・・・。

今回は、いつになく、長い返事になりました。

今日は、受難週の金曜日・・・、イエスさまが十字架につけられたことを記念する日です。

  

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2008年5月24日 (土)

●あわや、接触事故・・・

夜、国道2号線沿いの宮脇書店から電話がありました。筆者が注文していた農業高校の教科書、最後の1冊が入荷したとか・・・。

それで、筆者、すぐその教科書を引き取りにいったのですが、レジでお金を払って店の玄関に向かって歩みはじめたとき、外から親子3人が入ってきました。ひとりは、やっと歩き始めてうれしくてしかたがない・・・、というような歩き方・走り方をしている小さな女の子・・・。

その女の子、筆者が避ける方、避ける方へ猛突進してきます。

「歩きはじめたみよちゃん・・・」と、60歳の筆者がぶるかるとどうなるのか、目に見えています。筆者の足にぶつかった女の子がころんで泣きだし、その泣き声で、店内にいるお客さんのすべての視線が筆者に向けられます・・・。それに、やっとあるきはじめた小さな女の子を泣かしたのでは、牧師である筆者の沽券にかかわるので、筆者、はらわたがよじれるような姿勢をくりかえしながら、瞬間、筆者に向かって突進してくるその女の子をかわすことがきました。

その小さな女の子のおとうさんとおかあさん、「すみません・・・」といいながら、笑顔を満面に浮かべていました。自分の娘が見ず知らずの男にぶつかって転んで泣かずにすんだことを喜んでいたのか、それとも、それをかわす筆者の体の動きが滑稽だったのか・・・、たぶん両方なのでしょうが、こういう<接触事故>の場合、筆者、昔から、時間がとまったような感覚になります。

本当は一瞬のできごとなのですが、急にゆっくりと時間が流れるようになり、刻々と変わる状況に自分を合わせることができるようになるのです。筆者に猛突進してくる小さな女の子は、筆者にとって、車の接触事故と同じ<危機感>を引き起こすものだったようです。<小さな命を守らなければ・・・>、筆者のからだが無意識に<反応>してしまいました。

26年前、山口の小さな教会に赴任してきた年、娘の誕生日のプレゼントのぬいぐるみを買うために筆者と妻と娘の3人で徳山の駅前の商店街のデパートへ行きました。

そのとき、デパートの交差点で、赤信号を無視して乗用車が進入してきて、筆者と接触・・・、筆者、乗用車にはねられその前に倒されました。そのとき、筆者、抱いている娘の頭を路上に打ちつけてはいけないと思って、娘を両手で高く冬の空に向かってさしあげました。そして、筆者の体はドスンと道路の路面に着地・・・。運転をしていた女性のドライバー、考え事をしていたそうですが、とまっていたはずの車がするする・・・と動きだしたそうです。

娘を守らなければ・・・というとっさの行動が、筆者の頭を路面に打ちつけることからまもることに結果したようです。

筆者、倒れたとき、体を路面に打ちつけたような気がしなかったので、顔面蒼白になった女性のドライバーとその場で別れました。「ほんとうに、警察に電話しなくていいのですか・・・?」とその女の人、「いいですよ、今日はクリスマスですから・・・」と筆者・・・。

娘は、泣かないで、筆者の顔を見ながら微笑んでいました。今日、<接触事故>を引き起こしそうになった、やっと歩き始めた小さな女の子の姿を見送りながら、筆者、娘の小さな頃を思い出していました。

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2008年4月17日 (木)

●信州・由布姫の末裔の方から春の便り・・・

小泉首相の行政改革で一番最初に切り捨てられた公共事業に、「女性就業センター」というのがありました。

筆者、牧師をしながら、情報処理を副業にしていましたが、山口にあったNTTとNHK共同出資の人材派遣会社から、山口県東部産業技術学校と山口県東部女性就業センターのパソコンの講師を依頼され、10年間に渡って、両方の受講生あわせて、約1000人の方々にパソコンの操作を指導していました。

MSDOSの時代からWindowsの時代まで・・・。

「男女共同参画社会は実現した、女性だけを対象にした就労のための資格取得講座はもう必要がない・・・」、として、小泉首相の行政改革で、全国の女性就業センターは、それぞれの地域の活性化の必要性を無視して、全国一律に閉鎖されたのでした。

女性就業センターのパソコンの講師・・・、ほとんどが女性でしたが、一番多く講座を担当していたのが、男性である筆者でした。女性の講師の中には、筆者の受講生もいました。所長から、受講生の中から講師を養成してほしい・・・、と依頼されていためです。

女性就業センター閉鎖後、彼女たちの<職場>をどうするのか・・・。狭いポストを確保するために、男性である筆者がその世界から身を引くことになりました。

それまで、女性の再就職のために労していた筆者が、彼女たちを押し退けて、数が少なくなったポストに居すわることにためらいがあったためです。

筆者、受講生の方々からときどき、お便りをいただくことがありますが、今日届いた「春の便り」は、戦国時代の信州諏訪の由布姫の末裔の方・・・。

「あるレストランの壁にかかっていた詩で、題名は思い出せませんが、坂村さんのよい文章がありましたので、メモを見つつパソコンで打ち出しました。老眼鏡の度がすすみ、その他、年を感じるこのごろ、先生は、ひょっとしたら還暦も近いことと思われます・・・」という添え書きと一緒に、坂村真民の詩が同封されていました。

老いることは
鳥のように
天に近くなること
花のように
しだれ柳のように
自然に頭の下がること
老いることがこんなに楽しいとは
知らなかった

この詩、なにか、風林火山の響きに似ています。

疾きこと
風の如く、
徐かなること
林の如く、
・・・・

現代の由布姫さんのこころに、同じ響きが届いたのでしょうか・・・。

筆者、受講生にブラインドタッチを短期間に習熟させるために、ワープロ速記の技法を取り入れて教えていましたが、筆者、有名な詩を朗読して、それを受講生にタイピングさせます。

そのとき、よく使っていたのが、島崎藤村の詩・・・。金子みすずや中原中也ではなく、なぜ島崎藤村なのか・・・。

中学校・高校の5年間、長野県の女の子と文通していて、カルチャーショックを受けた話をして、そのあと、島崎藤村の詩を朗読(暗唱)しました。よく、島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」や「千曲川旅情のうた」を朗読しましたが、10年間で、受講生の中で、その両方を覚えておられた方は、<戦国時代の信州諏訪の由布姫の末裔・・・>と自己紹介された、今日、「春の便り」を送ってくださった方、ただおひとりでした。

教授夫人・・・。今年、講師をされていた、山口県東部産業技術学校の講座が閉鎖になり、職をうしなったとか・・・。

BOOKOFFで入手した、山室静編『島崎藤村詩集』(彌生書房)の最後の詩に、このような詩がありました。

昔より
深志の里は
松葉に清し
その葉をば胸に結ばむ
その葉をば手にもかざさむ
をとめごの心をつなぐ
うら若きしるしともせむ

・・・・・・

昔より
深志の里は
松葉に清し
奥深き学びの道の
遠くとも心燃えなば
縫ふ針の貫く日あり

一筋の直き松の葉

島崎藤村が作詩した、「松本女子職業学校校歌」です。

この5年、信州諏訪の由布姫の末裔の方が、山口県東部産業技術学校でどのような指導をされてきたのか、想像に難くありません。多分、筆者と同じことを経験・・・。

中学校、高校で、学校教師によって、こころ傷つけられ失意の思いをもって入ってきた受講生も少なくありません。

「君、タイピングのセンスいいね・・・」と話したとき、高校を出てすぐ産業技術学校に入ってきた女の子、ケラケラ笑いだしながら、「先生、知ってる? わたし、通っていた商業高校の先生から、あなたはパソコンの操作に向いていないと言われて、検定試験もうけさせてもらえなかったのよ・・・」といいます。
「高校の先生が何いったかはしらないが、君、センスある。3級ではなく、いきなり2級を受けなさい」。
「先生、2級受けて、落ちたらはずかしい・・・」。
「いや、君なら、検定試験2級にストレートに合格できる! 特訓してあげるから・・・」。

他の受講生も、「あなた、2級受けなさいよ。合格して、商業高校の先生、見返してあげたら・・・」と応援していました。

また、男の子だけの講座では、指導もケンカ腰・・・。

「おれたち先公、嫌いなんだよ。なんかいや、成績わりい、能力ねえ、といって人を馬鹿にするから」。
「馬鹿野郎、おれを、そんな先公と一緒にすんな・・・」
「じゃあ、なんで俺たちに教えたり、説教たれたりすんだよ・・・」。
「おれは、職人だ!」。
「ただの職人がパソコンつかえるんかよ」
「そうだよ、職人の意地にかけて、パソコンつかってるんだよ」。
「おれたちでも、パソコンの資格とれるんか・・・」。
「職人のど根性があれば、とれるよ!」
「おい、おまえら、この先公、本気みたいだよ。いっちょ、パソコンの資格、とってみっか・・・」(時々、正規職員の方から、言葉の使い方について注意されていました。そして、「この学校に入ってくる子は、馬鹿ばっかりだから、そんなにむきになっておしえられなくてもいいですよ」というアドバイス付きで・・・)。

次の講座から、受講生たち、筆者のことを「先生」と呼んでいました。ワープロ検定3級、短期間で全員合格・・・。

信州諏訪の由布姫の末裔の方も、5年つとめたということは、同じような経験をしてきた、ということでしょう。こころから、「ご苦労さま・・・」と言わせていただきます。

日本基督教団下松愛隣教会、諏訪のお城のように大きくはありませんが、尋ねてこられませんか・・・? 主日礼拝は、日曜日、午前10時15分から。車で来られても駐車できます。なければ、お隣のおじさんの駐車場をかしてもらいます。

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