ココログのアクセス解析の<生ログ>を逆にたどっていたときに、《「岡山県同和教育基本方針」廃止について》という文章に遭遇しました。
その文章の冒頭に、「「岡山県同和教育基本方針」を平成21年3月31日をもって廃止する。」という文章がありました。
ということは、この「岡山県同和教育基本方針」・・・、「昭和59年6月22日」以降、現在にいたるまで、岡山県教育委員会の同和教育・人権教育の基本方針としてあり続けたようです。
インターネットを通して閲覧できる《同和教育基本方針》の本文を読んでみますと、このような一文があります。「社会教育においては、すべての県民が部落差別の不合理について認識を深めるとともに、その解消のために積極的に努力する意欲と実践力とを育てる。」
岡山県に限らず、他府県の教育委員会において、社会教育に関して同種の文章を掲げてきたと思われます。
筆者、山口の小さな教会に赴任して、そのとき、日本基督教団が部落解放同盟からその差別性を指摘されたことをきっかけにはじまった全国の教区に部落差別問題特別委員会を設置するという流れに遭遇し、設立されたばかりの西中国教区部落差別問題特別委員会の委員に任命されたことをきっかけに部落差別問題に取り組むようになりましたが、筆者の<取り組み>に最も大きな、しかも刺激的な影響を与えたのが、部落解放同盟新南陽支部の反差別闘争でした。
筆者、部落解放同盟新南陽支部の支部長・書記長・婦人部長さんなどの支援で、新南陽市の社会同和教育に<陪席>させていただきました。筆者は、その社会同和教育の参加資格はもちあわせていなかったのですが、社会同和教育主事の方の快諾もあって、数年に渡って同和問題研修会に参加させていただきました。
そのときだったでしょうか・・・、山口県立文書館の研究員をされていた北川健先生に出会ったのは・・・。筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群執筆の背景にあるのは、その北川健先生の近世・近代・現代を通じての部落史に関する諸論文です。北川健先生も、彼独特の方法で、岡山県の《同和教育基本方針》がいう<すべての県民が部落差別の不合理について認識を深めるとともに、その解消のために積極的に努力する意欲と実践力とを育てる・・・>ことを理念・目標として推進されていたと思われます。
いわば、『部落学序説』とその関連ブログ群は、<県民が部落差別の不合理について認識を深め>、<その解消のために積極的に努力する意欲と実践力とを育て>てきた結果であるといえます。
ところが、岡山の伊里中学校の人権教育担当の藤田孝志氏・・・、<あひる&藤田孝志>というインターネット上の<仮想人格>をたてに、筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群と、それを執筆する筆者に対して<誹謗中傷・罵詈雑言>を繰り返してこられました。<あひる&藤田孝志>氏の筆者に対する<誹謗中傷・罵詈雑言>の理由を与えたのが、筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群の内容が、部落解放運動ないし学校同和教育で指導されている部落史の一般説・通説から著しく逸脱したものであるという一点にありました。
<逸脱>の内容は、筆者が、被差別部落の人々は部落史の学者・研究者・教育者が主張するような、<賎民であるから賎民とされた>本質的<賎民>などではなく、近世幕藩体制下の司法・警察である非常民であったという説をたてたことに対する、部落史研究・学校同和教育の<第一人者>の立場からの全面否定のことばでした。
筆者は、岡山県生まれ・・・。小学校・中学校・高校を、岡山の小学校・中学校・高校で過ごしてきましたが、岡山の伊里中学校の人権教育担当の藤田孝志氏のような<不遜な>教師は、はじめてでした。時代と状況が変われば、彼のような学校教師・・・、筆者の視点からしますと、部落史教育、人権教育の<第一人者>を標榜しながら、それから最も遠い差別的な教師としてうつります。
岡山の伊里中学校の人権教育担当の藤田孝志氏・・・、被差別部落の人々を<賎民>と表現してやまないのですから・・・。<賎民>とは、<賤しい民>のことであり、他者をさして<賎民>と表現すること自体が差別的であると認識している筆者・・・、岡山の人権教育担当の教師ともあろうものが、なぜ、被差別部落の人々を<賎民>と断定し続けるのか、理解するこができません。
筆者と、インターネット上の仮想人格である<あひる&藤田孝志>氏との<見解の相違>は、<学歴差別>に関するものでした。
<学歴差別>は、天野郁夫著『学歴の社会史-教育と日本の近代』(新潮選書)を読むまでもなく、近代中央集権国家・明治天皇制国家が民衆支配のために仕組んだ差別的なシステムのことです。
岡山の伊里中学校の人権教育担当の藤田孝志氏・・・、なぜ、学歴差別について<無理解>でいることができるのか・・・、筆者、不思議に思っていましたが、今日、インターネットで閲覧できる『岡山県人権教育推進プラン』全40ページを読んでいて、彼が学歴差別について<無理解>でおれる理由が分かりました。
『岡山県人権教育推進プラン』・・・、「人権課題については、迅速かつ的確に対応することが必要」といい、「人権課題相互の関連」を認識する必要をといています。「人権課題にはそれぞれ固有の状況や歴史的経緯などがあります。一方、誤った認識や人権意識の欠如が偏見・差別の原因となっているなどの共通点もあります・・・」。
上野千鶴子の<複合差別論>を取り入れたのでしょうか・・・。
『岡山県人権教育推進プラン』・・・、「また、身体的・精神的な暴力や誹謗・中傷等の問題は、複数の人権課題にかかわる問題・・・」でもあると指摘しています。
<あひる&藤田孝志>氏という、部落解放運動家と学校同和教育担当とが合体した、インターネット上の仮想人格は、『部落学序説』とその関連ブログ群の筆者に対して、誹謗中傷・罵詈雑言を繰り返してきましたし、最近は、筆者に対する暴力的殺害すらほのめかす記述を展開していました。そして、著作権法上の氏名表示権すら踏みにじって省みない・・・。
『岡山県人権教育推進プラン』を読んでいますと、筆者に、誹謗中傷・罵詈雑言をなげかけてきた、インターネット上の仮想人格である<あひる&藤田孝志>氏と、『岡山県人権教育推進プラン』に組み込まれた人権教育担当の岡山の伊里中学校の藤田孝志氏とは別人格のような気がしてきます。
『岡山県人権教育推進プラン』の中には、「人権教育との関連においては、特に、情報モラルの必要性や情報に対する責任について考え、望ましい情報社会の創造に参画しようとうする態度の育成をはかっていくこと」との文言もあり、人権教育担当もこの課題から無縁ではいられないはずですから・・・。
ちなみに、「情報モラル」とは、「インターネットなどの情報通信ネットワークを正しく利用するためのもとになる考え方と態度のことです。つまり情報社会の中で「すべきこと」「すべきでないこと」「してもよいこと」「しないほうがよいこと」といった善悪の区別・判断についての知識を身に付け、正しく行動しようとする態度のことです。」と説明されています。
岡山の伊里中学校の人権教育担当の藤田孝志氏・・・、この『岡山県人権教育推進プラン』・・・、精読しているのやらいないのやら・・・。
ただ、精読し過ぎることによって、陥ることになる<誤解>も存在します。
『岡山県人権教育推進プラン』・・・、「人権教育の各分野における取組」の中で、岡山県における人権教育の中で取り組むことになる具体的に課題・・・、<差別>を列挙しています。<差別>ということばで表現すれば、岡山の人権教育担当が取り組むことになる<差別>は、①部落差別、②女性差別、③児童虐待、④障害者差別、⑤<ハンセン病を病んだ人々・HIV感染者等>に対する差別、⑥老人差別、⑦在日外国人に対する差別、⑧犯罪被害者に対する偏見、⑨受刑者に対する差別、⑩性的マイノリティに対する差別、⑪アイヌ差別、⑫<帰国した中国残留邦人とその家族>に対する差別、⑬プライバシーの侵害・インターネットによる人権侵害・・・。
筆者、『岡山県人権教育推進プラン』を一読して、岡山県の教育委員会がいう<人権課題>からもれている重要な差別がいくつか、思い浮かべることができます。
まず、<学歴差別>・・・。
『岡山県人権教育推進プラン』には、完全に<学歴差別>は欠落しています。この<学歴差別>は、天野郁夫著『学歴の社会史-教育と日本の近代』を通読しただけでも、近代日本の差別社会、差別システムを構築するうえで大きな要因であったことを確認することができます。近代日本がつくりだしたさまざまな差別の共通属性として、この<学歴差別>があるのですが、上記の①~⑬の差別に関する具体的な記述のなかに、この<学歴差別>を認識した記述はほとんどありません(行間にこめられていると反論されるかもしれませんが・・・)。
<アイヌ差別>にしても<ハンセン病者差別>にしても、問題解決が遅れて、多くの人々に差別の苦しみを味わわせた背景には、彼らから<学歴>を奪うという<学歴差別>があります。
<ハンセン病>に関する記述の中に、「かっては全国で唯一の入所者のための高等学校(岡山県立邑久高等学校新良田教室)もありました」とありますが、高校はつくられても大学はつくられなかった・・・、ことはほとんど強調されません。<ハンセン病>に関する国や岡山県の提供する<ハンセン病>とその対策を学習する場となり得ても、大学教育をほどこし、<ハンセン病>患者に、みずからの病気と医療に関する知識、ハンセン病の中世・近世・近代の民衆と共に生きてきた歴史、そして明治になって近代中央集権国家・天皇制国家の価値判断から隔離され排除されきた歴史、人として最後まで生きることができる人権の確立と闘争・・・、<ハンセン病>患者みずからが学問的に調査・研究することができる機会を奪ってきました。
もし、<ハンセン病>患者が、学歴差別の対象にされず、比較的症状が軽いといわれている「邑久光明園」の患者に高等教育を受ける機会が保障されていたとしたら、彼らは、もっとはやい段階で、みずからの解放をなしとげることができたことでしょう。
<アイヌ差別>についても同じです。
それに、『岡山県人権教育推進プラン』・・・、いろいろな差別と直結する<職業差別>についてもほとんど触れていません。女性差別の項で、「「男性の職業」「女性の職業」といった職業に付与された固定的な考え方にとらわれず、主体的に進路線tなくする能力や態度を育成するこができるよう、一人ひとりの個性や能力に応じた進路指導の充実を図る取組を進めます・・・」と、何か、一時代前の発想で文章が綴られています。
小泉首相の行政改革で最初に実施されたのは、男女共同参画社会はすでに実現した・・・として、子育てを終えた女性の再就職たのための資格取得講座の全面廃止でした。その時点で、小泉首相は、「男性の職業」・「女性の職業」の区別は克服されたとして関連事業の予算を全面削除したのでした。<女性差別>においても、<学歴差別>は、深刻なかげをもたらしています。
筆者の<学歴差別>に対する反語的表現に対する、岡山の伊里中学校の人権教育担当の教師・藤田孝志氏の<無理解>(<理解できない>という意味・・・)、インターネット上の仮想人格である<あひる&藤田孝志>氏の筆者に対する誹謗中傷・罵詈雑言をなげかけてやまなかった背景には、岡山県の教育委員会を頂点とする学校教育における、学歴差別に関する<無理解>があったのではないかと推測せざるを得ません。
インターネット上で筆者に誹謗中傷・罵詈雑言をなげかけてやまなかった、インターネット上の仮想人格である<あひる&藤田孝志>氏と、岡山の伊里中学校の人権教育担当の藤田孝志氏・・・、筆者、やっと<同定>することができるようになりました。
岡山の伊里中学校の人権教育担当の藤田孝志氏・・・、やはり、岡山県の教育界が生みだした存在のようです。
『岡山県人権教育推進プラン』・・・、<沖縄差別>、<基地差別>に関する言及もありませんでした。筆者の記憶では、岡山には沖縄出身者もたくさんいましたし、基地も存在して反基地闘争も存在していたと記憶しているのですが・・・。それに、<島差別>も・・・。
筆者、すべての差別に通底しているのが、<学歴差別>であると思っているのですが・・・。
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