●近世幕藩体制下の武士身分の差別意識の分析・・・
今日は、一日、ミニ菜園と花の手入れをしていました。
キンセンカの花をはじめ、春の雨にあたって散った花をいくつも手折ったためでしょうか、筆者の右の手、植物の匂いが染みついたようです。
特に、筆者の右手の指・・・、少し苦みのある薬草の匂いがします。
春の雨にあたったためでしょうか、ミニ菜園に植えた、この前園芸店で買ってきたキュウリの苗が2本ともしおれていました。しかし、筆者が種から育てたキュウリの方は、とても元気で、春の雨にあたって、ますます成長しています。
5月の連休は、日本基督教団西中国教区の総会があったり、筆者、公私共に多忙です。教会の花壇・お花畑・ミニ菜園の手入れをする時間を十分にとれそうにありませんので、とりあえず、まかなければならない種・球根は、今日、全部まいたり、植えたりすることにしたのです。
夕方になると、疲れから、筆者、思考停止状態・・・。
疲れがとれたころ、以前、国道2号線沿いのBOOKOFFで購入して、一度、『田舎牧師の日記』に感想をかいたことがある、山本博文著『男の嫉妬-武士道の論理と心理』(ちくま新書)を読み直してみました。
山本博文氏は、『部落学序説』の文献一覧表にリストアップしているとおり、『江戸お留守居役の日記 寛永期の萩藩邸』(講談社学術文庫)の著者でもあります。この山本博文氏を、東京大学で指導された教授が尾藤正英氏ですが、尾藤正英著『江戸時代とはなにか 日本史上の近世と近代』(岩波現代文庫)とあわせて読みますと、歴史学研究における師と弟子の関係のありようの一端を知ることができます。
筆者は、どちらかいいますと、心理的あるいは心理学な研究というのは、あまり関心がないのですが、BOOKOFFで、山本博文著『男の嫉妬-武士道の論理と心理』を立ち読みしているとき、著者の<独創性>にひかれて、つい、買ってしまいました。
山本博文氏の近世幕藩体制下の武士身分に関する研究の<独創性>はなにかといいますと、「士農工商」の「士」と「農工商」の間における差別はきわめて希薄で、どちらかいいますと、ないに等しい・・・、しかし、「士」の身分間における階級差における差別は露骨なものがあった・・・、と主張しているところです。
近世幕藩体制下における、「差別」的な武士身分が、明治維新を経て、近代身分制度の「天皇・皇族・華族・士族・平民」の「士族」に組み替えられ、「武士」の中における「差別」を、「士族」の中で保持することができなくなった旧武士身分は、「士族」の下に「平民」を位置付け、露骨に「平民」を「差別」するようになっていきます。
そして、近代の教育・研究の世界において、「立身出世」をこころざす旧武士身分は、近代の身分制度の「士族・平民」の差別的上下関係を、近世幕藩体制下の身分制度の中に読み込んでいきます。そして、「職業ないし職能の区別」に過ぎない「士農工商」という概念を、「士」>「農工商」として、身分の上下関係として強引に認識し、それを、国民の間に「正史」として流布させていくのです。
近代中央集権国家・明治天皇制国家の差別・差別意識の創出者は、旧武士身分です。
山本博文氏は、『男の嫉妬-武士道の論理と心理』の中で、山本博文氏が、その指導教授・尾藤正英氏から受け継いだ歴史学研究の遺産を継承して、近世幕藩体制下の武士身分を解明するのに、「家格」と「役職」というキーワードを導入します。
『部落学序説』の筆者は、近世幕藩体制下の身分を「役務」と「家職」をキーワードで論じてきましたが、尾藤正英・山元博文両氏は、「家格」と「役職」をキーワードにして、近世幕藩体制下の身分制度の中核、武士身分の本質を明らかにしていきます。
尾藤正英・山本博文氏のいう「役職」というのは、「役」と「職」のことで、「役」は、筆者が『部落学序説』でいう「役務」に、「職」は、「家職」にあたります。尾藤正英・山本博文氏は、「家職」を「家」と「職」にわけ、「家」という概念を独立させ、「役職」に「家格」として対置させて、論述を展開するのです。
尾藤正英・山本博文両氏は、「家格」と「役職」の二つの概念における「職」(「役職」・「家職」)においては、「政治や軍事を職分とする武士」(『部落学序説』の筆者がいうところの軍事・警察にたずさわる非常民)と「一般の庶民」(常民)の区別はあっても、それは、「絶対的なものではない」といいます。「武士がその身分にふさわしくない行動をすれば、それに対して庶民の立場から「侍畜生」と非難しても、別にとがめられることはない・・・」といいます。
山本博文氏は、「町人」は、武士身分に「嫉妬」することも「差別意識」を持つこともなかったといいます。「町人」だけでなく、「百姓」についても同じことが言えるでしょう。
近世幕藩体制下の身分制社会において、「嫉妬」と「差別意識」を培い、近代中央集権国家・明治天皇制国家における近代身分制下のおける差別と差別意識の創出にあずかっていった武士身分の中に、身分にともなう露骨な「差別」・「差別意識」があったことを証明してみせるのです。
しかも、その「差別」・「差別意識」・・・、身分が高ければ高いほど、「誇り高い家柄の武士であればあるほど」、その内面と生活・職務の中に、露骨に「差別意識」がかもしだされ、構築されていったというのです。
尾藤正英・山本博文両氏は、「家格」と「役職」というキーワードを、近世幕藩体制下の社会の「表」と「裏」を描くときの指標として用いているのです。
近世幕藩体制下の社会の「表」の顔は、その身分制度の根幹を物語る「家格」という概念で表現します。「家格制を維持すること」、それは、「幕府の体制を守る道」として、了解されていたといいます。
しかし、実際の、現実の幕藩体制下の社会は、「家格」だけで動いているのではなく、実務れべるでは、「役職」に重点がおかれます。
この「役職」・・・、実務の世界ですから、与えられた職務をこなすに必要な実務能力が要求されます。そのため、近世幕藩体制下においては、「家格」に関係なく、実務能力をもったものが、より上位の、責任ある「役職」に抜擢された・・・、といいます。
つまり、「家格」においては、「貴」身分にあたる武士階級が、「役職」においては、下位の職にあまんじなければならないこともあれば、「家格」においては、「賤」身分にあたる武士階級が、「役職」においては、上位の職につくということもあるというのです。しかも、それは、決してめずらしいことではなく、近世幕藩体制下において時間・空間を超えて普遍的なものであったというのです。
「家格」は「貴」身分、「役職」は下位の職・・・に置かれた武士階級は、逆の、「家格」は「賤」身分、「役職」は上位の職・・・についた武士階級に対して、激しい「嫉妬」にさいなまれたといいます。山本博文氏は、「家格は低くとも羽振りがよい者に対しては、強い嫉妬心が生ずる。」といいます。
山本博文氏は、「武士の出世競争」(より上位の役職を求める武士身分間の闘争・・・)においては、「他人が出世すれば自分は出世できない。自分の栄達のじゃまになる他人の存在が目障り二なり・・・嫉妬の念が強く起こってくる」といいます。
山本博文氏によりますと、この「嫉妬」・・・、「それと表裏の関係にあった正論による他者批判」に帰結するといいます。彼らは、「人の業績を認めたがらない」だけでなく、「さまざまな場所で」、「正論や批判」を展開します。自らが、「大きな力を持ち」、「人事に影響を与える」能力を持っていることを鼓舞するのです。
自らより低い「家格」の武士を、「賤吏」として罵倒します。そして、「かかるいやしきものの子と相まじはることをはづ」ると高言するのです。山本博文氏曰く、「その嫉妬心は、本来、武士としてふさわしいのは自分であるという自負に裏付けられているだけに、正義の観念も伴い、より強いものになる。ただ嫉妬というよりも、身分の低い者に対する差別意識にまで発達するのです」。
「家格」においては、「貴」身分にあたる武士階級が、「家格」においては、おのれより「賤」身分にあたる武士階級が、「役職」において上位の職についたとき、はげしい「嫉妬」にさいなまれるとともに、それでは、「貴」身分のおのれのメンツが立たないとして、「役職」に要求される実務能力とは関係がない、近世身分制度の中で固定された「家格」を持ち出して、むきだしの「差別意識」・差別行為に身を委ねることになるというのです。
「家格」と「差別意識」とは表裏一体のものとして、近世幕藩体制下の武士身分の精神構造を形作るのです。
「嫉妬」を覚える相手に対して、「差別意識」をもって、おのれの精神の安定を保つ・・・、近世幕藩体制下の武士階級が、そのような心理的メカニズムの中を生きていたという、山本博文氏の説が正しいとしたら、「武士がなんぼのもんや・・・」とつぶやきたくなります。
「差別意識」と表裏一体の「家格制の遵守は、・・・武士の嫉妬心を抑え、秩序を守るための武士社会の根幹的な方策であったと見ることもできる」。
そして、山本博文氏は、「差別意識」と表裏一体の「家格制があったから、役職にめぐまれるかどうかや、能力の有無や経済的な浮沈にかかわらず、武士は武士としてのアイデンティティを保つことができたのである。」と断定します。
山本博文氏、まるで、「武士道とは、人を差別することによって、おのれの精神的安定を獲得する道である・・・」と主張されているかのようです。
武士を武士たらしめる武士のアイデンティティである「家格」と「差別意識」・・・、その目に見える形が「衣類統制」のようです。
「儀式のとき、「布衣(絹地無紋の裏のない狩衣)」を着することができる役職」・・・、それは、山元博文氏によりますと、「幕府旗本にあっては中間管理職的なもの」であったとしいます。「当然学問があるはず」の人々だそうです。つまり、近世幕藩体制下の知識階級・中産階級である武士身分の中にも、「貴」身分の「賤身分」に対する「家格」と「差別意識」のせめぎあいが存在していたということを物語っています。
山本博文氏、「こうした嫉妬心を緩和し、温存する種々の慣行(差別意識・差別行為)は、武士社会だけでなく、それ以後の日本社会にも受け継がれてきたものと思われる」。
「明治維新」以降の、知識階級・中産階級となる旧武士身分は、解体されていく、近世幕藩体制下の武士階級の中における貴賤の別、そして、貴の立場から常に賤を差別して自らの社会的位置を保とうとするその生活と思想・・・、近代中央集権国家のあらたな身分制度「天皇・皇族・華族・士族・平民」の枠組みの中で、自らの「貴」を守るために、その下の身分「平民」を差別し限りなくおとしめていく、日本の歴史学の世界に、「賤民史観」や「愚民論」を組み込んでいったのは、近世幕藩体制下の武士身分の<陰>の部分であったと思われます。彼らは、近世の歴史、その身分制すら、塗り替えてしまったのです。
禁制幕藩体制下、平和な時代における、軍事・警察のキャリアである「武官である番士」は、軽んじられていたといいます。軍事・警察にたずさわる非常民の末端、全国津々浦々に配置された司法・警察である「穢多」役・「非人」役・・・、現場の警察官は、キャリア以上に軽んじられていたのかもしれません。
同心・目明し・穢多・非人・・・、彼らに「差別意識」を向けていたのは、「家格」と「差別意識」を表裏一体のものとして生きていた「貴」身分であることを自覚しつつ、「賤」身分に「嫉妬」する武士身分・・・、なさけない、みじめで、あわれな・・・、武士身分以外の何ものでもなかったと思われます。
もういちど、山本博文氏のことばを繰り返しましょう。
「町人も武士身分に嫉妬することはなかった」。
「町人」だけでなく「百姓」も・・・。「武士」の世界、「町人」・「百姓」にとっては、別の世界のことですから・・・。
*「家格」にこだわり「差別意識」をもってしか自分の精神的安定を維持できない武士身分、彼らは、このように訓戒します。「つまらぬ反感」を持たないで、「黙って職務に励むのがよい」と。しかし、山本博文氏曰く、「黙っていると一生・・・で終わるしかない」。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

昨日夜、近世幕藩体制下の長州藩の支藩・徳山藩の衣類統制に関する史資料を、身分・階級毎に整理して図式化していましたが、試行錯誤の連続・・・。
最近のコメント