●不思議な世界・・・
今振り返ってみますと、実に不思議な世界です。
筆者、27年前、日本基督教団西中国教区の小さな教会に赴任してきてはじめて、部落差別問題とかかわるようになりました。そして、設立したばかりの西中国教区部落差別問題特別委員会の委員をさせられるようになり、4期8年、その委員として、部落差別問題に取り組みました。
筆者、部落差別問題については何も知らなかったので、<わからないこと・・・>はすぐ、関係者にたずねることにしていました。筆者の質問に一番戸惑われたのは、当時の部落解放同盟山口県連の松浦委員長でした。
松浦委員長から、<君、ほんとうに部落差別のこと知らないの? それで、委員させられているの?>と問いかけられることが何度かありましたが、筆者、<はい、ほとんど知りません・・・>と答えるのみでした。松浦委員長・・・、ストレートに質問してくる筆者にていねいに答えてくださいました。そして、部落解放同盟の同和地区調査や対市交渉・対県交渉などの場面にも陪席を許してくださいました。
もちろん、部落解放同盟新南陽支部の支部長・書記長の方々の<支援>があったためですが・・・。
しかし、あるとき、差別事件があり、その対県交渉のときの筆者の文章が問題になり、筆者、山口県連の諸集会に参加することを禁止されてしまいました。松浦委員長からいわれたのは、<君は、徹底的に差別意識・差別行為を追求することをよしとしているようですが、我々の運動は、そのこと自体を目的としていない。差別事件の真相解明ではなく、差別事件を通して、部落差別の解消のため行政にいろいろな施策を要求する行政闘争を目的としている。部落差別について何も知らなかった君が、部落差別完全解消のためにいろいろ調べるのはいいが、部落解放運動とはなじまないので、今後、部落解放同盟山口県連の集会・行事に参加することは自粛するように・・・>ということでした。
筆者、そのときから、部落解放同盟山口県連・山口県同教・山口同宗連の集会に参加することはなくなりました。
そして、ほとんど軌を一にするように、日本基督教団部落解放センター・京都教区部落解放センター、西中国教区部落差別問題特別委員会からも、<あなたの取り組みは、日本基督教団の部落解放運動になじまない・・・>として、排除・疎外が確定されました。
決定的に排除・疎外が確定されたのは、筆者が、西中国教区部落差別問題特別委員会委員として取り組んだ8年間を総括するつもりで書いた原稿用紙300枚の報告書が、当時の西中国教区宣教委員会の村田敏牧師や、西中国教区部落差別問題特別委員会の東岡山治牧師によって、問題があるとして、没収・破棄されてしまったことにあります。
そのとき、部落解放同盟新南陽支部の方々は、<あの程度の論文で、日本基督教団の部落解放の流れから排除することがありうるのか・・・>と驚かれていました。
ただ、どの団体も、筆者の原稿用紙300枚の論文を、<論文に価しない、評価に価しない・・・>として、<握りつぶす>ことに終始しました。しかし、いずれの団体からも、筆者、差別者として<糾弾>を受けることはありませんでした。
それ以降、筆者の部落差別問題との取り組み・・・、<既存の部落解放運動から排除されはするが糾弾はされない>・・・、という状況に置かれることになったのです。
それから、筆者、部落解放の運動団体が避けて通る、差別意識・差別行為の分析と、その背後にある<差別思想>に着目して、資料収集をはかるようになったのです。その渦中で遭遇した、山口県の県北にある、ある寒村の被差別部落の古老との出会い、その歴史と伝承の聞き取り・・・、それ以降の筆者の部落差別問題との取り組みの方向性を決定的なものにしてしまいました。
筆者、ときどき、部落解放同盟山口県連委員長や、部落解放同盟新南陽支部支部長の顔を思い出します。彼らとの出会いがなければ、部落差別について何もしらなかった筆者が、『部落学序説』とその関連ブログ群を執筆するには至らなかったことでしょう。
筆者、部落解放同盟山口県連・山口県同教・山口同宗連、日本基督教団部落解放センター・京都教区部落差別問題特別委員会・西中国教区部落差別問題特別委員会の主催する諸集会から離れてひさしくなります。
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