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2008年12月17日 (水)

●善人なをもて往生をとぐ、<いはんや>悪人をや・・・

善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。

岩波文庫『歎異抄』の一節です。

筆者、正真正銘の無学歴・無資格ですので、学者・研究者・教育者の<相互批判>の作法を知りません。

そのため、筆者の『部落学序説』の内容について、特に、近世幕藩体制下の司法・警察である非常民(穢多役・非人役)に対して<宗教警察>と表現したことについて、兵庫県の部落解放運動家、岡山県の中学校教師の方々から、激しい<批判>が寄せられました。筆者にとっては、<批判>というより、<誹謗中傷・罵詈雑言>の類でしかありませんが・・・。

筆者、そのときはじめて、学者・研究者・教育者の間で交わされる<議論>、<相互批判>のことばの<きたなさ>を知りました。

今回、またそのことを追認させれるような、コメントが寄せられました。

京都大学の学生さんからのコメントのようです。

「黒古に負けず劣らずバカ・・・」、「その頭じゃ理解できなかったかな?」、「どうしようもないバカ、物凄いバカ」、「脳足りん」・・・、<罵詈雑言>の羅列・・・。岡山の中学校教師・藤田孝志氏の筆者に対する<罵詈雑言>が影をひそめてしまうような勢いです。

現代の日本の学者・研究者・教育者の世界・・・、このような状況が現実化・一般化しているのでしょうか・・・?

それにしても、「脳足りん」ということば・・・、昔、耳にしたことがあることばです。小学生の頃、子ども同士のケンカで・・・。

奥山益朗著『罵詈雑言辞典』によりますと、この「脳足りん」ということば、このような説明が付与されています。

【のうたりん】
脳味噌が足りないという意味で、人を罵って言う言葉。馬鹿。能なし。「足りん」は関西弁なので、「脳足りん」も関西から流行したのではあるまいか。

用例として、《何度言ったら分かるんだ、この脳足りんが》・・・があげられています。

筆者、「脳足りん」ということば、人間の重要な身体的器官のひとつ<脳>の欠陥を揶揄することばで、身体障害者に対する<差別語>のひとつであると認識します。

日本の学者・研究者・教育者諸氏・・・、なぜか、昔から、<差別語>をもって他者を表現するのがお好きなようです。

筆者がどうして、京都大学の学生さんから、「その頭じゃ理解できなかったかな?」・「脳足りん」・・・、と罵詈雑言を浴びせられるのか・・・、それは、筆者が、近・現代文学研究の専門家である筑波大学大学院教授黒古一夫氏に<味方>するような文章を書いたことが原因しているようです。

筑波大学・黒古一夫<教授>と京都大学の<学生>さんとの間で交わされた議論・・・、無学歴・無資格の筆者、ほんとうのことをいってよくわかりません。

ただ、無い知恵をしぼって考えれば、この文章の冒頭の『歎異抄』の一節・「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」「いはんや」のことばを、筑波大学・黒古一夫<教授>が、「言」という漢字ではなく、「況」という漢字を用いたという類の話しであるらしい・・・。

京都大学の学生さんの指摘は、この「いはんや」ということばは副詞であって動詞ではない、漢文学の世界では、副詞には「況」の漢字を用いて、動詞には「言」の漢字を用いるという決まりがあるのに、筑波大学大学院の教授ともあろうものが、なぜ、副詞と動詞の区別ができないのだ、それでよく大学の教授をしているなあ・・・、という批判のように受けとめていましたが、筆者、「いはんや」という和語に、中国由来の「況」・「言」のいずれの漢字をもちいても大した違いはない。その区別をとやかくいうのは、漢文が読める<武士階級>などのエリートだけであって、近世幕藩体制下の<民衆>は結構、当て字を使っていた・・・。漢文の文法をそこまで厳しく適用する必要もなかろうに・・・。議論するなら、当て字の使い方の問題ではなく、もっと本質的なところで議論をしては・・・、と思って、気軽に書いた筆者の文章が、京都大学の学生さんの逆鱗に触れたらしい・・・。

「その頭じゃ理解できなかったかな?」・「脳足りん」・・・

筆者、典型的な無学歴・無資格・・・、しかし、高校の漢文の教科書に出てきた蘇軾の『前赤壁之賦』を暗唱したことがあります。60歳の現在になっても、その一部を忘れないでいますから、蘇軾の『前赤壁之賦』から受けた影響は大きなものがあります。

「いはんや」についても、すぐ思い浮かぶのは、次のくだりです。「況吾與子、漁樵於江渚之上、侶魚蝦而友麋鹿。駕一葉之軽舟、挙匏樽以相蜀、寄蜉蝣於天地.、渺滄海之一粟」。文頭の「いはんや」は副詞なので、高校の文法に照らせば、「言」ではなく「況」が用いられてしかるべきところです。しかし、筑波大学・黒古一夫教授、「いはんや」に、「言」の代りに「況」を当て字した・・・、に過ぎない。

近世幕藩体制下の司法・警察である非常民としての、紀州藩の「穢多」が書き残した膨大な『城下町警察日記』・・・、筆者の友人は、<この資料、当て字が多くて読むのに苦労する・・・>と言っておられましたが、『城下町警察日記』に限らず、民衆が書き残した文章にはけっこう<当て字>が多い・・・。

無学歴・無資格の筆者、<当て字>がひとつあったからといって、それで、その資料の信用性がなくなるのかといいますと、決してそうは考えないのです。<まま、あること・・・>。

昔、『前赤壁之賦』を教えてくれた高校の教師が、<漢文を教えている同僚が、この「前赤壁之賦を<赤壁の前でうたったもの>と解釈していた・・・。君たちは、こんな初歩的な間違いはおかさないように・・・。」と話していましたが・・・。

学者・研究者・教育者の世界・・・、無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者には、どうも近寄りがたい世界のようですね・・・。

しかし、筆者、京都大学の学生さんにお礼を言わなければ・・・。無学歴・無資格の筆者を、筑波大学大学院・黒古一夫教授に、「<負けず劣らず>バカ」と評してくださるのですから・・・。

一笑に付してしまえばすむ問題を、京都大学の学生さん、まだまだ<青二才>というところでしょうか・・・。

失礼・・・、『罵詈雑言辞典』をひもときますと、「青二才」「罵詈雑言」として収録されていました。「若くて経験が足りない癖に生意気な青年を罵っていう言葉。江戸時代からある言葉で・・・現在でも通用するが、日常は殆ど使われなくなった・・・。」という説明がありました。

それにしても気になります。筑波大学大学院・黒古一夫教授・・・、なぜ、そのブログの執筆をやめられたのか・・・。

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