●ヒマラヤ地方原産の草花・・・
昨日夕方、教会の庭を散策したいた妻が、センニチコウの花を小さくしたような雑草を見て、「あなた、この花、なんの花か知っている?」と尋ねかけてきます。
筆者、「いいや・・・」と答えたのですが、妻曰く、「この花、ヒメツルソバという名前で、ヒマラヤ地方原産だそうですよ・・・」。
教会の玄関の入り口にはびこっていますが、セメントで固めた場所なので、ほとんど土らしい土はありません。そのわずかな土で棲息している雑草のひとつですが、ヒマラヤ地方原産だったとは・・・。最初は、鑑賞用として輸入されたものが、いまでは、全国至るところでみることができる雑草になっているとか・・・。
筆者、ヒマラヤはおろか、海外へ旅をしたことは一度もありませんが、このヒメツルソバの花を見ていますと、一瞬、その背景に、ヒマラヤの山脈の姿が見えたような気がしました。このヒメツルソバの花、望郷の思いをもって、遠くに山の見える場所に花を咲かせているのでしょうか・・・。
山口県下松市にある、日本基督教団下松愛隣教会に身を置いている筆者と妻ですが、世の中から、そして、同じ信仰を持つキリスト教<界>からも、その存在を忘れられている<井戸の中の蛙>の世界にも、いろいろな世界との接点があるようです。
これからは、ヒマラヤ地方原産のヒメツルソバ・・・、大切にすることにしましょう。
昨日夜、やっと、大塚和夫著『イスラーム的・世界化時代の中で』(NHKBOOKS)を読み終えました。筆者がこれまで、ほとんど関心をもっていなかった主題に対する濃厚な論述であるため、読むのに時間がかかりました。
自分とは<異質>な世界に接して、<異質>を<異質>なままにとどめ、自分の既存の価値概念を堅持することに固守することになるか・・・、それとも、<異質>を<異質>として受けとめ、学習と研究を通して、その<異質>の壁を突破して、<異質>のかなたにあるより深い<同質>性に気付くことができ、同じ人間として生かされていることに共感できるようになるかどうか・・・。
『イスラーム的』に、このような言葉がありました。
「「近代人」は、自分たちの前提そのものを少しも疑うことなく、奇妙な荒ぶる「他者」を手持ちの分類枠の中に無事に収容して「理解」することができる・・・」。
今は、人権教育週間・・・?
1年に1度、思い出したかのように倉から、黴の生えた陳腐な「賤民史観」的研究を取り出して、部落差別について言及する人が多い・・・。『イスラーム的』の著者・大塚和夫氏の言葉を借りれば、日本の歴史学に内在する差別思想である「賎民史観」は、被差別部落の人々に対する歴史的・客観的な事実にもとづく<像>ではなく、近代的知識人の「ネガの自画像を投影している」に過ぎない・・・、と思わされます。
日本の「賤民史観」の担い手は、「人権擁護の名のもとに、人権侵害を・・・」行っている人々のこと・・・。彼らの、「賎民」という概念は用いて、被差別部落の人々をラベリングする営みは、被差別部落の人々を「差別化する」ことであり、「賎民」を「差別化する記号」として、「その対象を蔑視そして敵視し・・・取り除くためにはいかなる対抗手段を取ることも承認する手形の役割を果たしている・・・」。
この世の中、<雑草>という名の草花などありはしない。個々の草花が存在するだけだ。<雑草>は、人間が、その価値判断に基づいて勝手に<雑草>という「分類枠」に押し込めたに過ぎない・・・。
昨日であった、小さな渡り鳥・ルリビタキとヒマラヤ地方原産の草花・ヒメツルソバ・・・、筆者と妻の住む<井戸の中の蛙>の<世界>に、遠く離れた<世界>を運び込んでくれる・・・。
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