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2008年9月20日 (土)

●ハイブリッド人間・・・?

東京大学大学院情報学環教授・西垣通の論文《自然と人工の世界》(岩波哲学講座第9巻・『科学/技術の哲学』)に、こんな言葉が紹介されていました。

ハイブリッド人間・・・。

「いわば人間機械複合系とでも呼ぶべきハイブリッド人間・・・」という説明から見ても、「ハイブリッド人間」というのは、「人間」「機械」「複合」した存在のようです。

「ハイブリッド人間はまだ実験的段階だとしても、情報技術が浸透した現代において、人間の行動はすでに相当に機械化されている。コンピュータに記憶されたスケジュールにしたがって行動し、なかば機械的に役割を果たし、ウェブから検索したデジタル情報を貼り合わせてレポートを書く人の数は年々増えている・・・」。

西垣通氏の論文を読みながら、大学の学者・研究者・教育者・学生の世界では、すでに人間のハイブリッド化が進行しているようです。

しかし、「ウェブから検索したデジタル情報を貼り合わせてレポートを書く人・・・」が増えているなんて、筆者、理解しがたいところがあります。

無学歴・無資格の筆者が書く『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆に際しても、執筆に先立つ史資料を、インターネット上で公開されている<情報>のみに基づいて執筆することはまず不可能だからです。<インターネット上の部落差別意識について>という題名の論文なら書くこともできるでしょうが、部落差別の歴史と本質を把握しようとしますと、インターネット上の<情報>はあまりに少な過ぎますし、<情報>の質が差別的なものに偏っている傾向があります。

部落問題・部落差別問題・部落史・・・等に関するレポートや論文を書くには、やはり、部落問題に関する基本的な史料や論文を、本で確認する必要があります。

ということを書く筆者は、すでに、古き時代に属するアナログ人間の典型かもしれませんが、筆者、インターネット上のブログは、<貧乏人のパブリッシング>の一形態として認識して、『部落学』とその関連ブログ群を執筆していますが、<本>の形で出版することは、無学歴・無資格の筆者には永遠にめぐってこない<現実>です。<本>の世界から、最初からシャットアウトされていたとしても、インターネット上では、<パブリッシング>できてしまうので、大変重宝しています。

資料の収集と分析・総合作業はアナログで・・・、執筆と公開はデジタルで・・・、というのが筆者の現在の状況です。

今、『部落学序説』の付論で、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の講演録をクリティーク(批判)していますが、ほとんどが、アナログ的研究ですね・・・。<行間と伏線を読む>という読解方法、昔、岡山県立児島高校の国語の教師・落健一氏から教わったことがありますが、今も、それから一歩も出ていませんね・・・。

こう書きながらふと気になった落健一先生・・・。

インターネットで検索すると、ヒットしました。「三十六年前、広島大学大学院文学研究科修士課程を修了し、岡山県立児島高等学校に奉職しましたが、渡辺重吉先生という方との出会いから、僻地教育を目指すようになったのが、私の教職歴の出発点だったように思います。二年後に、ある僻地指定校に転勤希望を出しましたが、なかなか適えていただけず、悶々としていた頃に、故清水文雄先生のご推薦で、福山附属の当時の校長細田鼎先生が、わざわざ児島においでになり、ご招聘をいただきました。その時の「現代は、すべての学校が社会の辺境にある僻地校です」というおことばは、生涯忘れることができません・・・」。

落健一先生が、「辺境にある僻地校」での教育を指向されていたとは、知りませんでした。

その落健一先生が、岡山県立児島高校に赴任して来られた年は1963年(昭和38)、筆者が児島高校に入学した年です。その年、落健一先生は、2年生の国語を担当されていましたが、学生からは<オチケン>とあだ名されていました。

その落健一先生、教え子を自分の下宿先に招いて、文学論・言語論を論ずるのが好きな方で、筆者、中学校の時の一学年上の、生徒会長をしている河田耕作先輩に誘われ、落健一先生の下宿で、<特別講義>を拝聴させていただきました。

その落健一先生、筆者の顔を見ながら、「ところで君は誰・・・?」とといかけてきましたが、落健一先生、広島大学の学士論文と修士論文を本の体裁に閉じたものを見せてくださいました。「大学とは、こういう研究論文がかけるところだ!」・・・、ワインとスルメイカで、<特別講義>がすすんで行きました。

ワインとスルメイカ、太宰治が好んで嗜んでいたとか・・・。

しかし、あるとき、職員室に呼び出されて、クラスの担任から、「学年が上の先生の下宿に出入りするのはやめるように・・・」と注意されました。それ以降、落健一先生の<特別講義>をお聞きする機会はありませんでした。

しかし、2年になったとき、現代国語の担当は落健一先生でした。

筆者、落健一先生は、大学の教授の講義を、高校の教室の黒板に一言一句再現してよしとする教師ではない・・・、と思っていましたので、現代国語の教科書に出てくる文章はすべて原文を読んで授業に出ることにしました。

落健一先生が、教科書に掲載されている文章を説明されるとき、筆者よく、質問していました。「先生、その解釈、間違いではないですか。元の本の○○ページの○○行目では、著者自身がそうではないと書いていますが・・・」。

そのとき、落健一先生、下宿で<特別講義>をしてくださる、広島大学大学院を出た新進気鋭の学者・研究者の<顔>ではなく、ただの<高校教師>の顔になっていました。「高校の学習は、与えられたテキストの範囲で解答を出すものだ・・・」。

その落健一先生、「ある僻地指定校に転勤希望」を出していたそうですが、筆者が出た、岡山県立児島高校(普通科)は、僻地校のひとつであることはいうまでもないのですが・・・、筆者の記憶では、落健一先生、授業の中で、「こんな頭の悪い生徒ばかりの高校はめずらしい・・・」と言っておられましたが、落健一先生が児島高校を辞められたのは、児島高校の生徒に<失望>したからだと思っていました。

ところが、落健一先生、「僻地教育を目指」していたというのですから、45年目にして、突如襲われた青天の霹靂です。

落健一先生が「僻地教育を目指」して赴任した先が、広島大学付属福山高等学校だったとは・・・。落健一氏にとって、岡山県立児島高校は、「僻地教育」の対象ですらなかったようです。1992年、広島大学付属福山高等学校を定年退職されたときの落健一先生の文章でした。

高校2年生の夏、味野の町で、落健一先生にばったりであったとき、落先生、筆者に、「君、喫茶店に入ったことがあるの?」と問いかけてきました。筆者、「ありません・・・」と答えると、落健一先生、「じゃあ、つきあいたまえ・・・」といって、筆者を喫茶店に連れ込み、アイスコーヒーをご馳走してくださいました。話題は、時枝文章心理学・・・。

下宿でのワインとスルメイカ、喫茶店でのアイスコーヒーの味・・・。筆者にとっては、ほろ苦い青春の味となりました。

そうそう、人名の末尾に「氏」を付けて表現することも落健一先生の影響でした。

毎週1冊、岩波新書と朝日ジャーナルを読むことをすすめてくださったのも、落健一先生でした。筆者、高校生の時から、その習慣を身につけていきましたので、大学進学を断念せざるを得なくなったときも、その習慣をすてることはありませんでした。今は、すっかり過去の習慣になってしまいましたが、各種新書と文庫、多分野に渡って読書する習慣は今も継続しています。

落健一先生、ご健在ならば、今年で70才・・・。

さらに、インターネットで検索してみますと、ありました。落健一先生の現在のご様子・・・。

NHK文化センター福山教室で、元広島大学付属福山高等学校副校長の肩書で、「徒然草の世界」と題して、講義をされていました。10月~3月、第2月曜日の午後1時から3時・・・。「現代にも似た乱世の中で、人間の真実を考え続けた兼好法師。人生の達人の生き方から私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。全文を収録したテキストを用いて徒然草の世界へタイムスリップ…」。

「全文を収録したテキストを用いて・・・」、高校の授業の延長ではなさそうです。  

筆者、受講してみたいと一瞬思いましたが、残念ながら、そのときは、日本基督教団西中国教区の教職研修会が尾道市で開催されるので出席しなければなりません・・・。

青春のほろ苦い思い出は、ほろ苦さのまま封印しておいた方がよさそうです。

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