●水道の蛇口の修理・・・
今日は、8月15日・・・。
朝、洗濯をはじめた妻が、「水道の水が洗濯機に届く前に洩れている」といいます。
洗濯機の給水は、お風呂の残り湯と水道水の両方を使用することにしているのですが、お風呂の蛇口の、普通の水とシャワーとを切り換えるところが壊れたみたいで、両方から水が出ています。
このところ、筆者の右手の関節と指、動かなくなっていますので、左手だけを使って、とりあえず応急処理をしました。洗濯がすんだあと、日曜大工の店へ行って、パッキンや工具を買ってきて修理をはじめたのですが、左手だけの作業、やはり時間がかかって、修理が完了するまで3時間を費やしました。
『部落学序説』第5章執筆再開のための資料整理もなかなか前に進まず、日常生活や庭の手入れに追われる日々が続いています。
無学歴・無資格の筆者、学問の世界とはまったく無縁な存在ですが、冷房の効いた快適な部屋で史資料を読み、研究論文を執筆できる学者・研究者・教育者・・・、何となく、うらやましいな・・・、と感じます。この夏、相当研究が進んだであろうと推察していますが、筆者といえば、遅々たる歩みを重ねるのみ・・・。
今、時間を作っては読んでいる、村井紀著『南島イデオロギーの発生 柳田国男と植民地主義』(岩波文庫)の一節にこのような言葉がありました。
「「学問」こそが・・・少数者を犠牲にする」。
日本の歴史学上の差別思想である「賤民史観」・・・、<被差別>に置かれた人々に対してどれだけ「賤民」という負のラベリングをしてきたことでしょうか・・・。権力者の走狗となった「学問」、今も昔も、<被差別>に置かれた人々を「賤民」として、時間と空間を越えて差別しています。
村井紀著『南島イデオロギーの発生 柳田国男と植民地主義』を読みながら、筆者、部落差別問題を論じるのに、歴史学・民俗学・社会学などの個別科学に依拠しないで、学際的研究として「部落学」の枠組みで論じてきたことは、<正解>であったと思われます。
筆者の目からみますと、村井紀著『南島イデオロギーの発生 柳田国男と植民地主義』・・・、柳田国男の徹底的な批判検証を指向しつつ、今ひとつ、柳田国男の本質を把握できていないような気がします。無学歴無資格の筆者の浅学のなせる判断かもしれませんが・・・。
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