●春の宴のあとの桜・・・
筆者が住んでいる下松市にも桜の名勝があります。
下松は、昔、<徳山藩>の城下町があったところです。その下松は、徳山に城下町が移転されたときから<下松藩>あらため<徳山藩>になったのですが、下松の旧町の住人は、「百姓」ではなく「町人」と呼ばれていたようです。
筆者が住んでいる場所は、<徳山藩>領ではなく、同じ下松といっても、萩本藩領、長州藩領にはいります。
その下松の桜の名勝が、町の中を流れる切戸川の両岸の桜なのですが、今年の満開は、昨日・・・。テレビのニュースでは、春の宴でにぎわい、見物客であふれたそうです。
しかし、昨日夜から今朝にかけて雨が降りました。
今日の午後、妻と一緒に、切戸川の土手を車で一往復しましたが、あめあがりの桜の名勝、ひとっこひとりいませんでした。雨で、桜のはなびらが道路に点々と・・・。
さくらの写真を撮るのが苦手な筆者ですが、性懲りもなく、デジカメで撮ってみました。
万朶の桜か襟の色、
花は吉野に嵐吹く、
大和男と生れなば・・・
筆者、ついくちずさんでいましたら、妻曰く、「あなた、そのうた何の歌・・・? とてもさびしい歌のように聞こえましてよ・・・」。
本当は、この軍歌、雨に濡れて散り始めた桜のようなさびしさがこめられた歌なのかもしれない・・・、と、筆者、あらためて思いました。
続く歌詞、「散兵戦の華と散れ・・・」。
銃弾に撃ち抜かれ、砲弾で肉片が裂け、銃剣で切り裂かれ、溢れ出てくる、桜の花の色よりはるかに濃き人間の血・・・、それを<美化>した戦争の歌は、やはり、妻がいうように、歌全体にさびしさがこめられているのでしょう。
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コメント
昨日は私も桜を見て考え込みました
クグツの座元の名残りを求めて探索中の墓地の北端に満開の桜があります
見つめているような位置にある戦没者の墓の一つが22歳ニューギニアにて戦死と刻まれた叔父の墓です
「願わくば 桜のもとで死なむ・・」 思いのとうりになった西行法師と傀儡女の遊女「江口の君」との触合いのような
命の輝きは あったのでしょうか?
「・・華と散れ」と言った人 言わせた人
彼らにとっては 「自分たちは良で、他は全て賎」であるように思えます
投稿 ヨーカン | 2008年4月 8日 (火) 00時14分