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2008年3月13日 (木)

●時々後悔することがある・・・

『部落学序説』の執筆を開始してからというもの、時々、<後悔>の思いを持つことがあります。

なぜ、もっと若い時に、『部落学序説』の執筆を開始しなかったのか・・・、と。

せめて、50代後半ではなく、40代後半に、『部落学序説』の執筆を開始していれば、どんなに遅れても、もう書きあげてしまっているでしょうから・・・。

『部落学序説』の執筆・・・、筆者は、60歳を超えるあたりから、やはり、精神的身体的にいろいろ限界を感じ始めます。思う通りに史資料の整理と読破ができない・・・、論点に切れがなくなる・・・、『部落学序説』執筆に際して直面する、いろいろな限界が見え始めます。

それで、つい、「もう少し若い時に執筆を開始していれば・・・」と、後悔の思いを抱いてしまいます。

日本の歴史学に内在する、差別思想である「賤民史観」・・・、「被差別部落」の人々は、「差別されてきた賤民である」という、部落史の一般説・通説を否定することは、無学歴・無資格、歴史学の門外漢である筆者のよしとするところではない・・・、と思ってきました。

しろうとが思いつくことなど、歴史学の学者・研究者・教育者には、何の造作もないこと・・・、いつか、類似した視点・視角・視座から書かれた論文が出てくる・・・、と思って待ち続けていたのですが、いつまでたっても、そのような論文は現れず、その結果、待ちくたびれて、自分で論文を執筆することになりました。

現在、『部落学序説』の付論「百姓の目から見た渋染・藍染」を執筆していますが、どんな史資料に、どんな情報が記録されているのか・・・、それを知っていても、無学歴・無資格の筆者が、それをひもとくには、かなり、困難があります。時間的ゆとりも、経済的ゆとりもありませんし、たとえ入手しても、それを読破する能力があるかどうかの確信もありません。

部落史関連の史資料・論文などは、1冊2万円する場合も少なくありません。

学士論文・修士論文・博士論文などを書くのではないのですから、身の丈ほどの史資料・論文があれば十分なのですが、専門資料を読めば直接入手できる<史実>も、一般書に散りばめられた断片的情報を集めて<史実>を再構成していく作業は、多くの時間と労力が求められます。

もっと若ければ、その作業ももっと楽に進めることができたのだが・・・、と<後悔>の思いが込み上げてくるのです。

「岡山藩」の「31色」(商人が百姓に販売することができる商品31品目)の個々の内容を確認するために・・・、どれほどの時間を費やすことになったやら・・・。「岡山藩」の「渋染一揆」の学者・研究者・教育者の方々にとっては、周知の事実であったとしても、「岡山藩」から時間・空間を遠く離れた山口の地に身を置いている筆者にとっては、「31品目」すべてを知ることは容易なことではありません。

手持ちの資料を整理していて、「岡山藩」の「31色」の全貌を知ることができたとき、ある種の満足感と共に、もう少し、若い時に執筆を開始していれば、「31色」を知るために、2週間も足踏みをすることはないのに・・・、と後悔の思いを持ってしまいます。

しかし、『部落学序説』・・・、歴史学の論文ではありません。

「常民」の学としての「民俗学の研究方法」・・・、柳田国男は、「資料を最も身に近いものから採ることを主眼にしている。すなわち何人の耳目にも触れやすく、さして手数を掛けずにその存在が証明し得られるものから、論拠を得ようとしている。今でも毎年少なくとも一度は繰り返され、見よう知ろうと思えば一年だけ待っていればよいもの、ちょうど植物学者花なり実なりで、草や木の性質を説こうとするのと、同じようなところを狙っている。そういう中でも今まではついうっかりと、観察してみようともしなかったような平凡な事実に我々は期待を置いているのである。」(柳田国男著「神幸と神態」)といいます。

『部落学序説、民俗学が常民の学であることの対極として、非常民の学として追究しようとしています。歴史学研究法にこだわらず、民俗学研究法により依拠するといっても、やはり、「なぜ、もっと若い時に、『部落学序説』の執筆を開始しなかったのか・・・」、と後悔の思いをもたざるを得ません。

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コメント

以前から殆んど毎日読ませて頂き、励まされています(感謝!)
「なぜ もっと若い時期に・・」に思わず書き込みしたくなりました
毎晩少しでも勉強しようと思いますが・・眼が・頭が・根気が・・あきません
私も今年還暦です(現在は運送会社勤務ですが)一時期公務員で無学歴、とよく似た経歴です
継続雇用はパスしてヒモジイ思いをしてでも出来る中にヤレル事をしておこうと思います(今より早い時期は無い)
 それにしても
貴兄の『洞察力』に羨望してしまいます(なんで こないに ちがうのか?)

私の在所は(乞食村・傀儡子の座本)です
60年間も身をおいていながら、つい最近意識しました 
郷土の歩みを『賎』の解明から迫ってみたいです 
それにしても アー「なぜ もっと若い時期に・・」
       ヨーカン こと高砂市足立

投稿 ヨーカン | 2008年3月14日 (金) 10時28分

メールありがとうございます。在所は<乞食>村とのこと・・・。これからの研究調査、おもしろそうですね。

近世幕藩体制下の用語は、二重定義が多いのですが、この<乞食>もそのひとつです。

日本宗教史・仏教史を読んでいますと、必ず<乞食>(こつじき)が出てきますが、要するに宗教者に属する人々です。すべてを投げ打って、仏の道につかえる姿には、近代以降の歴史学の学者・研究者・教育者が作り出した<乞食>(こじき)のイメージとはかなり異なるものがあります。

部落史の学者・研究者・教育者は、その歴史を不問に付して、古代・中世・近世・近代・現代の<乞食>をすべて同一視し混同して、歴史上あり得ない<乞食>像を描きがちです。

<乞食>の研究は、意義あるものなります。

ご健闘を祈ります。

投稿 吉田向学 | 2008年3月14日 (金) 19時02分

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