2009年7月13日 (月)

●羅漢高原は、ホトトギスの鳴き声とホタルブクロの花・・・

今日、久しぶりに、妻と一緒に羅漢高原へドライブしました。

目的は、沙羅双樹の花を見るため・・・。

羅漢高原には、沙羅双樹の木が数本ありますが、まだまだ小さな木です。羅漢高原に行く途中の林道には、その数倍もあるような大きな沙羅双樹の木があります。『平家物語』

祗園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必滅の理をあらはす・・・
   
ということばがありますが、沙羅双樹の木の下には、散った花が絨毯のように敷き詰められていました。しかし、見上げた沙羅双樹の木、まだまだ多くの花を咲かせていました。羅漢高原の頂上にある沙羅双樹の花より見映えがする沙羅双樹の花でした。

今日の羅漢高原のいたるところで、ホトトギスの鳴き声を聞くことができました。

筆者、妻に教えられてはじめて、ホトトギスの鳴き声を識別することができるようになりました。今日は、ホトトギスの鳴き声に、時々、ウグイスの鳴き声が混じる程度でしたので、ウグイスとホトトギスの鳴き声をしっかり区別することができました。

そして、人影のほとんど見えない、羅漢高原の遊歩道を妻と二人で散策しましたが、その遊歩道のかたわらには、野生のホタルブクロが群生していました。しかも、あかむらさき色のホタルブクロではなくて、真っ白なホタルブクロが・・・。

筆者、ナベツルの飛来地・熊毛郡の八代で、白色の野アザミの花が群生しているのを見たことがありますが、その時以来の感動を覚えました。妻の話しでは、野生のホタルブクロは、あかむらさきと白色の2色だけとか・・・。

今日の羅漢高原・・・、晴れていて、とてもさわやかな風が吹いていました。まもなく梅雨が明けそうな感じがしました。

  

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●伊藤晴雨「江戸時代の警察制度」・・・

『江戸時代の警察制度』の著者・伊藤晴雨・・・

その人となりについて、筆者、前知識は皆無です。

『江戸時代の警察制度』を読むことによって、はじめて、伊藤晴雨の世界に踏み込むことになりましたが、インターネット上の伊藤晴雨の人物像・・・、『江戸時代の警察制度』の執筆者と同一人物なのかなあ・・・、と戸惑ってしまいます。

『江戸時代の警察制度』の後記に、「筆者は市井の一挿畫々家として其半生を終り、舞臺藝術を以て趣味とし俗に謂う「無學の學問」をして来た、舊教育を受けた耳順を越したものである・・・」と記していますが、伊藤晴雨の職業は<一挿畫々家>、その趣味は<舞臺藝術>・・・。<舞臺藝術>に必要なものに、時代考証がありますが、その時代考証を、伊藤晴雨は、<俗に謂う「無學の學問」>と称しているのです。

伊藤晴雨の<無學の學問>の研究成果のひとつに、『江戸時代の警察制度』があります。

この『江戸時代の警察制度』・・・、<警察教養文庫>として、昭和26年に書き下ろしで出版されたものです。この<警察教養文庫><刊行のことば>に、次のような文章があります。「敗戦後の混乱した世相に引きつづき、昨今の緊迫した国際関係の渦中にあって、一国の存立を保持する上からも、また平静な市民生活を営む上からも、警察の重要性は一段と強調せられ、従って警察教養の問題が今日ほど広く世人の注目をあびているときはない。しかも、世論が警察教養に期待しているところのものは、単に第一線警察官としての科学的な警察技術の普及だけでなく、また、ひろい視野に立つ良識ある人間としての一般教養の向上にもあるのである。本文庫は、このような警察教養の目標に端的に寄与すべく、極めて廉価な文庫版の形式により、肩のこらぬ平明な叙述のうちに、これからの警察官に必要な新しい知識を、あらゆる部門にわたって次々に提供してゆこうとするものである・・・」。

つまり、伊藤晴雨は、戦後の<民主警察>の職務にたずさわる警察官にふさわしい教養のひとつ、その歴史篇として、『江戸時代の警察制度』を執筆したようです。

なぜ、<学歴・資格>を持つ、警察大学校の教授によって執筆されないで、<一挿畫々家>を職業とし、<無學の學問>を自称する、戦前・戦後の警察組織とはほとんど無縁と思われる伊藤晴雨が執筆することになったのか・・・、筆者、少しく追跡してみたいと思っていますが、インターネット上で綴られる伊藤晴雨・・・、たとえば、<ウイキペディア・フリー百科事典>の記述など、<無學の學問>として『江戸時代の警察制度』を執筆した伊藤晴雨に対する、人権を無視した<誹謗中傷・罵詈雑言>の典型的な文章です。

『部落学序説』とその関連ブログ群の筆者の視点・視角・視座からしますと、<ウイキペディア・フリー百科事典>の伊藤晴雨の解説・・・、典型的な差別文章・差別表現の坩堝です。

伊藤晴雨著『江戸時代の警察制度』・・・、筆者、学ぶところが多い・・・。

たとえば、「江戸の切繪圖」・・・、軍事・警察の都合上、その実際の配置を歪曲してかかれたもので、「實際とは似ても似附かぬ地図」「不完全極まるもの」・・・。「徳川政府は・・・正確な描寫は當時の官權が之を許可しなかった」とか・・・。

このことは、長州藩の地図についてもあてはまるもので、伊藤晴雨のいわんとすることはよく分かります。

そして、伊藤晴雨・・・、「警察制度の如きは之を詳記するには當時の文書によって記載しなければ正確な史實とは云えない」といいます。「江戸の切繪圖」だけでなく、「江戸の警察制度」も、一般に流布されている<仮想>の姿と、歴史の<現実>の姿があるようです。百姓・町人に、幕府が提示する<仮想>の姿を<現実>の姿と錯覚させ、歴史の<現実>の姿を隠蔽する背景には、「徳川氏三百年間の施政方針」「秘密主義」であったことがあげられるようです。

伊藤晴雨、『江戸時代の警察制度』に際して、「當時生存の故老の談話」・・・、聞き取りを<中心にして>執筆されたようです。

筆者、伊藤晴雨著『江戸時代の警察制度』をじっくり解析したいと思っています。

  

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●昨日は礼拝後ダウン・・・

昨日は、礼拝後、体力消耗でダウン・・・

今朝まで、ず~っと寝ていました。伊藤晴雨著『江戸時代の警察制度』すら、数ページをめくる間もなく睡魔に襲われて・・・。ここのところ、なぜか多忙な日々を過ごしていましたので、疲れがたまったのでしょう。

今朝は5時に起床・・・。

そして、昨日の東京都議会選で、民主党が第1党になったことを知りました。そして、自民党・公明党が過半数割れを起こしたことも・・・。小沢一郎氏の選挙戦略、大きく影響したようです。このまま、国政選挙に雪崩込めば、日本の政治も少しくは、国民本意の政治にシフトしていくに違いありません。

筆者、依然として、小沢一郎氏支持を続けます。

選挙だけでなく、政権獲得後の国政においても、その手腕を発揮してもらわなければ・・・。

今朝の目覚めは爽快でした。

ともかく、めでたし、めでたし・・・。

  

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2009年7月12日 (日)

●どこからどこへ向けての発信・・・?

黒川みどり編著『部落史研究からの発信』(解放出版社)・・・

筆者、この本を、インターネットの古書店で<古書>として購入しましたが、この本を注文したのは、筆者、黒川みどり氏の研究動向に関心があって、その論文・書籍をすべて入手して読破したいと思っているのですが、残念ながら、なかなか入手できません。

そんな中、黒川みどり編著『部落史研究からの発信』・・・、ということばを目にしますと、筆者、黒川みどりの名前にひかれて、すぐ発注してしまいます。この本の中に、黒川みどり氏の近代部落史研究の新しい動向が記されているのではないかという期待感を持って・・・。

しかし、この黒川みどり編著・・・、実際に手にとってみると、全300ページのうち、黒川みどり氏の論文は、わずか9ページに過ぎません。巻末の文献表をのぞくと、わずか8ページに過ぎません。なにとなく、<騙された!>って感じがします。

解放出版社の、あらたな詐欺手法・・・、と思ったりしますが、黒川みどり<編>・<著>と表記するなら、最低でも15~30%、黒川みどり氏の論文を掲載してほしかったと思います。

この本、『部落史研究からの発信』と題されていますが、どこからどこに向けての発信なのでしょうか・・・? 

<どこから>については、<部落史研究から>ということばをみれば何となく分かりますが、それでは、<どこにむけて>の発信なのか・・・、といいますと、本の表紙からは推測することはできません。

<刊行にあたって>を執筆された寺木伸明氏のことばによりますと、「他分野の歴史研究になんらかの発信をしたい・・・」とありますから、この『部落史研究からの発信』・・・、<部落史研究>の世界から、<部落史研究以外のその他の歴史研究>の世界に向けての<発信>のようです。

もっと端的にいいますと、部落史の学者・研究者・教育者がこの20年間に積み重ねてきた研究成果を、一般史あるいは部落史以外の個別史研究に従事する学者・研究者・教育者に認めてほしい・・・、というラブコールのようなものです。

『部落史研究からの発信』・・・、どこからどこに向けての発信・・・? その答えは、部落史の学者・研究者・教育者から、一般史あるいは部落史以外の個別史研究に従事する学者・研究者・教育者に向けての発信・・・。『部落史研究からの発信』・・・、<専門家>から<専門家>にむけての<発信>であって、無学歴・無資格、学問や歴史学に縁のない筆者には無縁の<発信>かもしれません。

筆者、黒川みどり氏の感性・・・、尊敬すべき鋭さを持っていると思ったきたのですが、黒川みどり氏・・・、多くの男性教授と同じように、歳を重ねると共に、<斬新さ>を喪失し、体制順応的な体質を強めていっているようです。

黒川みどりの部落史研究のキーワードである<人種主義>・・・。無学歴・無資格、学問とは無縁な筆者の目からみますと、黒川みどり氏の<人種主義>・・・、次第に核心を大きくそれて、あらぬ方向に迷い出ているような気がします。

黒川みどり氏曰く、「私もまた、差別を産み出す社会の側を問うてきた一人であり、なかでも人種主義というコンテキストで部落問題をとらえたことは、他の差別と共通の土俵に載せるという試みであった・・・」。

数日前、下松の古書店の100円コーナーで、畑博行・水上千之編『国際人権法概論第3版』(有信堂高文社)を入手しましたが、目次と事項索引を一瞥したところでは、<国際人権法>について考えるとき、その<人権>の中に、日本の被差別部落の人々の<人権>について論じる枠組みはなさそうです。部落差別は、<難民差別>でもなければ、<女子差別>でもなく、まして<児童差別>でもない・・・。あえて、日本の被差別部落の人々の<人権>を組み込もうとすると<人種差別>になるのでしょうか・・・。

黒川みどり氏のこれまでの研究の基礎概念であった<人種主義>的研究・・・。その研究の<枠組み>は、他の部落史研究と同じく、「大きく揺さぶられ、もはや解体に瀕するまでにいたっている」のでしょうか・・・。黒川みどり氏・・・、<今こそ部落問題への向き合い方が問われている>といいます。そのためにも、<研究史を振り返ることは必要な作業>であるといいます。

黒川みどり氏のいう<研究史を振り返る>作業・・・、この20数年の回想のようで、明治以降から現在まで、あるいは戦後から現在までを視野に入れたものではなさそうです。

筆者にとっては、黒川みどり編著『部落史研究からの発信』・・・、沖浦和光著『「部落史」論争を読み解く・戦後思想の流れの中で』(解放出版社)にとってかわることができる代物ではなさそうです。

  

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●赤いカンナの花を生ける・・・

今朝の礼拝堂に生けた花は、カンナ・姫ヒオウギ・女郎花、そしてツルニチニチソウの葉・・・。

同系色のガラスの花瓶に投げ入れたのですが、礼拝堂が急にはなやいだ感じになりました。日曜日の朝、教会の庭に一番きれいに咲いている花を切って生けるという、日本基督教団西中国教区の教会の中で一番小さく貧しい教会ならではの生け花・・・。

妻曰く、<いいじゃない、今朝の花は・・・>。

梅雨の晴れ間の主日礼拝の花としては、目が覚めるようなあざやかさ・・・。妻は、<朱色の花は生けるのが難しいのに、花瓶も花も同系色にしたので、とても上手に生けられています。写真に撮って掲載したら・・・>といいますが、写真を撮るのが難しそうなので、筆者写真を撮るのはやめました。

ことばだけで、その美しさを伝えるのも難しいのですが・・・。こころの中に広がっていく花の美しさを味わうだけでよしとしましょう。

  

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●梅雨の晴れ間、快適な朝・・・

今朝は、梅雨の晴れ間・・・

快適な朝となりました。教会の庭には、いろいろな小鳥たちの鳴き声がします。しかし、残念ながら、どんな種類の小鳥がいるのか、音痴の筆者には、小鳥の鳴き声だけで、小鳥の種類を識別することはできません。

この前、偶然、カワラヒワの姿を目撃しましたが、カワラヒワもすずめたちに混じって、教会の庭に棲息しているのでしょう。

ツバメやセキレイ類の鳴き声もしています。そしえ、何の小鳥の鳴き声か知らない鳴き声も・・・。

居ながらにして、林の中の小鳥のさえずりを聞いているようです。

教会の庭に咲いている花は、朝顔・・・。その他に、桔梗・女郎花・ヒメヒオウギ・カンゾウ・鬼百合・・・。礼拝のあと、教会の庭のあちらこちらに自然に芽を出している朝顔の苗を集めて、妻の部屋の前に朝顔ネットをつくります。今回は小さなネットで、1.8×2.4m・・・。105円ショップで、315円で購入したものです。

脳梗塞で入院されている教会の役員さん、昨日午後から今日の午前中まで自宅で過ごされています。そろそろ、退院の日が近づいているようですが、後遺症の<全失語>状態からはまだ回復していません。通院しながらリハビリを続けられるようです。

今日の主日礼拝・・・、<兄>のためのとりなしのいのりをささげましょう。

  

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2009年7月11日 (土)

●インターネット上の筆者の実名・・・

岡山の中学校教師・藤田孝志氏は、『部落学序説』とその関連ブログ群の著作者の名前を吉田向学に代えて、筆者の実名で表記します。

藤田孝志氏の、著作権上の<氏名表示権>の保護対象は<藤田孝志>です。その著作物に関して、<藤田孝志>以外の氏名を使用することはあきらかに著作権法違反です。

『部落学序説』とその関連ブログ群の筆者の場合、著作権上の<氏名表示権>の保護対象は、<吉田向学>です。それは、著作権者の筆者が、<吉田向学>を選択し、実名表記することを退けたからです。

筆者にとって、<吉田向学>は、筆者の曾祖父の名前であり、祖父の<吉田永學>の名前と並んで、今日においては、極めて珍しい氏名です。インターネットで検索しても、同姓同名の<吉田向学>・<吉田永學>がヒットすることはありませんから・・・。

しかし、筆者の実名は、あまり珍しい氏名ではなく、同姓同名はかなり存在します。

それに、筆者、『部落学序説』とその関連ブログ群では、<吉田向学>の名前で執筆していますが、日本基督教団下松愛隣教会のホームページには、牧師名に実名を使用しています。教会の牧師が、たとえインターネット上のホームページであっても、<偽名>を使用することはできませんから・・・。

しかし、岡山の中学校教師・藤田孝志氏は、<吉田向学>が実名を隠しているのを暴き出すかのように、筆者の実名を併記されますが、公務員としての中学校教師には、岡山で中学生時代を過ごしたことがある者に対して、特別に情報を入手し、場合によってはそれを公開することができる・・・、というニュアンスを、インターネット上の読者に示唆することは、筆者、人権教育にたずさわる学校教師、公務員の言動としては、いちじるしく逸脱したものであると思います。

著作権法上の氏名表示権を踏みにじり、暴力的殺害すらほのめかす・・・。いくら、日夜、小学校教師・中学校教師による法的逸脱行為・不法行為・犯罪が報道され、世の中が慢性化しているといっても・・・。

『部落学序説』とその関連ブログ群を執筆しはじめてから、ときどき筆者の妻が、<あなた、ペンネームの吉田向学さんはいろいろな人に名前が知られていくのに、あなたの実名はほとんど知られないのね・・・>といいますが、妻の指摘通り、<吉田向学>で検索しますとすぐにヒットしますが、筆者の実名で検索しますと、同姓同名の方々の名前に隠れて、筆者に関する記事はほとんどヒットしません。

しかし、今日、岡山の中学校教師・藤田孝志氏以外に筆者の実名で、筆者のことをとりあげている人が他にいないのか・・・、検索していましたら、3つのサイトで、筆者の実名が使われていました。

まずは、筆者が農村伝道神学校を卒業して最初に赴任した、日本基督教団神奈川教区の開拓伝道である、<洋光台・光南台伝道所>に関する記事の中で、<初代牧師>として・・・。

二つめは、『立命館大学生存学研究センター』のホームページのサブメニュー<arsvi.com 生存学創設拠点>に・・・。<arsvi.com内を検索>をチェックして、筆者の実名で検索してみればすぐ分かります。

筆者の実名を知らない方は、<生きて存るを学ぶ・蔵・生存学創成拠点・アーカイブ>の項で、<全文検索・1997>のページを閲覧されると、<杉山博昭(宇部短期大学)「キリスト教社会事業家と優生思想」>という論文に遭遇します。

杉山博昭氏が「キリスト教社会事業家と優生思想」という論文の中で、筆者の唯一、活字になった文章(論文?)を紹介しておられます。

「賀川豊彦の場合、1980年代には著書のなかの部落差別表現を列挙して差別者として糾弾するという、表面的な批判が中心であったために、賀川の思想全体を実証的に批判することが十分なされなかったが、むしろ賀川の思想の根幹として批判的検討を加えるべきなのは優生思想である。一連の賀川批判のなかで優生思想に本格的に触れたのは吉田○○氏であろう。吉田氏は賀川豊彦全集の通読を通して、賀川の差別意識の背後には優生思想があると指摘している。確かに賀川の著作から優生思想にかかわる部分を取り出すのはきわめて容易である。たとえば1933年刊行の『農村社会事業』には「今日のやうに人間の血が汚れてきた場合には、優生学的な選択を妊娠の上に大いに加へる必要がある。村に善い村と悪い村があるのは、一つはその住民の性質によることは争はれない。悪質遺伝の多い村では、将来発展する希望は非常に少ない。さうした村は衰亡するより道はない。その反対に、優等な種を保存すれば、その村の繁栄は期して待つことが出来る」「私のゐた処の人などは実に狂暴で無智だから、さういう人は産児制限をする必要がある。X光線を五時間くらゐかけると、絶対に子供を産まないやうになる。薬を使つたりすることもあるが、薬を間違へると危い。その中毒によつて後天的遺伝になる」と、農村社会の改善を断種と「優等な種を保存」することで図ろうとしている。戦後になっても、主張は何ら変化することはない」。

<一連の賀川批判のなかで優生思想に本格的に触れたのは吉田○○氏であろう。吉田氏は賀川豊彦全集の通読を通して、賀川の差別意識の背後には優生思想があると指摘している・・・>という文章の中に、筆者の実名が出てきます。

筆者の文章・・・、『資料集・「賀川豊彦全集」と部落差別』(キリスト新聞社・1991年)に、《討議資料の欺瞞性を撃つ・賀川豊彦は差別者か》に収録されたものです。

筆者にとっては、この文章・・・、筆者の人生に大きな影響を残すことになったもので、日本基督教団の戦前・戦後の指導者、しかもノーベル平和賞の候補者にもなった、賀川豊彦の差別性は、部落差別に限らず、優生思想の形でその思想全体に及ぶ・・・と証明したものですから、日本基督教団、西中国教区・・・、特に、山口東分区においては、徹底的に排除と疎外に曝されることになりました。

当時の西中国教区部落差別問題特別委員会の宗像基委員長ですら、<日本基督教団の偉大な指導者の差別性を暴いた>として筆者を批難したのですから・・・。

しかし、筆者の文章を読まれた杉山博昭氏・・・、<確かに賀川の著作から優生思想にかかわる部分を取り出すのはきわめて容易である。>として、筆者の見解を容認されたのです。ほとんどの人が、<賀川豊彦の差別性をあばいた>として筆者を批難する中、杉山博昭氏のみ、筆者の見解を受容されたのです。

その杉山博昭氏の「キリスト教社会事業家と優生思想」という論文・・・、なんと、『副島隆彦の学問道場』<ふじむら掲示板>に転載されていました。筆者の実名が出てくる三つ目のサイトは、この『副島隆彦の学問道場』・・・。

副島隆彦氏といえば、筆者が最近読んで、深く感動した、『やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる』(ビジネス社)の著者・・・。杉山博昭氏の論文が転載されたのは、2004年・・・。筆者が、『部落学序説』の執筆を開始した1年前の話しです。

筆者が『部落学序説』の執筆を開始したとき、すでに、インターネット上で筆者の実名が存在していた・・・、ということになります。

杉山博昭氏が筆者の実名をあげて紹介されるのは、著作権法上の<氏名表示権>の侵害にはなりません。なぜなら、筆者、その文章(論文?)の著者として、ペンネームではなく実名を選択していたのですから・・・。

しかし、『部落学序説』とその関連ブログ群の著者の、著作権法上の<氏名>は、筆者の実名ではなく、<吉田向学>を選択していますので、岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、彼独特のニュアンスで筆者の実名をあばくように、筆者の実名を使用されることは、明らかに著作権法違反です。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏・・・、部落解放同盟を背後に持つと、筆者に対する暴力的殺害を仄めかしたり、著作権法上の氏名表示権を踏みにじったり、なんでもあり・・・、なのでしょうか・・・。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏のブログとBBS・・・、<忍者バリアー>の黒いとばりがおりたまま、筆者、その反応を知ることができないので、すこし残念ですが・・・。

    

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●黒川みどり編著「部落史研究からの発信・近代編」・・・

この前、インターネットの古書店を散策していましたら、黒川みどり編著『部落史研究からの発信 第2巻近代編』(解放出版社)に遭遇しました。

この本、発行年月日は、2009年6月5日・・・。

1ヶ月すると、この本、インターネットの古書店で購入することができるようです。定価3500円(税抜)が、古書として購入した場合、購入価格2400円・・・。いずれ購入する予定でいましたので、筆者、古書として購入することにしました。

今日届いた『部落史研究からの発信 第2巻近代編』は、もちろん、新本同然です。

この本、<部落解放・人権研究所創立40周年記念事業>として出版されたもの・・・。この本、出版に際して、同宗連(同和問題を考える宗教者連帯会議)加盟宗教団体の「浄財」「支援」があったようです。

また、どうして、宗教団体が、部落解放・人権研究所創立40周年記念事業の出版物のために経済的支援をしなければならないのか・・・、不思議といえば不思議です。<自発的>・・・? <強制的>・・・?

収録されている全19の論文のうち、<宗教>に関するものは、廣岡浄進氏の《宗教と部落》のみ・・・。《宗教と部落》の課題は、「宗教と部落とのかかわりを論じた近現代史研究の概観である」といいます。

筆者の見る限りでは、キリスト教と浄土真宗の宗教関係者による部落史研究の、研究者名・論文名・数行の紹介の羅列のようです。部落解放同盟、部落解放・人権研究所の<枠組み>の中で功績のあった宗教者の名前を挙げて顕彰しているような文章です。

宗教教団・・・、このために、部落解放・人権研究所創立40周年記念事業のひとつとしての出版事業に「浄財」を拠出したのでしょうか・・・。

ともかく、現在の部落解放同盟傘下の学者・研究者・教育者の<名簿録>として、大きな意味をもっています。

黒川みどり編著『部落史研究からの発信 第2巻近代編』を一読して、すぐ、古書店に持ち込んで売り払ったひと・・・、その気持ちがなにとなく分かるような気がします。現在の部落史研究・・・、黒川みどり氏の言葉にもあるように、「その枠組みは大きく揺さぶられ、もはや解体に瀕するまでにいたっている・・・」、部落史の学者・研究者・教育者の現実を物語っているようです。

  

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●KJ法の創始者・川喜田二郎氏逝去・・・

昨日、新聞を読んでいた妻が、「あなた、新聞に<発想法「KJ法」文化人類学者川喜田二郎さん死去>と出ていますわよ・・・」といいます。

川喜田二郎氏のKJ法は、無学歴・無資格、すべての学問と縁のない筆者にとって、極めて有用な<知的生産技術>です。

いつのまにか、筆者のKJ法・・・、筆者に固有のKJ法に変質してしまっていますが、亜流の亜流であったとしてもKJ法の流れをくんでいることに違いはありません。『部落学序説』を執筆するときは、前作業として、KJ法による資料整理と分析、論文のアウトラインの作成を欠かすことができません。

川喜田二郎氏、89歳・・・。

筆者、61歳・・・。川喜田二郎氏の年齢に達するまであと28年・・・。まだまだ、KJ方の愛用者でいられそうです。

  

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2009年7月10日 (金)

●村を守る・古文書に映る江戸時代の警固役・・・

今日の夕方、部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会の座長の方が立ち寄られました。

そして、筆者、彼に、山県東中部部落解放史研究協議会『村を守る・古文書に映る江戸時代の警固役』を1冊進呈しました。

このまえ、インターネットの古書店でその冊子を2冊みつけて、2冊とも注文しておいたからです。今日、2冊目が届いたばかり・・・。

筆者の方から、彼の方に資料が流れるなど、これまでは、考えられなかったことです。そのためでしょうか・・・、今日一日土砂降りだったのは・・・。

その冊子の内容・・・、以前、彼から話しをお伺いしていたのですが、いままで、原文にあたって確認することができませんでした。

筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群・・・、江戸の中央や地方の大藩だけを視野に入れて執筆したものではなく、中央から遠く離れた地方の小藩や村をも視野にいれての論述です。地方史・地域史的研究の成果、あるいは民俗学的研究の成果を最大限取り入れて展開したものです。

ですから、今回、インターネットの古書店で購入した、全国の部落差別に関する史資料・・・、『部落学序説』とその関連ブログ群の視点・視角・視座から光りをあてますと、とてもすばらしい輝きを放ちはじめます。その光と熱に満ちた輝き・・・、被差別部落の人々を長年に渡って苦しめてきた、差別思想である賤民史観を熔解して、消滅させるほど・・・。筆者、その確信があればこそ、部落史・同和教育の学者・研究者・教育者の度重なる、身勝手な誹謗中傷・罵詈雑言を越えて、『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆を続けようとしているのです。

今日、読んだ古書の1節に、ある著名な部落史研究者が、このように記していました。「私は賎民は、賎民なるが故に所謂賤業に従事せざるを得なかったと考える」・・・。筆者の視点・視角・視座からしますと、<賎民は賎民なるが故に差別されていた>とする説、歴史研究の基本的な精神を忘れてしまっているとしてしか思えないのですが・・・。<賎民は賎民なるがゆえに差別されていた>・・・、それは、日本の歴史学に内在する差別思想である賤民史観の基本的命題ですが、錯覚と誤認による間違った見解です。

  

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●今日は一日集中豪雨・・・

今日は、朝から集中豪雨のような雨が降りました。

傘をさしても、家の外に出た途端、ずぶぬれになりそうなので、今日は、インターネットの古書店で入手した古書をひっぱりだして読んでおりました。

どの古書も、日本の歴史学に内在する差別思想である賤民史観を批判する『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆に際して、強力な裏付けとなる資料ばかり・・・。

これは、部落史関連の書籍ではありませんが、こんな一節がありました。「日本人は騙されているのである。国民全員で大きく騙されているのである。みんなで騙されているから、誰もそのことを不思議に思わない・・・」。

国(政治家と官僚)による情報操作・・・、遠い昔の話しではなく、極めて今日的な問題についても起こりうる話しです。

日本の国民は、客観的な批判検証を徹底しないで、<権力>を握っている側に<つくしか他にない・・・と、あまり考えもしないで即断してしまう>危険性が高いといいます。「単純な思考の刷り込みの罠」がいたるところにしかけられているようですが、部落差別も、近代中央集権国家・明治天皇制国家(政治家と官僚)による情報操作で、人民支配の方便として捏造されたものでしょう・・・。

しかし、多くの日本国民は、特に、知識階級・中産階級に帰属する部落史の学者・研究者・教育者は、賎民史観という<思考の刷り込みの罠>からみずからを解放することができないし、また、被差別内外の民衆をその罠から解放しようともしない・・・。

土砂降りの雨の降る窓の外をみながら、ひもとく古書・・・。どの古書も筆者に、『部落学序説』とその関連ブログ群執筆継続のGOサインを出してくれます。今回、インターネットの古書店で集めた部落史関連資料・・・、<帯びに短く襷に長し>ではなく、<身の丈ほどの>資料であったことも、不思議といえば不思議です。

部落解放運動家、部落史の学者・研究者・教育者によって、筆者の論説・・・、<糾弾>されるなら<糾弾>されたで構わない・・・。<糾弾>を受ける形で、筆者、公の場で、日本の部落解放運動の基礎理論となっている賤民史観の差別性を明らかにし、部落差別完全解消のための新しい提案をしたい・・・。<糾弾>は、差別・被差別の両方の立場からなされる<誹謗中傷・罵詈雑言>の応酬の場ではありません。<糾弾>は、差別・被差別が歴史の真実に立脚し、人間のあるべき姿を回復していくための<相互検証>の場ですから・・・。

<被差別者>が<差別者>に問いかける場だけでなく、<差別者>が<被差別者>に問いかける場ともなりうる・・・。

  

  

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2009年7月 9日 (木)

●不思議な世界・・・

今振り返ってみますと、実に不思議な世界です。

筆者、27年前、日本基督教団西中国教区の小さな教会に赴任してきてはじめて、部落差別問題とかかわるようになりました。そして、設立したばかりの西中国教区部落差別問題特別委員会の委員をさせられるようになり、4期8年、その委員として、部落差別問題に取り組みました。

筆者、部落差別問題については何も知らなかったので、<わからないこと・・・>はすぐ、関係者にたずねることにしていました。筆者の質問に一番戸惑われたのは、当時の部落解放同盟山口県連の松浦委員長でした。

松浦委員長から、<君、ほんとうに部落差別のこと知らないの? それで、委員させられているの?>と問いかけられることが何度かありましたが、筆者、<はい、ほとんど知りません・・・>と答えるのみでした。松浦委員長・・・、ストレートに質問してくる筆者にていねいに答えてくださいました。そして、部落解放同盟の同和地区調査や対市交渉・対県交渉などの場面にも陪席を許してくださいました。

もちろん、部落解放同盟新南陽支部の支部長・書記長の方々の<支援>があったためですが・・・。

しかし、あるとき、差別事件があり、その対県交渉のときの筆者の文章が問題になり、筆者、山口県連の諸集会に参加することを禁止されてしまいました。松浦委員長からいわれたのは、<君は、徹底的に差別意識・差別行為を追求することをよしとしているようですが、我々の運動は、そのこと自体を目的としていない。差別事件の真相解明ではなく、差別事件を通して、部落差別の解消のため行政にいろいろな施策を要求する行政闘争を目的としている。部落差別について何も知らなかった君が、部落差別完全解消のためにいろいろ調べるのはいいが、部落解放運動とはなじまないので、今後、部落解放同盟山口県連の集会・行事に参加することは自粛するように・・・>ということでした。

筆者、そのときから、部落解放同盟山口県連・山口県同教・山口同宗連の集会に参加することはなくなりました。

そして、ほとんど軌を一にするように、日本基督教団部落解放センター・京都教区部落解放センター、西中国教区部落差別問題特別委員会からも、<あなたの取り組みは、日本基督教団の部落解放運動になじまない・・・>として、排除・疎外が確定されました。

決定的に排除・疎外が確定されたのは、筆者が、西中国教区部落差別問題特別委員会委員として取り組んだ8年間を総括するつもりで書いた原稿用紙300枚の報告書が、当時の西中国教区宣教委員会の村田敏牧師や、西中国教区部落差別問題特別委員会の東岡山治牧師によって、問題があるとして、没収・破棄されてしまったことにあります。

そのとき、部落解放同盟新南陽支部の方々は、<あの程度の論文で、日本基督教団の部落解放の流れから排除することがありうるのか・・・>と驚かれていました。

ただ、どの団体も、筆者の原稿用紙300枚の論文を、<論文に価しない、評価に価しない・・・>として、<握りつぶす>ことに終始しました。しかし、いずれの団体からも、筆者、差別者として<糾弾>を受けることはありませんでした。

それ以降、筆者の部落差別問題との取り組み・・・、<既存の部落解放運動から排除されはするが糾弾はされない>・・・、という状況に置かれることになったのです。

それから、筆者、部落解放の運動団体が避けて通る、差別意識・差別行為の分析と、その背後にある<差別思想>に着目して、資料収集をはかるようになったのです。その渦中で遭遇した、山口県の県北にある、ある寒村の被差別部落の古老との出会い、その歴史と伝承の聞き取り・・・、それ以降の筆者の部落差別問題との取り組みの方向性を決定的なものにしてしまいました。

筆者、ときどき、部落解放同盟山口県連委員長や、部落解放同盟新南陽支部支部長の顔を思い出します。彼らとの出会いがなければ、部落差別について何もしらなかった筆者が、『部落学序説』とその関連ブログ群を執筆するには至らなかったことでしょう。

筆者、部落解放同盟山口県連・山口県同教・山口同宗連、日本基督教団部落解放センター・京都教区部落差別問題特別委員会・西中国教区部落差別問題特別委員会の主催する諸集会から離れてひさしくなります。

  

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●ロウバイの苗つくりに難題・・・

Rbi02_2Rbi01_2Rbi03Rbi04この冬、種を播いたロウバイの苗です。

梅雨の雨をあびて、やっと本葉がではじめました。 しか し、元気のいい苗は4本だけ・・・。あとの5本は、本葉がではじめたばかり・・・。最後Rbi06Rbi05Rbi07Rbi08 の1本は、本葉がでる部分を虫に食べられたみたいで、今後 本葉がでるかどうか、心配です。

このロウバイの苗、<苗木>になったら、日本基督教団豊科教会に送ろうと思ったのですRbi09 Rbi0a Rbi0b Rbi0c が、筆者の妻は反対・・・。妻曰く、「あなた、John F Cross 牧師にロウバイの種をたくさん送ったのでしょう? ロウバイの芽が出ないところでは、花も咲きませんよ。送っても、枯らすだけだからやめておいた方がいいわよ。せっかく芽を出したロウバイがかわいそうですもの・・・」。

日本基督教団下松愛隣教会のロウバイを日本基督教団豊科教会に移植する件・・・、雲行きがあやしくなってきました。実現できるものやらどうやら・・・。

John F Cross 牧師・・・、豊科教会とご自宅の庭に播いたロウバイの種・・・、その芽を雑草と間違って抜かなければいいのですが・・・。背丈3センチのロウバイの写真を送ります。

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●求愛給餌にいそがしいカラス・・・

教会の庭にいたカラスの<三段重ねくん>・・・、姿を見せなくなったひさしくなります。

<三段かさねくん>は、教会の玄関脇の庭に降り立つと、歩きながら、教会の裏庭へとやってきます。そして、<ぼく、おなかがすいたから、餌ちょうだい・・・>という素振りをします。1枚の食パンをハサミで6つに切って与えますと、うれしそうに、足と羽で表現します。

その間、<三段かさねくん>は一度も鳴きません。

しかし、その<三段重ねくん>・・・、若いカラスに追いだされたようです。雄1羽と雌3羽のカラス・・・。

雄のカラスはまだ、3匹の雌のカラスの中から、どのカラスを伴侶にするのか決めかねているようです。お隣の屋根の上にとまって、雌のカラス3匹が大きな口をあけて、雄のカラスにおねだりをする姿・・・、見ていて決して楽しいものではありません。

百舌鳥の求愛給餌の姿を見たときは、ほほえましいと感じたのですが、カラスの求愛給餌の<現場>は、そのほほえましさをどこかへ吹き飛ばしてしまいます。

今日は、食パンをミキサーにかけて粉にして、すずめにやりました。5ミリ角に切ったのでは、カラスに横取りされてしまいます。

それでも、すずめの餌を横取りにくるカラス・・・、パンくずと一緒に土や小石も飲み込んだようで、求愛給餌中の雌のカラス・・・、どのカラスも咽んでいました。雄のカラス・・・、いちはやく、その場から飛び去って行きました。求愛給餌の<えさ>の中に土や小石が混じっていたのですから、3羽の雌に愛想をつかされるかも・・・。

それにしても、カラスの<三段かさねくん>・・・、自分に与えられたパンとすずめに与えられたパンをきちんと区別して、庭にまかれたパンを独り占めすることはありませんでした。カラスの<三段かさねくん>、教会の庭に、もういちど帰ってこないものでしょうか・・・。

筆者、好きなカラスもいれば嫌いなカラスもいる・・・。頭のいいカラスは、独りでも生きていく術を知っているようですが、頭の悪いカラス・・・、いつも徒党を組まないと生きていけないようです。

もちろん、人間である筆者の目から見た独断と偏見にみちた、勝手な判断でしかありませんが・・・。

  

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2009年7月 8日 (水)

●ブログの楽しみ方-読む楽しさより書く楽しさ・・・

もうひとつ、ブログを立ち上げることにしました。

ブログの題名は、『ブログの楽しみ方-読む楽しさより書く楽しさ』・・・。

ココログで立ち上げるか、他のブログで立ち上げるかはまだ決めていませんが、筆者、ココログを利用する前には、OCNを利用していました。OCNは、今も利用を継続しているのですが、HP/ブログはほとんど利用していません。おそらく、OCNのブログを使用することになります。

『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆を開始して以来、それにともなって、インターネット上のさまざまな<読者>の方から、賛否両論のコメントをいただきました。中には、<不幸な出会い>に発展し、数年に渡って、インターネット上で展開される<誹謗中傷・罵詈雑言>に対して防戦一方の苦しい戦いを余儀なくされたこともありますが、<誹謗中傷罵詈雑言>に対して<誹謗中傷罵詈雑言>をもって応えることなく、批判検証の姿勢を堅持してきました。

定年退職した団塊世代・・・、自分の生活にブログを導入することも、定年後に生活をより充実したものするツールになるのではないかと思われます。

ただ、インターネットの世界を散策して情報を入手するだけでなく、情報を発信することも、楽しさを倍加することができるのではないかと思われます。

しかし、インターネットの世界に、自分の感想・意見・論文を発表しますと、インターネット上の不特定多数の読者の目にさらされ、中には、想像すらしていなかった<誹謗中傷・罵詈雑言>をあびせられる可能性もあります。

今回、筆者のこれまでの経験を踏まえて、インターネットのブログを用いて、情報を発信する方法、そのとき発生する読者の方々の対応の諸相、セキュリティの確保の仕方、誹謗中傷・罵詈雑言の諸相と分析、誹謗中傷・罵詈雑言に対する対処法など、ブログによる文章の公開にともなう、インターネット上のトラブル解消法について、紹介していきます。

アナログ時代に、自分の説の正しさを主張するために、<みんなこう言っている・・・>と表現する人がいましたが、デジタル時代においては、同種の表現は、特定の読者だけを排除して、特定の読者以外の読者に誹謗中傷・罵詈雑言を書きつらねる・・・、という形に変化しつつあります。そういうロジックの罠に陥らないための、具体的な方法もお教えします(忍者バリアーも簡単な方法で無効化できますが、その手順も公開します)。

筆者の場合、筆者に誹謗中傷・罵詈雑言をあびせかける人は数名でしかありませんでしたが、東京都公文書館非常勤職員・立正大学非常勤講師・高尾善希氏が運用管理されている『歴史学関係ブログ集成』筑波大学大学院教授黒古一夫氏のブログ『黒古一夫BLOG』がありますが、誹謗中傷・罵詈雑言にさらされながら、それに対応される姿勢・・・、無学歴・無資格の筆者・・・、ただただ敬服いたしております。

大学・大学院の教授で、インターネットの読者の方から、これほど誹謗中傷・罵詈雑言にさらされるひとは、ほんとうにめずらしいのではないかと思われます。黒古一夫氏とその読者の方々のやりとりにすべて目を通しているのではないのですが、ときどき、筆者、こんな思いを抱きます。学生や院生の発言を権力的に抑圧する学者・研究者・教育者が多い中で、筑波大学大学院教授黒古一夫氏・・・、そのような古典的な指導法に依拠することなく、どのような批判にも、そして、批判を超えた誹謗中傷・罵詈雑言と思われるようなコメントに対しても、できる限りていねいに対応しようとされる・・・。筆者、ほんとうの学者・研究者・教育者はこうでなければならない・・・、なんて思ったりします。

それと、筆者の頭の中をかすめるのは、筑波大学大学院教授黒古一夫氏・・・、読者の方々の批判だけでなく、誹謗中傷・罵詈雑言に対応されることで、情報を蓄積・・・、やがて、筑波大学の情報処理学の仲間の協力を経て、インターネットにおける人間分析に関する論文を執筆されようとしているのではないか・・・、と。

筑波大学大学院教授黒古一夫氏が批判だけでなく、誹謗中傷・罵詈雑言に対応されている理由として、筆者、筑波大学大学院教授としての良心・・・、ネット上の発言に対する批判・誹謗中傷に関する研究・・・、以外の理由を想定することができません・・・。

筑波大学大学院教授・黒古一夫氏の世界・・・、無学歴・無資格、大学・学問と無縁な筆者の出る幕ではないのですが・・・。

 


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●午前中、病院へ診察を受けに・・・

久しぶりに、病院へ診察を受けに行きました。

当分、通院することになりそうです。現在の症状をそのまま放置していると、筆者の母と同じ病気・・・、急性膵臓炎になる可能性もありますので・・・。

筆者の母は、50代に急性膵臓炎をわずらったことがあります。6ヶ月間絶食を続け、更に半年入院生活をして、やっと死線を脱しました。

筆者、体質的には、父親の血筋というより、母親の血筋を引いていますので、おそらく、母親がわずらったことのある病気と同じ病気をわずらう可能性があります。用心にこしたことはないので、重大な病気(急性膵臓炎)に発展しないよう、今のうちに徹底的に治療していただくことにしました。

急性膵臓炎になって、一番困るのは、好きなうどんやそうめんが一切たべれなくなること・・・。讃岐うどんや半田そうめんが食べれなくなると、筆者の人生・・・、味気ないものになってしまいます。筆者、讃岐うどんと半田そうめんが食べれる限り、日本全国どこでも、場合によっては世界中のどの国でも棲息できます。

この際、メタボの前兆である<麺太り>も解消しなければ・・・。

  

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2009年7月 7日 (火)

●10本目のロウバイの苗・・・

今日は一日、教会の庭の雑草取り・・・。

気温と湿度が高く、教会の庭の草取りは大変でした。汗だくだくになりますので、途中、2回、水道の水でシャワーを浴びることになりました。

作業中に、芽が出ないとして放置していたロウバイのポットのひとつに、ロウバイの子葉が出て、本葉が数枚でている苗を発見しました。

これで、筆者が育成中のロウバイの苗木は10本になります。

明日、ロウバイの木の下をのぞいてみましょう。もしかしたら、芽が出ているかもしれません。

教会の庭には、ロウバイの苗木を植える場所は、ほとんどないのですが・・・、ロウバイの苗木10本を栽培することができたら、筆者にとっては、はじめての苗木つくりの経験となります。明日、ロウバイの10本の苗木の写真を撮ることにしましょう。

  

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●ロウバイの苗つくり・・・

日本基督教団下松愛隣教会の裏庭のロウバイ、4~5mの高さになっていますが、そのロウバイ・・・、日本基督教団豊科教会の庭に移植すべく、豊科教会の John F Cross 牧師にその種子をおくりました。

ロウバイの種・・・、発芽したのかどうかしりませんが、昔、下松愛隣教会の庭に移植すべくロウバイの苗をくださった教会役員の<兄>・・・、現在脳梗塞の後遺症<全失語>のリハビリのため入院されていますが、この前病床訪問したとき、ロウバイの苗のことを心配されていました。

そこで今朝、下松愛隣教会の庭で育成中のロウバイの苗を確認・・・。

現在、教会の裏庭で、ポットで育苗していますが、9本の苗のうち、4本は15センチほどの大きさに成長しています。殘りの4本は、子葉だけの長い期間を終えてやっと本葉がではじめました。そして、最後の1本は、まだ本葉が見えません。

現在、確実なのは、4本の苗だけ・・・。

クール宅急便で輸送できるようになったら、日本基督教団豊科教会に1本、 John F Cross 牧師のご自宅の庭に1本、送付することにしています。庭木としては、ロウバイ・・・、1本あれば十分ですから・・・。あとの5本・・・、日本基督教団豊科教会を卒園される園児のための記念樹として提供できるかどうどうか、これからの手入れにかかっています。

  

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●今朝、梅雨の晴れ間にネジバナの花が咲きました・・・

今日の天気は、くもり・はれ・くもり・・・。

筆者は、朝から教会の庭の草取りをしています。夏野菜が大きく成長するときは、雑草も成長しますので、梅雨の晴れ間の雑草とりはかかすことができません。

昨日見学させていただいた兼業農家の教会役員さんのぶどう棚・・・、下には1本の草も生えていません。<アマ>とちがって<プロ>の兼業農家の庭は、草は生えないのだとか・・・。それにひきかえ、教会の庭、いたるところに草が茫々・・・。

今朝、妻が筆者を呼びにきました。「ねえ、ねえ、ちょっと来て! 咲いているわよ、ネジバナが・・・」といいますので、庭に出てみますと、数本のネジバナに花が咲いていました。昨年、瓦礫の中に咲いていたネジバナを大きな鉢に移植したもの・・・。今年、それが芽を出したのです。

東北福島の湖南町出身の妻は、草の中でこのネジバナが一番好きだといいます。

今日の雑草取り・・・、熱中症になりそうなので、少し水分をとるために休憩をとっているとき、インターネットで検索していましたら、毎日新聞の<ネジバナ>に関する記事(平成16年6月17日付)が転載されていました。その転載を更に転載させていただくことにします。


ネジバナ 雑草の中では一番の美人

「みちのくのしのぶもぢずりたれ故に 乱れそめにしわれならなくに」百人一首の源融の歌にある「しのぶもぢずり」は信夫の里(福島県)の 捩摺(もじずり)染めの布という。その乱れからまる模様に恋心を託した のだが、草花のネジバナをモジズリと呼ぶのもそれに由来するらしい。
日当たりの良い草地に生える可憐なネジバナが目をよろこばせてくれる 梅雨の中休みだ。その名の通り5ミリぐらいの桃色の小さな花が、らせ ん状に連なる姿は都会でも楽しめる。本誌東京版は、江東区役所の 駐車場脇の芝生で大小60本あまりが咲き始めたことを伝えていた。
草野双人さん(2人のペンネーム)の「雑草にも名前がある」(文春新書)は、このネジバナを「雑草の中では一番の美人」だとして、清楚なたたずまいをたたえている。もっともあまりの美しさに鉢や庭に植え替えようとしてもうまくいかない。ネジバナの不思議な魅力は、やはり野にあってのものという。
花のらせんの巻き方は、時計回り、反時計回り、両方あって、その割合は半々ともいわれる。他のほとんどの植物のツルの巻き方などはどちらか 一方に決まっているのだが、その点でもユニークな存在だ。なかにはねじれないで直線的に花をつけるひねくれ者ならぬ真っすぐ者もある。
学名スピランテスというラン科の多年草である。いわれてみれば花の ひとつひとつは小さいながらランの形をしている。ランの仲間の多くは 人の助けがなければ育たない。その中にあって都会でも自生する生命力 の強さは草野さんの著書も特筆している。一本一本が個性的、他の植物に負けぬ生命力をもちながら清楚な美を 失わない。しかも人間の世話にはならない気位の高さだ。

この「雑草」、ただ者ではない。


教会の庭の鉢に移植したネジバナ・・・、とてもきれいな花を咲かせてくれました。筆者、ネジバナをはじめて見たのは、羅漢高原の麓の村・本郷村にある、幕末の四境戦争に動員され戦死した奥山代宰判(宰判=郡)の茶筅の墓碑がある慰霊碑にある場所をたずねたとき、その近くに咲いていた草の花・・・、妻に教えられてはじめてネジバナの姿を確認しました。

そのネジバナ・・・、秋になって、山から里におりてくる小鳥たちが運んでくれたものでしょう。昨年、教会の庭に、このネジバナが咲き始めました。雑草と間違えて一緒に刈り取ってしまう可能性があるので、このネジバナを鉢に移植していたのですが、今年、ハチの中で花を咲かせてくれました。

このネジバナのあかむらさきの花の美しさ・・・、筆者の妻を形容することばとしてもっとも適切・・・であると思っていますが、毎日新聞には、「あまりの美しさに鉢や庭に植え替えようとしてもうまくいかない・・・」とありましたが、教会の庭では、ハチの中でその美しさを再現できたのは、教会の庭そのものが、<都会>からほど遠い<野>に近い環境にあるからかもしれません。

ネジバナ・・・、<ラン科>の花であったとは・・・。驚きです。

妻の実家をたずねたとき、娘と二人で、<信夫の里>、信夫の山を散策したことがありますが、そのときは季節はずれで、ネジバナを見ることはできませんでした。吾妻山とネジバナ・・・、会津磐梯山とネジバナ・・・、筆者の人生の晩年、妻の実家のある湖南町で過ごすようになったら、<ネジバナ百景>の写真を撮ってみたい・・・。

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●インターネットの古書店に注文した古書をめぐって郵便事故・・・

筆者、60歳になって、少しばかり年金を受給しはじめたのですが、昨年1年間受給してきた年金・・・。

蓄積して、昨年秋から今年の6月末まで、『部落学序説』とその関連ブログ群執筆継続に必要な史資料のうち、インターネットの古書店で入手できる関連書籍を入手することにしました。

<年金で、最早誰もが関心を持たなくなった部落史研究に関する史資料を集めるなんて正気の沙汰ではない・・・>と、筆者の知人・友人はいうのですが、時々、出張の帰りに立ち寄って話しをしていってくださる日本文化史研究者の方から、<部落史関連の文献を入手するのは、安価になった今がチャンス・・・>と教えていただいたのをきっかけに、<年金>で部落史関連史資料を入手することにしました。

その一部は、この『田舎牧師の日記』の中で紹介してきましたが、中には、紹介していない文章も多数あります。

昨日の朝、インターネットの古書店に注文していた1冊の関連書籍について、郵便局の事故担当係の方から電話があり、<誰かが、郵便ポストの中に、本をはだかで放り込んだ人がいるようです。その本の中に、吉田向学さんあての納品書があり、おたくではないかと思って電話しました・・・>ということでした。

妻曰く、<なにとなく、気持ち悪い話しですね・・。誰かが、郵便受けから、郵パックをとりだし開封、なかの古書だけを他の郵便ポストに投げ込むなんて・・・>。

しばらくして、郵便局の事故担当係の方が、筆者が、京都の古書店に注文していた、三好昭一郎著『阿波の民衆史・同和教育資料』をとどけてくださいました。<この本だけがなげこまれていたのですよ・・・。この本、郵便局以外の方法で送られてきた可能性もありますね・・・>といわれるので、筆者、京都の古書店と交わしたメールをプリントアウトしたものと、書籍代+ゆうパック送料の送金記録をお見せしました。

妻曰く、<やはり、なにとなく気持ち悪い話し・・・。知らない人が、郵便受けをのぞいているなんて・・・>。

そう話しているとき、郵便受けになにかを投げ込む音が・・・。筆者、急いで玄関に出てみますと、いつも郵便を配達してくださる郵便局の方が、郵便物を郵便受けに入れている最中でした。

筆者、その方に、郵便局の事故担当係の方から朝電話があった件について、その方にお話しをしました。その郵便局の方、「私は絶対誤配はしませんよ・・・」といいながら、郵便受けに挿入しようとしていた郵便物を筆者に手渡してくれました。

古書の入った郵便物2個と数通の封書・・・、そのひとつに、筆者が三好昭一郎著『阿波の民衆史・同和教育資料』を発注した京都の古書店の郵パックがありました。その郵パック・・・、<請求書>が貼りついています。筆者、<請求書・・・? おかしいですね。この書店、先払いが原則なので、請求書がおくられてくる可能性はないのですが・・・>といって、郵便局の方と一緒にその郵パックを開封・・・。

郵パックの中は空・・・。郵パックの糊のついている部分にはりついていたのは、某会社に対する請求書・・・。

郵便局の事故担当係の方がもってきてくださった、三好昭一郎著『阿波の民衆史・同和教育資料』を入れていた郵パックが、機械の自動操作中に開封、古書が出て、そのかわりに他の郵便物が付着した・・・、ということが分かりました。郵パックの袋と、古書とが別々に送られてきた、郵便局内部での単なる事故・・・、とわかり、郵便局の方も筆者も妻も、ほっと一安心・・・。

<重要な古書でまだ届いていないものが1冊あるのですが・・・>と筆者・・・、いままで、インターネットの古書店に注文して、トラブルは1回も発生していませんので、そのうち届くことになるでしょう。

筆者の、インターネットの古書店に対する、部落史関連史資料の収集・・・、基本的には、広く浅く、<全都道府県>に及ぶことになります。入手した史資料をすべて公表しますと、<馬鹿はすぐ手の内を見せる>と揶揄されることになりますので、ほどほどに、公表することにしています。特に、筆者にとって重要な史資料・・・、差別思想である賤民史観を撃つための先進的研究については、極秘扱い・・・。史資料収集においては、<アマ>から、少しく<プロ>の世界へ足を踏み入れているのかもしれません。<有料>で入手した史資料・情報は<無料>で公開しない、という・・・。

  

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«●岡山の中学校教師・藤田孝志氏の豊富な語彙と表現力・・・