2007.11.07

朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界(その1)

《読書案内》《総合目次》

【第5章】水平社宣言批判
【第2節】「水平社宣言」の背景
【第1項】朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界(その1)

第5章・第2節として、<「特殊部落」・「差別」概念の定義法について>論述してきましたが、その主題の下で執筆したすべての文章を、「部落学序説(別稿)」に移しました。

筆者が、『部落学序説』の執筆に際して採用している「定義」法について言及することは、無学歴・無資格の筆者の現実、てのうちを曝すことに通じるので、あまり気乗りするテーマではなかったのですが、考えてみますと、『部落学序説』執筆の初期の段階から、無学歴・無資格であることと、執筆に使用する文献について、すべて公開していましたので、「定義」法についての文章も、その範囲・・・、と思って、筆者が依拠している、近藤洋逸著『論理学概論』の「定義」法を紹介しました。しかも、伝統的論理学にそって・・・。

第5章・第1節で、<史料としての「水平社宣言」>をとりあげましたので、第2節として、あらためて、<「水平社宣言」の背景>について言及することにしました。

『部落学序説』で繰り返し、繰り返し、言及してきたことですが、筆者は、①無学歴・無資格、②部落解放運動の<被差別者でなければ差別者である>という二分法による<差別者>、③常民(軍事・警察に関与していない国民)の立場から、『部落学序説』の論述を展開してきました。

筆者が公開している、文献一覧表に目を通されるとすぐにお分かりになると思われますが、ほとんどの資料・論文は、簡単に手に入るものがほとんどです。

「水平社宣言」について論述するとき、その文献一覧表に列挙している資料・論文から、筆者がどのような見解を陳述することになるのか、聡明な読者の方々は、すでにお気づきになっていることと思われます。「水平社宣言」に関する、その資料・論文は、数限りがあります。

筆者の手元にある「水平社宣言」に関する論文の中で、比較的まとまっているものは、朝治武著『水平社の原像』(解放出版社)です。

「水平社宣言」について学習したり、研究したり、論文を書いたりされる人は、この朝治武著『水平社の原像』は、とても貴重な本です。「論文集」としてだけでなく、「資料集」としても有意義な本です。

「全国水平社」の「宣言」・「綱領」・「決議」・「規約」を、「水平運動」の「理念」・「目標」・「課題」・「組織」として体系的に論述し、普通、部落問題の入門書を読む一般の読者が目にすることがない、「水平社」に関する多くの資料がそのまま紹介されています。その他に全国の「水平歌」・「荊冠旗」も紹介されています。

朝治武著『水平社の原像』は、「水平社」に関連した文献の資料集・解説書として、再構成して読み進めていきますと、その著者の思惑を超えた価値が内蔵されているのに気づかれることと思われます。

巻末の著者紹介をみますと、「朝治武(あさじ たけし) 1955年、兵庫県に生まれる。現在、大阪人権博物館学芸課長。」と紹介されています。

通常、書籍の巻末の著者紹介には、著者の学歴や資格が列挙されるのが普通ですが、朝治武氏の場合、それらはほとんど省略されて、出生地と現職のみが記されています。

朝治武氏は、「あとがき」で、『水平社の原像』の執筆と出版に至った経緯を記していますので、重複を避けるためあえて著者紹介に載せなかった・・・、とも考えられますが、筆者の受けた印象では、どうもそれだけではなさそうです。部落解放運動を担ってきたものとして、学歴・資格に一定の見解をお持ちのようです。

朝治武氏は、「あとがき」で、「歴史好き」の彼が、「大学時代」「日本史の学科」に属し、「卒論の対象」「水平運動史」を選択した・・・との記述がありますから、朝治武氏は、その生涯をかけて、「水平運動史」に取り組んでこられた・・・、ということになります。

酒井和夫氏が推奨される「生涯探求」の典型的な実例・・・、ということになります。

朝治武氏は、彼の「本務」は、「大阪人権博物館の仕事」であるといいます。それでは、「水平運動史研究」は・・・、といいますと、意外にも、「私にとっては楽しい趣味のひとつにすぎない。」といいきります。

「部落史研究が純然たる仕事になると苦痛に感じてしまうので・・・寝食を忘れて没頭できる休日の楽しい趣味にしておきたい・・・」。

しかし、朝治武氏は、そう言い切った自分の言葉を追いかけるように、「ただし私の水平運動史研究をはじめとした部落史研究は楽しいという趣味にとどまらす、自己の主体形成において重要な位置を占めている意味のある行為であもある。」といいます。

その文章は、『部落学序説』の筆者にとっては驚くべき、こんな文章につながっていきます。

「私は、部落に生れ育ったというだけでは歴史的存在としての部落民ではない、部落民は生まれつき部落民なのではなく、歴史的過程をへて部落民として主体を形成していくのである、と考えている。この考え方からすると、部落に生れ育った者が誰しも、また必ずしも部落民なのではない。私は、そもそも歴史的存在としての部落民という概念は広い意味で部落差別を克服して部落解放を実現しようとする意識に基づいて自らを肯定的に自覚し、それを言語化したり、何らかの形で外部に表現することによってこそ成立する・・・」。

朝治武氏にとって、「大学時代」からの「水平社運動史研究」は、「部落差別を克服して部落解放を実現しようとする意識に基づいて自らを肯定的に自覚し、それを言語化・・・」する、「部落民として主体を形成する」ことが結果する<部落民宣言>の準備としてなされ、その著『水平社の原像』の発刊は、彼の<部落民宣言>の実行だったのかもしれません。

この<部落民宣言>・・・、朝治武氏につぎのような結果をもたらしたようです。

「なお最後に、どうしても記しておきたいことがある。今年の二月、厳しくもあったが末っ子の私に優しかった父が亡くなった。しばらく距離があった郷里の篠山に幾度か帰ることになり、そこで母や姉・兄夫婦、親戚との普段はない語らいの場で珍しく部落問題に話が及んだ。私が部落史に関して本を出版する話をしたが、一同が喜んでくれたことがたいへん嬉しかった。ひょっとして、これが本書の出版に躊躇していた私に踏ん切りをつけさせてくれた大きな要因ではないかとも考えている・・・」。

朝治武氏は、「部落に生れ育った者が誰しも、また必ずしも部落民なのではない。私は、そもそも歴史的存在としての部落民という概念は広い意味で部落差別を克服して部落解放を実現しようとする意識に基づいて自らを肯定的に自覚し、それを言語化したり、何らかの形で外部に表現することによってこそ成立する・・・」といわれますが、「自らを肯定的に自覚し、それを言語化」する朝治武氏の部落民宣言を支えていたものは、「部落に生れ育った・・・歴史的存在としての部落民」である、彼の「父」、「母や姉・兄夫婦、親戚」ではなかったのでしょうか・・・。

しかし、朝治武氏が、<部落民宣言>として執筆した『水平社の原像』は、「随筆」(広辞苑:見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章)ではありません。「水平運動史研究の序論」として執筆されたものです。

朝治武著『水平社の原像』が、「論文」である以上、筆者は、朝治武氏の人と思想に対する文芸批評的世界に入っていくことより、「論文」として、それに相応しい批判検証をしていくことが、より強く『水平社の原像』を評価していく道であると思っています。

『部落学序説』の筆者としては、<部落民宣言>としての『水平社の原像』ではなく、「水平運動史研究の序論」としての『水平社の原像』に対して、この節においても、批判・検証を展開していきたいと思います。

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朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界(その2)

《読書案内》《総合目次》

【第5章】水平社宣言批判
【第2節】「水平社宣言」の背景
【第1項】朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界(その2)

『水平社の原像』の著者・朝治武氏は、「水平運動史研究は、私にとっては楽しい趣味のひとつにすぎない。」といわれますが、『水平社の原像』は、「趣味」の世界の労作ではなく、彼の「本務」である「大阪人権博物館の仕事」が大きく影響しています。

朝治武氏は、「その意味では、大阪人権博物館の仕事を離れて私の水平運動史研究は存在しない・・・」ともいいます。

朝治武氏は、「本書の直接の契機となっているのは、今にして思えば1992年2月からの全国水平社創立70周年を記念した大阪人権歴史資料館(現在の大阪人権博物館)の特別展「全国水平社-人の世に熱あれ、人間に光あれ-」であった・・・」といいます。

「前年の夏頃からはじめた準備で水平運動に関する先行研究と資料集の殆ど全てを読み通し、またその時点で知り得る限りの水平運動に関する資料を調査した。・・・そして、特別展を機に、私は本格的に水平運動史研究に入ることになった。」

そういう意味では、『水平社の原像』は、朝治武氏の「仕事」という緯糸と、「趣味」という横糸によって織りなされたものであるといえます。

『部落学序説』の筆者の目からみますと、『水平社の原像』が、「仕事」によって生みだされたものであろうと、「趣味」によって生みだされたものであろうと関係ありません。大切なのは、生みだされた作品(論文)の内容そのものなのですから・・・。

「部落史研究が純然たる仕事になると苦痛に感じてしまう・・・」という、朝治武氏は、彼の研究方法は、「理論的関心や研究史理解から課題設定をおこなうという通常の歴史研究のスタイルからは程遠」い・・・、といいます。

朝治武氏のいう「通常の歴史研究のスタイル」とにおける、研究主題の設定は、部落解放理論や部落史研究史を踏まえた研究主題の設定を意味しているのでしょうか・・・。

朝治武氏は、ご自分の研究法を、部落解放理論や部落史研究史の流れから逸脱したもの・・・、主流ではなく亜流である・・・、と認識されているようです。それは、彼の「本務」・「仕事」が、「博物館学芸員」であることに起因するもので、「博物館学芸員」としては、「現物資料を扱う」ことで、「水平運動史研究」「資料を内容だけでなく形態や来歴など、関わる情報をあらゆる角度から読み込んでいく・・・」といいます。

朝治武氏のこのような文章を前にすると、無学歴・無資格の筆者は、「現在の歴史学は、もしかしたら分業化が進んでいるのではないか・・・」と思ってみたりします。

『部落学序説』の筆者が依拠している歴史学研究法は、今井登志喜著『歴史學研究法』(東京大学出版会・東大新書)ですが、朝治武氏のいう、「現物資料を扱う」、「形態や来歴」は、『歴史學研究法』の「史料批判」の中の「外的批判」に該当するものでしょう・・・? 「眞純性の批判」・「来歴批判」・「本原性の批判」と呼ばれているもののことでしょう・・・? それは、歴史学研究法に逸脱する研究法ではなく、歴史学研究法そのものです。しかも、最も基本的な・・・。

もし、朝治武氏が、ご自分の研究法を、部落解放理論や部落史研究史から逸脱したもの・・・であると認識されているとしたら、それは、現在、部落史研究に携わっている学者・研究者・教育者が、本来の歴史学研究法から逸脱している、ということを意味するようになるのではないでしょうか・・・? 朝治武氏の研究は、歴史学研究法の<逸脱の逸脱>・・・、つまり、朝治武氏は、自分こそ正統な歴史研究者であると主張されていることになります。

『博士になる方法教えます』の著者、医学博士の酒井和夫氏のいう「研究者の資質」としての5つの要件の最後で取り上げている「予断」「ああだこうだと思っているのではなくて、自分のやっていることは意義のあることなのだ・・・」)であると思われます。

従来の部落研究・部落問題研究・部落史研究に対して<批判的>(いい意味での学問的な批判・・・)な姿勢を明言されているのではないかと思われます。

朝治武氏がそのような表現をされるのは、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者からの無益な批判(非難?)を最初から避けるため・・・ではないかと思われます。

朝治武氏は、その「水平運動史研究」を、「私の理解」、「私なりの見解」、「私独自の問題意識」、「私の想い」、「私の・・・アプローチ」、「私の意識」、「私的な問題意識」、「私の独自のスタイル」・・・、と表現します。

『部落学序説』の筆者の経験からしますと、一般読者の方の中には、「著者がそういうのだから、それに間違いない・・・」として、批判攻撃されて来られる方も少なくないのですから、一般的には、過度な謙遜は、よろしくない・・・のかもしれません。

そういう意味では、朝治武氏の「水平運動史研究」が、部落解放理論や部落史研究史に携わる学者・研究者・教育者から正当な評価をうけているのか・・・、心配になります。

既存の、部落解放理論や部落史研究史の枠組みの中で、「水平運動史研究」の新説を出すことは、多くの批判(非難・中傷の場合も・・・)が生ずる可能性があります。

被差別部落出身の学者・研究者・教育者にして、そこまで<意識>しなければならないのか・・・、無学歴・無資格で「歴史学」に縁のない、『部落学序説』の筆者としては、ただただ驚かされます。

次回、朝治武氏が「水平運動史研究」を遂行する上で、その基本的な「概念」の定義をどのようにおこなっているかについて、考察してみましょう。

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2007.11.08

朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界(その3)

《読書案内》《総合目次》

【第5章】水平社宣言批判
【第2節】「水平社宣言」の背景
【第1項】朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界(その3)

『水平社の原像』の著者・朝治武氏は、「水平運動史研究」にかかわるときの「基本的姿勢」を、「部落問題に向き合うに際して避けて通ることのできない基礎的概念を再検討し、その意味を具体的かつ深く豊かに理解する」ことに見いだします。

「基礎的概念を再検討」する・・・。

それが何を意味しているのか、無学歴・無資格の筆者の推測では、従来、「水平運動史研究」において使用されてきた基本的な諸概念の「定義」内容の検証、あるいは、「再定義」を示唆されているのではないかと思われます。

およそ、学問的研究においては、そこで使用される基本的な概念は、学者・研究者・教育者によって自覚的に定義され、その意味内容が確定されるのが常です。

ただ、同じ教育者といっても、大学等の高等教育機関における教育者と違って、小中高の教育機関においては、教師によって、生徒に指導される教育内容は、文部科学省の指定する学習指導要領によって規定され、それを実践する教師には、その学習指導要領に準拠して指導することが求められます。

つまり、小中高の教育機関における指導内容は、文部科学省によって規定されている・・・、ということです。

もし、社会・歴史を指導する教師が、指導内容を、文部科学省の指定する学習指導要領から逸脱した内容を指導するようなことがあれば、「偏向教育」とのそしりを受けることになるでしょう。同じ概念を使用していても、それを指導する教師が、その概念を再定義して、異なる意味内容で教えるとしたら、やはり、公教育に携わる者の姿勢とモラルが問われることになるでしょう。

『部落学序説』の筆者としては、それも、「学問的自由」の制限・・・として認識していますが、「学習指導要領」の世界においては、そこで使用される概念は、文部科学省が推奨あるいは認定した概念を踏襲することになります。

しかし、大学等の高等教育機関においては、その学者・研究者・教育者には、「学問的自由」が大幅に認められています。むしろ、大学等の高等教育機関においては、その「学問的自由」を駆使して、真実を明らかにして、世の中に貢献することが求められます。そこでは、使用される概念の定義は、学者・研究者・教育者の良識にゆだねられます。

『水平社の原像』の著者・朝治武氏が、その論文の執筆に際して、「基礎的概念を再検討」することを明言されるのは、当然といえば当然すぎることです。

朝治武氏は、「基礎的概念を再検討」するとき、知的ツールとして論理学を援用します。その論理学に従って、「基礎的概念」の既存の定義内容の検証と、場合によっては、再定義を遂行することになるのですが、朝治武氏は、「論理学」だの「定義」だのという言葉については一度も使用していません。

朝治武氏は、やさしい言葉で表現していますが、その実質は、「論理学」的な、精密な「定義」を実行されているのです。その著『水平社の原像』は、論理学的な「定義」を実行した結果、従来の既存の「水平社運動史研究」の成果と異なる、あるいは、それを凌駕する研究成果に達したのでしょう。

朝治武氏は、『水平社の原像』の「序にかえて」に、次の言葉を付け加えています。

「水平運動」と「水平社運動」

この表現は、朝治武氏が、「水平運動」という概念と「水平社運動」という概念の定義史を踏まえながら、再定義して、「水平社運動」という概念を破棄し、「水平運動」という概念を選択したことを示しています。「水平運動」という概念を選択したときの、朝治武氏の思い入れの強さは、「水平運動に<すべきである>」という言葉にみられます。

朝治武氏は、なぜ、その著書『水平社の源流』の冒頭で、彼が、「水平社運動史研究」「基礎的概念」としてとりあげる「水平運動」・「水平社運動」という概念の定義に関してとりあげたのでしょうか・・・。

その定義は、有閑階級・知識階級の、単なる言葉の遊びではなく、『水平社の源流』の全体を、その読者にどのように理解してほしいか・・・、朝治武氏の思いがこめられているのでしょう。定義の内容は、朝治武氏のとって、『水平社の源流』という論文の端緒であり目的でもあるのです。

しかし、朝治武氏は、その見解が、すべての読者に受け入れられる・・・、とは想定していないようです。

「興味がない者にとってはどうでもいいこと・・・」という雰囲気があります。

論理学や定義法について関心のない人々にとっては、朝治武氏が『水平社の源流』の冒頭で記されている「基礎的概念」の定義については、単なる机上の知的遊戯であって、評価するに価しない・・・、と考えられるかもしれませんし、多種多様な解釈が存在するのであるから、あれかこれか、「水平運動」「水平社運動」か・・・、を議論すること、「言葉をさぐることは意味がないことである・・・」と切り捨てられるかもしれません。

「はたまた意味があっても素通りされ・・・」てしまうかもしれません。

しかし、朝治武氏は、従来の「水平運動研究史」上、ほとんどかえりみられないか、無視されてきた研究主題に対する探求をすすめていくとき、彼の「水平運動研究史」にとって避けることのできない「基本的概念」である「水平運動」・「水平」・「水平社」について、その概念の定義内容を「明確にする必要」があるといいます。

それは、単なる言葉の定義の問題ではなく、「水平運動史研究にとって重要な論点」と密接に関連しえていると考えられるからです。

論文執筆に際して使用される「基礎的概念」をどのように定義するかは、その概念を用いて執筆される論文の内容を大きく規定することになります。

朝治武氏は、「水平社運動」という概念を退け、「水平運動」という概念を採用する理由として、①「水平運動史研究」上の史的分析結果、②この概念に「慣れ親しんでいる」という主観的側面、③「全国水平社創立とその精神を生かした運動を重視する」という客観的側面をとりあげています。

朝治武氏は、その「あとがき」でこのように記しています。

「本書では副題を「部落・差別・解放・運動・組織・人間」とした。これは、水平運動史を理解することは「部落・差別・解放・運動・組織・人間」という部落問題に向き合うに際して避けて通ることができない基礎的概念を再検討し、その意味を具体的かつ深く豊かに理解することにつながる・・・」。

朝治武氏が、「基本的概念」の検証と再定義にこだわられるのは、一般説・通説・俗説と異なる彼「独自の問題意識と一貫した視点」から、「水平社や水平運動の最も基本的な全体像を描こうとしたため」であると言われます。

『部落学序説』の読者の中には、筆者の「水平社宣言批判」の諸文章は、「水平社の研究がどんどんすすめられて新しい研究成果が打ち出されているにもかかわらず、それを無視して、古い文献のみに依拠して都合のいい論理を展開している・・・」というような趣旨の批判をされる方がおられますが、無学歴・無資格の筆者は、そして、「部落史研究」の専門家ではない筆者は、朝治武氏がいわれる「水平運動史研究」がどの程度すすめられ、その著『水平社の源流』がどのように評価されているかはほとんど寡聞にして知りません。

ただ、『部落学序説』の読者の方で、筆者に文献を提供してくださる日本文化史の研究者の方、東洋史の研究者の方、あるいは、部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会の方々から、そのような、あたらしい研究がある・・・、というふうには聞いていませんし、朝治武著『水平社の源流』を凌駕する論文ないし論文集が、世に埋もれる形で、あるいは、部落史研究者の学的世界でのみ流通しているとも想定しにくいので、筆者は、朝治武著『水平社の源流』を筆者のクリティークの対象にしている次第です。

朝治武氏曰く、「はたして描かれた歴史は実像なのか、それとも言説で構築されたものなのか・・・」。『水平社の源流』で明らかにされたことが、歴史の事実を反映しているのか、それとも机上の空論に過ぎないのか・・・。

すべての研究は、よりよい研究の途上にあります。<途上>であることをもって<研究>を否定することは、<研究>のいとなみそのものを否定することになります。

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2007.11.09

朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界(その4)

《読書案内》《総合目次》

【第5章】水平社宣言批判
【第2節】「水平社宣言」の背景
【第1項】朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界(その4)

朝治武氏は、その著書『水平社の原像』の冒頭で、「水平社運動」という概念を破棄して「水平運動」という概念を採用することを明言しています。

「水平運動」とは何か・・・。

朝治武氏は、「水平運動」とは、「水平」という概念に「運動」という言葉を付加したものであるといいます。

朝治武氏は、「水平運動」は、「水平を実現する運動」である・・・、という見解に賛同しておられるようですが、それでは、「水平」概念は何を意味しているのかといいますと、「差別のない平等な社会を実現する」という意味であるといいます。つまり、朝治武氏は、「水平運動」を、<差別のない平等な社会を実現する運動>として定義している・・・、ように思われます。

朝治武氏が、「水平社運動」という概念を退け、「水平運動」という概念を採用するのは、「水平運動」を、特定の運動団体の運動に集約させず、より、一般的・普遍的な広範な意味でとらえようとした意図を反映したものではないかと思われます。

朝治武氏は、それに反して、「水平社運動」という概念を、さまざまな史料を分析して、「水平社運動」という概念は、「水平社のみの運動」を意味し、「否定的な意味が込め」られているといいます。部落史の史料をひもとくと、「水平社運動」という概念が、「部落のみの利害を追究した排外主義的で否定すべき運動」として全国水平社自身によって使用されたこともある・・・、といいます。

朝治武氏は、関連史料を分析して、全国水平社自身、その運動の展開にあわせて、「水平運動」(1922~1931年)・「水平社運動」(1932~1933年)・「全国水平社運動」(1934~1942年全国水平社が消滅するまで)という概念が創出された・・・、といいます。

「水平運動」という概念は、「官憲」(たとえば「内務省警保局」)や「融和団体」(たとえば「中央融和事業協会」)によって「統一」的に使用されていた・・・、といいます。その反面、浅田善之助・北原泰作などは、「水平運動」ではなく「水平社運動」という概念を採用していた・・・、といいます。

しかし、朝治武氏は、歴史上の「水平運動」・「水平社運動」の使用歴をあきらかにしつつ、朝治武氏の研究論文においては、「水平社運動」という概念を退け、「水平運動」という概念を採用する・・・、といいます。

朝治武氏は、浅田善之助・北原泰作などの「部落解放運動」の先駆者たちが使用した「水平社運動」という概念を意図的に排除し、国家権力が採用した「水平運動」という概念を意図的に、その研究論文の中に採用した・・・、と宣言しているように見えるのですが、そういうことがあるのかどうか・・・、否、あるかもしれない・・・、と筆者には思わさせられます。

朝治武氏の「立ちどころ」はどこなのか・・・。

「権力」の側か、それとも、「権力」によって差別され排除されている「部落大衆」の側か・・・。

朝治武氏は、「部落史」上、あるいは、「水平運動史」上、「水平運動」という概念と「水平社運動」という概念の歴史的な諸相を明らかにしつつ、それでもなお、朝治武氏は、自己の「水平運動史研究」の基本的概念として、あえて、「水平運動」・・・、という概念を使用するというのです。

その理由は、「全国水平社創立とその精神を生かした運動を重視するがゆえ・・・」であるといいます。

「全国水平社創立とその精神」・・・、それを明らかにするためには、浅田善之助・北原泰作などの部落解放運動家の概念ではなく、国家権力の使用した概念を採用する必要がある・・・、ということなのでしょうか・・・?

朝治武氏の、「水平社運動」概念を否定し、「水平運動」概念を採用した背景には、今日的状況でのある種の政治的決断が含まれているのでしょうか・・・?

朝治武氏の概念定義の説明を読んでいますと、「歴史学者」のそれでもなく、「博物館学芸員」のそれでもなく、「部落解放運動家」のそれが見え隠れしているように思われます。

朝治武氏が、その「水平運動史研究」の基礎概念として採用した「水平運動」という概念は、極めてイデオロギー的な価値概念であるといえます。朝治武氏が、『水平社の原像』に収録された論文について、「はたして描かれた歴史は実像なのか、それとも言説で構築されたものなのか・・・」と自問自答する背景には、「水平運動」という概念をあえて採用する朝治武氏のこころのなかに、なんらかのためらいが存在するためではないか、と想像せざるを得ません。

朝治武氏は、「あとがき」でこのように綴ります。

「翻ってみれば、部落に生まれ育ち自分なりに部落差別に向き合ってきた私も、部落民として自らを形成するためにいつも揺れ動いてきた。その私の揺れ動きは、水平運動を指導したり参加した人びとが辿ってきた揺れ動きと重なり合い、また組織としての水平社の揺れ動きとも相通じるものがあると感じている。すなわち私にとっての水平運動史研究をはじめとした部落史研究は、私が単に部落に生まれ育ったという事実から、今を生きる歴史的存在としての部落民へと主体形成していくために、きわめて重要な役割をはたしているのである」。

朝治武氏の『水平社の原像』は、朝治武氏の思想遍歴・運動遍歴・研究遍歴の「揺れ動き」の中、ある時点での振り子が一方向に振り切れたときの著作かもしれません。

『部落学序説』の筆者である私には、被差別部落出身の歴史学者である朝治武氏が感じているようなこころの「揺れ動き」はありません。「第三者」として、入手できた史料をもとにして、純理的に追究していくのみです。

ちなみに、極めて常識的な、『部落学序説』の筆者としては、「水平運動」という概念より、「水平社運動」概念を採用します。

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2007.11.10

朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界(その5)

《読書案内》《総合目次》

【第5章】水平社宣言批判
【第2節】「水平社宣言」の背景
【第1項】朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界(その5)

「私の揺れ動きは、水平運動を指導したり参加した人びとが辿ってきた揺れ動きと重なり合い、また組織としての水平社の揺れ動きとも相通じるものがあると感じている」。

前回紹介した、『水平社の原像』の著者・朝治武氏の言葉です。

朝治武氏は、彼の「揺れ動き」は、「水平運動を指導したり参加した人びとが辿ってきた揺れ動き」と、重なりあっているといいます。また、「組織としての水平社の揺れ動き」とも相通じるものがあるといいます。

その「揺れ動き」は、朝治武氏がその著・『水平社の原像』で、多くの史料・論文を駆使して証明しているように、「権力」と「反権力」の間の「揺れ動き」を意味しています。

「権力」(国家権力)の施策に追従していくか、それとも、共産主義の思想と運動に加担して「反権力」としてその運動を展開していくかどうか・・・。

水平社運動は、その創立時点から、「権力」の側に身をおくか、「反権力」の側に身を置くか・・・、葛藤状態に置かれていたのであり、その葛藤状態は、戦前の国家総動員の流れに身を棹させ、それまでの、「権力」・「反権力」の立場が融合され、国策としての戦争遂行に主体的に協力させられていく中で、1942年2月「消滅」させられていきます。

戦前の水平社運動、そして、その継承としての戦後の部落解放運動・・・。

常に、「権力」と「反権力」の間の「揺れ動き」が存在してきたように思われます。

朝治武氏は、元来正直なお方なのでしょう。

自らの、「歴史的存在としての部落民」としての主体形成の中で、「水平運動を指導したり参加した人びとが辿ってきた揺れ動き」、「組織としての水平社の揺れ動き」と同じ「揺れ動き」・・・、「権力」と「反権力」のいずれの側に自分の身を置くか、その葛藤状態にあったことをあからさまに文章化されているのですから・・・。

朝治武氏は、「水平運動」という概念の見直しと再定義という作業を通して、朝治武氏自ら、「反権力」側ではなく、「権力」側に身を置いて、「水平運動史研究」を行う、と宣言されているのですから・・・。

朝治武氏は、1955年生まれ。そして、同和対策審議会答申が出されたのは、1955年・・・。朝治武氏、10歳のときです。その中で、同和教育を受け、部落解放運動にかかわって来られた・・・、ということは、朝治武氏は、「同対審答申」世代に属しているということになります。

「同対審答申」がいわば、同和教育や部落解放運動の前提となり、その論調が、空気のように、被差別部落の人々に浸透していった時代の申し子として成長し、やがて、「水平運動史研究」の論客、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者の列に加わるようになっていったと思われます。

『部落学序説』の筆者としては、既に論述したことのある事柄ですが、「同対審答申」は、基本的には、政治起源説を否定しています。政治起源説というのは、広義の場合、「国家権力によって部落差別がつくられた・・・」という意味を含みます。

「同対審答申」にかかわった委員の中に、磯村英一氏がいますが、磯村英一氏は、部落差別が封建遺制の問題ではなく、近代中央集権国家・明治天皇制下において創設されたものであることを示唆しています。

「同対審答申」が出されるとき、<統一見解>だけでなく、その審議過程の中で明らかになった少数意見も参考として併記されるべきであったと思っていますが、「同対審答申」以降は、部落差別の権力起源に関する論述はかげひそめ、部落差別を、<政治的結果>としてではなく、<社会的事象>として認識されていきます。

「同対審答申」以降の部落解放運動は、朝治武氏が指摘する「揺れ動き」の中で、「反権力」から「権力」の側へ身をすり寄せていくことになります。

33年間・15兆円の同和対策事業・同和教育事業を展開した「国」・「権力」に対して、近代部落差別を政治的につくってきたその責任を明らかにすることを避け、あるいは放棄・断念して、「国」・「権力」と歩調をあわせて最大限の「利権」を追究していくことになるのです。

部落研究・部落問題研究・部落史研究に携わる多くの学者・研究者・教育者は、それに加担し、被差別大衆、一般国民の目を、部落差別の本当の原因・起源から逸らしていくのです。

朝治武著『水平社の原像』は、そのような流れの中に身を置いた、部落研究・部落問題研究・部落史研究に携わる多くの学者・研究者・教育者の影響下での著作といえます。『水平社の原像』は、朝治武氏の<個人的労作>に終わらず、この論文を成立させた、学者・研究者・教育者の研究や思想が反映されたものであるといえるでしょう。

それにしても、朝治武氏は、『水平社の原像』発刊にいたるまでに、「出会い」・「仕事」・「語らい」・「人格からの刺激や影響」・「協力」・「励まし」を受けたとして、250名にのぼる人々の名前を列挙されています。

「わずかの出会いであるのに名前が挙がっていることを不思議に思われる方々もおられるかと思われる・・・」と記していますが、250名以上の個人名だけでなく、「著作や論文で学ばせていただいた方々」、「お世話になっていながら名前を記すのを忘れた方々」が多数いることを記しています。

無学歴・無資格の『部落学序説』の筆者には、まったく縁のない人々ばかりですが、朝治武氏が列挙している名前をひとつひとつたどっていて思うのですが、それらの人々は、いわゆる、日本の<中産階級>・<知識階級>に属している方々です。組織として部落解放運動に参加しておられる方々も、ほとんどの人は、一般の同盟員ではなく、指導的役割を果たしている方々です。

筆者は、朝治武氏が、『水平社の原像』の執筆・発刊のため影響を受けた人々の名前を列挙すればするほど、その人名録の意味があらわになってくると思われます。

無学歴・無資格の『部落学序説』の筆者は、朝治武氏の『水平社の原像』を前に思うのです。

『水平社の原像』の執筆・発刊に際して、<中産階級>・<知識階級>の影響を受けたという朝治武氏の言葉はわかりますが、朝治武氏にとって、名も無き民である<部落大衆>、<被差別民衆>はどのような意味があったのか・・・、と。

朝治武氏は、名も無き<部落大衆>、<被差別民衆>については、ひとことも言及されていないのです。

『部落学序説』の筆者の視点・視角・視座からしますと、朝治武氏の「水平運動史研究」、『水平社の原像』は、民衆史的視点が著しく欠如しているように思われます。民衆史的視点より、権力史的視点に立脚して論述を展開しているように思われます。

さらに言葉を加えれば、朝治武氏は、<部落大衆>、<被差別民衆>を軽視しておられるのではないかと・・・。

多くの<部落大衆>、<被差別民衆>は、朝治武氏がいうところの、「生まれつき部落民」であり、「部落に生まれ育った者」です。

しかし、朝治武氏は、「部落に生まれ育ったというだけでは歴史的存在としての部落民ではない」と言い切られます。「部落に生まれ育った者が誰しも、また必ずしも部落民なのではない」と。

『部落学序説』の筆者が、20数年前、山口の小さな教会に赴任してきて、はじめて接するようになった、山口県の被差別部落の人々、多くは、「部落に生まれ育ったというだけで・・・」差別されている人々であったし、「部落に生まれ育った者」が、被差別部落に住むようになった歴史と経緯に一切触れられることなく差別されている人々でした。

戦後の部落解放運動に直面した被差別部落は、山口県の全部落の何分の一にも満たないでしょう。

『部落学序説』の筆者は、まったくの門外漢ですが、日本の社会から、部落差別をなくすために、部落差別完全解消を実現するために、従来の部落研究・部落問題研究・部落史研究が無視するか、看過してきた<部落大衆>・<被差別民衆>にもっと耳を傾けなければならなかった、のではないでしょうか・・・。

被差別部落出身の学者・研究者・教育者が、<民衆史的視点>を失う・・・。悲しむべき「部落解放運動」の現実であると思われます。

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2007.11.12

朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界(その6)

《読書案内》《総合目次》

【第5章】水平社宣言批判
【第2節】「水平社宣言」の背景
【第1項】朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界(その6)

朝治武氏は、『水平社の原像』において、「水平社運動」という概念を捨て、「水平運動」という概念を採用します。

「水平運動」という概念は、『水平社の原像』において、朝治武氏が定義する唯一の言葉です。

確かに、朝治武氏は、その著書において、「水平運動史を理解することは「部落・差別・解放・運動・組織・人間」という部落問題に向き合うに際して避けて通ることのできない基礎概念を再検討し、その意味を具体的かつ深く豊かに理解すること・・・」であると、「基礎概念」の定義の検証あるいは再定義の必要性を説いておられますが、『水平社の現像』を一読してみるとすぐにわかることですが、「部落」・「差別」・「解放」・「運動」・「組織」・「人間」という概念については、ほとんどそのこころみを提示することはありません。

朝治武氏は、「水平運動」にとって「必要不可欠かつ重要な要素」として、「人間主義」「部落民意識」を抽出していますが、この両概念についても、ほとんど定義らしい定義をしていません。

『水平社の原像』の読者の恣意的な解釈にゆだねているようです。

「人間」とはなにか・・・。「人間主義」とはなにか・・・。「部落」とはなにか・・・。「部落民」とはなにか・・・。「部落民意識」とは何か・・・。

それだけではありません。

その他の「基礎概念」、「差別」・「解放」・「運動」・「組織」についても、ほとんど定義らしい定義をしていないのです。

朝治武氏は、「避けて通ることのできない基礎概念を再検討し、その意味を具体的かつ深く豊かに理解すること・・・」の必要性を説きながら、実際には、それらの「基礎概念」を批判検証し、再定義するという営みを実践していないのです。

筆者は、このことを確認しながら、このことをどう受け止めればいいのか・・・、思案してしまいます。

<無定義の定義>・・・

<無定義>は<定義>ではないので、<無定義の定義>というのは、矛盾概念です。しかし、この表現をもってしか、朝治武氏の言説を理解することは困難です。

<無定義の定義>、それは、<一般説・通説・俗説において、その概念の内包・外延が確定されているので、それを踏襲することにし、あらためて定義しなおすことをしない>と、定義過程を省略する方法・・・、という意味合いで使用することにしましょう。

『部落学序説』第5章・第2節・第1項の主題は、「朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界」と題しましたが、『部落学序説』の筆者の視点・視角・視座からしますと、「部落史個別研究の限界」というのは、この<無定義の定義>に起因すると思われます。

朝治武氏をはじめとする、部落史個別研究は、その論文の中心的な基礎概念については定義をこころみますが、その中心的な基礎概念にとって周辺的な基礎概念については、一般説・通説・俗説において流用されている意味を無批判的に採用する・・・、その結果、中心的な基礎概念の導入において、一般説・通説・俗説を凌駕しているように見える説も、結局は、ふたたび、一般説・通説・俗説のうちに吸収されてしまう・・・。

部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者が、恣意的に手軽に<無定義の定義>を実践しますと、どのような、部落史の個別研究も、一般説・通説・俗説の追認と確証に奉仕することに結果すると思われます。

朝治武氏は、《徹底的糾弾の再検討》という論文の中で、「歴史認識の形成を担う研究や叙述は対象を問うているようにみえて、実は研究や叙述をおこなう主体のあり方も問われている・・・」と言明しています。

朝治武氏が指摘する研究者の「主体のあり方」を批判的に検証すること・・・、それこそが、『部落学序説』が「序説」(プロレゴメナ)として銘打つゆえんです。

筆者は、『部落学序説』において、その研究方法を何度か説明してきました。

無学歴・無資格である筆者の基本的な研究方法は、既存の論文の比較研究です。ひとつのテーマに、Aという学者の説と相反するBという学者の説を比較検証することで、どちらか一方を『部落学序説』に基本的な資料に組み込んでいく・・・、という方法です。

今回の、朝治武氏の著作『水平社の原像』については、『部落学序説』の読者の中に、朝治武氏の論理・論法について擁護することを準備されておられる方がいますので、Aという学者(朝治武氏)の説はとりあげましたが、比較検証する、もう一方の、相反するBという学者の説は、反論用に伏せておきました。

Bという学者は、朝治武氏が、巻末で列挙されている250名にのぼる学者・研究者・教育者・指導者・運動家の名簿の中のひとりです。

次回、朝治武氏の指摘する「人間主義」と「部落民意識」の問題点についてとりあげます。

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2007.11.24

朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界(その7)

《読書案内》《総合目次》

【第5章】水平社宣言批判
【第2節】「水平社宣言」の背景
【第1項】朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界(その7)

『水平社の原像』(解放出版社)の著者・朝治武氏は、「水平社創立宣言の・・・思想的核心」として、「人間主義と部落民意識」をとりあげます。

その取り上げ方に、『部落学序説』の筆者である私は、少しく違和感を感じます。

朝治武氏の論法には、吉田智也氏(『忘れさられた西光万吉』)・宮橋國臣氏(『水平社創立宣言』の源流にふれる)同様、<護教的>要素が多分にみられるからです。

最初から、西光万吉を肯定的に評価する、という前提のもとに、西光万吉に対する賛否両論をとりあげ、<賛>のみをとりあげ、<否>を排除することで、西光万吉の戦前・戦後の取り組みを最大限評価する、という論法を共有している・・・、と筆者の目には映るからです。

朝治武氏は、「人間主義と部落民意識」を、「水平社創立宣言の・・・思想的核心」としてだけとりあげるわけではありません。

朝治武氏は、「人間主義と部落民意識は、いずれも部落問題および部落解放運動にとって必要不可欠かつ重要な要素であった・・・」といいます。

「人間主義と部落民意識」は、戦前の水平社運動(朝治武氏は、この表現を意図的に避け、水平運動という概念を採用・・・)だけでなく、戦後の部落解放運動にとっても、「必要不可欠かつ重要な要素」であるというのです。

朝治武氏の論法の背景には、現在の部落解放運動を守るためには、「水平運動」を守らなければならない。「水平運動」を守るためには、「水平社創立宣言」を守らなければならない。「水平社創立宣言」を守るためには、その執筆者である西光万吉を守らなければならない・・・、という論理が隠されているように思われます。

朝治武氏にとって、歴史学者として、<水平社の原像>を探究する目的は、まさに、現在の部落解放運動を「護教的」にまもることを目的としています。

しかし、「水平社創立宣言」の中には、「西光の思想からは考えられない文章」が含まれている・・・、といいいます。その不純物(朝治武氏がいう、平野小剣の部落民意識)を取り除き、西光万吉の純粋な歴史像(朝治武氏がいう、西光万吉の人間主義)を描き出すこと・・・、それが、朝治武氏の『水平社の原像』の執筆意図であると思われます。

朝治武氏にとって、戦前の「水平運動」、戦後の「部落解放運動」に通底する「思想的核心」としての、西光万吉の「人間主義」とは何なのでしょうか・・・。

無学歴・無資格の筆者は、ここでも、やはり『広辞苑』をひもといて、「人間主義」という言葉の一般的・通説的意味を確認することになります。

ところが、筆者が使用している『広辞苑』第三版には、「人間主義」という言葉はみあたりません。『水平社の原像』のことばをてがかりに、「ヒューマニズム」という言葉を検索してみたのですが、その説明の中にも、「人間主義」という言葉は使用されていません。

つまり、「人間主義」という言葉は、一般的な言葉ではない・・・、ということでしょう。

もしそうなら、朝治武氏は、『水平社の原像』で自論を展開していくとき、そのことを明言し、「人間主義」という概念について、詳しく定義する必要があると思われます。しかし、朝治武氏は、使用されている「人間主義」について、明示的に定義されることはありません。

『水平社の原像』の読者は、その本文をひもときながら、朝治武氏が、「人間主義」についてどのように定義して使用しているのか、推察することを余儀なくされます。

朝治武氏は、西光万吉に関する史料をひもときながら、「西光万吉の人間主義は・・・高潔かつ香り高いもの」と絶賛します。

朝治武氏にとっては、西光万吉の「人間主義は、現実世界に生きている生身の具体的人間というよりは、宗教的・抽象的・理想主義的な人間を多分に感じさせるもの」であるといいます。

「水平社創立宣言」「思想的核心」である西光万吉の「人間主義」は、その本質において<現実>的表明というより<理念>的表明であったが故に、戦前・戦後を通じて、部落解放運動の精神的支柱足り得たと評価しておられるように見えます。

朝治武氏は、「水平社創立宣言」において、西光万吉の純粋な思想の表出である「人間主義」を綴ったことばの背景には、「ヒューマニズム」「宗教的思想」がある・・・、といいます。

朝治武氏がいう「人間主義」とは、次のように定義することができるのでしょうか・・・?

「人間主義は、ヒューマニズムと宗教的思想の混交物である」。

朝治武氏が指摘する「ヒューマニズム」とは、「ロマン・ロラン、ゴーリキー、ウイリアム・モリスなどのヒューマニズム」を意味します。つまり、欧米のキリスト教的ヒューマニズムのことです。

また、「宗教的思想」は、「キリスト教、親鸞の宗教的思想」を意味します。

西光万吉の「思想的核心」は、「親鸞の宗教的思想」をのぞけば、すべて外来のキリスト教的「ヒューマニズム」「宗教的思想」ということになります。

江戸時代300年間に渡って、幕府権力と一体化して、キリシタン弾圧に直接関わり、幕末・明治に入ってからも、キリスト教排斥の先鋒を担っていた浄土真宗の僧侶の家系をひく西光万吉が、その歴史と文化を忘れてしまったかのように、キリスト教的「ヒューマニズム」「宗教的思想」を標榜するには、どのような精神的葛藤・思想的葛藤があったのでしょう?

浄土真宗の歴史と教理をひもといても、その反キリスト教的思想と姿勢をぬぐい去ることはできません。

しかし、西光万吉の「人間主義」は、朝治武氏の解析では、浄土真宗門徒、あるいは、僧侶の末裔として、その反キリスト教的要因をどこかへ忘れ去り、何もなかったかのごとくに、安易に、キリスト教的「ヒューマニズム」「宗教的思想」に立脚しているように見えます。

『部落学序説』の筆者の目からみますと、西光万吉の「人間主義」は、思想的・宗教的には、非常に屈折した点が多々みられます。

西光万吉の「人間主義」は、西光万吉の中にある<complex>の表出を含んでいるのではないかと思われます。

誤解を避けるために申し添えますが、<complex>は、「劣等感」の意味で使用しているのではありません。『広辞苑』の説明の①の意味で使用しています。

コンプレックス【complex】【心】①心の中のしこり。「感情をになった表象の複合」と定義されているが、一般には、抑圧されて無意識のうちにあるものをいい、病的行動の原因となることおがある。精神分析の用語。②特に、インフェリオリティ・コンプレックス。

西光万吉の研究は、まだまだ、西光万吉の精神的葛藤や思想的葛藤を明らかにできないでいるのでしょう・・・。

朝治武氏は、このようにも綴っています。

「人間としての平等を希求する思いが人間主義という普遍性を呼び起こさせ」た・・・。

朝治武氏の言葉をかりれば、西光万吉の「思想的核心」である「人間主義」の背景には、『広辞苑』に収録されている<平等主義>が存在しているように思われます。

【平等主義】一般に差別を認めない立場。

朝治武氏が、西光万吉の「思想的核心」として、<平等主義>を退け、「人間主義」を標榜する理由は何なのでしょうか・・・?

朝治武氏の言及は、「全国水平社宣言」・「水平運動」<神話化>だけでなく、その「思想的核心」の創始者であった「西光万吉」<神話化>にまで及びます。

「全国水平社創立宣言の人間主義と、唯一の執筆者とされた西光万吉の高潔ともいえる精神主義的な人格が結びつけられ、また部落解放運動の対立と分裂が激しくなるにつれて継承すべき部落解放運動の原点が全国水平社創立宣言に求められ、それらが相俟って今日にいたる重要な歴史的記憶となっている・・・」。

朝治武氏は、西光万吉を<神話化>し、部落解放運動という<宗教><教祖>にまつりあげようとしているかのようです。

朝治武氏がいう、「差別されるがゆえの部落民から誇りをも感じる肯定的存在としての部落民へという価値観の転換を意味する」「水平運動」は、そのような<神格化>の中で、本当の部落差別完全解消に繋がる道程を築いていくことができるのでしょうか・・・。「全国水平社宣言」・「水平運動」・「西光万吉」<神話化>は、今日の部落解放運動が直面している現実の厳しさを直視することからそらせ、全国の津々浦々に、今なお差別と闘いながら生きている被差別部落民・被差別大衆をして、あらぬ方向へ導くことにはならないのでしょうか・・・?

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2007.12.03

水平社運動史の批判的研究法(その1)

《読書案内》《総合目次》

【第5章】水平社宣言批判
【第2節】「水平社宣言」の背景
【第2項】水平社運動史の批判的研究法(その1)

無学歴・無資格、しかも、これまでの部落解放運動において「差別者」という烙印を捺されてきた一般民衆のひとりでしかない筆者にとっては、<水平社運動史の批判的研究法>という、このような主題で論ずることは至難の業に入ります。

自己の無力さを感じつつ、それでも言及しなければならないのは、『部落学序説』の筆者に見えている目的地にたどりつくためには、「前人」が残してくれた道(あるひとは、それをけもの道といいます・・・)をてがかりに、此岸から彼岸へたどりつく以外に方法はないからです。

『部落学序説』の著者として筆者が、<水平社運動史の批判的研究法>の「前人」として、私的に師として仰いでいる学者・研究者・教育者は、富山国際大学教授の藤野豊氏です。

といっても、筆者は、藤野豊氏の論文・研究書を全部読破している・・・、というわけではありません。むしろ、その論文・研究書を殆ど読んでいない・・・、といった方が正確です。

ただ、1986年に出版された部落解放研究所編『水平社運動史論』に収録されていた、藤野豊著《全国水平社の創立とその思想》に目を通したときから、いつか、藤野豊氏の論文・研究書を全部読んでみたいと思い続けてきました。

この論文次の構成から成り立っています。