2006.04.14

田所蛙治に関する一考察(2の1)

田所蛙治に関する一考察(2の1)


以前、田所蛙治氏からいただいたメールに、「想いを同じくする」という言葉がありました。長年に渡って、兵庫県神戸市で部落解放運動に従事してこられた田所氏と、部落解放運動の門外漢である筆者と、どこで、どのように、「想いを同じくする」ところがあるのか、少しく検証してみることにしました。

武部良明著『漢字の用法』には、「おもう」という和語に、「惟・憶・懐・思・想・念」という6つの漢語が割り振られています。「思」という漢語は、「頭の中で感じること。そのように考えること」という意味です。一方、「想」という漢語には、「全体の形や状態を頭の中に浮かべること」という説明がほどこされています。田所氏が、『漢字の用法』の線にそって、ただしく「想う」という言葉の意味を選択・使用しておられると仮定しますと、田所氏は、筆者の『部落学序説』の全体の目的、構想、論理の展開の仕方・・・、という概観的な側面において、「おもいを同じくする」と感じられているということになります。つもり、筆者の『部落学序説』は、長年に渡って、兵庫県神戸市で部落解放運動に携わってこられた運動家・田所蛙治氏によって、「総論」的に容認されていると判断されます。

しかし、田所氏の「想いを同じくする」という表現の背後には、言葉として表現されていませんが、「各論」的には、必ずしも、すべてが容認できるものではなく、「各論」的に問題となる箇所を明らかにして、『部落学序説』の本質を明らかする・・・、という、田所氏の「批判」が留保されているように想われます。

その後、田所氏は、そのブログ『蛙独言』で、筆者の『部落学序説』をこのように評されました。

「吉田さんの「問題意識」についておおよそ「了解」ということになりますが、また「大きな違和感」もあります」。

筆者は、「総論」的には「了解」であるが、「各論」的には「了解」できない部分があると指摘されたのだとうと推測します。しかも、その「各論」的に了解できない部分、「大きな違和感」を感じる部分というのは、それほど多くはなさそうです。なぜなら、「何回かに分けて、整理」できる範囲にとどまるからです。田所氏は今回、まず、次のような点を問題として指摘されます。

「まず第1に、吉田さんにはそんな想いはないようですが、その「意図」に反して表現から受ける印象として「同和行政は全くの無駄だった」と受けとめざるを得ないような話になっている」。

田所氏がいわれるように、「そんな想いはない」という言葉の通り、筆者は、「同和行政は全くの無駄だった」というような論説は一度も展開していません。日本基督教団の牧師の中には、体制批判・社会批判に長けた人が少なくありませんが、筆者は、彼らと列座することはほとんどありません。よく、「おまえの発想は、右か左かわからい」といわれ、右からも左からも疎外・排除されるのが常でしたから・・・。

筆者は、田所氏が、「同和対策事業」という表現を避けて、「同和行政」という表現を採用されることにすこしく懸念します。同和対策「事業」と同和「行政」とは、どこにたって何をみているかによって、いずれを選択するかが異なってきます。同和対策審議会答申のもとづく同和対策事業は、日本国憲法下の市民的権利の当然の要求にもとづくもので、筆者も「批難」の対象にすることはありません。しかし、その「同和対策事業」が、各「行政」によって、どのように実施されてきたかは、当然、一市民としても批判検証の対象になります。すべての同和対策事業が終了を宣言され、数年が経過したいま、同和「行政」の内容についてなんらかの総括がなされなければならないと思います。

田所氏は、筆者が、直接、同和「行政」について批判していないことを認めつつ、「その「意図」に反して表現から受ける印象として「同和行政は全くの無駄だった」と受けとめざるを得ないような話になっている。」と主張されます。田所氏に、そのような「印象」を与えたことについては、『部落学序説』を読む側の視点・視角・視座が反映するので、筆者としてはなにともいえないのですが、筆者が、『部落学序説』でくりかえし指摘しているのは、「33年間15兆円という膨大な歳月と費用を注ぎ込みながら、なぜ、部落差別を解決することができなかったのか」という問題提起です。「同和対策事業終了間際になって、あらてめて、「部落とは何か」、「部落民とは誰か」、同和対策事業の根底をひっくり返すような議論をなぜするのか・・・」という問題提起です。

筆者は、日本基督教団が部落解放同盟から糾弾を受けた際に、全国の教区に設置された部落差別問題特別委員会の委員として、具体的取り組み(被差別部落・運動団体との接触・交流)をもとめられました。それから四半世紀という長い間、「国民的課題」の名目のもとに、部落差別問題に関与させられてきました。筆者の人生の何分の1かは、部落差別問題の解決のために費やしてきたのです。時間と経費だけでなく、多くの人材を湯水のように投入させてきたわけですから、「行政」も「運動団体」も、それまでの「同和対策事業」・「同和行政」につい、自己検証と総括を実施し、それを公にする必要があると思うのです。それを踏まえて、部落差別は解消するのかしないのか、展望と、今後の課題を明確にすべきであるという趣旨で、『部落学序説』の中で論述を展開してきたのです。

2番目、3番目の、田所氏の「各論」的批判については、まだアップロードされていないので、なにとも申し上げようがありませんが、インターネット上で公表されている田所氏のさまざまな文章を拾い集めて、整理し、批判検証作業をすすめた結果、田所氏の視点・視角・視座から見た、筆者の『部落学序説』の問題点は容易に推測が可能であることがわかりました。

田所蛙治氏は、筆者より、すこしく年配で、1945年生まれです。筆者は、1948年生まれ。田所氏には、すでにお孫さんがあって、お孫さんを授かったことを記念して神社に参拝されたという、ほのぼのとした報告がなされています。田所氏は、晩年は、「部落差別をなくすことはできるのか」、「自分に可能なことは何か」を追究されながら日を過ごされるということですが、筆者は、大いに賛同するところです。「部落差別をなくすことはできるのか」、「自分に可能なことは何か」ということを考えられるということは、田所蛙治氏が、部落解放運動家としての自分の取り組みとその生涯を、時代の流れの中に忘却に身をゆだねさせないで、「総括」し、記録にとどめ、おこさんやお孫さんに伝えていくということですから・・・。

問題を抱えて、ただひたすら前に向かって進んでいるときには、なかなか、ちいさなことまで配慮することは、現実問題として、できません。しかし、晩年になって、時間が与えられて、自分の歩んできた道を振り返り、総括できる精神的ゆとりを持つことができるようになりますと、それまで、こころならずも忘れてきた課題・問題を再度とりあげ、その核心に触れる機会にめぐまれます。

日本基督教団の部落解放センターのトップは、東岡山治牧師ですが、彼に、『部落学序説』で彼をとりあげる・・・、と宣言したところ、彼は、「ぼくも長く部落差別問題と取り組みすぎた。批判されるのも止むを得ない。すきなだけ批判したらいい・・・」と言っておられました。そのとき、筆者は、「さすが、部落差別の完全解消を願って心血を注いできたひとは違う。」と感動しました。

『部落学序説』は、部落差別完全解消のための、あらたな提言です。しかも、「常民・非常民論」、「気枯れ・穢れ」論という、誰でも一度はその脳裏をかすめたことがある、しかし、それをとらえることができず見逃してしまった、極めて常識的な理論を携えての、学際的・体系的は論述です。『部落学序説』は、「差別・被差別」の関係を社会システムの中で先鋭化して明らかにします。そして、そうすることによって逆説的に、「差別・被差別」の関係を無化し、差別なき社会の構築の可能性を提言します。筆者は、筆者に対する批判は、これらのことについての直接的批判でなければ批判足りえないと思っています。

田所蛙治氏は、筆者の『部落学序説』について、「これでは反発を喰らうのは当然でしょう。」といいますが、筆者は、だれによって、どのような「反発を食らう」ことになっているのでしょうか。部落解放同盟山口県連新南陽支部の福岡秀章からの筆者に対する批判は、『部落学序説』の地名・人名が「相対座標」で実名が付されることへの批判です。『部落学序説』の基本理念からすると、地名・人名を実名記載して後続の研究者の便宜をはかるべきであるというのが彼の筆者に対する批判です。「反発」ではなく「過剰な後押し」なのです。

それ以外、『部落学序説』に対して批判らしき批判はありません。2チャンネルでの批判は、「一言居士」的な批判が多く、批判の名に値しません。ただ、田所蛙治氏からメールをいただいたときから、筆者は、田所氏の「批判精神」をおもしろいと感じていました。(続く)

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2006.04.15

田所蛙治に関する一考察(2の2)

田所蛙治に関する一考察(2の2)

田所蛙治氏は、神戸市で、長年に渡って部落解放運動に従事してこられました。彼は、研究者ではなく、運動家であったといいます。

筆者は、田所蛙治氏に一度もお会いしたことはありませんが、彼がインターネット上で公開している文章を読んで想像する人物像にこころあたりがない訳ではありません。田所蛙治氏に類似した人に、部落解放同盟山口県連新南陽支部の福岡秀章氏がいます。

彼も、自らを研究者ではなく運動家であるといいますが、その言葉と違って、彼の書斎には、部落解放運動に関する貴重な資料が多数並べられています。時々、貴重な蔵書をお借りして読ませていただいたことがありますが、研究者ではなく運動家に過ぎないという言葉と違って、その研ぎ澄まされた感性は、部落史研究者のとうてい及ぶところではないと思っています。ただ、彼を評価する人が、解放同盟の中には少なかったようで、随分誤解されているようです。

たとえば、「血統的にはサラブレッドのような「賤民の後裔」」と自称する、被差別部落の「おぼっちlゃま」である灘本昌久氏は、彼をこのように批判します。

「侮辱する意志の有無」を問わずに、特定の言葉を差別語として指摘しだすと、差別であるかないかの基準が、「被差別者に痛みを与えるか与ええないか」というところに安易に置かれがちとなり。その結果、最近では、水平社時代であれば絶対に糾弾されなかったことまで問題視されるようになってきた。例えば、山口県新南陽市では、同和対策事業の執行に必要なため、従来の市営住宅に関する条例を改正し、入居資格に、従来「寡婦、引揚者、炭鉱離職者」という制限があったところへ、「その他の社会的に特殊な条件下にある者」という条項を付け加えた。これが、部落民を特殊なものと差別しているということになり、市当局者は「結果的に同和地区の人々にとって痛みを感じるような表現になったのは遺憾」として陳謝し、条例を改正したという。「特殊」という言葉に、これほどこだわるとは驚くほかはない。「特殊」の代わりに「特別」とでも書いておけばよかったのだろうか。これを差別事件として麗々しく取り上げた『解放新聞』の記事は、運動史上の汚点のひとつである。

灘本昌久氏によって、部落解放「運動史の汚点のひとつ」であると断定され、ありもしない濡れ衣をきせられた部落解放同盟山口県連新南陽支部の運動の担い手こと、山口県における数少ない筆者の友人である福岡秀章氏です。

筆者は、灘本昌久氏の論文《「差別語」といかに向きあうか》(『部落の過去・現在・そして・・・』)を読んで、はじめて、同じ、部落解放運動に携わっている人々の意識の多様さと水準のばらつきに気付かされたのです。大阪・豊中の高級住宅街に身を置く灘本昌久氏は、山口の地方の小さな被差別部落に身を置き運動を展開している、ひとりの運動家の置かれた状況と闘いの課題をつゆも理解していないと思わされたのです。灘本昌久氏の文章に目を通したときの筆者の、素朴な感想は、「なんだ、部落のおぼっちゃまのたわごとか・・・」というものでした。失望感に満ちたため息でした。

日頃、解放同盟に批判的な新南陽市の共産党議員でさえ、市議会で、市の住宅条例の文言は差別的であると指摘していたのですから・・・。部落解放運動の中央から地方を見るとき、何ら、部落解放同盟新南陽支部の運動の姿勢と内容を検証することなく、いとも簡単に、「運動史上の汚点のひとつ」と言ってのける灘本昌久氏の浅はかさにはあいた口が塞がりませんでした。

田所蛙治氏は、筆者の『部落学序説』に対する評として、「一つひとつの問題点は、具体的に取り上げられるべきであり、さすれば、その解答も具体的に浮かび上がってくるはずであり、「同和利権の真相」のようなペテンで全体を全否定するようなことにはならないはずなのです。」といいますが、地方にあって、真摯に部落解放運動に従事している運動家の「一つひとつの問題点は、具体的に取り上げられるべき」ところを、いとも簡単に「運動史上の汚点のひとつ」と切って捨てられる感性こそ問題であると筆者は考えます。

『部落学序説』は、いかなるイデオロギーにも依拠せず、筆者が遭遇した史料・伝承を具体的に精査することで展開しています。『同和利権の真相』でとりあげられているさまざまな事件に類したものは、この山口の地でも多々耳にしてきました。被差別部落を離れて久しい人が、同和対策事業の利権にあずかるために被差別部落に舞い戻り、同和事業に参入したという話や、同和対策事業の資格を得るために、離婚して、被差別部落出身の女性と再婚、部落解放運動に参画したという話を聞いたことがあります。筆者は、そういう、同和対策審議会答申の精神にそぐわない事業を容認したのは、田所蛙治氏が指摘する同和「行政」であると思っています。同和「行政」に対して批判してはならないのではなくて、同和「行政」は、批判されるまえに自らを総括しなければならない責務があると筆者は確信しています。ひとつひとつの具体的な同和対策「事業」を検証することで、同和「行政」の実績を総合的に批判・検証しなければならないのです。部落差別の解消は「国民の課題」として、国民を動員した同和「行政」の当然の責務です。

同和対策「事業」終了と共に、同和「行政」も、なにも問われることなく、闇から闇に葬り去られていくことは決して許されるものではありません。部落解放同盟新南陽支部は、紆余曲折を経て、部落解放同盟の中央の力によって、事実上、組織を解体されてしまったのです。部落解放同盟新南陽支部の福岡秀章氏をはじめとする被差別部落の人々は、それをあまんじて受け入れているようですが、門外漢の筆者は、組織の論理で支部を切るのも問題だが、切られるのも問題である、「切らない」・「切らせない」という姿勢が大切であると、彼らを説得してきましたが、結局は、彼らは、部落解放運動の前線から離れてしまいました。

筆者は、田所蛙治氏の文章を読みながら、田所蛙治氏ももしかしたら、新南陽支部の方々と同じ立場に置かれているのかもしれない・・・と、思われたのです。

筆者は、田所蛙治氏が、高校生のとき、芥川龍之介の小説『河童』を読んで、「蛙」といわれてショックを受けた「河童」の中に、自己の姿を見いだし、逆説的に居直って、自らを「蛙」(他称語)と自称していきはじめたくだりには深い感動を覚えました。ローマ帝国のキリスト教迫害に時代、キリスト教の信者は、ローマ帝国の一般の市民から「クリスティアノイ」(クリスチャン)として揶揄され、中傷されて生きてきました。そして、「他称語」としての「クリスチャン」という言葉を「自称語」として採用し、その言葉を、「差別語」ではない別な意味内容に転換させて行きました。田所蛙治氏が、自分を「蛙」(他称語)と自己表現したことは、筆者には、ローマ帝国のキリスト教迫害時代のクリスチャンと同等の精神的高揚を見いだしたのです。「蛙」と間違えられるのが嫌で、この世から姿を隠してしまう「河童」と違って、「河童」のまま、「そうだ、おれが、あんたのいう蛙だ」と居直って生きることができた田所蛙治氏に拍手喝采したい気持ちになりました。かって、新南陽支部に人々に抱いてのと同じ気持ちです。

筆者の『部落学序説』は、そのような田所蛙治氏にとって、適当に茶を濁して、通り過ぎることのできない問題提起を含んでいると考えられます。田所蛙治氏が、これまで、避けて通ってきた問題、「部落」・「部落民」の定義、近世史と近現代史の連結方法、穢れと宗教、明治維新と「解放令」のとらえ直し、部落史の限界と克服・・・(田所蛙治氏の文章を解析した結果)等について、部落解放運動の門外漢が、無学歴・無資格を省みず、識者に笑われるのを覚悟して、学際的研究の成果を詳述していることについて、素通りすることはできないはずだと筆者は考えています。

筆者と違って、田所蛙治氏は、「江戸期の藩の治安部隊として位置づけられていたと思われる」「穢多村」の末裔なのですから、自分のルーツを徹底的にたどることで、『部落学序説』の「常民・非常民」論、「気枯れ・穢れ」論を超える理論を展開できる可能性を秘めておられます。20年といわず、30年40年生き抜いて、部落差別完全解消のための提言をしていただきたいと思います。『部落学序説』の筆者にとっては、部落差別問題は、所詮他人事でしかありませんから・・・。田所蛙治氏が、『部落学序説』の論理を包み込んで、田所蛙治氏独自の解放理論を構築してくださるよう願ってやみません。そのためにも、『部落学序説』は徹底的に批判していただければと思います。筆者も真剣勝負でこの『部落学序説』を執筆していますから(年輩の方に対する失礼の数々お許しください)。

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