2006.03.01

市民的権利について

【市民的権利について】

山口の地にきて20数年が経過しますが、数日前、自治会の関係者から「自治会から出ていってもらう」と宣告を受けました。

筆者の方から自治会を離脱することはつゆも考えていませんでしたが、自治会の方から出ていけというなら何の問題もないので、自治会を離脱することにしました。隣には、ひとのいい、おじさんとおばさんが住んでいますが、なんでも50年も前に自治会から離脱しているそうです。ときどき、その経緯を聞かされていましたが、今度は、筆者もねらいうちにされたようです。

筆者のところに自治会の決定を伝えにやってきたのは、町内のひとびとが「部落出身」とうわさするおばさんでした。

筆者は、『部落学序説』の執筆を続けていますが、その目的は、日本の社会の中に存在する部落差別の完全解消にあることは繰り返しのべてきたところですが、筆者の身近に存在するであろう「被差別部落」のひとびとに対して、特別なイメージを持っているわけではありません。

「部落出身」のおばさんから、自治会の意志決定の代弁者として、「自治会から出ていってもらう」といわれた上は、無視することもできず、そのおばさんの顔を立てて、自治会から離脱することにしました。

そのおばさんは、「自治会から出た以上は、自治会のごみ捨て場を使わせない」というのです。自治会を出ていくのは何の問題もありませんが、ごみを捨てさせないというのは、まったく別の問題で、「主権者住民がもつ生活上の諸権利」の著し侵害になります。

目下、市役所の環境衛生課に、自治会離脱を前提に、ごみの処分方法について検討してもらっている最中ですが、市役所の環境衛生課の担当者の話では、最近、自治会を離れていくひとが多いようです。

20数年前、山口の地に赴任してきたとき、前任者が、「信教の自由」と「神社」の問題をめぐって、自治会といろいろトラブルがあったとかで、筆者には、自治会にかかわらないようにという信者の希望が強く、また、自治会の方もそのことを配慮してか、筆者に特別関与をもとめてくることはありませんでした。

日曜日は、礼拝がありますので、自治会の行事(草刈り作業)等には参加することはできません。その際、前の日に草刈り機で近隣の草をかったりしていたのですが、「部落出身」のおばさんは、「あんたとこは、こども会にも入らなかった・・・」といきまくのですが、筆者の娘は、幼稚園の時から小学校6年生のときまでこども会に参加していました。今は、大学で勉強していますので、地元にはいませんが、「いいや、入っていなかった」と強弁します。

20数年前、赴任してきたときは、「町内の店では、あの家には売らない」といわれ、ほとんど、町内の店でしなものを買うことはありませんでした。たばこ屋・酒屋・文房具店の3店以外は、出入りすることはありませんでした。文房具店のおばあさんは、「余所者はいつまでたっても余所者です。4代・5代に渡って町内に住んでいても、それより古くからいるひとから余所者扱いされます」。柳井市から引っ越してきたひとも、「私の先祖はずっと山口なのよ。でも、柳井から離れて下松にくると余所者扱いされるんですよ。」といいます。

今回の自治会の動きをみていると、「地元のひと(「一般民」+「被差別部落民」)」対「余所者(「一般民」+「被差別部落民」)」の関係が成立するのです。「自治会から出ていってもらう」という言葉は、「地元のひと(「被差別部落民」)」対「余所者(「一般民」)」の関係が背後にあって成立していると考えられます。

しかし、筆者は、「自治会から出ていってもらう」といってきた、町内の方が、「部落のひと」と噂するおばさんは、ほんとうに「部落のひと」なのかどうか、疑わしくなります。「部落のひと」なら、33年間15兆円を費やして実施された同和対策事業が何なのか、その本質を十分把握しているはずである・・・、と筆者は考えるのです。

筆者は、同和対策事業の事業内容の大半は、「主権者住民がもつ生活上の諸権利」に基づくもので、一般市民が当然のごとく享受してきたものであると考えます。

普通、市民は、「主権者住民がもつ生活上の諸権利」をどれだけ数えあげることができるか・・・、というと、すべての権利を網羅することができるひとはほとんどいないのではないでしょうか。

筆者が知っている「主権者住民がもつ生活上の諸権利」を列挙しますと、以下のようなものがあげられます。

水道の水をいつでも出させる権利(水道法15)
道路を公費でよい状態に保たせる権利(道路法42)
下水道を整備してもらう権利(下水道整備緊急措置法1)
公営住宅をつくってもらう権利(公営住宅法1)
汚物などをしまつしてもらう権利(廃棄物の処理及び清掃に関する法律3)
消防(消防施設法6)
公害に対する有効な対策(公害対策基本法1)
社会教育に関する国と自治体の任務・干渉の排除・民間社会教育活動の自由(教育基本法7・社会教育法3)
児童は心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成される権利をもつ(児童福祉法1・母子保健法1)
弱い立場の人たちのもつ権利(生活保護法2・母子福祉法・老人福祉法・身体障害者福祉法11の2・精神薄弱者福祉法・精神衛生法29)
固定資産税のための評価には所有者の承認がいる(地方税法415・432)
割当寄附や違法な分担金は拒否できる(地方財政法4の5・地方自治法224)

これらの権利を現実化するために活用できる法律として・・・(約20の条文)(以上は浪江虔著「主権者住民がもつ生活上の諸権利」)

同和対策事業の内容は、一般施策の遅れていた地域に対する集中的改善策であったと筆者は認識していますが、上記の中に、「汚物などをしまつしてもらう権利(廃棄物の処理及び清掃に関する法律3)」が含まれています。被差別部落に人々にとっても、この権利の保護は重要な課題のひとつであったはず。それなのに、「部落出身」の自治会のおばさんが、筆者に対して、「自治会から出た以上は、自治会のごみ捨て場を使わせない」と強弁するのは、はなはだしい勘違いとしてしかいいようがありません。

自治会の方からの、「自治会から出ていってもらう」という要請を受けて、筆者は、自治会(町内会)から出て行くことにしましたが、考えてみると、この20数年、自治会(町内会)からの、「排除」や「嫌がらせ」を多々経験しました。若い夫婦が引っ越してきても、近所の「排除」や「嫌がらせ」にあって、再び引っ越しをしていく姿を何度もみました。急激に高齢化が進むなか、自治会(町内会)の運営も活力がなくなってきています。

若い人が集まらなくて、夏祭が取りやめになる場合もあります。

20数年前、下松の地に引っ越してきた当時、筆者に「売らない」と言っていた町内会も店は、ほとんど閉店を余儀なくされてしまいました。高度経済成長のどまんなか、破産した下松市が再建のためにとった「西友」誘致策が功を奏して、筆者が住む地域の都市化が進行、新鮮で安価で豊富な品物をそろえた大型量販店が相次いで進出してきたため、ほとんどの生活物資は、自治会(町内会)の店で購入しなくても生活に支障をきたすことはなくなりました。「余所者には売らない・・・」と殿様商売をしている間に、どんどん客離れが進行していったようです。

余所者が市内にあふれるようになると、自治会(町内会)も高齢化と共に、不要の長物になってしまいます。

自治会(町内会)に適当に利用されていると思われる「部落出身」のおばさんがなにとなく気の毒です。今回は、筆者を追い出したということで、自治会(町内会)にその存在価値をアピールすることができるかもしれませんが、下松市には、旧部落名の記載された「世帯主名簿」が暗黙裡に流布しているといわれます。

筆者が、下松市の現職の職員(既に定年退職)からもらった「世帯主名簿」もそのひとつかもしれません。被差別部落を離れて、一般の地区に移りすんでも、その移動は、ひそかに追跡されていると考えると、部落差別の深刻さを考えさせられます。

自治会(町内会)を離脱すると、部落問題との接点もなくなります。 


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※あるとき下松駅から自宅までタクシーにのりました。運転手さん曰く、「お宅、下松の人?」 「いいえ、生まれは倉敷です。」「運転手さんは?」「ぼくは島根県。」「下松市は住みよいですか」。「とても住みよいです。島根県の県民性似ていますから」。「どういうことです」。「本音と建前を使い分けても通る世界ですから」。「どういうことなんです?」 「ある人に、本人を目の前にしては建前を話します。でも、本人のいないところでは本音を話します。それが一般的に通るんです。だから、ぼくは欲求不満がたまることはないです。本人のいないところでは、そのひとの悪口をしこたまいうことができますから」。「島根県もそうなのですか」。「島根県と下松市の住民は似ていますね・・・」。

※娘が小学校にあがるとき、町内会の商店の人が制服を買ってくれといいます。日頃、「余所者には売らない」と言っているのに、変だなと思ったのですが、そこで購入することにしました。入学式の日、妻が帰ってきて、「町内の店、ひどいのよ。娘が着ていった制服、去年のモデルよ。今年は、モデルもリボンの色も違うの」。町内の商店の人に抗議したら、「うちは、制服を買ってくれといっただけ。お宅は、新しい制服がいいと注文しなかったから、古い制服でもいいのだろうと思って・・・」と弁解したそうですが、「そでを一回でも通すと返品・交換はできない」といわれたとかで、二度とその店で制服を調達することはありませんでした。他の店では、そういうトラブルはありませんでした。

※近所のおばさんが、お歳暮の商品を買ってくれといいます。山口県産の無農薬のみかん。「高級品です」ということばにつられて、少し高めであると思いましたが、お世話になった東京の人々にみかんを3箱送りました。しばらくして、3軒から、電話がかかってきました。「せっかく、送っていただいたけれど、箱をあけたら全部腐っていました」。そのおばさんに、どういうことか尋ねたら、「わたしは、高級品といっただけですよ。新鮮なものを送れと注文を付けられなかったから、古いのでもいいのだろうと送っただけです。一度箱をあけたものは、返品・交換はできません」。

※あるとき、妻にいわれて、町内の店に、カレールーを買いに行きました。「売らない」といわれても、向こうは商売だから売らないはずはない、と思ったのがあまかった・・・。妻曰く、この「カレールー、いくら? ええ、定価より20パーセント高いじゃない!」 余所者には、定価の10~20パーセント、合計額に上乗せしていることがわかったので、隣の町内の店で買うことにしました。いついっても、定価より10パーセント引きでした。

※教会の建物を防水塗装をしたことがあります。工事費は120万円。施工業者を決める段階で、町内会とトラブルが発生。役員会が決定した業者は、「部落の業者」であるといいます。「どうして、部落の業者にさして、町内の業者にさせないのか」とどなりこんできたひともいます。見積書を見て、「あんたはぼられてる。この程度の仕事、おれなら30万で引き受けてやる。」と息巻きます。「部落の業者」(本当に部落のひと)は、あるとき、筆者に、「これを納めてください」といって封筒を差し出しました。「工事予定金額の5パーセントを仲介料としてお渡しします。」といいます。「部落の業者」の話では、この町内(下松全体が同じ)では、こういうことをしないと工事させてもらえないといいます。筆者は、当然、その封筒を突き返しました。それから、役員会で、塗装に使う塗料の種類・質、工法を検討した結果、「部落の業者」にまかせることにして電話しました。すると、の業者、「もう仕事はもらえないと思っていました」。そして、また封筒を出して、「これどうしましょう。」といいます。「その分、工事代金を安くしてください。塗装材料と、職人さんの工賃を値切るわけにはいきませんから」とお断りしました。「ありがとうございます。仕事は、誠意をもって、親方でさせていただきます。」といって帰っていかれました。工事は、約束通り、塗装の「親方」が5人かかりでしてくれました。外装は、防水塗装。内装は、オイルステインで家具調に染めてもらいました。材料は、すべてドイツ製で、筆者と役員の前で缶をあけて作業をしてくれました。「10年もてばいい・・・」という条件でしたが、15、6年経過したいまも、防水塗装はきれいな状態です。芸予地震で被害を受けた際にも、防水塗装には影響はでませんでした。相次ぐ台風にも耐えています。町内の業者に頼むと、塗料の材質からして3年ともたなかったでしょう。

※教会員の会社の倒産・・・。教会をあげて大もめしました。「信者が困っているのに、役員会は何もしない」という批判が多く、筆者は、教会の役員を連帯保証人にしてそのひとに教会のお金を貸しました。そのひとは、さらに「信者を信じているなら、この書類にはんこだけを押してください」と言ってきました。額面の入っていない、金融業者への借用書です。しかし、まもなく、その倒産は「計画倒産」で、そのひとはあらたな事業に着手していました。いわゆる、「同和対策事業」(似非同和行為に近い事業)です。そのひとの親類が、山口県部落解放同盟の某支部の関係者であることが、他の、部落解放同盟の某支部の方からの情報で知り、教会は大事にいたらないですみました。その人と金融業者は同じグループに属していることもわかりました。そのひと曰く、「牧師が部落解放運動に深入りをはじめたので、痛い目にあわせてやろと思って・・・」と言っていました。

娘が幼稚園にあがるとき、町内の幼稚園の園長いわく、「おたくの娘さんは、自閉児のようですが、うちの園は、自閉児も大切にするんです。なにしろ、普通の子と違って市から降りる措置費が高いですからね・・・」。筆者は、その幼稚園に娘をやることをやめ、隣の町内の幼稚園に通わせました。「私の娘は、自閉児ではない」と抗議すると、「長年の幼児教育の経験から判断して間違いない」といいます。あるとき、町内の子供達がこのように言ってました。私の娘と遊ぶと、「自閉児がうつるからダメ」、「バカがうつるからダメ」と母親にいわれたとか・・・。そのおかあさん、私の娘が大学に合格したとき、電話をかけてきました。「どうやって、自閉児を国立大学に合格させることができたのですか」。「うちの娘は自閉児ではありません」。妻は、「どうしても自閉児と思いたいんだから思わせておけばいいじゃない。」と言っていましたが、町内・自治会・・・、筆者には、縁のない存在です。

いつのまにか、町内(自治会)との交流はなく、生活上のやりとりは、すべて隣の町内ですませるようになりました。

2週間前、町内の魚屋さんがどなりこんできました。なんでも、店で魚を調理しているときに、筆者の家の猫が後ろから、魚屋のおっさんを襲撃して、背後から足にかみついてけがをさせたというのです。「どないしてくれるんだ」と、賠償を請求してくるのです。筆者は、すぐ、110番して、パトカーにきてもらいました。売れ残った魚を、筆者に売りつけるための狂言であったようです。パトカーのおまわりさんは、魚屋にお灸をすえて帰っていかれました。

下松市の方からはまだ連絡がありません。「部落」がからむと、途端に住民サービスが悪くなるのでしょうか・・・。


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【その後】

下松市の担当者からの連絡はありませんでした。

町内のごみ捨て場所は、下松市末武支所の敷地内です。筆者は、町内会費はすべておさめてきました。神社の祭りの費用だって、一度だって文句をいったことはありません。しかし、自治会は、教会の数メートル先にあったごみ捨て場のごみ箱設置にも費用を負担していないというのです。誰かが騙して、その費用を徴収したのではないか、たとえ、町内の誰かが騙して徴収したとしても町内会・自治会は一切関係がない・・・というのですが、そんな信義誠実の原則に反するような対応黙って容認できるわけはありません。町内会・自治会離脱はあっさり認められたようです。当然、今後、神社や祭りの費用等も分担することはありません。

「ごみ問題」は、従来捨てていたごみ箱の隣にわずかなスペースの「空き地」(花壇の一部)ができていたので、そこに捨てるようにしています。下松市の担当者のはからいか・・・と思うのですが、定かではありません。とりあえずは、生活に支障はありません。

「騒音おばさん」、1年の実刑判決が出たそうですが、筆者は、なにとなく気の毒な気がします。こういう問題は、被害者が加害者だったり、加害者が被害者だったり、両方が妙に入り組んでいたりするものです。

あのおばさん、「顔」と「ふるまい」で、かなり損をしていますね。目を見開いて、大きな口をあけて、怒鳴りまくり、ふとんをパタパタたたきつける様相は、日本全国に異様な印象を与えました。

しかし、筆者の数少ない近隣トラブルの経験からしても、ああいう行動をとるおばさんに、あんまり悪い人はいないと思うのですが・・・。ほんとうに悪いのは、トラブルメーカーです。自分でトラブルを起こさないで、他者を唆してトラブルを起こさせる人です。その人は、いつも「善人面」をして、自分を安全圏において行動をします。事件が表沙汰になると、「知らぬ存ぜぬ」を決め込んでしまいます。

一方的に、「騒音おばさん」を断罪した裁判所は、本当の意味で問題解決していないとおもいます。「被害者」の立場の夫婦は、3ヶ月後、「騒音おばさん」が服役を終えて出てきたときのことを想定して「恐怖」を覚えているわけでしょう。それ相応のこころあたりがあるからです。「騒音おばさん」が近隣トラブルの解決方法が下手で、「被害者のおばさん」が上手に立ち回った(法に訴えた)だけに過ぎないとも考えられます。

坊主憎けりゃ袈裟までにくい・・・というわけではないでしょうが、うちの猫は、何回となく、足や尻尾を切られたり、首をしめられたり、毒殺されたり、川に捨てられたり・・・、牧師憎けりゃ猫まで憎いという調子で、かいねこを殺されたことが度々あります。もちろん、警察には連絡しています。こういうのほっておくと、「事件」につながるというのが一般的な見識ですから・・・。

雨が降ったあと、草が一斉に伸びはじめました。教会をきれいに見せるたみには、隣近所の雑草を刈らなければならないときがあります。草刈機を使って、「住居不法侵入」して隣の駐車場の草を刈り取ることが年に5、6回あります。ついでに、公道の雑草も刈り取ります。近くを通る人は、「きれいになりますね」、「ごくろうさまですね」と挨拶して通られますが、「ほこりがたつ」だの「音がうるさい」だの、何につけても文句しかいわない隣人もいますよね。そのくせ、「同じ草をかるなら、自分の家のまわりだけでなく、内の家のまわりも草かってくれたらいいのに。根性わるいんだから・・・」といいますが、トラブルメーカーとは関係もちたくありません。どっちに転んでも、問題を起こして楽しんでいるだけですから・・・。

ふとんはたたいても、人をたたくことを知らない「騒音おばさん」の顔に一瞬よぎる「不安」な表情、・・・裁判官もきちんと受け止めないといけないと筆者は思います。せめて、喧嘩両成敗の配慮は必要です。

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2006.03.03

「庶民」と「部落民」

【市民的権利について】 「庶民」と「部落民」


インターネットを散策していて、「奈良県部落解放同盟支部連合会」「基本理念」に遭遇しました。副題は、「部落差別の軛から自らを解き放つための21世紀初頭の新しい運動の基調」。一読していて、この「基本理念」と、筆者の『部落学序説』の内容とがかなり酷似しているので、驚いてしまいます。

筆者は、どちらかいうと、アナログ世代の人間ですので、インターネットに興味を持ち出したのはつい最近のことです。そのインターネットから情報を収集しようとすることは、ほとんどなかったのですが、『部落学序説』をココログ上で書き下ろすようになったのがきっかけで、インターネットの情報を散策するようになりました。

「奈良県部落解放同盟支部連合会」「基本理念」も、筆者が、『部落学序説』の執筆をはじめる前に、すでに存在していたようですから、一読する価値がありそうです。

「基本理念」は3部構成です。

Ⅰいま、なぜ新しい運動路線なのか。
Ⅱこれまでのわれわれの運動のどこに問題があったのか その隘路を打開するための発想の転換のポイントは何か。
Ⅲ新たな発想で、「なにを」「どうする」のか。21世紀のわれらの運動の基本的理念と路線。

Ⅰいま、なぜ新しい運動路線なのか。

「生活水準における部落内学の較差はなくなった。しかし、部落差別は存続している。」という現状認識に立って、「人と人との新たな関係を再構築」することを目標に掲げて、従来の部落解放同盟の「運動路線」から「決別する」といいます。

「基本理念」は、「93年総務庁「同和地区実態把握等調査」の結果」から、「トリプルショック」を受けたといいます。
1.「部落民の被差別体験の多さ」(10年間の奈良県の差別事件5000件)
2.「部落民が差別に真正面から向き合えていないこと」(差別を受けても抗議しない人が100人中80人)
3.「運動団体が差別問題の解決をめぐって部落大衆から頼りにされていない」こと。運動団体に相談したのは、80人中2人のみ。
「基本理念」は、この「現実」「深刻」かつ「口惜しくもつらいこと」と受け止め、「自らの運動を根本から見直す道」を選択したといいます。

Ⅱこれまでのわれわれの運動のどこに問題があったのか その隘路を打開するための発想の転換のポイントは何か。

「基本理念」は、運動の見直しとして5項目を列挙します。
「部落とは何か」「部落民とは何か」「部落解放とは何か」「定義」すること。
「社会主義革命」などの「幻想」を捨てること。
③部落差別は、「社会的、経済的、文化的」較差の是正によっては実現できないこと。
④差別・被差別を問わず、「自他共々にその弱さを克服していく道を切り拓いていく」能力を与えられていることを確認すること。
⑤教育や啓発の場における「建前と本音の乖離」を退け、差別なき社会のために差別・被差別を超えて「具体的な営み」を展開すること。

Ⅲ新たな発想で、「なにを」「どうする」のか。21世紀のわれらの運動の基本的理念と路線。

(1)「部落とは何か」「部落民とは何か」「部落解放とは何か」について、「基本理念」は、「部落」「近世の時代に「カワタ」「エタ」と称された身分」の系譜を引く「集落」と位置づけ、「部落民」をその末裔と位置づけます。「部落解放運動」については、「賤視、忌避、排除等の形態で出現する部落差別を媒介として成り立つ人と人との関係及び共同体相互の関係を解体し、共生と連帯の関係として再構築しようとする営みである。」と定義します。
(2)「基本方針」は、差別社会の中にあって「あえて部落民であることをひきうけての個人的あるいは社会的な戦い」を続け、「部落民」として「自らの意識の中に背負い込んできたコンプレックス(劣等感)を払拭する」人間関係を新しくつくっていく。
(3)「部落問題を政治的課題としてではなく地域社会の課題として位置づける」。
(4)差別事象に対して「異議申し立て」をする。
(5)「私的な日常生活の場での差別的言動」に対して従来の「糾弾闘争」は組織しない。従来の「糾弾闘争」は、「公的な場での発言、法や規制、制度や措置」に限定する。「政治闘争」から「司法(裁判)闘争」に切り換える。
(6)部落固有の行政闘争を避け、「政治の仕組みに泣かされている庶民と・・・共同の闘い」をしていく。

筆者は、「奈良県部落解放同盟支部連合会」「基本理念」をそのように読むのですが、すべての文言が筆者の臓腑に落ちてくるわけではありません。

(1)「奈良県部落解放同盟支部連合会」が過去の「運動路線」から「決別」したい気持ちは分からないわけではありませんが、「決別」と同時に、過去の「運動路線」とその成果に対して徹底的な総括が必要です。「運動路線」から「決別」しても、運動の歴史と「決別」できるはずもありませんから・・・。
(2)「部落とは何か」「部落民とは何か」「部落解放とは何か」の定義に関して、「豊かな肉付けを期す」とありますが、現在まで、どのような「肉付け」がなされてきたのでしょうか。「部落概念」の拡大がなされる中での「部落概念」の縮小論に立つ「奈良県部落解放同盟支部連合会」の研究成果は、「基本理念」と同じく、挑戦的に公にされるべきではないでしょうか。
(3)差別・被差別を超えた、「庶民」との共同の闘いは、どのようにして可能なのでしょうか。その認識・理念はなになのでしょうか。

いくつか疑問点が浮上してきますが、「奈良県部落解放同盟支部連合会」「基本理念」を、「被差別」の側からのひとつの「問い」であるとしたら、筆者の『部落学序説』は、「差別」の側からのひとつの「答え」のような側面があるのではないでしょうか。「差別」の側からの、『部落学序説』の「部落とは何か」「部落民とは何か」という問いに対する「部落」「部落民」に対する定義に対して、「奈良県部落解放同盟支部連合会」の方々はどのように受け止められるのでしょうか。『部落学序説』を書き上げた時点で、「奈良県部落解放同盟支部連合会」の方からお話をうかがいたいと思っています。

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※「あえて部落民であることをひきうけての個人的あるいは社会的な戦い」
『部落学序説』の筆者の目からみると、「奈良県部落解放同盟支部連合会」の「基本理念」の1節は、『部落学序説』第5章水平社宣言批判の論述にとって、貴重な資料になります。水平社運動の時代、「自分達は穢多の末裔であるが、特殊部落民ではない。しかし、この時節、あえて特殊部落民であることを引き受けて・・・」運動に参加した少なからぬ人々が存在しています。『部落学序説』の筆者は、「あえて部落民であることをひきうける」ということばの中に、水平社宣言の秘めている、隠され、評価されていないプラスの部分があると思っています。日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」に帰依する学者・研究者・教育者・運動家は、このプラスの部分をこれまで切り捨てて省みませんでした。「あえて部落民であることをひきうける」ということばの中に、「庶民」と「部落民」の共存の道、部落差別完全解消への萌芽が宿っていると確信しています。このことばは、近世幕藩体制下の由緒正しき「百姓」の末裔である筆者からは決してでてくることのないことばです。近世幕藩体制下の「穢多」の末裔が語るとき、はじめて、歴史の真実の重みが付け加わります。『部落学序説』第5章水平社宣言批判は、「批判」であって「非難・中傷」ではありません。「部落学」としての学問的な批判に徹することで、マイナスの部分も明らかになる以上に、プラスの面をも描きだすことができます。

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