2005.12.29

水平定食

【水平定食】

かなり昔の話になりますが、1988年、今から17年前、山口県同和教育研究協議会主催の集会が開かれたときのことです。

そのときの講師は、当時の大阪市教育セミナー教育研究室・稲垣有一氏でした。講演の主題は、「部落問題学習をどうすすめていくか」。

その当時、右手首の変形性関節炎がこじれて手術を受けていた筆者は、鉛筆で文字を書き続けることができず、徳山市議会でワープロ速記を使って議事録を作成していた木村正幸さんの指導で、ワープロ速記の技法を伝授してもらっていました。いろいろな集会には、ワープロを持参して、直接講演の要旨をブラインドタッチでタイピングしていました。稲垣氏の講演要旨も、ワープロ速記で作成したのですが、何もしなければ記憶から消えていってしまう、講演や質疑応答を文書で残すことができたことは、『部落学序説』執筆のもうひとつの資料源となっています。

その頃、筆者は、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」を素朴に信じていたので、稲垣氏の、部落史の一般説・通説の見直しである、「部落民裏貼説」には、大きな衝撃を受けました。しかし、今考えると、稲垣氏の説は、「賤民史観」の枠組みからほとんど出ることのない、「賤民史観」の部分的修正でしかないのですが、その当時にあっては、稲垣氏の講演は筆者に大きな影響を与えました。

講演のあとの質疑応答のとき、山口県立文書館の研究員・北川健からの質問に、稲垣氏はこのように答えていました。「こどもたちに役立つ歴史であるかどうかが大切。支配の歴史を学んでも仕方がない。江戸時代の歴史を学ぶときに、支配者の歴史ではなく、農民にとって歴史はどうなのかを教えることで、今日の歴史につながるところがある」。

稲垣氏は、文部省の指導要領に出てくる「権力」から見た歴史ではなく、「権力」に支配されている「農民」の目から見た歴史の構築の必要性を説いていました。いわゆる「民衆史観」とか「民間学」の影響を受けた見方です。「民衆史観」や「民間学」に関心を持っていた筆者は、稲垣氏の言葉に大きくうなづいたわけです。

稲垣氏は、権力に支配された側から歴史を見る、見方の実例として、このような話をされました。

「歴史は単なる知識。・・・差別が厳しくて、それだけだとしたら、部落の人は生き延びてこれなかった。けれども、生きてきた。それは、差別をはねのけて生きてきたからである。それは、歴史に記され、書き残されることがらではない。しかし、生活の中で、差別をはねのけて生きてきた。こどもの親には、正面から差別と闘ったのではなくても、するりと生き抜いてきた歴史があると思う。個人の中にも、地域の中にも・・・。山口県の部落は少数点在の部落であると思うが、そこにはそういう闘いがあると思う。水平社の頃の人が生きているかも知れない。戦後も解放の闘いをしてきた人がいるかもしれない。旗を振って、先頭に立って行かなかったけれども、うしろについて行った人がいる。うしろからついて行った人にも、心の葛藤があった。他者(ひと)に部落であることをさらすことはとてもつらいこと。その人の心の中に葛藤があったと思う。・・・そういう人々の生き方の掘り起こし・・・それが、地域の歴史の見直しと言われていることである。おとうさんやおかあさんの歴史と関連してとりあげれば、いろいろな反応がでてくる」。

稲垣氏の言葉が、文部省の指導要領の枠組みの中で、山口県同和教育研究協議会(山口県同教)に参加した学校教師にどれだけの影響を与え、同和教育の実践の現場に感化をもたらしたかは、筆者は、ほとんど知りません。筆者は、稲垣氏の提案は、教育者としての実践の下積みの中から作り上げられていった意味のある教説であると受け止めました。

稲垣氏の講演の余韻の続く中、筆者は、山口県同教の教師の方々と一緒に、集会が開催された地域の被差別部落を尋ねたのです。

尋ねた○○さんは、祖父の方が山口水平社創立とその後の運動に指導的役割を果たしたひとだそうで、○○さんと、その地区の人々は、私達を歓迎してくれました。そして、そのとき、夕食をご馳走になったのですが、そのとき、出されたのが、「水平定食」でした。

○○さんによると、山口水平社創立のときは、「部落」のひとだけでなく、「一般」のひとも参加したといいます。水平社の主旨に賛同した「一般」のひとが、「駆けつけてくれて、祝福してくれた」というのです。そのとき、同じ「部落」のひとを「同胞」とよび、「一般」のひとを「同志」と呼んだというのです。

水平社運動の時代、「同胞」・「同志」という表現がどこまで区別されていたかは分りませんが、「大日本同胞融和会」、 「関西同志懇談会」・・・という当時の運動団体の名称を見ても、「同胞」・「同志」はほとんど同義語として使用されているので、○○さんの「同胞」・「同志」についての見解は、山口県水平社に固有の表現かもしれません。

○○さんは、そのとき、被差別部落の女性たちは焚き出しをして、「同胞」・「同志」に、おにぎりと串カツを提供したというのです。「おにぎり」は、両手で力を込めて結びますので「団結」をあらわし、「串カツ」は、肉とネギという異質なものが1本の串に刺されているので「連帯」をあらわすというのです。○○さんは、この地区のひとが、水平社の時代に「同胞」・「同志」のために用意した食事を、みなさんのために用意した・・・、とあいさつされました。

おにぎりと串カツ・・・、それは、いろいろな意味が込められた、団結と連帯のしるし、「水平定食」であったのです。

おいしいおこめと、新鮮な肉とネギの味は、最高でした。「水平定食」をご馳走になってから、17年のときが経過してしまいました。「水平定食」は、あとにもさきにも、そのとき一回限りでしたが、いまでもそのときの味を思い出します。

ある被差別部落のひとは、「○○さんの話はまゆつばもの・・・」といいますが、○○さんの気持ちは、筆者にひしひしと伝わってきます。いつか、水平社運動に参加した人々のとった「食事」について調査したいと思っていますが、いまだにその時間をとれないでいます。その当時、「食事」を用意したのは女性であったと思われますから、いつか、被差別部落の女性によって、調査・解明されるのではないかと期待しています。

「権力」側(山口地方裁判所検事局)の見解は、○○さんのいう、「同胞」・「同志」の区分を否定し、水平社運動を、「不健全」なる「思想」にもとづく「軽佻詭激」・「不遜過激」と評し、「一般人の擯斥憎悪を買う」・「普通人との溝渠をして益々深からしむるの状態にある」と主張します。「権力」側は、「権力」と「被差別部落」とは、「忠君愛国」の観点から共通するところが多いとする一方、「一般」と「被差別部落」については、深刻な亀裂があると断定するのです。「権力」側の、絵に描いたような「分断統治」の主張です。

筆者は、この「水平定食」に関連して、被差別部落に伝わる伝承と、「権力」側が残した歴史資料の間隙を、いまだに、埋めるにいたっていない・・・。

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