2005.11.16

独学

【学問論】 1.独学

筆者が所属している宗教教団は、学歴・学閥の社会です。

人間の価値は、彼岸の世界では、万人みな「平等」・・・と言われますが、此岸の世界では、血筋・家柄、学歴・学閥による「差別」は当然とみなされます。

学歴のないものは、学歴ある者より一段下の存在とみなされます。公立高校出身より、私立大学出身者の方が学歴に相応して学力があると認定されます。北海道の旭川大学出身者は、山口県の東亜大学・徳山大学・萩国際大学出身者同様、どの高校卒業者よりも学力が上とみなされるのです。学力だけでなく、人間としての価値も学歴に比例するとみなされます。

『独学のすすめ』を書いた加藤秀俊は、日本の社会の現実をこのように語ります。「ごく一般的にいって、学問の業績というのは、学歴だの学位だのを背景にしている。いい大学で教育うけ、研究をつづけ、その結果として業績がある」。

『部落学序説』を執筆する筆者は、一切の学歴を持ち合わせていないので、「いい大学で教育うけ、研究をつづけ、その結果として」生じる「学問の業績」とは一切無縁であると思われます。

よく知人から、「あなたが書いている論文くらい、誰でも書ける。ただ、常識と著しく違う論文を書いて世の嘲笑のネタにされたくないから書かないだけだ・・・」と言われます。その言葉には、学歴あるものが学歴ないものの無学さを哀れむ淋しい響きが漂っています。

『独学のすすめ』の著者・加藤秀俊は、「学校に入らなければ学問はできない、などという思想は、ついこのあいだ出来たばかりの新興思想にすぎないのであって、人間の知識の歴史のうえでは、「独学」こそが唯一の学問の方法であった・・・。人間が、なにかを学ぼうとするとき、たよりになるのはじぶんじしん以外のなにもないのがふつうなので、「独学」以外に学問の正道はなかった。」といいます。

しかし、加藤は、さらに続けて、こういいます。「学校というものは、「独学」で勉強することのできない人たちを収容する場所なのだ、といえないこともあるまい。一般的には、学校に行けないから、やむをえず独学で勉強するのだ、というふうにかんがえられているが、わたしのみるところでは、話はしばしば逆なのである。すなわち、独学できっちりと学問できない人間が、やむをえず、学校に行って教育を受けているのだ。学校は、いわば脱落者救済施設のようなもので、独学で立ってゆけるだけのつよい精神をもっている人間は、ほんとうは学校に行かなくたって、ちゃんとやってゆけるものなのである」。

ここまで言い切られると筆者はついて行けなくなります。私の娘は、地方国立大学で4年間学んで、そのまま大学院に残っていますが、娘の書いた学士論文を読んでみて、「地方国立大学は、きちんと娘を指導してくれたのだ・・・」と、感謝の思いを持ちました。独学では、決して身に着けることができない、できたとしても、時間と費用と、言葉に表わせない試行錯誤の努力が必要なことを考えると、地方国立大学での4年間、あるいは6年間は、娘にとってはかけがえのない時間だったと思うのです。

無学歴よりも学歴があるほうがいいに決まっています。ただ、学歴があるかないかは、家庭環境や経済事情が反映しますので、学歴の有無で、人間の学力や価値まで判断されるようになることについては問題を感じます。しかし、筆者の所属する宗教教団の現実をみても、血筋・家柄、学歴・学閥による「差別」は、日本の社会の中に深く静かに蔓延しているように思われます。

無学歴を「部落差別」のしるしとして、学歴獲得闘争を展開していったのが、部落解放同盟でした。被差別部落出身のこどもに大学卒の資格を取得させるために、特別入学枠や特別奨学金の制度を作らせました。それを使って、学歴社会の中に、学歴をもって入って行った被差別部落出身者も多いのではないかと思います。

ときどき、筆者は考えるのですが、部落解放運動の成果として、大学進学率を向上させることによって、同じ被差別部落の住人の中に、学歴のある者と学歴のない者との間に「学歴差別」が発生することについては、彼らはどのように考えてきたのだろうか・・・、と。「部落差別こそ、日本社会の根源的な差別。学歴差別は問題ではない。」と、部落解放運動に従事している方々から聞きましたが、筆者にとっては、「差別の本質がなにかわかっていない人のたわごと・・・」としか受け取れませんでした。日本の近代・現代の全ての差別は、この学歴差別と密接な関係があるのです。

筆者が、部落解放運動の指導者であったと仮定したら、被差別部落のこどもたちを「学歴社会」へ送り出すのではなく、差別社会を根底から変えるために、「脱学歴社会」の構築を運動のテーゼにしたことでしょう。部落解放同盟は、部落差別だけでなく、人種差別・民族差別・性差別にまで視野を広げていますが、学歴差別そのものについてはほとんど関心をしめしていません。学歴差別の本質に迫らない部落解放運動というのは、筆者にとってはあまり魅力的ではありません。

『独学のすすめ』を書いた加藤秀俊は、学問・教育の目標は、「多面的な人間」をつくることにあるといいます。「切りわけられた羊カンだけにしか興味をもとことのない「専門バカ」をつくることは、教育の目標ではない。」といいます。

しかし、加藤は、日本の社会では、「多面的な人間」のような「タイプの人物は、めったに見あたらない」といいます。政治家は政治、実業家は商売、学者は学問、音楽家は音楽・・・、「みんなが整然と分業して黙々とはたらいている。」といいます。

23年前、山口県の小さな宗教施設に赴任してきたとき、前任者が宗教施設の運営をめぐる問題で自害したと言われていましたが、筆者の着任後も、宗教団体が抱える問題の見本市のようにいろいろな問題が多発しました。信者の夫婦が、自分の会社の倒産のあと、借金返済のため、似非同和行為とみなされる同和事業設立に関与しはじめたり、被差別部落出身の信者が一挙離脱したり、部落差別問題とめぐって、小さな宗教施設は激流にもてあそばれる木の葉のような存在になってしまいました。

筆者が、部落差別について、あからさまに言及する理由のひとつに、被差別部落の人々から受けた嫌がらせや中傷の経験の多寡があります。

ただ筆者は、どのような状況にあっても、冷静にそれを分析して、その背後にある原因を追究しようとする傾向があります。そんな性格が、置かれた状況に対して、いつも早急な反応をすることを控えさせるのです。

今は、当宗教施設を離脱して久しくなりますが、ある被差別部落出身は、他の信者によびかけて、筆者に無理難題をぶつけてきました。「本当に、部落差別がなくなればいいと思っているなら、その証拠をしめしてほしい。」というのです。そのひとのいう「証拠」というのは、筆者の、被差別部落出身でない「妻と子」を離縁して、彼らが指名する被差別部落の女性と再婚してほしいというのです。「教祖の教えに反する」とその人を退けると、彼らは、筆者を兵糧攻めにしました。それも効果ないとわかると、関係者連れ立って、小さな宗教施設を離脱して行きました。

あるとき、傷害事件で服役したことがあるという被差別部落の人がやってきて、「ぶち殺すぞ!」と脅迫されたことがあります。関係者に頼まれたのでしょう。「殺せるならころしてみろ!」と大喧嘩になったことがあります。しばらくして、その被差別部落の長老のかたから、「うちの部落からはお宅にお参りには行かないでしょう。みんな、あそこの坊さんは怖いと言ってます。」と聞かされたことがあります。

筆者が所属する教団の同和担当部門に、あれやこれやの問題を相談したとき、被差別部落出身で長年に渡って部落解放運動に関係してきたトップは、「それは、あなたが被差別部落の人々に信頼されていない証拠だ。」の一言で筆者の訴えを退けてしまいました。筆者は「そんなバカな・・・」と思いました。教団の同和担当部門がのりだしてきて、小さな宗教施設が直面している問題解決に「助力」してくることを期待していたのですが、その期待は見事裏切られてしまいました。

そんな中、筆者は、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老の聞き取り調査に立ち会ったのです。そして、筆者の中に広がりつつあった被差別部落に対する負のイメージとは異なる古老の証言に接したのです。「本願ぼこり」どころか、「部落ほこり」に陥っている被差別部落の人々は、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老の語る、彼ら自身の歴史を知らないのではないか・・・、と思わされたのです。山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老の語る話は、岩国の至るところで見られる、泥沼に咲く、美しい蓮の花のように思われたのです。筆者は、被差別部落に対する種々雑多な思いを捨てて、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老の語る話の解明に精神と努力を集中するようになりました。

話は、またまた脱線してしまいましたが、筆者と残された信者で、20数年、この小さな宗教施設を維持してきたのです。筆者は、当然、宗教家のほかに副業を持つことを余儀なくされました。そのとき、先輩教師は、「副業を持つことは、宗教教師を辞めたに等しい」と言って、筆者を露骨に排除しはじめました。副業というのは、情報処理関連の仕事(プログラミング)でした。彼は、「コンピュータは人間管理の道具、宗教者が携わる仕事ではない。」というのです。山口県の職業訓練校でパソコンの指導を請け負ったときも、幼児教育に携わる彼は、「幼児教育は、真っ白なこころに教祖の教えを刻み付けるので聖なる仕事といえるが、職業訓練校で、この世のけがれに染みた女性に教えるのは、宗教教師の仕事としては相応しくない。」と筆者を批判してきました。学歴を誇る彼は、無学歴の筆者にこのようにいいます。「学者でもないのに学者ぶった話をするな!」。

『独学のすすめ』の著者・加藤秀俊は、「日本は、ナワ張り根性の強い国であり、ひとは「専門」にとじこもることによってのみ安全保障にめぐまれる国なのである。多面的存在としての人間を、日本の文化は排除することが多いのだ。」といいます。筆者の経験では、「日本の文化」だけでなく、筆者の所属する宗教団体も絵に描いたように同じ体質を持っているのです。加藤は、「多面的人間」は、多少評価されて「器用貧乏」と受け止められるに過ぎないといいます。

筆者は、42歳の男の厄年に、データベースのシステムエンジニアの資格を取得、50歳のとき、「50の手習い」で、当時通産省の情報処理技術者試験(シスアド・第2種)に合格しました。副業のために受けたとった資格ですが、当然独学です。部落差別をめぐる複雑怪奇な「ことば」や「ふるまい」に対して精神的なダメージを受けていた筆者にとっては、プログラミングは、あいまいさのない、真と偽の単純で論理的な世界でした。宗教教団の先輩教師の批判・中傷に屈せず、情報処理技術を磨いたことは、結果的には正解でした。パソコンは、独学のための、極めて有意味な知的生産ツールと化したからです。梅棹忠夫の『知的生産の技術』を100%自分のものにすることができたからです。外国の文献を読むことも難しくなくなりました。OCRと翻訳「支援」システム(翻訳システムではありません)があれば、筆者の場合、日英・英日、日独・独日の双方向の翻訳が可能になりました。

山口県立徳山高校の教師に頼まれて、受け持ちの生徒の受験校決定の資料として、大学の学部・学科、担当教授の研究実績と研究テーマの情報収集をインターネットでしたことがありますが、情報処理技術を身につけているかどうかで、「独学」の質に大きな差ができることが分かりました。

もちろん、インターネットだけに情報源を限定すると、ろくな論文が書けません。理由は、『部落学序説』執筆に使用する、大半の資料は、インターネット上では収集することは出来ないからです。やはり、基本的な文献は、自分で購入して精読しなければなりません。伝統的な研究方法を実践した上で、インターネットの情報を補助的に使用するという方法が一番いいのではないかと思います。

今や、独学の最大の問題点は、研究方法や技術の取得ではなく、研究の主題を何にするかという一点に集約されることとなったのです。

研究テーマをどのように見出すか? 

『学者の値打ち』の著者・鷲田小彌太は、「最近流行で、評価の決まっていない「未解決問題」・・・私なら、こういう問題に直進することをおおいに勧めたい」といいます。

そして、「問題は、しかし、こういう最新の未解決問題を研究するのはいいが、問題の解決はおろか、研究する方法も見だせず、あっちをうろうろ、こっちをうろうろで、結局、さまざまな意見があります、ということに終わる」ことであるといいます。・・・それに、万が一どんなにすばらしい研究成果を出したとしても、それを評価してくれる専門家が指導者にいなければ、どうしようもない」と。

鷲田によると、研究にはオリジナリティが必要であるが、オリジナリティの評価は、大学の教授でないとできないらしいのです。「小・中・高の教師には、オリジナリティは要求されない。むしろ、彼・彼女が、独創的な意見や理論の持ち主でも、教室にそれを持ちこんで教えるのは、むしろ「有害」とされる。高校までの授業は、テキスト(標準教科書)にもとづいて進められるべきものとされる。」というのです。

独学者が論文を書く場合、いきなり、高校教師に勝る質の論文が要求されることになるのでしょうか。「学問の命」であるオリジナリティが、論文に要求されることになるのでしょうか・・・。

鷲田は、学問を3つに分類しています。「幇間的学問」・「有閑的学問」・「学問のために学問」。

●幇間的学問
鷲田は、「幇間的学問」を、「特定の政治的立場に功利的にサービスするための学問」として定義します。何も「政治的立場」に限定する必要はないでしょう。既存の部落研究・部落問題研究・部落史研究の多くは、部落解放同盟という「運動的立場に功利的にサービスするための学問」として営まれてきました。部落解放運動にとってマイナスになることは差別として意図的・無意図的に排除されてきたのです。既存の部落研究・部落問題研究・部落史研究の多くは、この「幇間的学問」の範疇に入ります。

●有閑的学問
鷲田は、「有閑的学問」を「現実から逃避する学問」として定義します。最近の部落研究・部落問題研究・部落史研究の多くは、この学問の範疇にも入ります。部落差別は、近代の国家権力によって、直接的にも間接的にもつくられてきたにもかかわらず、差別の淵源を国家権力とは関係のないところ、伝統文化や慣習・風俗に追いやろうとします。国家権力を免罪し、差別の「現実」から遠ざかり、差別そのものを解決不能な世界へ追いやろうとします。

●学問のための学問
鷲田にいわせると、最も学問的な学問と言えるのかも知れません。多くの学者は、かろうじてこの学問の範疇にとどまっていると信じたいものです。

学歴も資格もない筆者の『部落学序説』は、どの学問の範疇に入るのか・・・。実は、鷲田がいう学問の範疇のいずれにも入らないのです。筆者は、『部落学序説』は、「批判・検証の学」として位置付けています。「幇間的学問」・「有閑的学問」・「学問のために学問」に勝って、研究者・学者・教育者・運動理論家の説を、比較検証して、それぞれの学問の正当性を論ずる学問であると思っています。無学歴の素人に何が分かるか・・・との声もありますが、プロの研究者・学者・教育者・運動理論家は、このような方法は採用しません。『学問と「世間」』の著者・阿部謹也がいう、学者の世界に支配的な「世間」が、このような研究方法を阻むからです。学者の「世間」と何の関係もない、無学歴の筆者であるがゆえに、比較研究の上、いとも簡単に、Aという学者の説を受け入れ、Bという学者の説を退けることをやってのけるのです。読者は、筆者に対する批判を展開しようとすれば、AかBのいずれかの学者を批判しなければならなくなります。『部落学序説』は、相反する学説に取り囲まれているのです。しかも、そのいづれからも自由になって、新しい学問、新しい説を提唱しているのです。

鷲田は、その著『研究的生活の方法』で、「大学を出て10年間、対価を望まず研究に打ち込んだら、一定水準の研究成果が生まれます。」といいますが、無学歴の独学者であっても、10年間、ひとつのテーマを追求すれば、一定水準の研究成果に達することができるのではないでしょうか。

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被差別部落の身元調査について

【学問論】 2.被差別部落の身元調査について

「部落学」が、現実に存在する「部落」に関する学問であるためには、「部落学」は、実証主義的にその研究を遂行しなければなりません。

「部落」が何であるのか。「部落民」が誰であるのか、どのような人なのか。その問いに対して、出来る限り具体的に考察しなければなりません。

しかし、つい最近まで「部落とは何か」、「部落民とは誰か」について、具体的に考察することは、「差別」である・・・と考えられてきました。ある学校教師は、同和教育の場で、その校区の被差別部落を直接、具体的にとりあげたために、運動団体から、その「被差別部落を差別した」として糾弾を受けたことがあります。

現在では、ほとんど不問にふされている事柄も、ある時期は、運動団体から糾弾の対象にされた・・・という事例は決して少なくないのです。そのため、学校教師は、「同和教育」の名目で指導をするとき、具体的に、その校区の被差別部落の歴史や文化、現代直面する問題や解決について触れることを躊躇するようになり、ありきたりの、生徒や学生が眠気のくるような話に終始してきました。その校区の被差別部落と、縁もゆかりもない他所の被差別部落、存在するかしないか確認しようがない抽象的な被差別部落について指導してきました。しかし、そのような「ひとごと」の教育内容では、学習しても、生徒や学生が学習自体に興味を持つことはなかったことでしょう。

部落あるいは部落民について、具体的に考察することは差別である・・・、そんな禁忌状態に、多くの人々は追いやられていたのです。部落あるいは部落民について語るときは、何か悪いことをしているかのように、そっと、ひそひそ話の形で行われたのです。

筆者は、部落あるいは部落民について話題にすることが差別なのではなくて、部落あるいは部落民について「ひそひそ話」をすることが差別につながると思うのです。

筆者は、ときどき、「あなたは、どうして、そこが被差別部落であると知っているのですか。被差別部落出身の私でも知らないのに・・・」といわれることがありますが、それは不思議に思うには及びません。その地域が被差別部落であるのかどうか、その地域に行って、直接、その地域の住民に、そこが被差別部落かどうか聞いたからです。

被差別部落を尋ねたときは、いつも妻と一緒でした。妻に道路地図をみてもらって、あらかじめ図書館で調べた場所に行くのですが、たどり着いた場所が被差別部落なのかどうかわかりません。そこで、その住人をみつけて、その地域が被差別部落かどうか尋ねるのですが、多くの場合は、すぐ返事をくれます。ときどき、「何を調べているのですか」と聞かれることがありますが、筆者は正直に答えることにしています。「被差別部落の歴史を研究していて、この地域の名前が出てきたので、どういう場所か確認したくて・・・」。筆者は、そのことで、一度も、抗議を受けたことはありません。

あるとき、山口で知り合った、ある不動産会社の社長とこんな会話をしたことがあります。その社長は、「あなたは、どうして被差別部落かどうか、確認することができるのですか・・・」と質問してきます。筆者は、逆に、「あなたは、どのように確認しているのですか・・・」と質問をしました。すると、彼は、「大きな声で、ここは部落かと聞くと、差別だといって糾弾されかねないので、部落から少し離れたところで、あそこは部落かと、耳元でそっと聞いている・・・」というのです。

筆者が、その不動産会社の社長と同じような方法で、被差別部落の地名と人名を調査しようとしたら、ほとんど何も知ることもなく終わったことでしょう。『部落学序説』を執筆することなど、想像もできなかったと思います。

あるとき、筆者と妻の2人で調査した被差別部落の在所を、部落史の「研究家」である高校教師と、徳山藩の元穢多村の住人の方々と、ツアーを組んで周ったことがあります。ツアーのための資料を作成したのも、その資料に従って道案内するのも筆者でした。

山口県の被差別部落の人も、自分の住んでいる被差別部落と、姻戚関係者の住んでいる被差別部落以外の部落については、ほとんど何も知らない・・・ということでした。近世幕藩体制下の旧穢多の在所を全て知っている人はほとんどいないということでした。

その被差別部落めぐりは、徳山藩の元穢多が葬られているという、被差別部落の真宗寺院を尋ねることではじめました。そして、山陽道を東に進み、下松・光市の被差別部落と真宗寺院、室積浦の「遊女の碑」と「元遊郭の建物」を尋ねて、それから、観音信仰の名所・周防国極楽寺までの道のりに配置された「穢多」の在所と「穢多寺」を尋ねました。部落解放同盟の方々も、「こんなツアーははじめて・・・」と感慨深そうでした。その中には、近世幕藩体制下の「穢多寺」と「茶筅寺」が含まれていました。そのとき撮った「穢多寺」の写真には、武家屋敷の風格を持った堂々たる真宗寺院の姿が写っています。この写真は貴重な写真になりました。というのは、相次ぐ台風の襲来で、その寺は大規模に修理をしたため、その当時の面影が失われてしまったためです。

その被差別めぐりには、もうひとつの伏線がありました。それは、キリスト教の社会福祉事業家であり、キリスト教伝道者であった賀川豊彦の弟子で、被差別部落出身者であった詩人・松木淳が旅の先々で歌った歌をてがかりに、被差別部落の人々がどのような思いを持って山口の地を旅していたのか、その足跡をたどることでした。何を考え、何を思い、何を感じていたのか、確かめつつ歩いていると、被差別部落出身の詩人・松木淳の情念が伝わってきます。

このツアーは、筆者に、ある変化を引き起こしました。それまで、被差別部落の人々、部落解放同盟の方々から入っていた情報の流れがストップし、逆に、筆者の方から、被差別部落の人々や部落解放同盟の方々の方に一方的に情報が流れだしたのです。それ以来、筆者は、今日の『部落学序説』につながる孤独な作業を続けることになったのです。徳山市立図書館の郷土史料室の資料、近隣の宮脇書店で手に入れた関連図書を前に、気の遠くなるような、スクラップ&ビルドを繰り返してきたのです。

筆者は、被差別部落の土地と人を訪ねるのは差別であるとは思いません。場合によっては、被差別部落の人の身元調査も必要です。

一生連れそう夫婦の間に、秘密はない方がいいと思います。部落差別は、その出身者にとって非常に大きな問題でしょう。先祖の歴史が重く圧し掛かってきます。そんな重大な問題を、一生連れそう伴呂に、ひとことも告げず、秘密にしたまま一生を過ごすのは、筆者には、決して幸せではない、悲しい人生だと思われるのです。

『部落学序説』で繰り返しのべてきたことに、「人間の偉大さは、所与の人生を引き受けて生きていくことにある」というのがあります。所与の人生とは、自分の意志や決断とは関係のないところで背負わされる人生の重荷のことです。自分を生んだ親と世の中を恨んでも何の意味もありません。自分の意志の及ばないところは、「所与」として受け止め、自分の人生の中で担いきって生きていくこと・・・、人間としての偉大さはそこのあると思うのです。

一生連れそう伴呂と、本当にひとつとなって生きて行きたいなら、結婚前に、伴呂のことを徹底的に調べることも決して間違いではありません。しかし、調べるときは、自分ひとりで調べるべきです。筆者の、被差別部落の調査経験では、被差別部落の人々は、真剣に問えば、真剣に応えてくれるのです。

時々、結婚を前に、興信所や探偵社を通じて身元調査をする人がいますが、筆者は感心しません。なぜなら、「探偵」という仕事の担い手の中には、明治以降は、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「穢多」が、明治4年の太政官布告61号のあと、転身して「探偵」になった人が多いのです。解放出版社から出ている藤林晋一郎著『身元調査』に詳しく記されています。近いうちにこの『部落学序説』でも「探偵」についてとりあげます。自分の大切な人生の決断は、第三者の手を借りずに、自分自身で行うべきです。愛している人の重荷を伴に担うことができるかどうか、自分で調べて自分で決断すべきです。

山口出身の詩人・松木淳の歌を紹介しましょう。筆者は、幾たびも、松木淳のふるさとを車で通り過ぎます。その度にいろいろ考えさせられます。

旅に出し十四の春の日を想ひ
さふらんの花に
母がなつかし
(注)サフランの花はクリスマスの時にパンに入れて食べます。こころとからだの傷や痛みを癒すという伝説があります。

豌豆の花の盛りの故郷を
また見る日あるか遠く旅行く

黙々と煉瓦運びつ
古里の父のことなど思ひつヾくる

荊冠よし貧苦またよし病みもよし
我が行く道は父のみ旨ぞ

エタの児の悩みは口にすまじぞと
今の今迄
思いつめしが

秘めしわが身の素性をば
彼女に
語りし夜の街はづれ道

彼女はただ愛のみに生く
と我を去りて
遂に嫁ぎぬ 幸あらばよし

悲しきは認識不足
差別する 反抗する
愚かしき人々

山河はいたくも恋しさはあれど
差別の村ゆ古里は憂じ

泣きぬれてふっと目覚めぬ
古里の小野の小径に在る夢をみき

松木淳の詩集は、いろいろな人々に貸してあげたのですが、あるときとうとう返ってきませんでした。きっと手放したくなかったのでしょう・・・。

小学校の教師でキリスト者であった詩人・八木重吉はこのような詩を綴りました。ほとんど忘れかけていたので、正確に再現できるかどうかこころもとないのですが・・・。

ひとは近づけば美しく見える
もう一歩近づけば醜く見える
さらに近づけばもっと美しく見える

身元調査をするなら、徹底的にすべきです。

 

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被差別部落の調査方法

【学問論】 3.被差別部落の調査方法

被差別部落の地名・人名を探索するのに特別な方法はありません。

通常の学問に採用されている研究方法を援用すれば十分です。

筆者が、被差別部落の地名・人名を調べるために、最初に尋ねた図書館は、徳山市立図書館の郷土史料室です。郷土史料室で、被差別部落に関する史料を閲覧する人は少なくありません。おそらく、身元調査にも利用されているのでしょう。

筆者は、郷土史料室に通いだして、ある法則を発見しました。それは、被差別部落に関連してよく読まれる史料は、それを紐解いた人が多いほど、その本に痕跡が残るということです。

その痕跡を探すのは決して難しくありません。よく閲覧されるページは、閲覧者によってそのページがめくられているということです。めくるためには普通、指を使いますが、人間の指は通常、汚れと垢がついています。よく読まれる史料ほど、閲覧者の指の汚れと垢が付着しているということです。

山口県の被差別部落の所在が分かる史料・論文など、数10ページに渡って、うっすらと、指の汚れで色が変わっています。汚れというのは、白の上では黒っぽく見え、黒の上では白っぽく見える特徴があるので、本をめくるとき指のあたる部分で色が変わっているところを開けば、被差別部落に関するなんらかの情報を入手することができます。多くの場合は、「差別」のために、そのページがめくられたと想定されますから、『部落学序説』で引用した史料・資料は、そのような方法では検索することはできません。

慣れてくると、微妙な色の違いを見つけることができるようになり、先達の残した痕跡をたどることで、被差別部落に関する差別的な資料が入手しやすくなります。多くの場合は、「知識階級」によって、こういう資料が探索されているのでしょう。

長州藩の部落史に関する資料は、漢文のまま放置されている場合もありますから、最低限、漢文を読み解く力が必要です。せっかく、貴重な資料に遭遇しても、それを読み取ることができなければ、その研究は実を結びません。

筆者が、「探求の技法」としてよく使用するのが、加藤秀俊著『取材学』です。

加藤は、「われわれの一生は取材の連続であり、学習の連続なのである。」といいます。加藤は、「ひとには一生という限られた時間があるだけで、いつかは死ななければならないのである。いくらおカネが無限にあったとしても、そして、いくら意思やねばり強さがあったとしても、人間の生涯にできるというのはタカが知れており、一生がおわったら、そこでピリオドだ。取材という行為は、やりはじめたら限度がない。・・・とすれば、取材はどこかで打ち切らなければならない。ここでオシマイ、と覚悟をきめて、とりあえず暫定的に切をつけなければならないのだ。いずれ将来、その機会にめぐまれたらもうすこしつづけてみよう、という希望的観測のもとに・・・」論文を未完成品として公表する必要があるというのです。

「ひとりの人間がしらべることができる量なんて、じつはタカが知れているのである。よほどの幸運と偶然によってしか、必要な情報に出会うことはできない」。

加藤はさらに、「取材のじょうずな人、というのは・・・索引を使いこなすことのできる技術者である。ただひたすらに頑張って片っぱしから本を読みあさり、いつの日にか必要な情報に出会うだろう、と考えている人があるとすれば、それは奥深い森のなかで磁石も懐中電灯もなしにやたらに走りまわっているようなもの」であるといいます。

中には、古い文献にあたらず、「新刊書」に飛びつく人がいます。研究過程を省略して、一気に、研究の再先端に達したいという願望のあらわれでしょう。しかし、加藤は、「新刊書というのはあたらしいことが書いてあるようで、じつのところ、それほどあたらしいとは限らないのである」といいます。特に、部落研究・部落問題研究・部落史研究というのは、「新しい皮袋」に「古いぶどう酒」を入れている場合が多いと思われます。

一昔前は「普通の人間が情報をあつめる、などというのはありえない話であった。だが現代はちがう。どんな情報でも手にはいる。そのためには金持である必要もなく、特別に高度の学歴が必要であるわけでもない。一人まえに読み書きができ、ごくあたりまえの常識さえもっていれば、誰でも自由な取材者になることができる」といいます。

「ほんの簡単ないくつかの技術さえ身につけていれば、いくらでも深く情報の森に入りこんでゆくことができるのに、学校でも職場でも、いっこうにその技法は教えてくれてはいない。・・・べつなことばでいえば、今日の教育は情報化時代のなかで主体的に生きるための知恵をいっこうに教えてくれていないのだ」。

「自分で発見した問題をじぶんで解いてゆくこと、それが知的探求における自立性というものであろう、とわたしは思う。ところが今の日本人にとって、これはいささか困難なのである。なぜなら、日本における教育というのがこうした自発的な問題発見を奨励するどころか、むしろ抑圧することをその基本にしているから・・・とにかく日本の教育、とりわけ学校教育はそれぞれの個人がもっているすばらしい問題発見能力をおしつぶすことのみに専念しているのである」。

早急に、被差別部落の地名・人名を調査・研究したいひとは、加藤秀俊著『取材学 探求の技法』(中公新書)を読んでみるといいと思います。初心者に役立ついろいろな知恵(知識と技術)であふれています。筆者も、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老の話が史実かどうか確かめる作業にはいったとき、この加藤秀俊著『取材学 探求の技法』は、非常に役立った本でした。筆者には、加藤秀俊著『取材学 探求の技法』は、万人が使いこなせる学的方法であると思われました。身元調査も『部落学序説』の分析・総合研究も、本質的には同じいとなみ、学的探求なのです。
  

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INDEX(目次) | INDEX(節別) | MEMO | まえがき | 序文 | 未整理 | 第1章 部落学固有の研究対象(全文) | 第1章1節 部落学固有の研究対象 | 第1章2節 穢多村の原風景 | 第1章3節 穢多の実像 | 第1章4節 穢多の在所 | 第1章5節 非常の民としての穢多 | 第1章6節 賎民概念の破棄 | 第1章7節 士農工商穢多非人図式の破棄 | 第2章 部落学固有の研究方法(全文) | 第2章1節 部落学固有の研究方法 | 第2章2節 村のシステム | 第2章3節 新けがれ論 | 第2章4節 長州藩青田伝説批判 | 第3章 「穢多」の定義(全文) | 第3章1節 穢多の定義 | 第3章1節1項 本当の挨拶 | 第3章1節2項 身分とは何か | 第3章1節3項 穢多という身分 | 第3章1節4項 伝承に見る穢多身分 | 第3章1節5項 垣の内 | 第3章2節 穢多の役務 | 第3章2節1項 白山信仰と穢多 | 第3章2節2項 死刑執行人の今と昔 | 第3章2節3項 幕末・穢多の群像 | 第3章2節4項 穢多の役務と家職 | 第3章3節 穢多の外延 | 第3章3節1項 第2八鹿高校事件 | 第3章3節2項 穢多とは誰か | 第3章4節 穢多と宗教 | 第3章5節 穢多と習俗 | 第3章6節 穢多とキリシタン | 第3章7節 穢多と遊女 | 第3章8節 穢多と法的逸脱 | 第3章9節 誤解された渋染一揆 | 第4章 太政官布告批判(全文) | 第4章1節 「部落」とは何か | 第4章1節3項 「村」、近世から近代へ | 第4章1節4項 翻訳語「部落」-法制用語 | 第4章2節 「穢多」談議 | 第4章3節 拷問制度とキリシタン弾圧 | 第4章4節 太政官布告 | 第4章4節2項 太政官布告の釈義 | 第4章5節 戸籍と国家神道 | 第4章5節2項 「壬申戸籍」に関する一考察 | 第4章5節3項 『部落学序説』今後の展望 | 第4章6節 太政官布告と地方行政 | 第4章7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」 | 第4章8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」 | 第4章9節 警察と遊女と部落と | 第4章A節 「非常民」から「常民」へ、その精神的葛藤 | 第4章B節 「旧穢多」の精神史的考察 | 第5章 水平社宣言批判(全文) | 第5章1節 史料としての「水平社宣言」 | 第5章2節 「水平社宣言」の背景 | 部落学序説 読書案内 | 部落学序説付論 | 部落学序説付論 「汚れ」について | 部落学序説付論 好井裕明著『「あたりまえ」を疑う社会学』を読んで・・・ | 部落学序説付論 学問論 | 部落学序説付論 寝た子を起こすな | 部落学序説付論 山口県で部落民宣言をした人々 | 部落学序説付論 島崎藤村論 | 部落学序説付論 市民的権利について | 部落学序説付論 特殊部落・差別概念の定義法について | 部落学序説付論 田所蛙治に関する1考察 | 部落学序説付論 百姓の目から見た渋染・藍染 | 部落学序説付論 被差別部落の食卓 | 部落学序説付論 連休のコーヒータイム | 部落学序説付論 部落と暴力団 | 部落学序説付論 8月15日終戦記念日 | 部落学序説(全文) | 部落学序説(別稿) | 部落学序説(別稿) 中江兆民論 | 部落学序説(別稿) 1.近世から近代へ | 部落学序説(別稿) 2.弾直記と明治維新 | 部落学序説(別稿) 3.穢多と明治維新 | 部落学序説(別稿) 4.穢多と維新前夜 | 部落学序説(別稿) 5.明治維新の死角 | 部落学序説(筆者) | 部落学序説(読書感想文)