2005.09.01

伝承にみる穢多の身分

【第3章】穢多の定義
【第1節】穢多の定義
【第4項】伝承にみる「穢多」の役務と家職



「穢多とは誰のことなのか」
「穢多とはどのような人のことなのか」

「穢多」について、何らかの情報を入手しようとする人は、このような問いを発します。前者の「穢多とは誰のことな のか」という問いは、「穢多」という概念の外延の説明を求める問いです。後者の問い「穢多とはどのような人のことなのか」という問いは、「穢多」という概念の内包の説明を求める問いです。

一般的には、ある概念を定義するときには、まず、概念の内包を求めて、それから、それに見合う概念の外延を求めます。近世幕藩体制下の「穢多」を定義するとき、まず、「穢多」の内包を決めて、そのあとで、それに見合う外延、具体的に誰が「穢多」であったのか、ということを解明していきます。

この『部落学序説』において、既に、「穢多」について、二つの命題を設定しました。ひとつは、「穢多は非常民である」という命題、もうひとつは、「穢多の身分は役務と家職によって構成される」という命題です。

「非常民」は、「非常・民」、つまり、「非常の民」を意味します。

筆者は、非常民を、軍事・司法・警察に携わる人々を指して使用しているのですが、「非常民」は、大きく分けて、軍事に関わる「非常民」と司法・警察に関わる「非常民」に分類します。軍事に関わる非常民は、「戦時」のために存在し、司法・警察に関わる非常民は、「平時」のために存在します。

今から二十年前、『伝統と現代』(79号)に「靖国」が特集されていました。

最初の記事は、ルポライター・穂坂久仁男の《ルポ・靖国神社はいま-》でした。小見出しには次のような言葉が並びます。

参拝者に対する神社の見事な対応
神々の宿る装置
靖国神社に祀られている人、祀られていない人
靖国神社に祀られるための条件
祀られるのを拒否するのを許さない
靖国神社、護国神社をめぐる訴訟

靖国神社に祀られている「祭神」は250万に近いといいます。20年前にして、「フルネームさえ分かれば、戦死年月日死亡地が分からなくても、その人が合祀されているか否かが即座に判明する」システムが構築されていたようです。「宝物遺品館の一室にある調査部には、二五〇万近くの合祀者の名簿があ」り、「それはアイウエオ順に整理され、索引が可能」であるといいます。

「安国」「御祭神はすべてこの御心のように祖国永遠の平和な国をつくりあげることであり、御祭神はすべてこの御心のように祖国永遠の平和とその栄光を願いつつ日本民族をまもるために貴い生命をささげられた方々であります」と靖国神社の社務所発行の印刷物「やすくに」に記されているといいます。

穂坂は、坂本龍馬・吉田松陰・大村益次郎・橋本佐内・高杉晋作・頼三樹三郎・真土和泉守・清川八郎、中岡慎太郎・梅田雲濱は「御祭神」として合祀され、西郷隆盛・戊辰の役の幕府軍・奥羽列藩同盟の戦没者・会津白虎隊(逆賊)・大久保利通(不名誉な暗殺死)・木戸孝允・東郷平八郎(病死)・乃木希典(自殺)は合祀されていないといいます。

靖国神社の起源は、一八六九年(明治二年)に現在地に建てられた招魂社だそうですが、「合祀の資格を与えられたのは、鳥羽伏見戦争から函館戦争までの「官軍」の戦死者である」そうです。靖国神社は、他の神社と違って、陸軍省・海軍省の施設であるので、帝国軍人に殺害された犬飼毅は合祀されていないといいます。

神社本庁の調査主事・落合偉州は、「靖国神社に祀られるための資格条件」を次のように語ったといいます。

「祀られている人は軍人、軍属及び準軍属其の他で、
一、軍人では戦死戦病死、及事変での戦死戦病死。
二、終戦後外地において公務に勤務して死んだもの。内地に帰ってから病死したもの。
三、満州事変以降戦死したもの、平和憲法十一条によって死亡したもの。A級戦犯も祀られている。
四、特別措置法によって公務の上で死亡したもの・・・。

穂坂は、この合祀基準は、神社本庁の見解で、靖国神社の見解と同じかどうか分からないといいます。四に属する人々は、「御祭神」に含まれていない可能性があるといいます。

穂坂は、神社本庁の見解通りに靖国神社に祀られていたとしても、空襲による一般の焼死者は合祀されていないといいます。軍人とその関係者は靖国神社の祭神になることができるが、一般の人々はどんなに願っても祭神にはなれないということです。

筆者は、「非常民」は、軍事に関わる「非常民」と司法・警察に関わる「非常民」に分類しましたが、靖国神社の「祭神」は、軍事に関わる「非常民」に属します。

穂坂の文章を読んでいて、私は、ひとつのことに気づきます。それは、靖国神社に合祀されている人々の中に、一般の警察官や、戦争中、戦争遂行の一翼を担った特別高等警察は含まれていないということです。つまり、戦前・戦後を通じて、靖国神社には、司法・警察に関わる「非常民」は合祀されていないということです。

長州藩は、幕府の第二次長州征伐に際しては、幕府の軍勢を藩の四境に迎え撃つ戦争・四境戦争のとき、穢多を構成要員とする「維新団」、茶筅を構成要員とする「山代茶筅隊」を結成します。「維新団」や「山代茶筅隊」という部隊の性格は、「軍隊」ではなく「警察」でした。「軍隊」は、敵の軍隊を壊滅するのを目的に動きますが、「警察」は、敵の兵を生きたまま捕獲して、取り調べと拷問を用いて、敵側の情勢や情報を入手します。「維新団」や「山代茶筅隊」は、そのために、前線へ送り出されたのです。

このことは、長州藩だけではありません。幕府側の広島藩も、第二次長州征伐に際しては、「穢多」を前線へ送り出して、長州藩の兵を生きたままとらえ、彼らから情報を入手します。違いがあるのは、長州藩の穢多や茶筅は、軍隊同様の新式銃で武装された精鋭部隊でもあったということです。彼らは、長州藩の戦勝のため、多大な貢献をしたといわれます。

四境戦争後、「維新団」の穢多たちは、藩から報奨として「士分取立て」「山林五ヘクタール」かいずれかをとるように迫られます。彼らのほとんどは、後者を選択したと言われます。長州藩の穢多たちは、藩の存亡に関わる「四境戦争」には参加したけれども、戦争は、近世警察官である穢多たちにとっては、たえ難いできごとだったのでしょう。穢多は、「士分取立て」を選択して、兵となって、江戸・会津・函館へと戦争の旅(近代兵器を使った殺戮の旅)にでることより、「山林五ヘクタール」をもらって、元の近世警察官の職務、長州藩のふるさとの山や川、人々の生活や治安を守る職務の方を選択したのだと思います。

「山代茶筅隊」は、「本藩別業の地」で、本藩一般の地とは支配形態が異なりました。茶筅は、最初から、「士分」として、四境戦争に参加しました。軍人として参加した「山代茶筅隊」の戦死者は、当然、靖国神社に祀られました。

しかし、軍人ではなく警察官であることをまっとうすることを願った「維新団」の戦死者は、戦前・戦後の一般警察官や高等警察官が靖国神社に合祀されなかったのと同じく、靖国神社に合祀されることはありませんでした(広義の意味では、国のために尽くした軍人を祭られる人、祭られぬ人に意図的に区別しているという点では差別的ですが、軍人以外は警察もふくめて一様に合祀していないという点では、狭義の意味合いでは差別的ではありません)。靖国神社に祀られなかったことこそ、近世警察官たる者の、職務に対する責任と誇りだったと思われます。城を屠するは武士の仕事、近世警察官たる穢多の仕事ではない・・・、と。何がなんでも靖国神社に祀られなければならないということではありません。

「穢多は非常民である」という命題は、部落研究・部落問題研究・部落史研究の多くの謎に、合理的な説明を提供してくれる可能性を秘めています。

山口県立文書館の研究員をされていた北川健先生の論文《『防長風土注進案』と部落の歴史》の中で紹介されている被差別部落の伝承に「高佐郷の歌」があります。

少岡ハ垣ノ内
山部は穢す皮張場
長吏の役ハ高佐郷
何そ非常の有時ハ
ひしぎ早縄腰道具
六尺弐分の棒構ひ
旅人強盗せいとふ(制道)し
高佐郷中貫取

『部落学序説』の、これまで書いた文章の中で、繰り返し引用してきた伝承です。

北川は、この伝承の中に、近世の穢多村を考察するときの重要なキーワードとして、「垣の内」、「皮」、「長吏」、「穢」を抽出します。「穢多」概念の属性として、穢多の「役務」は、「長吏の役ハ高佐郷 何そ非常の有時ハ ひしぎ早縄腰道具 六尺弐分の棒構ひ 旅人強盗せいとふ(制道)し高佐郷中貫取」と歌われている捕亡の仕事を意味します。

また、穢多の「家職」として、「垣ノ内」「皮張場」でなされる生業を意味します。

近世幕藩体制下の「穢多」概念は、その外延・内包とも極めて明確だったのです。近代になって、明治天皇制樹立の過程で、「旧穢多」の概念は、その外延・内包ともあいまいなものにされてしまいます。

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※文章が長すぎるとページが破損して、やっかいなことになりますので、破損しない程度で文章を途中で切ります。次回は、「垣の内」の「垣」についてとりあげます。もちろん、「穢多は非常民である」という命題に基づいて、「垣」の見直しをします。

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