2006年5月28日 (日)

同和地区

第2章 同和対策事業とは何か
第1節 同和地区

昭和35年(1960) 同和対策審議会設置法、公布・施行
昭和38年(1963) 同和対策審議会が同和地区全国基礎調査を実施
昭和40年(1965) 同和対策審議会、内閣総理大臣に、同和地区に関する社会的、経済的諸問題を解決するための基本方策について答申
昭和41年(1966) 総理府設置法改正で総理府付属機関として同和対策審議会を設置
昭和42年(1967) 総理府、全国同和地区実態調査を実施
昭和43年(1968) 同和対策審議会、首相に、同和対策の促進に関する特別措置法法案要綱を提出
昭和44年(1969) 同和対策事業特別措置法案、成立
昭和46年(1971) 総理府、全国同和地区実態調査を実施
昭和49年(1974) 内閣総理大臣官房同対室、同和地区精密調査を実施
昭和50年(1975) 総理府、全国同和地区実態調査を実施
昭和57年(1982) 地域改善対策特別措置法案、参院で可決成立
昭和59年(1984) 地域改善対策協議会、今後における啓発活動のあり方について意見具申
昭和60年(1985) 総務庁長官官房地域改善対策室が、全国同和地区に生活実態把握調査
昭和61年(1986) 地対協意見具申出される
昭和62年(1987) 総務庁地対室より、啓発指針出される。地対財特法、成立

『部落解放史下巻』(解放出版社)に資料として添付されている「部落問題関係略年表」から、同和対策事業に関する立法・行政側の項目を抽出したのが上記の年表です。

昭和44年(1969)に同和対策事業特別措置法案が成立する前に、すでに、「同和地区」が指定され、「同和対策事業」が実施されていました。昭和44年の同和対策事業特別措置法によって、一部地域で試験的に行われていた同和対策事業は、全国的に展開されるようになります。

「同和立法」の下、「同和行政」によって、「同和事業」が展開されるのですが、その「同和対策事業」は、国・地方公共団体によって、「多方面に渡って」展開されていきます。

同和対策審議会の委員を最初から担当し、のちに、地域改善対策協議会の会長をされた磯村英一は、その著『同和問題ハンドブック』(公務職員研修協会発行、1987年)の中で、同和対策事業の「実態が、必ずしも明らかでない」ことを指摘、「このこと自体が、同和対策事業の実施が、国民の監視の目からはずされており、密室の中の行政と取沙汰される原因」となっているといいます。

磯村英一は、「同和行政」は、一方では、国民に対して、同和問題の解決は、「国民的課題」であると主張しつつ、一方では、そのために実施される「同和対策事業」については、国民を寄せつけず、批判すら許さない「密室の中の行政」に終始している以上、「同和対策事業」は国民の了解を得るにいたらない旨発言しておられます。

磯村英一著『同和問題ハンドブック』が出版された1987年当時の話ですが、磯村は、「いまだかって、国及び地方公共団体を含めた”事業総覧”は、つくられていない。」といいます。一説にいわれる「33年間15兆円」といわれる同和対策事業が、具体的にはどのような事業として実施されたのか、その「事業総覧」が作成され、同和対策事業終了とともに、「PLAN・DO・SEE」(計画・実行・評価)の「SEE」(評価)という総括が実施されたのか・・・、筆者は寡聞にして何も知りません。

昭和44年の同和対策事業特別措置法に端を発する全国的規模の「同和対策事業」は、何ら、批判検証という「総括」が実施されることなく幕引きが実施されたように思われます。

今から約20年前、磯村英一は、「同和対策事業」「主体」である「同和行政」の問題点を指摘していました。同和対策は「事業」としてのみ展開されたのですが、その「対象地域」は、「同和行政」によって、「同和地区」として指定された地域にのみ限定されていました。全国に散在する「被差別部落」は、「同和対策事業」「対象地域」になるためには、「同和行政」から「同和地区」の指定を受けなければなりませんでした。近世・近代を通じて「被差別部落」であると「被差別部落」内外から認知されていても、「同和行政」によって「同和地区」の指定がなされない限り、その「被差別部落」に対して同和対策事業が実施されることはありませんでした。

どこからどこまでが「同和地区」なのか・・・。

それを決めたのは、全国の地方公共団体(県・市町村)の「同和行政」でした。「同和地区」の指定の方法は、全国的に多種多様であったそうですが、山口県の部落問題関連資料の中に、山口県光市の被差別部落「浅江」の地図があります。通常、被差別部落の在所を、現在の地図の上で具体的に表示してそれを不特定多数の閲覧に供するというのは、「差別」行為であるとの指摘を免れ得ません。

しかし、山口県の公立図書館の郷土史料室に行けば、光市の被差別部落「浅江」の在所を地図上で目で見て確認することができます。もちろん、「浅江」というのは、「大字」であって、広範な地域をさします。被差別部落は、その広範な地域の一角でしかありませんが、被差別部落の名称に「浅江」が一般的に使用されます。

筆者は、はじめてこの地図を見たときから、「山口県は不思議なところだな・・・。光市の被差別部落の住人もそれが差別文書だとは指摘しない・・・。なぜなのだろう・・・。」と思っていました。

あるとき、被差別部落のひとから、光市浅江で行われた同和対策事業の話を聞いて、納得する・・・、ということがありました。そのひとがいうには、光市は、同和対策事業を実施する上で、光市は、「同和地区」として、浅江の「被差別部落」を含も広範な地域を指定したというのです。そして、同和対策事業を、「被差別部落」の周辺から「被差別部落」の中心へと「同和対策事業」を展開していき、事業完了とともに、その地域を「同和地区」から外していったというのです。そして、最後に、本来の「被差別部落」だけが「同和地区」として残った・・・というのです。

ということは、光市の同和対策事業を追跡していくと、「同和地区」の指定がなされた地域が特定できるということです。その資料の年代によっては、同和地区であったり、なかったりするわけです。

「同和地区」は、従来の「被差別部落」だけだと思っていたら、その周辺にあって「一般地区」とされている箇所もかっては「同和地区」として「同和対策事業」が実施されていた・・・ということにもなりかねないのです。住民の知らないとことで、その住民の住んでいる地域が「同和地区」に指定され、住民の知らないところで、その住民が「同和地区住民」にされてしまっている・・・という事態にもなりかねないわけです。

「同和対策事業」の主体は、「同和行政」にあります。この「同和行政」が、自由に、「同和地区」を指定し、その地区で「同和対策事業」を実施していたのです。

一般住民にほとんど何も知らせることなく、「同和行政」を恣意的に実施していた可能性があります。しかし、このことは、多くの問題を含むことになります。そこで、「同和行政」は、行政の都合で指定された「同和地区」を排除する必要があります。そうしないと、いつかそのことが一般住民に露顕して大問題に発展しないとも限りません。

そこで、光市浅江の「同和地区」はどこなのか・・・、住民が調べにきたとき、光市浅江の「同和地区」は、「被差別部落」(歴史的な旧穢多村)ですよ・・・、と確認させ、不安を払拭させるために、山口県下の公立図書館の郷土史料室において、光市浅江の「被差別部落」の所在を公開し続けているのではないか・・・、筆者はそのように考えたのです。

磯村英一は、「同和行政に実践を難しくしている最大の原因」は「似非同和行為」(『部落学序説』の筆者の表現)にあるといいますが、その「似非同和行為」は、磯村英一が指摘している「民間運動団体」だけとは限りません。「同和行政」も著しく逸脱して、「同和対策事業」を実施してきた可能性があります。

不正が不正をよぶというか、悪が悪を呼ぶというか、そういうことで、「官」による「似非同和事業」は、「官」にとどまらず、「民」による「似非同和事業」へと発展してしまったのではないかと思います。広範に指定された「同和地区」の住民(しかし、実際は被差別部落住民ではなく一般住民)から、それをたてにとって「同和対策事業」にともなう利権を要求された場合、「同和行政」は拒否できなかったのではないかと思います。

マスコミの多くも、「同和行政」の不正を認識しつつ、「”触れたくない”という姿勢をつづけてきた」(磯村)といいます。「同和行政」が、自らの姿勢を正し、「同和行政」の不正と頽廃を自ら「断固として排除」すれば、同和対策事業に対して国民の信頼を損なうことはなかったことでしょう。

地方行政が、国の同和対策事業費の「利権漁り」をし、また、その地方行政の同和対策事業について、被差別部落内外が暗黙の同和対策事業費の「利権漁り」を繰り返す・・・、そんな構造が見え隠れします。

同和対策審議会答申の理念から著しく逸脱した「同和行政」・「同和対策事業」は、「同和対策事業」「主体」である「同和行政」「主体性」の欠如に由来します。今日、問題・事件としてとりあげられる「同和対策事業」は、すべからく、「同和行政」「主体性」の欠如に由来します。「同和地区」指定を厳密に指定していれば招来することがなかった不正ですから。それを許した「同和行政」の責任は非常に重いものがあります。

かっての同和行政の担当者の方に質問します。

「同和対策事業」とは何だったのですか。国民に、分かりやすく説明し、具体的に列挙してください。

 

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2006年5月29日 (月)

同和対策事業総覧

第2章 同和対策事業とは何か
第2節 同和対策事業総覧

同和対策審議会の委員を歴任し、地域改善対策協議会の会長をされた磯村英一にしても、「国及び地方公共団体を含めた」同和対策事業の全体像を把握することは難しいといわれます。

「同和対策事業」は、どのように展開されたのか・・・。被差別部落出身でもなければ、同和対策事業との一切の接点もなく、ただ、所属している宗教団体の同和担当部門の委員をさせられたという理由だけで、「同和問題」に関与するようになった筆者が、磯村英一ですら困難を覚える「同和対策事業」の全貌を把握して批判的に論ずるなど、本来、可能な世界ではありません。

磯村が指摘しているように、「同和対策事業の実施が、国民の監視の目からはずされ・・・密室の中の行政」として実施されてきた経緯は、門外漢による批判検証をはねつけるに十分な状況にあります。

門外漢が、「同和対策事業」の全貌を知るためには、どれだけの「同和対策事業」を批判検証しなければならないのでしょうか。

磯村英一は、その著『同和問題ハンドブック』の中で、「自民党系の同和対策国会議員団が「地域改善対策研究所」を設置し、そこで全国の地方自治体に要請して事業の実態に報告を求め・・・そのときに同和問題に関連する法律・条例・規則等を分類して」体系的に作成した「表」を取り上げています。

ここにその「表」に掲載されているすべての同和対策事業を再掲載します。

【1.啓発・教育】

(総務庁〔総理府〕関係)
・同和対策協議会の運営経費
・地域改善問題啓発活動経費
  講演会委託
  資料作成
  放送委託
  新聞広告委託
  地域行政関係者研修委託

(法務省関係)
・人権問題処理経費
・啓発活動、人権侵犯事件調査処理費

(文部省関係)
・同和教育研究指定校経費
・同和対策調査指導、研究協議会、団体育成、諸集会開催経費
・研究協議会(学校教育)開催経費
・同和対策集会所施設・設備費
・社会同和教育指導者研修事業
・教育集会所示指導事業
・高等学校等進学奨励費補助
・同和教育推進地域の指定
・通学用品等助成金(高校・高専及び大学)
・大学進学奨励費補助
・同和対策集会所の用地取得費

(その他①)
・高校大学通学用品等助成
・小中学校修学旅行費
・同和教育推進連絡協議会
・同和教育推進員設置事業
・社会同和教育指導者養成講座
・部落史編さん補助事業
・健康休力づくり教室
・青少年会館整備費
・スポーツ振興費(体育大会)
・教育関係団体助成費
・同和教育担当教員給与補助
・民生委員同和研修
・図書館事業費
・学習機器整備補助事業
・教員加配費
・校舎等の整備事業
・学力補充教室事業
・差別戒名等調査補助事業
・学校保健活動
・人権結婚相談事業
・差別事象対策費
・県民センター運営費
・新生活運動補助
・全同対負担金
・政府政党陳情経費
・同和団体等助成金

(その他②)
・人権普及運動費(広報、人権週間等行事、研修会、図書・教材資料の整備提供、協議会)
・高等学校等奨学資金給付・貸与事業
・小中学校等給食費助成事業
・同和教育推進員配置事業
・識字学級
・地域体育振興事業
・教育集会所の建設,管理
・指導者養成
・私立幼稚園教育援助金
・同和奨学資金給付(高等学校・各種学校・大学)
・同和地区生徒進路対策
・進路対策協議会
・関係小中学校助成
・グループ活動
・校外生活指導
・教育用図書整備事業
・婦人学級

【2.民生・福祉】

(厚生省関係)
・隣保館の設置事業
・隣保館運営事業
・トラホーム予防事業
・巡回保健相談指導員事業
・保育所、児童館、母子健康センターの整備事業
・小規模保育所、同和対策特別保育事業
・隣保館用地取得事業
・妊婦健康診査事業
・生活相談員設置事業

(その他①)
・隣保館事業補助
・保育所運営事業等補助金
・児童館整備補助事業
・医寮施設整備補助事業
・栄養改善指導事業
・保健器具整備補助事業
・薬事指導費
・飲食店営業等巡回指導員
・医学生・看護婦等修学助成費
・住民健康実態調査費
・被保護世帯援護費
・社会保険推進費
・母子・寡婦福祉資金
・小遊園地事業
・児童福祉事業
・青少年福祉事業
・婦人対策事業
・老人福祉対策事業
・消費生活協同組合強化育成事業
・消費者啓発事業
・民生関連施設先行取得促進融資事業
・民生関連団体助成費
・地区公共事業

(その他②)
・敬老会事業
・老人(福祉)センター管理事業
・障害療育事業
・保育所等通園支度品支給事業
・集会所の建設管理事業
・生活改善等資金貸付事業
・生活援助資金貸付事業
・出産助成金支給事業
・がん・成人病検診促進事業
・母子栄養、救急薬品支給事業
・集会所の用地取得事業
・集会所指導事業
・児童遊園地建設、改修事業
・同和更正資金貸付事業
・冠婚葬祭用具購入費補助事業
・固定資産税、都市計画税、不動産取得税の減免特別措置

【3.生活・環境】

(厚生省関係)
・共同浴場、下水排水路、共同作業場の設置事業
・共同便所、共同炊事場、共同井戸、ごみ焼却炉、火葬場、基地移転、と畜場移転、し尿貯留槽の整備事業
・地区道路、納骨堂、街灯の整備事業
・大型共同作業場、橋梁の整備事業
・地域し尿処理施設の整備事業
・と畜場汚水処理施設、簡易水道施設の整備事業
・飲料水配管施設の整備事業
・と畜場解体等施設整備費
・共同作業場、大型共同作業場の用地取得事業
・基地移転、納骨堂の用地取得事業
・共同便所、共同炊事洗濯場の削除事業
・火葬場、と畜場の用地取得事業

(建設省関係)
・住宅地区改良事業
・公営住宅建設事業
・住宅改修資金貸付事業
・下水道事業
・街路事業
・小集落地区改良事業
・公園事業
・宅地取得資金貸付事業
・道路事業
・住宅新薬資金貸付事業
・がけ地近接危険住宅移転事業
・既設改良住宅改善事業
・住宅地区改良事業等計画基礎調査事業
・既設公営住宅改善事業
・分譲改良住宅共同施設整備事業
・老朽住宅除却促進事業
・水害危険集落地区改良事業

(自治省関係)
・消防施設等整備事業

(その他①)
・産業廃棄物処理施設整備、運営事業
・粗大ゴミ収集事業

(その他②)
・環境自然保護事業
・共同住宅購入資金
・中古住宅購入資金
・建設業者研修会費
・橋梁架換事業
・河川改修事業
・急便斜地崩壊対策事業
・砂防対策事業
・水洗便所改造工事費
・し尿浄化槽設置費
・駐車場整備費
・住宅敷地整備費
・土地区画整備費
・市町村道路整備費
・交通安全施設整備費
・浸水防除費
・地元協議会の運営費
・消防施設整備補助事業
・危険物取扱者特別講習事業

【4.産業・経済】

(農林水産省関係)
・農林漁業生産基盤整備事業
・農林漁業近代化施設整備事業
・農業基盤整備事業
・漁港改修事業
・農山漁村経営改善資金
・農林業田地特別整備事業
・漁業団地特別整備事業
・民有林林道事業
・造林事業
・食肉流通施設整備事業
・営農等相談事業

(通商産業省関係)
・指導事業
・同和地区産業振興委託事業
・巡回相談事業
・研修事業
・金融指導事業
・海外調査事業
・商品開発事業
・中小企業事業団高度化事業
・見本収集事業
・市場開拓事業
・競合産業事情調査事業
・同和高度化事業調査指導事業
・同和高度化事業対策に係る貸付事業
(中小企業体質強化資金助成制度)
・海外調査事業、商品開発事業、見本収集事業、市場開拓事業を廃止統合した需要開拓事業

(労働省関係)
・同和対策就職促進事業
・職業安定協力員制度
・聴業訓練校
・職業訓練受講奨励事業
・就職資金貸付制度、職業安定協力員制度を解消した職業相談員制度
・雇用奨励金支給制度
・雇用主啓発指導事業
・職業訓練受講支度金事業
・自動車運転訓練補講事業
・同和問題研修推進員事業
・大型・大型特殊等自動車運転訓練助成事業
・職業安定促進講習制度
・同和対兼対象地域雇用促進給付金制度
・雇用奨励金支給制度の廃止による特定求職者雇用開発助成金制度

(その他①)
・営農相談事業
・畜産経営資金
・畜産団地経営指導事業
・造園技術指導事業
・野菜価格安定対策費
・土地改良区管理指導事業
・ほ場整備負担金軽減事業
・農家負債整理資金融通対策費
・農協職員同和研修事業
・林道事業
・治山事業
・営林指導事業
・森林組合等同和研修事業
・漁村振興特別対策費
・内水面養殖事業
・経営(指導)診断事業
・製品販路拡張事業
・商店施設改良促進指導事業
・産地振興対策費
・大型共同作業場・共同作業場の経営指導費
・国際経済変動対策事業
・企業誘致促進対策事業
・商工団体育成事業
・産業労働会館運営整備事業
・新規開業者金融対策事業
・技能・資格等習得補助金(運転免許・整備士・理美容師・各種技能士等資格)
・職業訓訓練費
・労働教育費
・労働衛生環境(排気装置等)改善助成事業
・労働福祉推進員設置費補助
・職場レクリエーション事業
・使用者健康診断補助金
・勤労者自立資金
・雇用保険加入推進事業
.就労実態調査費
・職業訓練調査費
・公害防止施設整備事業

(その他②)
・中小企業資金利子等補給事業
・小規模資金利子補給事業
・小規模資金保証料補填事業
・農器具整備事業

これが、同和対策審議会の委員を歴任し、地域改善対策協議会の会長をされた磯村英一が、「たまたま」入手することができた同和対策「事業総覧」です。磯村でさえ、「たまたま」入手する機会にめぐまれなければ、「同和対策事業」の全貌を把握することは不可能であったということです。国と地方公共団体(県、市町村)によって実施された、一説にいう「33年間15兆円」を費やして実施された「同和対策事業」の全容と、PLAN・DO・SEE(計画・実行・評価)のSEE(評価)という総括を批判検証することは筆者のような門外漢にとっては容易なことではありません。筆者だけでなく、長年、部落解放同盟の運動家として「同和対策事業」に関与してこられた田所蛙治氏のような当事者ですら、「同和対策事業」の全貌を把握し、公正に、その評価を実施することは不可能ではないかと思われます。

磯村英一が指摘するように、一般的に、「同和対策事業の実施が、国民監視の目からはずされ・・・密室の中の行政」として実施されていると認識されている状況を鑑みると、「同和行政」は、「同和対策」「国民的課題」として、「国民」を動員させた責任上、「同和対策事業」「主体」として、「同和対策事業とは何であったのか、その事業はどのような成果をおさめ、どのような問題をあとに残したのか」その総括を、国民が納得できる形で提示する責任と義務があるように思われます。

運動団体による「対県交渉」・「対市交渉」という「大衆団交」(磯村)に屈し、「同和行政」「主体」であるという自覚を放棄し、「無定見に団体の交渉に対応」していった責任は重大なものがあります。磯村英一は、「中央・地方を問わず、行政当事者が、同和問題に対して正しい理解を欠き、対策に熱意を持たなかったことが背景にある」ことを認めざるを得ないといいます。「しかし、国は法律を定め、地方自治体とともに、国民の負担において同和行政を推進」してきた以上、「同和行政」の実態は、やがて「国民に知れわたる」・・・。磯村英一は、「行政の主体性の必要」が認識されない限り、国民に「”逆差別”という意識を生み出す」ことに結果する・・・と、1986年4月15日、今から約20年前にそのように警告していました。

磯村の提言は、「同和行政」「運動団体」に受け入れられることなく、「同和対策事業」は、日本社会に「部落差別」という重い現実を残したまま終焉を迎えてしまったと思われます。

門外漢の筆者には、上記の理由で、「同和対策事業」の全体像を把握、批判検証することはもとより不可能なことです。それでも、『部落学序説』の筆者として、あえて、「同和対策事業」について言及しようと思えば、より具体的な「同和対策事業」を批判検証する以外に方法はありません。そこで、筆者は、山口県新南陽市(最近の市町村合併によって消滅)の「被差別部落」(ごんごちの里)の「ある同和対策事業」を批判(Kritik)することで、「同和対策事業」批判を実践してみたいと思います。

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2006年6月 1日 (木)

「ごんごちの里」の闘い・・・

第2章 同和対策事業とは何か
第3節 「ごんごちの里」の闘い・・・

1988年7月11日と18日発行、『解放新聞』(1379号・1380号)に、「ごんごちの里」で実施されたある同和対策事業に関する特集が掲載されました。

その記事はこのようなことばではじまります。

「同和」向け住宅に建設にともなう、条例改訂の入居規定に、部落民を「特殊な条件下にあるもの」とする差別条例が、山口・新南陽市議会で制定された。事実を知った新南陽支部では、差別条例の改正をもとめるとともに、これまで県、市がおこなってきた、「同和」行政がいかに、いいかげんな中身かを追究する闘いを展開している。今号と次号にわけて、闘いの経過、現状を掲載する」。

そして、最後のことばは、部落解放同盟新南陽支部の書記長・福岡秀章氏の「事業未実地部落の神林村、桐生市の闘いと連動したい」という抱負を紹介して終わっています。その後、西日本の山口県新南陽支部が、東日本の新潟県神林村や群馬県桐生市の未指定地区のひとびとと、どのように「闘い」「連動」させたのかについては、筆者は、非常に関心を持っているのですが、残念ながら何も知りません。「同和問題は解決した・・・」という世の中の声に、被差別部落の側から、「同和問題はまだ解決していない。同和対策事業の継続が必要である。」という訴えが、西日本の被差別部落と東日本の被差別部落を結びつけているように思われます。

新南陽市の「市営住宅差別条例事件」が、『解放新聞』にとりあげられて、全国的に紹介されたのは、1988年5月20日に、「被差別部落」内の隣保館で行われた「第1回糾弾交渉」に端を発します。

その糾弾会は、「市行政から市長、教育長ら15人が出席。解放同盟からは、地元新南陽支部員、中央本部の小森龍邦書記長、中島中執、松浦県連委員長をはじめ、県内各支部、宗教者、教育関係者、マスコミ関係者ら100人が参加した」といわれます。

その当時、筆者は、日本基督教団西中国教区の部落差別問題特別委員会の委員をしていました。筆者は、新南陽支部の福岡書記長から、その糾弾会に「陪席していい」と許可をもらったので、山口県の諸教会の牧師に、「糾弾会参加」をよびかけました。4~5名に人が牧師が参加してくれました。糾弾会当日は、「市行政」側に座ってもいいし、「部落解放同盟」側に座ってもいい、どちらにすわってもいい・・・いうことなので、筆者は、他の牧師たちにそのように伝えました。筆者を含めて、『解放新聞』が伝えている「宗教者」は、全員、「市行政」側ではなく、「部落解放同盟」側の席に座りました。

「部落解放同盟」側に座ったといっても、「陪席」であることに変わりはないわけですから、「市行政」側と「部落解放同盟」側のやりとりを、「第三者的」に黙って聞いていました。ときどき、会場で手渡された『市営住宅差別条例事件・糾弾要綱(案)』をひもときながら、両者のやりとりに耳を傾けていましたが、「聞くと見るでは大違い」・・・、というわけではありませんが、最初から最後まで、ていねいなことばのやりとりに終始しました。

日本共産党系の運動団体が、糾弾といえば、「水をかけたり暴力をふるい、あげくの果てに・・・土下座させて謝罪させるなど、常軌を逸した」「怒号と暴力」の飛び交う「糾弾会」のイメージをふりまく山口県内で、その片鱗すら感じさせない糾弾会でした。そして、筆者は「あること」に釘付けになってしまいました。

糾弾会は、その後も続けられましたが、当時の新南陽支部の支部長さんは、「差別者は1回は糾弾会に参加するが、2回目以降は参加することない。差別者は、はじめて参加した糾弾会で、糾弾会について、あらかじめ抱いていたイメージを確認することにとどまり、そこから1歩踏み出すことは容易なことではないから・・・」と話しておられましたが、4~5名の牧師は、2度と筆者のさそいにのることはありませんでした。筆者のさそいで、その糾弾会に参加した4~5名の牧師は、そのあと、筆者を「疎外・排除」するようになりましたので、同じ「糾弾会」に、同じ「陪席」で出ていても、その受け止めかたは多種多様であったように思われます。

しかし、筆者と他の牧師との違いというのは、そんなに違いがあるわけではありません。筆者の場合も、もしかしたら、他の牧師と同じように、1回だけ糾弾会に出て、あとは2度とでない可能性も多分にあったわけです。それが、筆者は、2回目以降もかかわり、他の牧師は、2度とかかわることはなかった分岐点は、「あること」に注目したかしなかったかにあると思っています。

もう19年も前の話ですから、「あること」を正確に思い出すことは、非常に難しいと思われますが、記憶と資料を手がかりに考え直してみたいと思います。

部落解放同盟新南陽支部が発行した冊子に『解放学級参加者のための資料(第1集)』というのがありますが、この冊子は、被差別部落出身者ではなく一般のひとが、被差別部落の中で行われる「解放学級」に参加するための資料として作成されたものです。

以前にも紹介したことがありますが、その冒頭の文章は、部落解放同盟新南陽支部員・福岡五月さんの『部落に生きて』という文章です。新南陽市の社会同和教育の集会において講演の原稿を収録したものですが、福岡五月さんはこのように語っています。

「新南陽市には、いくつかの被差別部落があります。ひとつは、22年前、新南陽市の前身である南陽町が作った「北部落」。ひとつは、私が住んでいる、1600年代からある「南部落」。また、あるひとつは、「南部落」から一部を移転させて、作った「東部落」です。そして最後のひとつは、江戸時代からある部落ですけれども、今現在は公共事業によって消されてしまった「西部落」です。現在、地区指定を受けているのは、その消された「西部落」を除く3地区です。

その中で、最初に言った「北部落」は、まったくの一般地区で、歴史的にみても被差別部落ではありません。たかだか、道路1本直したいために市行政が作った部落です。そこに住む人々は、自分達が新南陽市の被差別部落に住んでいるとは夢にも思っていません。

(中略)

全国的に実施された同和対策事業は、部落差別をなくすために、その原点である部落の生活実態を改善することを目的としており、それは緊急かつ焦眉のこととして行政がやらねばならない事業です。ですから、国も同和対策事業と言えば、補助金を一般事業に2倍も出すのです。借金も簡単にできるように配慮しています。

市で行われた事業の中には、この補助金に誘惑されて、本来の目的を忘れてしまった事業がたくさんあります。

地区指定ひとつをとっても、補助金がほしいために新たな部落(「北部落」)をひとつつくりましたし、私の住んでいる「南部落」ももともとの地区面積より、ひとまわり大きい地区指定がされています。ですから、指定された地区の中には、隣の一般地区の自治会長も住んでいるのです。

地区指定をあまくみてはいけません。『地名総鑑』という本をみなさんは知っているでしょうか。日本全国の被差別部落名が網羅されていて、興信所や企業がそれを購入して問題となった本です。新南陽市にもこの本を購入した企業がありました。この本はどうも、行政機関から流された資料をもとに作られたようなんです。ということはですね、もともとは部落ではない、新南陽市がかってに指定した部落名も載っている可能性があるんですね。この本はかなり回収されましたけれども、まだまだコピーがでまわっております。根絶やしにできておりません。

差別されても誇りある部落民であるという自覚を持てば、それに負けることはないと思うんです。でも、住民は部落ではない、まして部落として差別されてきた歴史を持たない地域が、ある日、突然、その人たちの知らないところで、部落にされてしまっているんです。

そのような無茶なことを平気でする新南陽市とはいったいどういう町なのでしょうか・・・」。

そして、福岡五月さんはこのように訴えます。

「部落差別というのは、私たち市民が、すべて引き裂かれているという現実です。自らが差別によって引き裂かれていることに、怒り、悲しみ、真心を込めて、差別は解決したいとは思わないでしょうか。差別が起こる・・・、差別をなくそうとしてもそれが起こってしまうのは、仕方がないのも事実です。しかし、差別が起こってしまったとき、行政も市民も、その事件を解決する能力がないという、それがくやしいんです」。

これだけ長い引用をすると、「著作権」侵害につながりますが、筆者は、この『部落学序説』執筆に際して、部落解放同盟新南陽支部の方から、包括的に、引用することの承諾を得ています(ただ、新南陽市の4箇所の被差別部落については、実名記載をさけ、「東部落」・「西部落」・「南部落」・「北部落」と相対座標で表示しています。もう一度、実名記載を要求された場合は、この文章についてのみ実名記載に踏み切ります)。

1988年5月20日の「第1回糾弾交渉」の際、新南陽支部書記長の福岡秀章氏は、このように、市行政に訴えていました。

「「北部落」の同和地区指定を即刻解いて、その住民にことの次第を説明して謝罪するとともに、被差別部落ではない一般地区を同和地区指定して、国から騙しとった同和対策事業費を即刻返還すべきである」。

筆者は、糾弾会に陪席して、はじめて、部落差別問題の「深い淵」を見る思いをしました。また、「同和対策事業」の「深い闇」をも見る思いがしました。「同和行政」が音を立てて崩れはじめている・・・。それを崩しているのは、「同和対策事業」「主体」である「同和行政」そのものだと・・・。

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「被差別部落」概念と「同和地区」概念の亀裂

第2章 同和対策事業とは何か
第4節 「被差別部落」概念と「同和地区」概念の亀裂

前説で、山口県新南陽市の「被差別部落」の人々が、市内の「被差別部落」をどのように受けとめていたのか、その住人のことばを引用しながら紹介しました。

「被差別部落」という概念は、「同和地区」の指定がされた地域と、未だ「同和地区」の指定がされていない地域の包括概念・上位概念として使用されていました。

具体的に言えば、「被差別部落」とは、「同和地区」指定がなされている「北部落」・「南部落」・「東部落」と、「同和地区」指定がなされていない「西部落」を含んでいました。

その4ヶ所の「被差別部落」のうち、近世幕藩体制下の「徳山藩」の山陽道沿の「穢多村」の流れをくむのは、筆者が「ごんごちの里」といっている、部落解放同盟新南陽支部のある「被差別部落」・「南部落」と、国鉄・新南陽駅の操車場建設によって、解体されて、「被差別部落」住民が離散していった「西部落」の2ヶ所です。

あとの2ヶ所、「北部落」と「東部落」は、明治4年の「穢多非人等ノ称廃止」の太政官布告が出された以降に、その当時の「行政」によって作られた「被差別部落」です。

新南陽市においては、「被差別部落」は、近世幕藩体制下の「封建遺制」として「残存」している「被差別部落」だけでなく、「昭和」という現代の一時期に、新しく創設された「被差別部落」を含んでいたのです。

筆者は、この話を、新南陽市の「被差別部落」の中にある隣保館で開かれていた「解放学級」で耳にしたとき、大きな衝撃を受けました。ひとつは、「被差別部落」は、過去の固定された地域にとどまらず、今もなお、新たに作り出されている地域であるということに対して・・・。もうひとつは、新たに作り出される「被差別部落」は、住民・市民に対して秘密裏に行われているということに対して・・・。

近世幕藩体制下の「穢多」の在所から切り離されて、その歴史と無関係に作りだされた2ヶ所の「被差別部落」は、時間的には、「東部落」は、戦前に作られ、「北部落」は、戦後において新たにつくられているといわれます。

「東部落」は、戦前の「融和事業」によって、「部落差別」を解消するための行政的施策によって新しくつくられたもので、「北部落」は、戦後の「同和事業」によって、「部落差別」を解消するための行政的施策によって新しくつくられたものです。戦前の「融和事業」も戦後の「同和事業」も、「部落差別」の解消を唱えつつ、「部落差別完全解消」ではなく、「部落差別拡大再生産」に帰結している・・・のです。

筆者は、1988年5月20日に、被差別部落」内の隣保館で行われた「第1回糾弾交渉」に陪席させてもらって耳にしたこの話に、驚きの思いを持たざるを得ませんでした。新南陽市の「市営住宅差別条例事件」に対する「糾弾会」の席上、部落解放同盟新南陽支部のひとびとは、このことについても、鋭く、新南陽市「同和行政」を厳しく批判していたのです。

そして、部落解放同盟新南陽支部のひとびとは、このような意味のことを抗議していたのです。

「新南陽市「同和行政」によって、行政の都合で同和地区指定された「北部落」の住民は、自分たちの、昔から「被差別部落」ではない「在所」が、いつのまにか「被差別部落」扱いされていることについて何も知らない。

最近、その住人の子弟は、就職に際しても、結婚に際しても、うまくいかない。就職試験は決まらず、結婚話はなぜかうまくいかない・・・。なぜなのだろう・・・、彼らは考えても、その理由が分からない。「同和地区」指定されたが故の「被差別」のなせるわざであるとは夢にも考えていない。

新南陽市の「同和行政」は、市民のひとりでも部落差別を受けることがないように、施策をとらなければならないはず・・・。しかし、その「同和行政」が、ある市民を「被差別」の奈落の陥れるような施策をして許されるのだろうか・・・。

私たちは、「部落」に住む住人がひとりも差別されない社会をつくるために部落解放運動に参加している。「部落差別」を受けることの厳しさとつらさを知っているが故に、歴史的にも地域的にも、「部落」でない人々が「部落」として新たに差別されるようになることを黙って見過ごすことはできない。即刻、「北部落」の「同和地区」の指定を解除し、その住民に、ことの子細を説明して謝罪すべきである・・・。

「同和対策事業」の「主体」である新南陽市「同和行政」が、不正行為によって、国の同和対策資金を窃取することは、真正な「同和対策事業」に対する誤解をも引き起こしかねない。新南陽市「同和行政」は、国から窃取した同和対策資金を国に返還し、「同和対策事業」の原点に立ち戻り、「被差別部落」出身であろうとなかろうと、誰一人、「部落」ということばをもって、差別されることのない社会を作るべきだ・・・」。

筆者は、はじめて、門外漢として陪席を許された、その「糾弾会」において、部落解放同盟新南陽支部のひとびとが、新南陽市「同和行政」に対して、「同和対策事業」のあるべき姿を、冷静かつ理論的に説得している姿を見て、彼らが展開している「部落解放運動」は、「「被差別部落」出身であろうとなかろうと、誰一人、「部落」ということばをもって、差別されることのない社会を作る」営みであると認識するにいたったのです。

一般的には、「部落差別問題・同和問題については触れない方がいい・・・」、「寝た子を起こすな・・・」といわれますが、「部落差別問題・同和問題」を避けて通るということは、山口県の「同和行政」によって、歴史的にも地理的にも「被差別部落」ではない地域が「同和地区」指定され、その住民は「同和地区住民」にされる・・・、そのような「不正行為」・「不法行為」があっても、それに目を塞いで生きろ・・・、ということを意味します。一般の側からも、「「被差別部落」出身であろうとなかろうと、誰一人、「部落」ということばをもって、差別されること」を許さないと訴えることが必要なのではないか・・・。そう思ったことが、筆者をして、部落解放同盟新南陽支部との交流を「継続」させることになりました。

筆者が、部落解放同盟新南陽支部のひとびとを、「尊敬」の思いをもって接するようになったのは、部落解放同盟新南陽支部の人々の運動の姿勢によります。筆者の、部落差別問題との取り組みは、「「主体なき同一化」を特徴とする随伴者」(藤田敬一著『同和こわい考』)のそれではなく、田所蛙治氏がいう「「同盟の運動に寄り添う」ようなことを発想の原点に持っている」日本基督教団の牧師・信徒とは異なるスタンスで「部落問題」と取り組んでいるのです。

筆者のさそいで、その糾弾会に一緒に陪席した、日本基督教団西中国教区の牧師たちは、「部落解放同盟新南陽支部の話はにわかには信じ難い。国や地方行政が、新たに被差別部落を作っていってるなんて、何かの誤解ではないか・・・」との感想をもっておられました。彼らは、再び、糾弾会に陪席することはありませんでした。

藤田敬一氏がいう、「部落問題の真の解決と人間解放を求める人びとの「共感と連帯」に支えられた共同の営みとしての部落解放運動・・・」(前掲書)、「両側から越える・・・」営みの行き着いた先が、筆者の『部落学序説』の長文です。

「新南陽市・市営住宅差別条例事件」糾弾会・・・。その3年後、藤田敬一氏も「差別-被差別の現在を凝視する」という論文を掲載されている『部落の過去・現在・そして・・・』(阿吽社)の中で、神戸生まれの「部落民」、「血統的にはサラブレッドのような「賤民の後裔」」を自称する灘本昌久は、「新南陽市・市営住宅差別条例事件」糾弾・・・を、硬直化した、表面的・形式的で貧困な発想のもと、「運動史上の汚点のひとつ」と断罪して切って捨てています。灘本は、その書に収録された対談の中で、「なんでぼくは運動をしてるのかなぁ・・・」とつぶやいていますが、その論文の中では、こうも語ります。「あるがままの部落民の意識は、自分の先祖が穢多であることを恥ずかしく思う。したがって、部落を部落として取り出されること自体を不快に感じる。どんな部落の呼称を生み出しても不快であることには変わりはない・・・」

灘本昌久は、筆者にとって、最も遠い「部落民」でしかないように思わされます・・・。

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